|
新年、明けまして、おめでとうございます。 |
ロルパ取材記
[ リスト | 詳細 ]
|
ロルパのババン村で集会が開かれた翌朝、“ビプラブ”と“プラバカール”が出席した記者会見が開かれた。峰に横たわるババン村の朝はかなり寒い。畑や道端には霜が下りていた。民家の庭にカーペットやむしろを敷いて、野外の臨時記者会見場が設置された。私はマオイストのFMラジオである「共和国ネパールラジオ」の女性記者アンビカ・チャンダと並んで、ビプラプのすぐ前に陣取った。こんな形でマオイストのトップ・クラスのリーダーが、カトマンズからきたジャーナリストと会見をするのは、おそらく初めてのことだろう。2人のリーダーの横には作家のカゲンドラ・サングラウラと左翼系コラムニストのハリ・ロカが座る。まず、ビプラプが先日の中央委員総会でなされた決定を説明した。そのあと、武装戦略についてプラバカールから説明があった。そのあと、私が質問の口火を切って、人民解放軍の兵士の将来について、そして、戦略的攻撃の第2プランの詳細について聞いた。マオイストは制憲議会選挙のあと、彼らの武装勢力である人民解放軍を「ラストリヤ・セナ(国家軍)にする」と言っているが、それはどういう意味なのか。“第2プラン”については、プラバカールが今後は「東は西を向き、西は東を向く」、つまり、カトマンズ盆地をターゲットにするプランを明らかにした。「制憲議会の選挙に負けても、本当に結果を受け入れるのか」と私が質問すると、ビプラプははっきりと「受け入れる」と言った。「もし、王制が残ることになったら、それでもあなたたちは結果を受け入れることができるのか。党内から謀反者が出ることはないのか」としつこく聞くと、ロルパ出身のビプラプは「私たちが一番、ハードライナーだ。したがって、私たちが受け入れるといったら、党員はそれに従う」と答えた。私がさらに「“私たち”というのはロルパリ(ロルパの人)のことなのか。それとも指導者層ということなのか」と聞くと、ビプラプは笑って、「両方のことだ」と答えた。 |
|
カトマンズ盆地の南に接するマクワンプル郡の村から帰った知り合いが言っていた。「7政党とマオイストのあいだで同意が成立したあと、村人たちのあいだで期待が高まっている」。マオイストの“首都"と言われるロルパ郡タバン村を取材した記者が『The Kathmandu Post』に書いていた。「“同意"成立後、タバンのマオイストのあいだでも平和に対する期待が膨らんでいる」。しかし、こうした話や報道を、私はなぜか全面的に信用できずにいた。今回、ロルパをルクムを歩いてさまざまな人たちと話して、7政党との“同意"後、変化が訪れたという報道については、少なくともこれらの地域では正しくないことを実感した。一般の村人の側に、伝えられているような期待や変化を見ることはできなかった。 |
|
ババン村で開かれた「ロクタントリク・プラダルシャン・アビヤン(民主化デモ・キャンペーン)」のメイン・ゲストは、“ビプラプ”“プラバカール”“スダルシャン”の3人だった。最初に演説したビプラプはまず、11月にルクム郡チュンバン村で開かれた党中央委員拡大会議の決定事項を説明し、「武装闘争だけでなく、政治的闘争にも力を入れることを決定した」と、先日、7政党とのあいだで成立した同意について説明した。とくに、「ジャナバド(コミュニズム)」や「プラジャタントラ(民主主義)」という言葉でなく、「ロクタントラ(民主主義)」という新しい言葉を意識して使い、今後は7政党とともにロクタントラのために政治的運動を行うことになったことを明らかにした。次に演説したプラバカールは、マオイストが今後の戦略として、「西(ネパール)は東を見、東(ネパール)は西を見る」という表現を使って、「カトマンズ盆地を標的にする」ことを明らかにした。「背骨を折って頭を攻撃する」という表現も使っていた。背骨とは、カトマンズ盆地に近い地域。頭とは、主要官庁があるシンガダルバルのことだと言う。 |
|
今月初め、西ネパールに住む知り合いのジャーナリストを通じて、「何としてでも、12月7日にロルパのティラに来るように」というマオイストからの伝言を聞いて、私はすぐにロルパ行きを決心した。日時と場所は不明だが、人民解放軍の大きな部隊が集まるプログラムがあるという。マオイストが車道を建設したあと、バスやジープで行けるようになったティラに到着したのは7日の午後8時近くのことだった。“コンタクト”のために迎えに来ているはずだったマオイストは、私たちの到着が遅れたために、ティラのバザールを去ったあとだった。結局、8日も終日ティラで待つことになり、9日朝に出発した。この時点で、私たちは「村人も参加した大きなプログラムが10日、ババン村で開かれる」ことを知らされた。9日は2年前に交戦のあったコルチャバン村ハンニンで昼食をとり、夜はパチャバンの民家に宿泊した。 |





