Kathmandu Journal

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マオイストの結婚

 マオイストの結婚に関する規則は結構厳しい。まず、結婚をするときには党から許可をとらなければならない。マオイストはマオイスト以外の人間とは結婚できない。男は22歳以上、女は20歳以上で、党員資格を得てから2年以上たたないと結婚の許可が出ない。マオイスト同士が恋に落ちても、党からすぐに結婚許可が下りるわけではないし、ましてや党外の人を好きになったら、自分が党を離れるか、相手に入党してもらって、2年以上時がたつのを待つしかない。当然、若いマオイストのなかには、こんなプロセスを待っている余裕もないカップルも多く、そういうカップルは逃げ出すしかないことになる。マオイストにとって、婚前に関係を持つことは重い罪となり、処分の対象になる。ロルパに取材にいったときに、18歳で結婚したカップルが“処分”として、別々にジャナミリシアに入れられているケースに会ったこともある。処分の対象になった一番有名なケースは、昨日も書いた“バーダル”とパンパ・ブサルのケースだろう。バーダルは党内外で“ハンサムなマオイスト”の一人として話題になることが多い。小柄だが活発でパワフルなパンパ・ブサルは、かつて美人だったと聞く。バーダルは既婚で女性リーダーのパンパ・ブサルは今も未婚である。このケースは、プラチャンダがライバルのバーダルを陥れるために作り出した偽のケースだったという話しもあるが、党内では信じている人も多い。一方、マオイストのリーダーのなかには、夫婦でマオイストというカップルも多い。最も有名なのが、バブラム・バッタライとヒシラ・ヤミのカップルだろう。夫婦ともに政治局メンバーにまでなったのは彼らだけである。バフンとネワールのインター・カースト結婚でもある二人は、インドに留学しているときに知り合った古いカップルだ。人民解放軍の副コマンダーの一人“アナンタ”とラメチャップ・ドラカ郡インチャージの“ウシャ”は二人ともロルパ出身のマガル族のカップルだ。小さな子供が2人いるが、両親がカトマンズ近郊にいるために、2人ともロルパのウシャの実家に預けてある。人民解放軍第4師団のコマンダー“ラシュミ”と第3師団ディルガ・スムリティ連隊の政治コミッサー“クランティ”も、ルクムでは有名なカップルである。女性として人民解放軍のなかで最も高い地位に就いたクランティは目が大きい“マガル美人”だ。二人には先日、パルパで一緒に会った。人民戦争のあいだにパートナーを亡くした人も多い。マオイストの女性組織のトップ、ジャヤプリ・ガルティ・マガルはロルパ出身のマガル族だが、人民解放軍の大隊コマンダーだった夫を亡くしている。人民解放軍のもう一人の副コマンダー“プラバカール”に会ったときには、いつも美人の夫人が一緒だった。さて、党首プラチャンダは、どこに行くにも夫人を同行している。夫人は党内ではそれほど重要な地位にいないようだが、今回のインド行きにも夫人が同行したようだ。こうしたプラチャンダの行動を“ブルジョワ的だ”と言う人もいる。もちろん党外の人である。党外に人間の前で、はっきりと言葉に出して党首を批判するマオイストはまずいない。

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 今日は、ネパール暦のジェタ月19日。5年前の今日、当時のビレンドラ国王一家全員を含む王族10人が亡くなったナラヤンヒティ王宮事件が起こった。5年目の今日、カトマンズは“マオイスト一色”に染まった。午前中から市内のあちこちに、プラチャンダの絵を刷り込んだ赤いTシャツを着たマオイストが出現した。人民解放軍の旗をつけたトラックも何台か見かけた。赤いTシャツを着たマオイストは人民解放軍に属するボランティアで、約2000人が動員されたという。場所によっては、警官と一緒になって赤いTシャツ姿のマオイストが交通整理をしていた。ロルパやルクムで会った人民解放軍の人たちとはまるで別人のように、彼らの態度が傲慢に見えたのはどうしてだろうか。トラックのAK−47の絵が入った人民解放軍の旗といい、すべてが力の過剰なディスプレイというか、「やりすぎ」という気がして仕方がなく、一日中違和感を感じた。

 集会は午後1時から始まったのだが、メディア関係者にはパスとともにロゴ入りのキャップが渡された。ステージの横にかけられたプラチャンダ党首の巨大な合成写真といい、ラトナパーク周辺のあちこちに設置された水飲み場といい、かなりお金をかけているのがわかる。クラマンツの中に集まった人たちは、大半が地方から狩り出されたマオイストだったようだ。人はあふれ出て、隣のサイニク・マンツ(軍事広場)にまで大勢の人が入り込んだようだ。夜のニュースで見ると、国王夫妻らが観戦する屋根付きの席まで見物人が入っていた。今日の集会の主催者は特別中央コマンドのコマンダーで人民解放軍の4人の副司令官の一人“アナンタ”だったが、アナンタは舞台裏に徹したようで、中央委員のアグニ・サプコタが集会の責任者として紹介された。29日にポカラで会ったばかりの人民解放軍副司令官で西ネパール・コマンドのコマンダー“プラバカール”と女性リーダーのパンパ・ブシャル、対話団の3人のメンバーが演説をした。やはりプラバカールの演説が圧倒的にインパクトがあった。対話団の演説は長いばかりで内容がぬるい。演説の合間に、シェルパやタマン、ネワールの歌や踊りが披露された。西ネパールのベリ・カルナリからはるばるやってきたイチュク文化グループが、カルナリ地方のデウラ・ダンスを踊っていた。

 BBCラジオは今日の集会に「20万人が集まった」と言っていた。「力のディスプレイ」としては確かに成功したといえるのだろう。しかし、個人的には、こうした数をもって圧倒するやり方、人民解放軍を連れてきて“仕切る”やり方、プラチャンダをまるで国王のように崇めるやり方は、どうも権威的で反感を覚える。もともと中央の権威に反抗する勢力として出てきたはずのマオイストが、権威に染まる傾向を見せている。政党として大きくなりすぎたのか、あるいは、武装勢力の運命なのだろうか。

写真上から;ボランティアの人民解放軍メンバーたち
      人民解放軍の旗をつけたトラック
      マオイストが配ったキャップをかぶるジャーナリストたち
      人民解放軍式のあいさつ「ラール・サラーム」をするプラバカール
      対話団長のクリシュナ・バハドゥル・マハラ

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 日曜からポカラに行っていた。昨日、ポカラで開かれたマオイストの集会で、演説をした人民解放軍の副司令官「プラバカール」に会うことが目的だった。集会はポカラのスタジアムで正午から始まった。強い日差しの下、どこにも日陰がないにもかかわらず、かなりの人が集まった。対話団メンバーのデブ・グルン、プラバカールことジャナルダン・シャルマ、そして女性リーダーのパンパ・ブシャルの3人の中央委員が演説をした。人民解放軍のトップ・コマンダーの一人、プラバカールが彼らの本拠地以外の土地で、一般の人たちの前で演説をするのは、これが初めてだ。昨年12月にロルパ・ルクムに取材に行ったとき、プラバカールとは数日間を行動を共にしたことがあるが、昨日の集会にプラバカールはシャツに半ズボンという非常にラフな格好で現れた。トレードマークの“ひげ”はそのままだった。プラバカールは人民戦争開始以来、パサンやアナンタらとともに武装グループを率いてきたのだが、演説も上手い。優秀なコマンダーの素質として必要なことなのだろうが、武装マオイストのリーダーのなかには、パサンやプラバカールのように、人をひきつける話術や魅力的な性格を持つ人がいる。集会にはマオイストだけでなく、一般人の聴衆もかなりの数が来ていた。タクシーのドライバーからホテルで働く人まで、労働者階級が多いようだった。

 今朝は、ポカラ市内のホテルでデブ・グルン、プラバカール、パンパ・ブシャルが出席しての記者会見が開かれた。カトマンズではまだ、こうした記者会見は開かれていない。この点、地方の方が面白い。記者会見で出る質問も、地方色が出ているというか、より実際的で面白かった。機会があったら、他にも行ってみたいものだ。

 それにしても、ポカラは観光客が少なかった。今回はのんびりする時間がまったくなかったが、雲の切れ間からのぞいた白い山がなかなか幻想的だった。緑がきれいで、この季節もいいものだと思った。

写真上から;昨日のポカラの集会
      演説をするプラバカール
      演説をするパンパ・ブシャル
      停戦中の「行動規範」では、コンバット・ドレスで公衆の場に出ることが禁じられているが、文化グループがコンバット・ドレスで踊っていた。
      プラチャンダ党首の写真入りTシャツを着た女性たち

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プラチャンダの涙

 マオイストが製作したCDが手元に何枚かある。ルクムに行ったときにマオイストからもらったものや、知り合いを通して手に入れたものなど、合計20枚ほどが集まった。このなかに、カトマンズのメディア関係者の間で話題になった、「プラチャンダがオペラを観て涙する」というCDがある。昨年10月にルクム郡チュンバン村で中央委員会総会が開かれる前に、同村でマオイストの文化グループが党幹部に披露した“オペラ”を観て、党首プラチャンダをはじめとする幹部連が涙を見せるシーンがCDに映されているものだ。オペラは『戦場から帰って』というタイトルで、おそらく2004年のベニ襲撃を題材にしているのだろう。戦闘を終えて負傷者を担いだマオイストの部隊が、村々を歩いて戻る様子を劇にしたものだ。ヘリコプターが飛んでくる音やマシンガンの効果音まで使われていて(思わず、先月のシンドゥパルチョークでの空爆体験を思い出してしまった)、なかなかよくできたオペラであることがわかる。ストレッチャーに乗せられて運ばれる負傷者が亡くなるところを見て、幹部たちが涙するシーンが画面に映される。黒いサングラスをかけたプラチャンダは、ハンカチをとりだして、さかんに涙をぬぐっている。幹部の一人のディワカールや、バブラム・バッタライの奥さんのヒシラ・ヤミも涙をふいている。3年前に会ったときよりも、かなり太ったように見えるスポークスマンのクリシュナ・バハドゥル・マハラもハンカチを手ににぎりしめている。

 妙に感情的になっている彼らに比べて、印象的だったのは、対照的に涙も流さずに、無表情に劇を見ている人民解放軍のトップ・コマンダー“パサン”だった。パサンは人民解放軍のトップ・コマンダーとして、ほとんどの大規模襲撃を、常に前線で指揮してきた。ダン郡ゴラヒ襲撃や、ベニ襲撃など、いくつもの襲撃を成功させた伝説的なコマンダーだ。彼は、戦闘での死傷者の姿など見慣れているのだろう。パサン自身、弾があたって右腕を負傷したことがある。実は、3月にロルパに行ったときに、パサンにジャーナリストとして最初のインタビューをした。5時間におよぶインタビューを終えて、パサンがてらいがなく、真っ直ぐで、大胆な人間であることがわかった。人間として、非常に魅力を感じた。前線で命をかけて闘うパサンのような人間がいてこそ、マオイストはここまで勢力を拡大できたのだということが、よく理解できた。これからマオイストは政府との対話を始めることになることは確実だが、パサンのように武装活動の前線で闘ったマオイストの将来が気になる。オペラを観て流したプラチャンダの涙は本物なのかどうか。プラチャンダはロルパの人たちのことを、どれだけ考えているのか。私はロルパの人たちの側に立って、これからの展開を眺めていきたい。

空爆体験(続き)

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 27日の空爆現場には、私の他にもう一人ジャーナリストがいた。カンティプル・メディアが出版する週刊誌「Nepal」のボジ・ラジ・バタ記者である。首都圏に近いために、あまりメディアには知らせなかったようで、この日のプログラムに呼ばれていたのは私とバタ記者の二人だけだった。あとで知ったのだが、この日のプログラムは首都圏を含む特別地区のコマンダー兼コミッサーの“アナンタ”がカブレで獲得した武器を披露し、襲撃を決行した人民解放軍第三師団ベタン・スムリティ大隊を表彰するためのものだった。つまり、軍事的なプログラムであったわけだ。こうしたプログラムを村の集落の真ん中で開くということが、そもそもの誤りだったと言える。しかも、周囲には何かがあったときに逃げ込むジャングルがない。一帯はオープンな畑で、逃げるとしたら民家しかない。実際に、ほとんどの武装マオイストは民家に逃げ込んだわけだが、一般人や民家に被害が出たのはそのためと言える。

 最も激しかった最初の空爆が始まってすぐ、私の近くにいたバタ記者によると、機関銃による掃射が始まった直後、私のすぐ後ろにいたマオイストのセクション・コマンダーが一人、弾にあたって死亡した。私は掃射が始まってすぐに、一番近くにある家と崖のあいだの1メートルほどの隙間に入り込んで、彼が倒れたのを見ていないのだが、このセクション・コマンダーが最初の犠牲者だったようだ。まさに間一髪のところで命拾いしたことになる。このあとに逃げ込んだ家のなかには、少しして、ベタン・スムリティ大隊のコミッサー“ビスワ”とコマンダー“ジビダ”も入ってきて、最初の爆撃の間中、無線機を通じて指示を出していた。治安部隊が彼らがその家にいることを知ったら、当然、爆弾の攻撃もありえたわけで、今考えると、とんでもない状況にいたわけである。“アナンタ”と、もう一人の中央委員会メンバー“カンチャン”ことアグニ・サプコタもすでに会場近くにいたらしいが、私は彼らに会う暇もなかった。前日から村に来ていたバタ記者が、彼らが会場に着いたときの写真などを「United We Blog!」(http://www.blog.com.np/united-we-blog/2006/03/29/live-from-the-war-zone-thokarpa-aerial-attack/#more-299)に掲載しているのでご一見願いたい。

 最初の爆撃のあと、私は村にとどまったが、バタ記者は逃げるマオイストについていった。昨日、その後の様子を聞いたところ、治安部隊は負傷したマオイストを乗せたバスにも機関銃を掃射したそうである。治安部隊の特別部隊が28日、村に陸路でやってきたが、村にはとどまらずに戻ったと聞く。その後、村に入ったジャーナリストの話によると、すでにこの日にうちに村にマオイストが戻ったそうである。

写真上;最初の空爆が始まってすぐに、会場に一番近い家に逃げ込んだ人民解放軍兵士たち。
写真下;ヘリコプターからの銃撃により壁に無数の弾が当たったバグバイラブ高校事務所。屋根にも無数の穴が開いていた。

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