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 ネパール統一共産党(UML)とマオイストの「ロルパ合意」の詳細について、どうしても知りたく、昨日から今朝にかけて、何人かの関係者と話をした。その結果、「合意」がどこでなされたか、また、その直前にマオイストの‘プレナム(拡大会議)’がどこで開かれたかに関しては大体わかった。昨日ある人から聞いた、マオイストの会議がピュータン北部で開かれたという情報は誤りのようだ。むしろ、最初の私の憶測(ロルパ郡とサリヤン郡の境界に近い村)が正しかったことがわかった。UMLのバムデブ・ガウタムとマオイストの党首‘プラチャンダ’が会見した村を、私はちょうど3日前に通っていたこともわかった。マオイストはプラチャンダの警備にかなりの兵力を使っているらしく、人民解放軍の兵士約2000人(おそらく、エリート部隊であるマンガルセン第一連隊)が会見場所の周囲を取り囲んでいたという。私がその村に泊まった2日後に、プラチャンダやマオイストの部隊が来たことになる。あと2日、行程を遅らせていたらと、今さらながら悔やまれる。もっとも、同じ日にかちあっていたら、外部者の私がその村に入ることは間違いなく許可されなかっただろう。

 マオイストはこの間開かれた拡大会議で、党総会を開催することを決定し、中央委員会や政治局を解体し、約30人からなる委員会を結成したと聞いた。今日発売の週刊紙「サング」を読むと、党総会はすでにネパールのどこかで開催されようとしている(あるいは開催されている)という。マオイストの党総会は2001年2月に開かれて以来、ほぼ5年ぶりに開かれるものだ。先月、拡大会議が開かれて以来(実際はその前から)、マオイストは声明を全く出していない。これほど間があくのは異例のことだ。昨年8月に中央委員総会を開いたときには、すぐにプラチャンダが声明を出して決定事項を明らかにしたが、今回の沈黙はどういう意味があるのだろうか。彼ら自身の治安の問題から、噂されている早期停戦破棄に関しては、党総会が終わるまではペンディングされた可能性が高い。決定の公表も、おそらく、党総会が終わったあとになるのだろう。

 UMLのネパール総書記は、マオイストのリーダーと会ったことを否定しているが、彼が8日間のインド訪問の予定を20日間に延ばした理由は、拡大会議に参加するためにネパールに行っていたプラチャンダを待つためである可能性が高い。ネパール会議派のコイララ党首も、今年6月にニューデリーに行ったさい、プラチャンダに会ったことを公では一貫して否定しているが、実は、プラチャンダ、バブラム・バッタライ、クリシュナ・バハドゥル・マハラと会っている。インド政府の手前、公の場で「マオイストと会った」と言えないことは当然のことである。

上の写真は、昨年10月にロルパ郡コルチャバン村で開かれたマオイストのジャナバディ・メラ(コミュニスト祭り)で、マガル族の伝統的な踊り‘サランゲ・ナーツ’を踊る一般の村人たち。

 今日発売の週刊誌「Nepal」が、ネパール統一共産党(UML)とマオイストがロルパ郡で正式な合意書に署名をしたことを暴露する記事を掲載している。すでにこのブログでも何度か書いたが、UMLの幹部バムデブ・ガウタムは10月20日にマオイストのbase areaであるロルパ郡に入り、23日までいた。この間、ロルパの西南部のどこかの村で、ガウタムはマオイストの党首プラチャンダらと会見、長時間におよぶ議論をした。その結果、「絶対王政打倒を運動の共通目標とすること」「制憲議会選挙の実施、およびそれを通じて民主的共和制を実現することを政治的解決の方法とすること」で合意が成立。両者のあいだの‘code of conduct’6点をを含む合意書に署名をした。マオイストの側からはプラチャンダのほかに、バブラム・バッタライとスポークスマンのクリシュナ・バハドゥル・マハラが署名をしている。つまり、マオイストのトップ幹部がこの会合に出席していたということだ。マオイストはガウタムと会う直前に、ロルパの近く(この記事を書いたあと、ピュータン北部で開かれたという情報を得た)で‘プレナム(党拡大会議)’を開いている。前にも書いたが、この会議では、政治局や中央委員会などのハイレベルの党組織を解体し、それぞれのメンバーの階級を一つずつ格下げする(つまり、最高組織の常備委員会はなし)。7政党との共闘を最有力の方針とするなど、さまざまな重要な決定をしている。

 実は、「Nepal」の記事を読む前に、私もある人から聞いていたのだが、ガウタムとプラチャンダはロルパで合意が成立したあと、確認のために、マオイストの衛星電話を使って、そのころ、ニューデリーに行っていたUMLのマダフ・クマール・ネパール総書記と話をした。この電話を国軍側が盗聴し、それに基づいて、軍の特別部隊「レンジャー部隊」が24日、ロルパのヌワガウン村にヘリコプターで行ったのだという。しかし、プラチャンダもガウタムもすでにロルパを離れた後で、軍は彼らを見つけることはできなかった。さらに、この記事には、昨日ほぼ3週間ぶりにインド訪問から帰国したUMLのネパール総書記と、11月10日にニューデリーに発ったネパール会議派のコイララ党首が、ニューデリーでプラチャンダらに会ったとある。彼らだけではなく、ネパール共産党(マサル・エクタケンドラ)の総書記‘プラカシュ’やネパール・サドバワナ党(アナンダ・デビ派)のリデシュ・トリパティらも現在、ニューデリーにいるという。私の情報源から聞いた話では、「ラクナウ会合」以後、マオイストとの接触が途絶えたUML幹部とプラチャンダとのあいだを取り持ったのが‘プラカシュ’だった。彼は、今回の‘ロルパ合意’のさいにも同席したらしい。

 ネパール会議派のコイララ党首がプラチャンダと会うためにニューデリーに行ったことは明らかだ。こうした政党リーダーとマオイスト幹部との会見が、自国の土地で行われていることを、インド政府はもちろん知っている。むしろ、これを奨励していると見たほうが正しい。この展開に最も不満を持っているのがアメリカ政府であることは、先日のモリアティ大使の声明からも明らかだ。しかし、真にマオイスト問題の政治解決を望むなら、政党とマオイストの対話の進行をpositiveに見るべきだと思う。両者の対話を妨害することは、結果的に武装闘争の長期化を招くことになる。

 それにしても、今思うと、私がロルパを歩いていたころ、マオイストの幹部は近くで重要な会議を開いていたわけだ。ロルパで人民解放軍の武装マオイストをほとんど見かけなかったため、どこかロルパの外で重要なプログラムがあるのだろうと考えていたのだが、すぐ近くにプラチャンダを含む幹部が会議を開いていたとは私も知らなかった。26日のバムデブ・ガウタムの記者会見で、私の質問に対して、ガウタムは「今日から6日前に、ネパールのどこかで、UMLとマオイストのあいだで正式合意が成立した」と発言した。このときガウタムは、誰が合意書に署名をしたか明らかにしなかったのだが、今考えると、これは彼自身が10月21日にロルパで合意書に署名をしたことを意味していたわけだ。

 ‘ひょうたんから駒’の記者会見だった。最大政党の一つネパール統一共産党(UML)の幹部で、ネパール農民連合のバムデブ・ガウタム会長の記者会見の知らせを昨日、ファックスで受けたのだが、内容が農民連合の総会に関するものだったために、興味を覚えなかった。しかし、ガウタムが先週、ロルパ郡に行って、マガラト自治共和国のサントス・ブラ・マガル議長らと会ったと聞いていたため、マオイストに関する質問をしようと、やはり行く事に決めた。行って損はしなかたった。重要な情報を得ることができたからだ。午後3時から同連合の事務所で開かれた記者会見には、もちろん外国人は私一人。真っ先に「ロルパで誰と会ったのか、どんな話をしたのか」と私が質問をすると、記者会見では連合の総会に関する質問は出ずに、マオイストに関するものばかりで終始した。

 ガウタムは私がロルパを離れた2日後の今月20日から23日までロルパ南部に滞在して、「ロクタントラ・ジャガラン・アビヤーン(民主主義意識向上キャンペーン)」プログラムを複数の村で開いた。ガウタムは私の最初の質問に対して、「最初の日、ホレリでプログラムを終えて、ヌワガウンからトリベニまで歩いているときに、‘突然’マガラト自治共和国政府のサントス・ブラ・マガル議長とロルパ郡のマオイストの党セクレタリー‘ドゥルバ’に会った。その後、われわれUMLの約200人は、マオイストの人民解放軍やジャナミリシアの約200人の部隊に前後を守られながら歩いた」と話した。歩きながら、長時間、サントス・ブラと話した際、彼が「政府はわれわれが停戦をしたことを悪利用して、マオイストを拘束したり殺害したりする活動を続けている。したがって、(12月第一週に終わる)停戦を延長する可能性はない。それどころか、3ヶ月の期限が終わる前に停戦を破棄する可能性もある」と話したことを明らかにした。さらに、ガウタムはUMLとマオイストの幹部が、「6日前」に、UMLがマオイストの地域で活動をするのを、マオイストが邪魔しないことで合意に達したことも明らかにした。この合意がどこで、誰とだれのあいだでなされたかについては明らかにしなかった。

 UMLのマダフ・クマール・ネパール総書記は23日からニューデリーを訪問中だが、総書記がすでにマオイストの幹部と会ったことも話した。ちなみに、ネパール総書記の留守中、ガウタムは総書記代理の役を務めている。記者会見のあと、別室でガウタムと単独会見をした。このときに、記者会見では聞かなかった、一番気になっていたことを聞いた。それは、カトマンズで噂になっていた中央委員会議のことだった。ロルパ取材のあいだに、明確な情報を得ることができなかったのだが、ガウタムによると、マオイストはつい最近、ネパールのどこかで、幹部会議を開催して重大決定を下したらしい。決定内容すべてをここに書くことはできないが、大きな方針転換があったことは明らかだ。これは噂されていたような‘中央委員会議’ではなく、新しく結成したcore committeeの会議だったらしい。どうやら、95人の中央委員会と27人の政治局は解体されたらしい。これを聞いて、ロルパにいたときから抱いていた疑問が解けた。ロルパを歩いているとき、武装マオイストにほとんど会わず、不思議に思っていたのだが、おそらくこの会議のセキュリティーのために、他の郡に行っていたのだろう。この会議が開かれたのはロルパに近い郡である可能性が高い。

 ガウタムのロルパ行きそのものが、あるいはマオイストと会見するためだった可能性もある。それにしても、1週間長くロルパに滞在していたら、もっといろいろな情報を得ることができたのにと、少々悔やまれた。

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 「ネパールガンジから西ネパールに行く飛行機に外国人の搭乗禁止」という報道について、昨日会った国連関係者は「事実と異なる」と話していた。実際には外国人の搭乗は禁止されていないらしい。この報道をした「カンティプル」紙はその後、この話題に触れていないが、誤情報を報道したのであれば、正しい情報を報道しなおしてほしい。

 カンティプルFMへの‘襲撃’は相変わらずメディアをにぎわわせている。昨日はネパール・ジャーナリスト連合やネパール弁護士連合など、いくつかの職業人の団体が連名で、最高裁に対して新報道法の廃止を求めるpetitionを出した。一方、カンティプルFMは最高裁に対して政府が押収した機器を返却するよう、訴訟を起こした。

 誰と会っても、「ネパールの政治はこの先どう進むのか」ということが話題となる。しかし、誰にもその答えがない。私はたいていの場合、「結果は見えているが、プロセスがわからない」と答える。‘結果’については、この場に書くことはできないが、絶対王政、国王による独裁体制などという前時代的なことが、長く続くわけはないと信じている。前にも書いたが、「不測の事態」がきっかけとなる可能性が高い。

 昨日の会話のなかで、「マオイストは果たして政治的脅威なのか」ということが話題となった。私も会話の相手も、「米政府がこだわるほどに、彼らは政治的には脅威とはならない」という意見で一致した。マオイストはこれまで、さままざまな局面で妥協の可能性を示唆してきた。第一回対話の際には共和制要求さえも引き下げた。それ以降、マオイストが第一要求として掲げる制憲議会の選挙は、そもそもコミュニストの要求などではない。彼らが人民戦争を始めた動機は当初からあいまいだった。何のために武装闘争を闘うのか、その理由が明確でないのだ。今では7政党や知識人までもが要求する制憲議会選挙の実現のためだけに、彼らは1万数千人の犠牲者を出している人民戦争を始めたのか。彼らの要求が一般化するにしたがい、逆にマオイストの党内に目的意識の喪失という現象が生じる可能性がある。政府側に降伏するマオイストが増えていると伝えられているが、彼らの目的達成が近くなるほど、党組織の弱体化が進むのではないだろうか。

 上の写真はロルパで会った人民解放軍兵士。制服やバッグはタバン村のマオイストの‘産業’が作ったもの。

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 2003年1月の武装警察隊長官ら3人の暗殺事件に関連した裁判で、30日、マオイストの政治局メンバー、マトリカ・ヤダフと中央委員代理スレシュ・アレ・マガルが突然、パタン上告裁判所に連れてこられたが、今日は、マトリカ・ヤダフが証言をする日だった。12時近くにプルチョークにある裁判所に行くと、すでに2人が連れてこられており、ヤダフが証言席に立っていた。傍聴席(といってもベンチが二つ置いてあるだけだが)には、ヤダフの家族とともに、スレシュ・アレ・マガルの姿があった。2人とも無精ひげを生やしており、ヤダフは2年前に会ったときよりも痩せたようだった。ヤダフは、すぐにこちらに気づいて手を振ってきた。現在27人のメンバーからなるとされる政治局メンバーのなかで、4人が警察に捕まり拘留されているが、このうち3人はインドで逮捕されて、ネパールには引き渡されておらず、したがって、ヤダフがネパールで拘留されている唯一の政治局メンバーということになる。

 証言が進むあいだ、スレシュ・アレ・マガルと小声で話しをすることができた。マガルには初めてあったのだが、名刺を渡すと私が書いた本のことを覚えていてくれた。昨年2月にネパールに引き渡されたあと、ずっと軍の施設の拘留下にあったにもかかわらず、突然、裁判所に連れてこられた理由について聞くと、「26日に内閣の長(国王)にあてて、‘30日までにわれわれを軍ではなく警察の拘留下に移すなければ、無期限ハンストを始める’と知らせる書簡を送った。おそらくそのせいだろう。30日に突然、拘留されていたチャウニの兵舎からパタンの郡警察署、そのあとに裁判所に連れてこられた」と言う。逮捕されてから6ヵ月のあいだは、殴られるなどの肉体的・精神的虐待を受けたものの、半年後にICRC(赤十字国際委員会)が2人に会いにきてからは、だいぶ、待遇が改善されたとマガルは話していた。52歳になるマガルは、実は、人民戦争が始まってまもなくにも逮捕されたことがあり、マオイストが襲撃で拉致したルクム郡のマハト村にある警察署長のトゥレ・ライ副警視と身柄を交換して釈放されたことがある。モンゴル系のマガル族にしては大柄だが、大分太ったようで、不健康に見えた。一方、ヤダフのほうは、現在の状況に関する質問で、現国王を非難する言葉を発したところ、判事から「法廷では国王を非難することは禁じられている」とたしなめられたことから、興奮して具合が悪くなり、しばらくベンチで休むことになった。再開したあとも、弁護士が「精神的ストレスで証言ができる状況にない」と主張して、結局、証言はダサイン祭のあとに延期された。

 30日の2人の写真はカンティプル・テレビがスクープ映像として撮影していたが、さすがに、今日は大勢のカメラマンが法廷前に陣取って、2人が出るのを待っていた。2人はメディアの群れを見ると、30日と同様に、右手を上げて「マオイストに勝利を!」などとスローガンをあげながら車に連行されていった。(写真;右側はヤダフ。左がマガル)それにしても、2人が訴えられている武装警察態長官暗殺事件のケースは、今もミステリアスだ。この事件を担当している弁護士の一人、シンドゥー・ナス・ピャクレルに聞くと、暗殺事件の実行犯として官憲側が逮捕した「ハルカ・バハドゥル」というマオイストが、「ヤダフとマガルから暗殺の指示を受けた」という証言をし、それに基づいて、2人は起訴されたのだという。しかし、マガルは30日の証言で、「自分は当時、党の外国局におり、ネパールではなくインドにいた」と事件へのかかわりを否定している。この事件を実行したのはマオイストの人民解放軍のエリート部隊、第一大隊に属するSTF(Special Task Force)のチームだ。この部隊のメンバーのほとんどはロルパ郡のマオイストだと聞く。しかし、この暗殺事件では、事件直後に、バクタプル出身のマオイストが負傷して自ら治療のために入院したパタン病院で逮捕された。この男は実行犯の一人であるにもかかわらず、その後、事件にどうかかわったかなどが曖昧なうちに、メディアからも消えてしまった。

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