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長い1日だった。午前9時半から午後2時半までは、国王の「パイダラ・プラマン(徒歩訪問)」を見にパタンのダルバルスクエアで立ちつづけ、そこからマオイストのクリシュナ・K.C.の訴訟を取材に最高裁に直行した。最高裁はクリシュナ・K.C.を釈放する命令を出し、K.C.は釈放されたものの、午後8時すぎ、最高裁の建物のなかに入り込んだ私服の警官と軍により再逮捕された。最高裁での出来事は結局、最後まで見届けたが、今、この国で起こっていることを目のあたりにして、大変衝撃を受けた。詳細は、このあとすぐにお知らせしたい。 |
マオイスト情報
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マオイストが3ヶ月間の「一方的停戦」を宣言してから半月がたった。政府側はこれに対するはっきりとした公式見解は出していないが、各閣僚や国王の側近があちこちで公にしているコメントからは、政府側には停戦を宣言するつもりはまったくないことが明らかだ。王室ネパール軍のスポークスマン、グルン准将は「マオイストが停戦を宣言したのは、彼らの武装勢力を強化するための戦略にすぎない」とさえ話している。しかし、グルン准将の言い分は、あながち誤りではなさそうだ。地方の知り合いから入ってくる情報によると、マオイストは停戦後、党へのリクルート活動を活発化している。カトマンズ盆地を取り巻く「リング・エリア」にあたるある村から来た友人は、彼の村だけでも、停戦後に数人の若者がマオイストになったと言っていた。マオイストのbase areaにあたるロルパ郡でも、村人を彼らのプログラムに強制参加させるなどの活動が活発化しているという。教師や生徒が、彼らのプログラムに参加させるために集団で拉致されたニュースも毎日報道されている。 |
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8月9日のカリコット・ピリ襲撃で捕虜として囚われた王室ネパール軍の60人が昨日、ジャジャルコット軍で解放された。これに関連して今日、マオイストの“ベリ・カルナリ自治共和国政府”がE−メールで送ってきた声明文によると、「13日に、ICRC(赤十字国際委員会)の極西地区代表率いる6人のチームを人民のあいだで迎え、14日朝、捕虜を引き渡した」とある。引き渡した場所はジャジャルコット東部と伝えられているが、おそらく、大きな集会を開いて、捕虜とICRCの人たちに赤いティカと花輪をかけて送り出したのだろう。彼らが“ゲスト”を歓迎・送迎するやり方は私も何度か経験した。この付近には、「人民解放軍の大部隊がいた」と一部メディアが伝えているが、あるいはトップ・レベルのリーダーもいた可能性がある。捕虜たちは今日夕方までにネパールガンジに戻る予定らしい。 |
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今日正午から、国家人権委員会でマオイストによるカリコット郡ピリ軍キャンプ襲撃に関する調査結果を公表する記者会見があった。マオイストは今年4月にルコム郡カラの軍キャンプ襲撃で大敗北を喫したあと、4ヶ月ぶりにピリで大規模襲撃を行った。メディアのなかには、この襲撃はこれまでのマオイストの襲撃のなかで最も成功したものだと伝えるものもあった。実は、以前から、マオイストの大規模襲撃に興味をもち、襲撃のニュースには特に注目して情報収集に努めてきた。襲撃の規模で見るかぎり、これまでで最大規模の襲撃は昨年3月のミャグディ郡ベニへの襲撃だった。ベニ襲撃がどうやって行われたのかに関しては、現地に2度赴いて、英語で長い記事を書いた(記事“Realities and Images of Nepal’s Maoists after the Attak on Beni”はSocial Science Baha(Himal Association)が出版する『European Bulletin of Himalayan Research』の2004、Autumn27号に掲載)。ベニ襲撃には、彼らが‘ボランティア’と呼ぶ一般人約2000人を含めて、約6000人が襲撃に参加している。ポカラから、わずか車で3時間のところにあるベニ・バザールを、マオイストは11時間にわたり占拠した。その意味からすると、ベニ襲撃もある程度(特にパブリシティの意味で)成功したと言える。しかし、失ったもの(マオイスト側は連隊副司令官2人を含む約100人の死者を出した)と獲得したもの(軍兵舎を落とせなかったために、武器は警察署から奪ったものだけだった)をはかりにかけたら、この襲撃はマオイストの勝利とはとてもいえないものだった。 |
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インドの日刊紙「The Times of India」が昨日、マオイストの党首「プラチャンダ」との独占会見インタビューを掲載した。プラチャンダがメディアと直接会って、インタビューに答えたのは、私が知るかぎり、アメリカ人の“マオイスト記者”Li Onestoに次いで2人目である。E−メールを通じたプラチャンダのインタビューは、それほどめずらしくはないが、会見インタビューをとったのは同紙の大スクープと言える。今朝、ひょんなことから、このインタビューをとった人が現在、インドに住む知り合いのインド人記者であることがわかった。インタビューの場所は記されていないが、恐らく、東ネパールのインドとの国境地帯だろうと想像できる。あるいはダージリンのほうかもしれない。先日、プラチャンダはインド共産党毛沢東主義派の党首「ガナパティ」との、初めての合同声明を出したが、ネパールとインドのマオイストが合同でインド亜大陸に「レッド・ゾーン」を作ろうとしているというインド・メディアの報道に関しては、インタビューのなかで、プラチャンダは「インド・マオイストとは思想を同じくするだけで、合同でアクションをすることはない」と話している。プラチャンダは昨年はじめに、モハン・バイデャヤなど、マオイストのトップクラスのリーダーが次々にインドで逮捕されてから、シェルターをネパール側に変え、西ネパールで多くの時間を過ごしていると聞いていたが、最近は再びインド側に行っているようだ。 |





