Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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ブログを始めて3週間

 ジャーナリストを肩書きとする者として、取材で得た情報、あるいは誰かが「伝えてほしい」と提供してくれた情報を伝えるメディアがないことほど歯がゆいことはない。ネパールの政治などという、日本のメディアにとってはほとんど興味の対象となりえないテーマを長年取材してきたせいで、そうした歯がゆい思いは散々経験してきた。それでも長く取材を続け、少しずつでも作品を発表していれば、それなりに仕事の評価をしてくれる人はいるもので、ありがたいことに、そうした方々から身に余る機会を与えていただいたりもした。わずかながらでも、一応、文章を書くことにより情報を「売る」ことを職業とするからには、第三者が介入しないHPやブログを個人で運営することには、ずっと躊躇を感じていたが、ネパールが歴史上最大の転換点に立っており、しかも、そのプロセスを現場で目撃するという、ジャーナリストとしては幸運至極な立場にあるなかで、どんな形ででも、自分が得た情報を発信する義務があると感じた。このブログを始めた動機はそこにあった。第三者の目(評価)を通らない情報発信には、正直言って、今も躊躇がある。また、ブログというメディアに公表できる情報は、きわめて限られている。それでも、生の情報を最も早く発信できるメディアとして、この方法を選んだ。それが正しかったのかどうかは、まだ、正直言ってわからない。迷いながらの毎日だが、定期的に目を通してくださっている読者の方に感謝の意を表したい。

 ネパールは今、その歴史のなかで最大の分岐点に立っています。国民がとるべき道は三つ。つまり、国王が絶対王政を続けることを許すのか、本当の意味での立憲君主制を確立するのか、そして、王制を廃止して共和制の道をとるのかです。
 
 2001年6月1日に、当時の国王ビレンドラの一家全員を含む王族10人が亡くなった「ナラヤンヒティ王宮事件」のあと、国王になったギャネンドラ国王は、今年2月1日、王室ネパール軍をバックにしたクーデターを行い、この国に絶対王政を布きました。国王は、1990年の民主化後に政権をとってきた議会政党が執政に失敗したこと、そして、1996年2月18日から人民戦争と呼ばれる武装闘争を続けているマオイストことネパール共産党毛沢東主義派のために、国の治安が乱れていることを、クーデターを起こした理由としてあげました。しかし、民主主義を求める政党は国王による独裁体制に反対し、街頭運動を続けています。メディアで働く人たちや知識人、そして一部の市民もこの運動に加わっています。

 2月1日以降に起こった出来事に関しては、アジアプレス・インターナショナルが運営するウェブジャーナルに記事を掲載してきました。今後も、インタビューを含めた取材記事は、アジアプレスのウェブジャーナルを通じてお伝えしようと思いますが、緊急を要するニュースや、毎日の簡単な動きに関しては、私自身が運営するこのジャーナルを通じてお知らせしていきたいと思います。何分、更新に割くことができる時間が限られているため、更新が滞ることもままあると思いますが、ご了承ください。また、いただいたコメントにお答えする時間もないために、当分のあいだは、コメントを受け付けることなしに運営させていただきたいと思います。  

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