nepemcoのブログ

ネペムコジャパンによる大地震関連のブログをはじめました。
Source: https://mainichi.jp/articles/20180427/ddl/k38/040/535000c毎日新聞 2018年4月27日 地方版、GOOGLEニュースより
ネパールの地震の被害や復興の状況などについて語るネトラ・プラカシュ・バンダリ愛媛大防災情報研究センター副センター長=松山市文京町の同大で、花澤葵撮影
 約9000人が死亡した2015年のネパール大地震から25日で3年を迎えた。発生直後から日本の研究チームの一員として現地調査している愛媛大防災情報研究センター副センター長のネトラ・プラカシュ・バンダリ准教授(48)が同日、同大で母国の震災について講演し、「住民の助け合い組織ができ、建物の復興率が高くなった」と復興状況を報告した。
     バンダリ准教授は、愛媛大院で地盤工学を学び、ネパール工科大助教を経て、2003年から愛媛大で教えている。今年1月には、ネパール地盤工学会の会長に就任した。
    会場のスクリーンに映し出されたネパール大地震で倒壊した建物など被害の様子=松山市文京町の愛媛大で、花澤葵撮影
     講演では、倒壊した建物の写真やデータなどを示しながら「約80万棟が全半壊し、耐震補強をしていない歴史的建造物などにも大きな被害があった」と被害状況を報告。復興が遅れた原因として、国の防災法が不十分だったことや新憲法の発表準備、インドによる経済制裁を指摘した。
     復興に向けた取り組みとして、JICA(国際協力機構)の提案で、現地住民でつくる「地域復興委員会」が地区単位で立ち上がったことを紹介。住民が自分たちで考え、助け合いながら家を再建する取り組みを評価し、「近い将来、長年地震が起きていない『地震空白地域』にまた同じ規模の地震が起きるのではないかという予測がある。これからも地震防災は非常に重要な課題だ」と訴えた。【花澤葵】

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    Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180425-00000068-jij-asia

    4/25(水) 、ヤフーニュースより

     【ニューデリー時事】ネパールは25日、約9000人の死者を出した2015年の大地震から丸3年を迎えたが、山間部を中心に復興が遅れている。

     昨年11〜12月の下院選で親中派の共産系勢力が大勝。復興に向けて国民が政権の安定化を期待する中、今も政争が繰り返されている。

     震源地に近い中部ゴルカ郡で農業を営むクム・バハドル・ガルさん(53)は、倒壊した自宅を再建できていない。下院選では共産系勢力に投票した。電話取材に「家が建て直せるなら、中国が背後にいようが構わない」と切実な声を上げた。だが、下院選から約5カ月後の今も再建の見通しは立たず、「(新政権の)オリ首相は費用を支給してくれると言ったが、まだ届いていない」と不満を漏らした。

     新政権を担う共産系勢力の中核、統一共産党(UML)と共産党毛沢東主義派(毛派)は主導権争いに明け暮れる。今年2月、統合に合意したが、いまだ実現していない。

     地元紙記者は「両派の対立は震災復興に影響を及ぼしている」と指摘した。政府が見積もった復興資金約7060億ルピー(約7270億円)のうち、実際に投入されたのは6%程度。政争が長引けば、被災者の生活再建はますます遠のく。

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    2018/03/26、GOOGLEニュースより
     豊橋市で役目を終えたごみ収集車が、ネパールに贈られることになった。橋渡しをしたのは豊橋東ロータリークラブ(RC、中嶌秀樹会長)。2015年に起きた大地震の爪痕が残る同国の復興を支援する。

     同RCは昨年11月、ネパールの首都カトマンズを訪れ、震災復興を目的に子供空手大会を開催。そこで会員らは震災から2年半がたっても建物は崩れかけ、山のようにごみが積まれた惨状を目の当たりにした。

     帰国後、豊橋市のごみ収集車2台が老朽化に伴い今年3月で更新されると知り、ネパールに寄付することを発案。車両を譲ってくれるよう市に掛け合い、快諾を得た。整備や輸送にかかる費用は同RCが負担する。

     25日、市内の桜丘高校で寄贈式典があった。来日した同国の国会議員やカトマンズ市関係者らに対し、会長のメッセージを伴和信副会長が代読し「善意が少しでもネパールの人に役立つことを願う」、佐原光一市長は豊橋市発祥の「530(ゴミゼロ)運動」を引き合いに「530スピリットをカトマンズ市にも届けたい」と期待を込めた。

     復興支援のため桜丘高校の生徒らが集めたTシャツ6000着、靴2000足も合わせて贈った。生徒を代表し3年生の本多彩花さんは「寄贈できてうれしい」と笑顔で話した。

     ごみ収集車を使用予定のカトマンズ市ゴカルネショー区のサントシ・チャシリ区長はお礼を述べた上で「カトマンズ市と豊橋市との関係はここから始まる」とした。

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    Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171127-00000060-san-asia

    11/27(月) 、ヤフーニュースより
     ネパール下院選挙は26日、1回目の投票が行われた。選挙の争点の一つがネパール大地震(2015年4月発生)からの復興だ。発生から2年半が経過したが、不安定な政治情勢が影響し、再建に向けた歩みは極めて遅い。

     ネパール中部を震源とした地震では、約9千人が死亡。世界最高峰エベレストでは雪崩が発生し、日本人1人も犠牲になった。ネパール復興庁のヤンマル・ブサル報道官によると、現在でも住宅約76万戸で補修作業が必要な状態が続いている。カトマンズのシンボルだったダラハラ・タワー(高さ約60メートル)も倒壊後、再建されていない。「復興プランはまだ60%が達成されたにすぎない」とブサル氏は話す。

     復興作業が遅れている原因は15年9月公布の新憲法をめぐる政治混乱だ。各政党の勢力争いが激化し、地震後だけで4人の首相が誕生した。今回の下院選で安定的な政権が誕生して「ようやく復興が始まる」(地元ジャーナリスト)と期待する声もある。

     下院選は12月7日に2回目の投票が行われ、その後開票作業が行われる予定。(カトマンズ 森浩)

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    ヤフーニュースより
    オルタナ 4/25(火) 
    シャンティ国際ボランティア会は、アジアで子どもたちやその家族のために、教育支援や緊急援助を行う国際協力NGOである。同団体では2015年に発生したネパール地震を受け、防災対策を備えた小学校を建設するためにクラウドファンディングに挑戦している。現地で活動する竹内海人さんに国際協力活動への思いを聞いた。(聞き手・Readyfor支局=榎本 未希)
    ―――国際協力活動に興味を持ったきっかけを教えてください。

    竹内:この分野に進もうと思ったきっかけは、高校3年生の時でした。当時入団していたボーイスカウトで、英国に派遣渡航する機会がありました。英国では寄付文化が盛んで、ボーイスカウトのような青少年教育では日常的に国際協力NGOとも密接に関わっていて、皆で社会問題について理解することが活動の一環でした。自然と社会問題に興味を持ちはじめました。

    もともと将来はビジネスマンになるんだろう、そのために大学では経済や経営を学ぶことになるのだろう、と漠然と思っていました。しかし帰国後、それまでと一転して国際学の学べる大学に進路を変更しました。高校3年生の夏を過ぎていたので、先生にはかなり怒られてしまいましたが(笑)。

    ―――大学ですぐに国際協力活動を始めたのでしょうか。

    竹内:いえ、大学進学後しばらくは、主に国内の貧困問題、外国人労働者の問題に関わっていました。国内問題の方が実際に足を運んで活動できるのでとても実感を持って活動できたからです。

    しかし病院で外国人看護師・介護士の方々を支援していくうちに、徐々に国際交流に惹かれていきました。ベトナム人の方々が日本の病院で仕事をしやすくするにはどうすればいいのか、文化や慣習を調べていくうちに彼らの生まれや自国の貧しい現実を知り、国際協力に興味を持つようになりました。

    卒業後は、海外の大学院で平和学を勉強し、帰国後に日本のNGOについてもっと知りたいと思い、NGOの窓口となっているJANICに入職しました。

    JANICでは、NGOの活動をよりよく知ってもらう取り組みをしたり、JICAや外務省と協議会を行ったり、またNGOの事業をより良くするための活動を行いました。JANICでの仕事は多くの人にかかわることができやりがいがありましたが、自分の次のキャリアを考えた時に、やはり現場での事業に専門性を持って携わりたいと強く思うようになりました。

    幸いにもNGOの活動を横断的に見ることができたので、日本で活動歴が長く実績もあり、教育に特化した活動を行うシャンティ国際ボランティア会に入りました。教育分野を選んだのは、世界の貧困課題や環境問題など、教育から人々の意識を変えていくことができるのではと考えたからです。

    ―――現在、竹内さんはネパールのヌワコット郡で防災対策を備えた小学校を造るために活動していますが、はじめに現地に入った時、地元の方の反応はどうでしたか。

    竹内:初めは、スムーズに受け入れてくださいました。ネパールの田舎の方は当時支援が届いていなかったので、自分たちが村を訪れると、「最近来た知らない人たちが、学校を建ててくれるらしいぞ」と噂になりました。するとすぐに地元の方々の耳に入り、「どういう学校を建てるの」と聞かれるようになりました。詳しい内容を伝えると、現地で学校建設に関わる方と調整して繋げてもらえました。

    一つ驚いたのが、ネパールでは教育の重要性を多くの人が理解していたことです。他国では災害時に、当然ですが学校よりも食料品や住居の整備が優先されるため、学校再開といった教育の重要性は議論しづらいのですが、ネパールでは比較的そこがスムーズに行きました。もちろん様々な団体が迅速に支援を行っていたというのもありますが、これには大変驚きました。
    ―――ネパール地震の緊急援助は、日本と言語も文化も違う状況での活動だったので、大変だったことも多かったのではないでしょうか。国際協力活動を行う際、どのようなことを大切にしていますか。

    竹内:やはり長期的に活動を続けるには、相手の文化を尊敬し、信頼関係を作ることが大切になってきます。

    ネパールは多民族国家であるため、多様性を認める価値観がしっかり出来上がっています。例えば震災の年、ネパールには週末とは別に国民の祝日が38もあったのですが、これは多様な民族の祝祭を尊重して行われているということが分かりました。このように多文化を認め合うことはみなさん日ごろから行っていることですし、きちんと憲法にも明記されていることです。

    ですから現地では、目の前にいる人の意見や行動がどのような文化から来ているかという感覚を研ぎ澄ましながら活動しています。自分の習慣的にこれで良いと思っていても、実は現地の方にとって良くないこともあるのです。

    ―――信頼関係を築く中で大変だったことはありますか。

    竹内:初めは政府や他団体との支援調整があるため、活動している現場と首都カトマンズを行き来していました。その結果、現地スタッフの方から「一緒に活動しているとは言えない」と言われてしまいました。

    冗談っぽく言ってはいましたが、私はとてもショックを受けました。おそらく、現場で作業している方からすると、写真だけ撮ってお金だけ渡してイイ顔して帰っていくように見えたと思います。その時、自分は理解されていないと思ったし、理解されるための努力が足りていないと自覚しました。

    そこからは、信頼関係を築くために、現地の方と生活リズムを共にしながら暮らしました。震災の後だったので、しばらくはテントや家畜小屋で寝泊まりし、水もなかったので川の水で体を洗ったりしていました。

    夜は暑くて寝苦しく、停電に悩まされましたが、合計で足掛け6ケ月、現地で一部屋借りて過ごしていました。最も気をつけていたのが、張り付いている間はほぼ毎日食事を共にしたことです。一日2食、米を大量に食べるのでとても辛かったのですが、信頼を得るためには必死でした。

    おかげで今では、「こんな田舎の村に、シャンティ国際ボランティア会が来てくれて嬉しい。自分たちの力だけではできないものが出来るようになった。友達の選択肢が一つ増えたことに感謝している」と言われるようになりました。
    ―――2015年4月25日にマグニチュード7.8のネパール地震が起きましたが、当時のネパールの状況はどうでしたか。また2年たった今はどのような状況ですか。

    竹内:地震当時、印象的だったことは、みなさん外で寝ていたことです。家が倒れてしまったので、竹や倒れた家の支柱を使い自前で小屋を作ってとりあえず雨だけしのげるようにしていました。

    すぐ雨季だったので、その時期はみなさんつらかったと思います。地震に慣れていない不安な状況の中でも、海外からの支援で配られるビニールシートを使い、自分たちでどうにかしようとしていました。自助能力が非常に高い国民だなと衝撃を受けました。

    しかし震災から2年経ち、復興庁が出した復興支援金で家を建て始めた人もいますが、現状としてはそこまで変化が大きくない印象があります。いまだに緊急時に配布されたトタンで小屋を建てて生活をしていますし、子どもたちも耐久力が2年しかないといわれている仮設教室で授業を受けています。まだまだ安全な状態で勉強できているとは言えません。

    ―――ネパールでの学校の様子を教えてください。

    竹内:先ほども述べましたが、ネパールでは、教育の重要性は広く理解されていると思います。近年ネパールが行ってきた努力は、世界でも顕著な成果を出しています。コミュニティがメンバーになる学校運営員会が、校長先生と一緒に学校運営そのものにもかかわるのも特徴だと思います。

    震災の翌年には、政府も教育基本法の改正や新しい教育中期計画を策定するなど、これから教育を整備していく環境は既に整っています。では何が問題か。一つに絞ることはできませんが、私が2年間話を聞いてきたことの一つは、多様な民族背景をもつネパールのそれぞれのコミュニティの文化や慣習にまで落とし込むことが難しいのだと感じています。

    ネパールは多民族国家であるがゆえにコミュニティの民族性などの差異を尊重します。学校も同様で、ネパール語以外での授業もできます。ということは、カリキュラム内容は同じでも、来る生徒や地域の文化が個別に違うので、多様な学校運営がされているということです。

    例えば、学校で授業を行う教員の雇用形態が17パターンもあるため、先生のかかわり方から業務範囲も違います。学校の置かれている状況が一つ一つの学校で大きく異なっているのです。

    防災も同様で、住んでいる土地の地形によって災害のリスクも変わってくるため、一概にこれがあなたの学校防災ですとは規定できません。そのため先生たちも身近な問題だとも思いにくいところがあり、どう取り組んで良いのかわからず、どうしても仕組みとして理解するという事が難しかったのだと思います。

    学校で対応できないのですから、同じ土地に住むコミュニティのレベルでも、災害にどう立ち向かうか、ということに取り組むことが難しかったのだと思います。

    ―――日本では避難訓練など、学校で防災や減災を学びますが、ネパールでは防災や減災はどのように認識されていましたか。

    竹内:地震発生前、地盤の弱さや、地形的にネパールで大地震が起きることは確実視されていました。そのためネパール政府と市民社会は国際的な防災枠組みを取り入れた各種活動を行ってきました。災害対応が大規模に行なえたのもその成果だと思います。しかし防災に対する概念がコミュニティに浸透していたとは言えなかったと思います。

    ネパールで学校は多くのコミュニティにとって唯一の公共施設です。公共のものを大切にするネパールにおいて学校は、コミュニティをどう安全に導くのか、という意味で大きなポテンシャルを持っています。

    防災における学校の役割として、コミュニティのリスクマネジメントや防災計画の中心部分を担うことができると思います。日本では当たり前のことですが、ネパールではそこがほとんど普及していません。

    ある学校の先生たちに、授業中に地震が起きたらどうするかインタビューしました。真っ先に逃げるという答えがありましたが、それが本音だということもわかりました。地震の時にはちゃんと逃げないと不要な怪我や事故を招きます。

    つくづく防災は丈夫な建物などのハード面と、避難するためのコミュニティの機能などのソフト面、どちらも重要だなと実感しています。震災から2年が経った今、ネパールの方たちが安心して自分たちの村で暮らすために、この学校建設と防災の普及が重要であると、責任を持ってそう感じています。

    また地方の学校には図書館が全くと言っていいほどありません。今回のプロジェクトで建設する小学校には、子どもたちが気軽に絵本を読めるように、図書コーナーを設置しようと思っています。

    先生がいないときにも友達同士で学び合える習慣を身につけて欲しいですし、何より防災に関する本を読めば、幼い頃から防災に対して取り組む土台が出来上がります。これはアジアで35年間、図書を通じた教育活動をずっと続けてきたシャンティならではの教育支援のやり方だと思っています。

    ネパールの人々と一緒に、災害にどのような対策を取るか、そのためにどのような学校が必要かをヒアリングしながら計画していく。

    ―――ありがとうございました。最後に竹内さんにとって国際協力とは何でしょうか。

    竹内:課題に対し、相互に学び合いながら解決策を作っていくものだと思います。特に災害支援においては、我々NGOがその国の災害に対する理解を高めることももちろんですが、国際協力は相手がいる活動ですから、地域特有の文化、環境要因をこちらが勉強しながら進めていかなければ、活動計画と実態が噛み合わなくなってきてしまいます。

    国際協力NGOは要請ベースが大原則です。援助団体が世界で考えているトレンドが、その土地で合うはずがなく、むしろ現地のニーズや文化をベースに、どうしたら専門的知見を活かせるか、限られた範囲の中で進めていかなくてはいけません。

    現在、防災は世界のトレンドの一つとなっていますが、その形は現地との対話がなければ決めることができません。そういう意味で、ネパールの方々はとてもポジティブでした。

    むしろ、人が多様であることへの寛容さは、私がネパールから学んだことの一つだと思います。一方的にならず、活動を通して学びの形を双方で作っていくことができると信じています。

    彼らのためにも、そしてネパールという国全体で防災に取り組む第一歩となるように、今回のクラウドファンディングでは、皆様からのご支援が必要です。是非、プロジェクトページをご覧いただき、私たちの活動へ応援をよろしくお願いします。


    *竹内さんが挑戦しているクラウドファンディングは、2017年6月26日(月)23時まで!詳細はこちら:https://readyfor.jp/projects/2017nepal

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    ヤフーニュースより
    By藤村美里、TVディレクター、ライター4/25(火) 
    2年の時が過ぎても支援は行き届かず復興はなかなか進まない(写真:ロイター/アフロ)
    ヒマラヤ山脈の麓に位置するアジアの最貧国、ネパール。首都カトマンズ近郊で起きたマグニチュード7.8の大地震、9000人近い死者を出したこの震災から今日4月25日で丸2年が過ぎた。
    震災後、インドとの国境封鎖で物流が滞り、真冬にも関わらず暖が取れないなどの深刻な状況にあったことは2015年当時の記事でも伝えたが、2年が過ぎた現在でも復興の兆しは見えていない。
    民家など約90万棟が倒壊、全人口の3割が被災したとも言われているが、現在も300万人が避難したまま。そんな中、今も余震は続いており、昨夜にもマグニチュード4.2の地震が起きている。
    水不足で、石工業などの倒産が相次ぎ、建物再建などの復興作業が遅れる中、最貧国の頼みの綱は、国連をはじめとする支援団体。しかし、トランプ政権に交代したことで、アメリカ政府からの援助資金が止まろうとしている。
    今後、復興できる日は来るのだろうか。地震直後から継続的な支援を続ける日本のNGOスタッフが、再び現地に入った。

    前回の視察後、新しく建設されていたのは仮設の学校だけ

    「1年4カ月前に視察したときと同じラクトプール郡にあるブンガマティという被災地を訪れたのですが、唯一新しく建設されていた公共施設は学校だけ。保育園から中学校(3歳〜15歳)までの子どもたちが通うのですが、長屋のような1階建てで、日本でいうところの仮設住宅ともいえない自転車の駐輪場のような簡易な建物でした。
    学校の周りは、依然として瓦礫の山。崩れたレンガの建物があちらこちらにある。その隙間の空間に、簡易な木製やトタン板の小屋を自分たちで作って、日常生活を送っていました。」
    トタン屋根で、教室内には白板と机・椅子があるのみの簡易的なものだった トタン屋根で、教室内には白板と机・椅子があるのみの簡易的なものだった
    そう話すのは、現地で支援を続けるNGOジョイセフの小野美智代さん。
    学校の周囲で、今にも崩れそうな家たちで暮らす住民たちに、復旧する気はないのかと聞いたところ。『(政府が)建て替えるお金もくれると言ってる。ただ、まだ何もしてくれないので待っています。』と答えたという。
    「被災地の村の、復興が一向に進んでいません。私たち日本人からすると考えられないのですが、地震でレンガの壁や屋根がごっそり半分崩れ落ち、塀の間からは植物が生えだしている壊れた元の住居が目の前にあるのにもかかわらず、そこには全く手をつけようとしないのです。もちろん瓦礫を片付けようともしない。それでいて、特に悲しんでいる様子も見せず、被災後の現状を受け入れて、ひたすら前向きに生活する明るい人たちがそこにいました。」
    震災後の復興が遅々として進まず、被災した住民には、自宅の再建費が政府から届く予定になっている。にも関わらず、実際には未だ支援金などは、ほとんど行き渡っていない。
    地震の後、観光業もダメージを受けており、水不足の影響で農業も不作続き。仕事がないことから夫婦間暴力が増加、さらには人身売買の状況も悪化しているという。

    人身売買で売られる前に保護された女性たち

    もともと、ネパールでは男尊女卑の文化が根強く、人身売買、早すぎる結婚、若年妊娠、夫婦間に目立つジェンダーに起因する暴力などは、地震前からネパールの女性を取り巻く問題として挙がっていた。
    もともと女性の就職先が限られていることで、「良い就職先がある」と紹介されて、騙された女の子たちが性産業や人身売買の被害に合うという最貧国ならではの実情もある。
    このレポートからは、地震の前にも年間5000〜12000人の女性たちが人身売買の被害にあっていることが分かるが、地震後はこの数字がさらに増えているというのだ。
    人身売買を未然に防ごうと活動している支援団体MAITI Nepalに話を聞くと、運営するシェルターに身を寄せているのは、売られる前に保護された女性たちだという。この支援団体では、インドとの国境付近でも検問を行い、怪しい女の子を乗せた車などをチェックし、女性や女児を保護するシェルターまで包括的な支援をしているが、簡単なことではない。
    「人身売買の難しいところは、取引される本人が最終地点に着くまでは、自分自身が人身売買の被害者だと気づかないケースが多いために、それを摘発することは非常に難しいという点だと思います。実際には、これ以上のケースが起きている可能性が大きいのです。」
    地震の3ヶ月後には、人身売買が15%ほど増えているというデータも発表されているが、数字として出てくるのは本当にごく一部で、実態はもっと酷いという。
    小さい子供を育てながら、人身売買防止のため奔走しているIPPFネパール会長のアムさん 小さい子供を育てながら、人身売買防止のため奔走しているIPPFネパール会長のアムさん
    「人身売買を根絶したい!もともとネパールに根強く残るジェンダーの意識、行政はもちろん、地域のネットワークやネパールで女性支援をしているNGOとつながって取り組む必要があります。だから私が動かないといけないのです。」そう熱く語っていたのは、震災後のネパールで多くの女性たちを支援しているアムさん(35歳)。さらに深刻になった人身売買の撲滅にむけて自らNGOを立ち上げ、MAITIネパールと連携し、草の根で若い女性たちへの情報発信や、教育、ネットワーク普及にも尽力している。
    「とても明るくて情熱的で、目が輝いている姿が印象的だったアムさん。そんな彼女が、2年前の震災時に小さい子どもを抱えながら、命が危険にさらされた話をしてくれました。それでも、地震の36時間後には、自分の息子を保育園に預けて事務所に行き、地震の被災者を支えることで頭がいっぱいだったと涙ながらに語ってくれて。彼女のような正義感あふれる女性がネパール、そして世界をどんどん変えていくのだなと実感しました。(小野さん)」

    次世代のために何ができるか

    震災後の復興が進まず、人身売買などの危険が減らない中でも、次世代を担う子どもたちは日々成長していく。地震が起きた後すぐに現地の団体と提携したNGOジョイセフは、被害者を減らすための啓発・教育活動プログラムを被災地の学校などで運営している。
    教育プログラムを受け、目を輝かせながら将来の夢を語る少女たち 教育プログラムを受け、目を輝かせながら将来の夢を語る少女たち
    プログラムを受けた少女たちに話を聞くと、11歳の女の子の将来の夢は看護師、14歳の女の子の夢は医師だと話してくれた。二人に理由を聞くと『地震のときに、自分たちを救ってくれた人だから』『地震が来ても、仕事がなくならないから』だという。
    震災後、ネパールでもう一つ増加しているのが、ジェンダーに基づく暴力(GBV)で、人身売買と同様、少女たちも被害に遭う可能性が高い。ただ、GBVは人身売買以上に外に出てこないため、その正確な数を出すことは難しい。
    「表になかなか出てこないことだからこそ、ジョイセフのような日本のNGOが実態を把握して、発信する重要性を感じます。そして、人身売買の対象であり、これから結婚し、GBVの当事者である若い女の子たち、そして加害者になりうる男の子たちにも、事前に正しい知識を得ることは非常に重要だと痛感しました。」
    世界中どこにいても、自然災害は起こりうる。だが、住んでいる国や地域が異なれば、被害者を取り巻く環境も大きく変わるものだ。政情不安な最貧困ネパールの女性の置かれている現状は、東日本大震災後の日本とは違うということを、日本の人たちに知ってほしいと小野さんは話す。
    また、ネパールの保健医療クリニック、特に女性のセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスのケアを行うクリニックは、アメリカ政府からの資金援助を受けていることが多いのだが、トランプ政権に交代したことで、援助資金が止まろうとしている。既に、国連人口基金への資金はストップするという大統領令が出ており、支援団体が資金を得られなくなる可能性が高いという。
    ヨーロッパはシリアの難民支援対策に追われ、日本でも東アジアの緊張状態を伝えるニュースが多い。
    それでも、アジアをリードする国として、震災から2年が過ぎても変わらない、アジアの最貧国ネパールの現状を忘れないでほしいと切に願う。

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    GOOGLEニュースより
    2017/5/2
    http://www.at-s.com/ats-tool/thumb.php?file=%2Fnews%2Fimages%2Fn36%2F355198%2FIP170501TAN000035000.jpg&width=200&height=130 ネパール・パタン市に完成した防災コミュニティーセンター(静岡県ボランティア協会提供)
     静岡県民からの浄財などによりネパール・パタン市に完成した防災コミュニティーセンターの開所式がこのほど、現地で行われた。本県からは募金活動に取り組んだ県ボランティア協会の小野田全宏常務理事や、岩田孝仁・静岡大防災総合センター長ら7人が出席した。
     同センターは同国初の防災拠点施設。2015年4月に発生したネパール大地震を教訓に開設した。3階建てで、避難所や研修所、集会所の機能を備えている。約650万円の建設費のうち一部を地元住民が工面し、残りは同協会による募金を充てた。
     開所式には地元の行政や警察、軍の関係者のほか、住民が出席した。避難訓練も行われ、約200人が参加した。ネパール大地震直後に現地入りした岩田センター長が当時、住民に日本の災害対策を指導したことから、非常持ち出し品を持参して訓練に臨んだ女性もいたという。小野田常務理事ら一行は4月22〜27日の日程で同国を訪れ、復興の様子を見て回った。小野田常務理事は「全てが手作業のため復興は進んでいないが、人々の防災意識は高まっている。今後、現地の防災担当者を日本に招き、静岡の災害対策を学んでもらう機会をつくることができれば」と話した。

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    毎日新聞 2017年5月1日 大阪夕刊、GOOGLEニュースより
    石積みに木枠を用いて耐震化を施したモデルハウスの建築の様子=ネパール・グデル村で2016年、CODE提供
     2015年4月のネパール大地震から2年。世界最高峰のエベレスト(8848メートル)に臨む山間部の被災地で、22年前の阪神大震災後、恩返しの海外救援から生まれたNPO法人「CODE海外災害援助市民センター」(神戸市)の支援が注目されている。地元大工がネパールの伝統建築と日本の伝統工法を融合させ、耐震化を施した住宅を相次いで再建したからだ。いま、その技術は広がり始めている。【高尾具成】

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    2017.4.26 GOOGLEニュースより


     2015年4月に発生し、9千人以上が犠牲となったネパール大地震から25日で2年となった。現地で教育支援を続ける兵庫県川西市のNGO「アジア友好ネットワーク」代表、石丸雄次郎さん(74)は、ネパールの人々の生活再建への道のりを見守り続けた。倒壊したままの建物はいまも多く、石丸さんは、日本でそうした現状を訴える講演を行っているという。「笑顔で懸命に生きる人々がいることを多くの人に知ってもらいたい」と話している。
    C娘の難病きっかけ 
     昨年末、首都カトマンズを訪れた石丸さんは、少しずつ変わっていく町の様子に目を見張った。建物はすでに再建し、震災前の町並みに戻りつつあった。人々にも笑顔が戻っていた。
     だが、そこから山間部に向かうと、震災発生時と変わらない風景に愕然とした。倒壊した建物がそのまま残り、人々の生活は苦しいまま。石丸さんは現地での学校建設の支援を20年以上も続けているが、建設に携わった学校施設の再建も進んでいなかった。山間部では病院もなく、病気になれば山を越え、歩いて町まで薬を買いに行かなければならなかった。
    http://www.sankei.com/images/news/170426/wst1704260016-n1.jpg地震で損壊した小学校を訪れた石丸雄次郎さん=平成27年5月(石丸雄次郎さん提供)
     石丸さんがネパールで学校建設支援を始めたのは、次女の伸子さんと同じ難病の女児が平成6年にネパールから治療のために来日したニュースがきっかけ。伸子さんは13年に25歳の若さで亡くなったが、その後、私費や寄付金などで小中高87校を建設した。孤児のためのケアハウスも建てた。
     ネパールは、病気で亡くなった娘と自身を結びつける大切な場所。だからこそ、石丸さんはこの2年間、現地の人々の生活再建に全力で協力した。
     損壊した学校6校の再建を手伝い、今後、50校以上の復興にも尽力する。11月には、カトマンズから北東へ車で約4時間かかるカブレ県の農村部に、伸子さんのあだ名をつけた「のんちゃんお産医療センター」も完成させる予定だ。
    ■日本での風化危惧
     一方で、地震から2年たち、日本での関心が薄れてきているとも感じる。震災後は毎年、復興支援のためのイベントを開催。関西を中心とした学校などでの講演活動も続けている。
     再建に奮闘する中、石丸さんには忘れられない光景があるという。震災から1年がたった昨年4月25日、震源地にほど近い村で開かれた追悼式でのこと。遺族千人以上が集まり、植樹をしたが、人々は涙を流し、大切な人の死を悼んだ。
     その中に娘の遺影を手に泣く母親がいた。伸子さんを失った自身の境遇が重なり、「同じく子を亡くした親として胸が張り裂けそうだった。それ以上声をかけられなかった」。人々の心の復興はまだ遠い。だからこそ、いまを懸命に生きる人々を助けたいとも思う。
     石丸さんは「のんちゃんの病気がきっかけでネパールとつながった。震災という大変な経験をしたが、人々は日々を懸命に生きている。今後もかわらず支援を続けていきたい」と話している。

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    2017/4/25 GOOGLEニュースより
    【カトマンズ=共同】2015年4月、ネパールを震源に同国や周辺国で約9千人が犠牲となった地震から25日で2年となった。約7900の学校が損壊したが、再建されたのは2割弱の約1500校にすぎず、多くの子供が粗末な仮設校舎での勉強を強いられている。
     「地震が来ても、校舎の外に逃げなくてもよくなる」。首都カトマンズ郊外の山間地の学校で子供たちが笑顔をみせた。鉄筋コンクリート製の新しい耐震校舎の工事が進むのは、日本の小中学校に相当するポタ・プラダルサク校だ。周辺ではいまだにトタン製のシェルター暮らしの被災者が多い中、約500人が学ぶ同校の再建が際立つ。
     日本の国際協力機構(JICA)が再建を支援。アンジャン・クマル校長(47)は「仮設校舎は夏暑く、冬寒い。古い校舎も使っているが、地震が起きると、子供がパニックを起こして走り回る。早く完成してほしい」と期待する。
     ネパール教育省によると現在、再建中なのは約1900校。JICAは、ポタ・プラダルサク校を含め83校について鉄筋を増やすなどした耐震校舎の再建を支援、防災教育も進める方針だ。
     国連児童基金(ユニセフ)は、授業に集中できない仮設教室での学習が長引くと教育の質が低下し職業選択の幅を狭め、失業者の増加などで「次世代の貧困を生む」と指摘する。
     復興校舎の完成を待つクリティ・パハリさん(15)は「先生も被災したので授業が遅れている。早く安心して勉強したい」と訴えた。同級生のアニシュ・パハリさん(15)は「もう雨漏りに苦しまなくていい」と喜んでいた。

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