あの太陽を探して

「わたしにとって、幸せとは苦しみの中にしか見つからないものですわ」 『永遠の都』より

うつ病になった経緯について

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どんなところで働いていようが、
「お給料をもらっているんだから」
と、すべてのことをひっくるめて
我慢せざるを得ない状況が確実にあると思います。

外資系の会社に、約6年間勤めていたのですが、
外資の「成果主義」、
プラス、「残業やってあたりまえ」という日本の古い考え方が横行し、
かなりの重労働を強いられ、それがうつ病の引き金になってしまいました。


日本の会社には、もともと、成果主義ではなく
「黙々と真面目に働く」
ということを良しとする、「情」で評価される部分が基本にあると思います。

それが、外資では
「主張しない人間は負け」
というやり方が大部分を占めており、
例えば、年俸や役職などの待遇面にしても
交渉しない人間は、ほぼ何も変わらず。

お金について交渉することが苦手な場合、
特にわたしのようなタイプは、
交渉できる機会があっても、「もっとくれ」的なことを言うのは下品な気がして、
「これで結構です」
と、言ってしまっていました。

文句を言わない人間は、イコール、それで満足している、とみなされるので、
やはりわたしのように、交渉下手な人間は、まわりがどう見てもおかしいと
思われる待遇を受けていたのも事実です。

年俸、昇進を決めるのは、イギリス人、フランス人。
首のすげかえが多いので、ある日、ロンドンの本社の社長が変わり、
日本支社の社長が変わる、ということは日常茶飯事でした。


どんなに仕事をさぼっていても、
初歩的なことでさえできなかったとしても、
要領よく自分を売り込み、交渉上手な人はどんどん出世していく、
というのをイヤというほど見てきました。

「要領が良い」イコール、ずるさ、だと強く思い、
そういった人たちを心底軽蔑していました。


わたしが働いていた会社は、逆に、外資の
「能力主義」的な、残業せずに、規定の時間内で仕事をこなす方が上、
という部分に関しては、当時直属だった日本人の上司はあまりいい顔をせず、
残業しない人のことを陰で悪く言っていたり。


そうすると、わたしのように、
いかにも「やってます」的な自己アピールをする人間をいやらしいと感じ、
かつ、上司に陰口を言われるような不真面目な勤務態度はしたくない、
というタイプの人間は、かなりの重労働を強いられた挙句、
待遇面のめざましいアップはみこめず、
やった分だけ、人知れずがんばった分だけ損をする、
という状態になってしまうのです。


また、「ノーと言えない日本人」代表だったわたしは、
断れないのをわかって、要領のいい人間がさぼった分、
仕事をどんどんフラれてしまうので、
残業は日に日に延びていき(年俸制なので、残業代は出ません)、
出張は国内、海外問わず増え、その分の振り替え休日を要領よく取ることもできず、
日本にいなかった間に溜まった仕事もこなさなければならないので、
土日も出社してみたり、と、平日は4時間の睡眠時間を確保するのがやっと、という状態。

精神的にも身体的にも、どんどん追い詰められて行きました。

毎日37℃を超える微熱が2年間続いていました。

子供の頃から、平熱が35.4℃程度だったわたしにとっては、
かなりキツかったようで、同僚に
「なんか最近、まっすぐ歩けてないよ。大丈夫???」
と言われて、初めて、自分がちょっと変なんじゃないか、と気付き始めました。

けれど、当時、会社で尊敬していた先輩が
「風邪は土日にひくものなのよ。平日にひくなんて甘えている」
と部下に言っているのを聞いて、わたしは、これぐらいのことで休んでられない、
と躍起になりました。

実際、高熱が出ているわけではないので、「気合」でなんとか動けてしまうのです。

そんな過酷な日々は、わたしにとって、果てしなく続くように感じられ、
自分の体を顧みる心の余裕はまったくありませんでした。

でも、どうしても辞めることができなかった事情がありました。

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わたしは、社会に出てから、親とはなるべく関わらないように生きていた。
一人暮らしや、友達と住んだり、外国に住んでみたり。
とにかく、親と一緒に暮らすことは、わたしにとって、あまりにも恐怖で
どうがんばっても無理だった。

子供のころの父親の無関心さ、
そして母親から受け続けた激しい暴力、暴言と支配への恐怖で、
大人になってからもそれは消えず、母の階段を上ってくる足音や、
ドアの開け閉めの音、父と言い争う声、などに、異常に自分が反応し、
心臓の動悸が止まらず、全身にいやな汗をかく、という毎日だった。

けれども、あるきっかけで、両親と妹、弟と暮らし始め、
年齢を重ねてきたわたしたち家族は、昔のような
「死ぬか、生きるか」の争いに発展するような喧嘩はほとんど(笑)しなくなった。

大人らしく、お互いを思いやる努力に力をそそぎ、
ギクシャクする部分もおおいに感じながらも、
やっとやっとのことで、なんとか軌道にのってきたころ、
わたしは仕事をしながら、うつ病を発症した。

そのうち、妹と弟は結婚して家を出て行き、わたしは両親との3人の生活。
その中で、どんどんうつ病は悪化し、ついには、仕事を辞めなくてはならず、
信じられないことに、寝たきりになってしまった。

寝たきりになってしまってからは、どうにもならない体調の悪さのせいで、
不機嫌にしてしまったり、ときには、あたってしまう自分をみられたくなかった。
そのせいで、親に気を遣うのも遣わせるのもイヤで、
また、やはり依然として拭い去れない恐怖に怯えて暮らすのが辛くてしかたなく、
とにかく一人暮らしをしたかった。
それなりの貯金もあったし、なんとかなったと思う。
けれども母の反対もあり、なかなか話は進まなかった。

そしてなんとか毎日をやり過ごしていく中で、
母は、わたしの病気にどんどん理解を示してくれるようになった。
うつ病に関する本を読んだり、テレビでそういった番組がやっていれば必ず観て、
そのうえ、わたしの通院に必ず付き添って、
自分の病状さえもろくすぽ言えなかったわたしに変わって、
医師にたくさんの質問を真剣にしてくれた。

子供のころ病弱だったわたしは、母によく体調の悪さを訴えていたものの、
まったくとりあってもらえず、どんなに具合が悪かろうと熱が出ようと
「這ってでも行きなさい」というルールの下、育てられてきた。

だから、そんな母の目を見張るような変化ぶりに、いまだに驚きが冷めやらない。

昔の母を忘れることは決してないだろうし、
恐怖はこころの深い部分にしみついたまま一生消えることはないだろうけれど、
今のわたしの一番の理解者であり協力者である母は、もうまったくの別人なのだ。
わたしは、この「ネオ・母」がいなければ、とっくに命を自ら絶っていた。

親に依存する自分なんて、甘えきっていて、腐っていて許せない。
育ててもらって、口答えしたりなんかしてたのは、甘え以外のなにものでもない。
大人になってまで、そんな人生は絶対にイヤだった。

けれども、今、いびつながらも、両親との関係が修復され、日々信頼が深まっていく。
あまりにボロボロに崩れてしまった家族だったので、こんな日など来るはずない、と
本気で信じていた。
家庭のぬくもりなど、一生手に入れられるわけなんかなかった。
決定的にあきらめていた部分だった。

でも、今おもう。
病気になってから、あきらめたり、失ったり、手放さないといけないものだらけで、
想像をはるかに超えた心身の苦しみのなかで、
なにひとついいことなんてなかった。

でもこの病気は、すべてを奪ってしまったわけではなく、
こんな自暴自棄なくだらないわたしに、
「家庭のぬくもり」という大きな思わぬプレゼントをもたらしてくれたのだ。

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