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えっと、どこまで書いたっすかね? |

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こんにちは、ゲストさん
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えっと、どこまで書いたっすかね? |
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昭和59年です。 1984年です。 27歳です。 『見合い結婚』でわありません。 かといって『恋愛結婚』でもないような・・・ 友人からのお呼びは昭和58年の年末でございます。 『正月に遊びに来いや、カミさんの友達紹介するから』と。 明けて3日の日ですね行ったのは。 奥方のお友達は二人来ておりました。。。え゙っ!?、二人ぃ!? 決して『二股かよぉ〜(~q~)』とゆう驚きでわありません。 現在ならともかく、当時はウブで純情な青年だったわけでありますから。 まぁ二人とも好みです。 強いてゆえば・・・右ですかね。。。って分かりませんよね(笑) 困りました。何をどちらに話していいのやら、です。 会話は、憶えておりません。 緊張していたのか、年月によるものなのか、はたまたボケによるものなのか。。。 まぁそんなことはどうでもええんです。 しばらくするとなんとなく『お目当ての君』わ分かってまいりました。 『お目当ての君』は頭文字を取ってK美さんとします。 もうひと方はK代さんとします。 K代さんはくったくなく話すんですが、K美さんは緊張しているようすです。人のことゆえないんですけどね(笑) そうこうしてお二人が帰られ、わたくしは残りました。 わたくし『どうゆうことやねん!二人って。話も絞れんしぃ・・・』 友人『悪い悪い、急遽二人でくるってことになってしもた。』 わたくし『で、どっちや?』 友人『K美さんの方や』・・・右の方です(笑) とゆうことであとは二人で逢う話をしろと電話番号をいただきました。 わたくしの実家は和歌山県の新宮市とゆう三重県との県境の市であります。 K美さんはわたくしと同じ高校の2年後輩にあたり、当時実家でピアノを教えておりました。 わたくしはとゆいますと仕事の関係上、愛知県の大府とゆうところに住んでおりました。 K美さんは二十歳の頃父上を亡くされ、母上と妹君とユウ君とゆうワンちゃんで暮らしておりました。 わたくしの友人は仕事の関係上、市内に住んでおりました。 K美さんの母上はわたくしのことを友人の同僚と思い込んでいたらしく、最初の出逢いからわたくしが名古屋(大府)に住んでいるとゆうことが分かり「名古屋は不便やねぇ・・・」と難色を示し始めたそうであります。 最初のデートの申し込みは・・・断られました。 家族でカニを食べに城之崎に行く予定が入っていると。仕方ないんですが・・・割り切れません(笑) かくしてその翌週に出逢い、その後毎週帰っておりました。 当時は週休二日制なんて言葉もない時代で、土曜日の仕事が終わってから4時間弱かけて車(初代カリーナ)で帰り、翌日デートをして大府に戻り月曜から仕事とゆう流れでありました。 わたくしの『結婚相手の決め手』は、『どんなことがあってもその人を許せる』ことでありました。 まぁその『許せる』も相手に気持ちが残っている場合ですけどね。 気持ちが残っていなければ『許す』もなにもありませんからね。 今までに会った人(そう多くないですよ)でもいましたが・・・振られましたし(笑) そうでない人もいましたし。 K美さんはわたくしにとって、かなり『許せる』人でありました。 わたくしには今の勤務地がそう長くないと感じておりましたから、『許せる』と感じたときからかなり結婚を意識しておりました。 K美さんの方ははとゆいますと、25歳で母上も含めて「結婚」を前提とした引き合わせだったのであります。 ひと月ほど経って(とゆうても2・3度ですわな)プロポーズをしました。 わたくしはぢぶんの気持ちが決まっておりましたから。 K美さんの答えは・・・「え〜、まだ、そんなぁ、早いわ」でした。 こうなると会話は弾みません。この日は最悪でした。 翌週もそうです。 こうなるとわたくしはダメなんです。冷めはしないんですが。 で、取った行動が翌日の営業周りの途中、電話で「もう、付き合い止めよう」とゆいました。 K美さんはちょっと驚いたようでしたが言葉もなく、電話を切りました。 その後気持ちをはっきりさせるために、紹介してくれた友人宅にもその旨の電話をしました。 営業周りから帰ってみると、「Tさん(わたくし)、Yさん(K美さん)って方から電話がありましたヨ。電話して下さいって。」と事務の女の子が♪ 電話しましたねぇ、ちょいと説教じみてましたけどねぇ(笑) まぁ回復したわけですが、カミさんは今だにゆいます「あの電話が失敗だった」って(笑) 3月の初めに大分転勤を言い渡されました。 予想はしてたものの、ちょっと早いのとちょっと遠いので頭を痛めました。 母上のことを考えると無理かもとゆう思いが頭の中を過(よ)ぎりました。 金曜日でしたから、仕事を終えK美さんに電話しました。 「大分転勤をゆわれた。今から帰ってお母さんにちゃんと話すから。遅くなるけど話があるってゆうておいて」と。 帰る道中もどうやって話を切り出すもんか、色々と考えておりました。 K美さんのおうちに行くと・・・話は終わっていました。 夜遅くに話があって帰るってどうゆうことか問い詰められたそうです。 それはわたくしが帰るまでもたなかったそうです。 名古屋でも難色を示していた母上ですから「大分!おかあちゃん絶対に許さへんでっ!」とゆったそうです。 それでもK美さんはガンとしてゆずらなかったらしいのです。 わたくしは拍子抜けしたのとホッとしたのの両方で、母上とも落ち着いて話が出来ました。 K美さんは「私がどんだけ苦労したと思う」とゆうてました(笑) 5月に結納、11月に結婚とトントン拍子で決まってしまいました。 大分では半年鹿児島への長期出張となり、5月の連休とお盆休みしか逢ってません。 新居となる家も見つかりました。 会社からの近くの取引先で新事務所兼住居を建てたところがあり、そこの社長が旧事務所兼住居を使わないかと言ってくださったのです。 物件は2階建ての5DK+事務所、太陽熱温水器付きです。 二人には広すぎます。 でもそこは借地に建っており、その借地代を地主に払ってくれればいいと。 借地代は3万円でした。 こうして幸せな新婚生活が始まったのですが、このあと悲しい出来事が起こります。 つづく 新婚旅行で泊まったハワイのハレクラニホテルの部屋から |
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