全体表示

[ リスト ]

祖父母たちの言い伝えを聞いて育った記憶です。
 おろくにく様とは里の1000人の身代わりとなって、根獅子の浜の浪打ゴラの小岩の上でキリシタン弾圧時代に殉教した一家六人の総称、またはその中心となる父親を指す言葉でした。
殉教の時期は旧暦8月26日、根獅子の浜も秋も深まる新暦では10月中旬ころ。今でなら10月15日がその浜辺の騎士の鬱蒼とした社叢の里の氏神様である八幡神社の秋の例大祭のころとなります。もっとも、1570年代のキリスト教の宣教布教が最も盛んであったころには八幡神社は創建されていませんでしたが。
 おろくにん様一家は両親と娘三人の五人家族であり家長の父は里の顔役でありました。その家にいずこからか来て住み着いた好青年を婿に迎え孫もできたので、隠居する折にわが家のしきたりや信仰がキリスト教を信じ、カクレキリシタンの指導者であることも伝え継承しました。
ところが、その婿となった彼は密偵であり、お上に報告しなければならずおろくにん様がキリシタンであることが発覚しました。役人によって嫁となった長女とその子供もろともに一家六人が囚われました。
 その後、根獅この里人は全員キリシタンでないかと取調べかありましたが、キリシタンは我々一家のみであり里人はキリシタンではない、里人1000人をかばい、従容として渚の小岩で殉教されたといいます。その折、赤子の血まで流れた渚も小岩も浜辺も朱に染まったといいます。後年、里人はおろくにん様が里人の身代わりとなって殉教したこの小岩を「昇天石」と言って敬い穢したりお粗末にすることをゆるさず、登れが大波が押し寄せ村を人のみに飲み込んでしまうと言い伝えてきました。
 おろくにん様一家が絶命した刹那に天界が割れて、天井から銀の鎖につるされた金の籠が下りてきておろくにん様一家の魂を乗せて、折から吹く強い西風によって籠は不知火の海に落ちて灯りつづけているという。
        続きは、次回に語りましょうかね。皆さんおやすみなさい。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事