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東京は、全国各地から「日向の人生」を実現するために、夢と希望を持って上京した大勢の人々によって、築き上げた大都会です。
ネット未来の子供の頃の思い出の場所、東京の秋葉原からJR総武線にて、数駅の場所にある下町のある場所を「グーグルアース」にて検索して、航空写真を閲覧しました。
ネット未来の子供の頃には、その下町は既に都会だったから高層マンションとコンビニが増えた以外、ほとんど変わりなく、懐かしい風景で楽しめました。
ここが、ネット未来の物心がつく4歳から6歳まで生活した、事実上人生の出発点である場所なのです。
ネット未来の父親は、中学卒業後建設関連の専門学校卒業後東京に上京して、一流建設会社に就職して、当時2級建築機械の技術検定に合格して、大型特殊機械、危険物取扱の免許を持って活躍するなど、優秀な技術者で、将来の一流建設会社の幹部候補を約束された人材でした。
ネット未来の生まれた場所は、東京国際空港つまり通称羽田空港の近くの東京都大田区の産婦人科病院だったそうです。
当時のアルバムをみると、ネット未来は東京の二重橋にて笑顔ではにかみ、3歳の時の七五三の写真では笑顔で撮影されるなど、天真爛漫な明るい子だったようです。
でも、大手企業の宿命でやたら転勤が多く、出生時の東京都大田区から物心のついた江戸川区まで、ナンと9回も転勤したそうです。
そういえば、社宅の窓側から東京タワーを眺めた薄い記憶もあります。
だから、子供の頃のネット未来は、次々と変わりゆく新しい環境に馴染めず、次第に根暗な子になってゆき、幼稚園の入園式には、幼稚園に行きたくないとワンワン泣いたり、小学校の1学期には、テストを白紙のまんま提出したり担任の先生に大声で叫ぶなどしたりして、担任の先生からネット未来の両親に「このままでは、小学校に通学させられない。別の進路を考える必要があるのは。」と最後通告をさせられました。
そこで、思い悩んだネット未来の父親は、一流建設会社の幹部に申し出て「このままでは、私の子供をはじめ、家庭が崩壊します。私は故郷の環境に戻って、子供を蘇らせたいので、退職させて下さい。」
それを聞いて驚いた、一流建設会社は、「君は、有能で将来者がある技術者なのだよ。君がいなくなると、我が社としても大打撃である、もし待遇に不満があるのなら、いくらでも改善するから、辞めないでくれ!」などと何日にもわたって説得したらしいが、父親は、「いや、子供の将来が大事です!」と意志を貫いて、ネット未来が小学1年1学期終了後の夏休に大手企業を退職して、故郷に戻り、地元の転勤の心配ない中小企業の建設会社に転職したのでした。
そして、その後バブル崩壊など建設業界の危機により転職を何回も余儀なくされるも、その再就職先はあくまでも転勤の必要ない企業にこだわって、定年まで勤め上げました。
一方子供のネット未来は、のどかな地方の環境で人間性を取り戻し、順調に高校・大学と進学して、自分でも言うのはナンですが、見事地元では競争率約10倍の難関試験を突破して県内最高峰の大卒エリートに就職できたのでした。
それでも、ネット未来の父親は、子供のために、本来なら大都会東京にてエリート技術者として、順調な出世街道を歩み、大都会の高層広大ビル街の社宅に住んで、新宿などの飲み屋を豪遊するなど、夢の「日向の人生」を歩んだだろうに、それを子供の将来のために捨てて、故郷の熊本に戻って、地方の中小企業を転々とする但し転勤のない長い間同じ場所に安住できる「日陰の人生」を選択したのです。
でも、ネット未来としては、日向の人生を捨て日陰の人生を選択した父親にとても申し訳ないと痛感します。
もし、4歳から6歳にかけてのネット未来が天真爛漫な良い子なら、父親はもちろん母親及びネット未来が、東京の大都会にて、「日向の人生」を歩んだのですが?
もし、人生がやり直せるなら、もう一度、東京の下町のあの場所のあの子供時代に戻って、天真爛漫な良い子として再出発したいです。
そして、父親に日向の人生を歩ませたいです。
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