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こんばんは、今日は昨日の記事の鉋です。 多少手入れをして、一応見れるようになったので、掲載してみます。 手入れ後こんな感じになりました↓ このブログをご覧の方々の中にはご存知の方も多いでしょうが、 この鉋は徳川時代の会津若松で活躍した名工、若林重房の作品です。 徳川時代から明治以降まで何代かに渡って続いた会津で最も伝統のある銘で、 初代重房は刀工でもあった若林安右衛門(林之助)という鍛冶屋でした。 しかしここからが紛らわしく、初代重房には二人の跡継ぎがいたのですが、 長男の安左衛門(1821〜1888)が本家重房、次男猪之吉(1824〜1875)が分家重房、 どちらも重房を名乗っていたのです。 しかし本家重房は銘の「重」の字の縦線を上まで通さず「里」と銘を切り、 分家重房においては一番上まで縦線を通し、その特徴で見分けがつくそうです。 この鉋刃は写真の通り俗に「サトシゲ」と呼ばれる縦線を上まで通さない、 本家の方の重房であると都内の刃物店で教わりました。 またこの特徴は後の代や、その門人達にも受け継がれていったそうで、 過去に紹介した会津重延の鉋にもその特徴が確認できます。 そして何代か続いた重房の中でもこの代の重房、 特に猪之吉が最も上手な工人で、後の時代の工人にも多大な影響を与えました。 千代鶴是秀も過去の傑出した工人としてこの名を書き留めていたそうです。 まぁ、ググって見ると私なんかよりも全然詳しい方のページが幾つもあるので、 私はあまり長々とは書かないでおきます。 書くだけボロが出そうですので。(笑) 背中の写真、何やら頭の近くに「五」の上の横線を取ったような字か何かが、 タガネで切ってあります。 何の意味があるのでしょうね? 研ぎ上げてみた刃先です。 鋼はどうやら玉鋼ですが、肉眼では現代鋼と区別が付け難い程良く出来ています。 これより上手く出来た玉鋼は他にはまだ岩崎さんの剃刀位しか見たことが無く、 噂に違わない名工であると分かります。 鋼の硬度は明治時代の房州豊廣と同程度のようで、研ぎ味は大変力強く、 玉鋼時代は圧倒的多数の作品がが鋼の硬度が低い物ばかりだった事を考えると、 これはきわめて珍しいと言えるでしょう。 はっきり言って私程度では全然実力が足りず、研ぎが上手く決まっていません。 鋼と地金の境界線がボヤケる程度の硬度の刃物なら研ぎ上げるのは楽ですが、 この鉋の鋼はそんなに生易しい物ではないようです。 もう鋼の残りは少なく頭もまくれてはいますが、比較的原形を留めており、 刃物の内容、整形精度の高さなど、会津重房の実力を示す貴重な資料として、 いずれ箱でも作って大切に保管しようと思います。
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重房の系図
トラックバックしましたがこれでしょうか?
2014/6/2(月) 午後 10:25
ゆうけんさんコメ&トラバ有難うございます!
これですね!
しかしこの系図を見て、本家分家の情報についてまた新たな疑問が出てきました。
それについてはまた今度、他の会津鉋について書く時にでも触れようと思います。
また、ゆうけんさんの記事にこちらからもトラバさせて頂きます♪
2014/6/2(月) 午後 10:37
会津の刃物はやっぱり雰囲気があってカッコいいな〜
2014/6/2(月) 午後 11:57 [ 正宗 ]
正宗さんこんばんは、コメントどうもです。
そうですね、流石に日本の打刃物の発展をリードしてきただけあって、
会津の刃物は貫禄がありますね。
2014/6/3(火) 午後 6:50
うーん。
会津もんは大阪ではお目にかかったこともないですね。
某研ぎ名人が、重房は最高とほめちぎっていました。
地金柔らかく鋼薄くてってことで。
内丸ってどうやって研ぎますのでしょうか?
2014/6/4(水) 午後 9:28 [ 明庵 ]
オヤビンこんばんは、いつもコメどうもです♪
そうですか、会津物は東京辺りを主なターゲットにしていたようなので、
関西までは届き難かったのかもしれませんね。
逆に関西は鉄や鋼の生産地が近いこともあり道具類の生産量が多く、
そのため東京でもキ文字や源兵衛、勘兵衛等の作品を見かけることもあります。
しかし会津物でも包丁は絶対量が少ないためか、全く見かけませんね。
内丸鉋は普通の砥石では研げませんので、
かまぼこ型にアールを付けた砥石で研ぎます。
刃のアールに砥石をあわせなくてはいけませんので、
一個一個砥石を作るのが大変です。
2014/6/4(水) 午後 9:40
私も日本刀剣でちょくちょく銘切りの問題に引っかかります。
最近知ったのは新刀期の刀工で丹波守吉道という方がいらっしゃいますが、縁あって実物を拝見、その際吉道の持ち主と研ぎ師さんから
「京都と大阪の生活をしていた初代と二代目は京丹波と大阪丹波に分けられるんだよ。その守るという時の点の位置が大阪と京都の見分けだよ〜」と教えてもらいました。
詳しくは近日中にブログにできれば面白いですが・・・(^_^;)
2014/6/4(水) 午後 10:06 [ 狛犬 ]
狛犬さんこんばんは、いつもコメントどうもです。(^^)
吉道ですか!いいな〜実物を見る機会なんてなかなか無いですよ!
銘切りの微妙な癖で作者の特定をするような鑑定は、
道具類よりも刀剣の方が多いでしょうね。
道具類はそもそも問屋銘の方が圧倒的に多いし・・・・・。
でも会津の重〜の一門は比較的作者の特定はし易い方ですね。
重某系の作者の多くは刀工でもあったので、ある程度情報が残っていますし、
その研究を試みた先人もいますしね。
刀剣も道具も、最後の難敵はやはり無名物でしょうか・・・・・。
先日7代目石堂寿永の鉋を見せてもらう機会がありましたが、
無名の石堂の通り名どおり、矢羽模様以外は何も切られていませんでした。
2014/6/4(水) 午後 10:20
1に形、2に地金、3に鋼
まず持ってみて、全体の形、反り方、持った時の重さ棟の厚み、切っ先側の棟、茎の形、その他諸々です。
地金にも古い時代なら開いていたり、新しいものは製鉄技術の差で細かくよく積んでいたり。大和物なら柾目がおおかったり、美濃物なら柾に炒め混じっていたり。代表的な来肌や綾杉肌や八雲肌や・・・
刃紋は種分けだけで200以上あるのでもう説明できませんね(^_^;)
刀剣研磨師の佐々木さんは
「無銘ものなら時代と作成した場所がわかれば一人前さ。だからそこから有名刀工の作品を探せば一番なのさ。」
とおっしゃってました。
でも好きになったら、それが手の届く範囲なら?思わず買っちゃうのはそれに惹かれていた証拠です。
そしてその刀に対し、徹底的に調べあげるのが
刀を好きで持つ人の特権であり義務なんでしょうね。
だからこそ今回の重房の調べた結果は古い大工道具を求めたAlcesさんの義務を果たせたと思います
2014/6/4(水) 午後 10:52 [ 狛犬 ]
無銘の石堂、か、かっちょ良すぎ〜、羨ましい!
2014/6/5(木) 午前 0:03 [ 正宗 ]
★狛犬さん★
そうですね、刀剣類も一見シンプルなあの姿に先人の知恵がぎっしり詰まっていますからね!
しかも使い手が最後に命を託す大事な命綱とあっては、作り手も下手な物は作れないでしょう。
勿論、戦乱を忘れた平安の時代には、機能よりも鑑賞を第一とした作品も作られることもあれば、そんな流行に反発する理論派の工人により再び機能を重視するような、質実剛健な方向に進むような流れも時にはありましたし、長い歴史の中で色々な挑戦や苦心が繰り返されてきたんですよね。
数多くの作者とバリーションが存在するということは、
それだけの苦労と工夫が一本一本の御刀に込められているわけで、
手に取って見た時、そういう作者の込めた苦心が伝わる作品なら、
別に名刀と言われようとなかろうと、手元に置いて置く価値はあると思います。
以前大和で見つけた古い鑿も誰の作品かハッキリとは断定できませんが、
非常に強く訴えてくる魅力を感じていて、そんなこともあって大事にしています。
逆に会津重房も時代が下ると全盛期の重房の技術には及ばなくなるようで、
残念ながら重房銘ならどの代の重房でも満足できる、
2014/6/5(木) 午後 10:45
★正宗さん★
すごいでしょ〜!―と言っても私のではないので、
ただただ「いいな〜」ですが。(笑)
しかも石堂と言っても秀一や輝秀さんでなく、寿永となると超貴重ですよね。
私も一度でも目にできたのでラッキーでした。
しかし皆さんどこで見つけて来るのか、感心してしまいます。
その寿永の持ち主の方、5000円で新品未使用の貞廣も見つけてくるし、
本当に驚きでした。
2014/6/5(木) 午後 10:51