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こんばんは。 Alcesどんったら、先日あげた記事を昨晩に至ってもまだチマチマ編集を続けているとか・・・・・。(汗) 何度も目を通す度に修正箇所が目に付き、ホント文才の無さにつくづく嫌気が差している今日この頃です。 えーと、はい、今日もまた一日に載せた写真の道具を、また改めて一つ掲載するつもりです。 表題の銘、「中屋重左衛門」の鋸と、その歴史について私なりにまとめてみました。 現在手打ち鋸の代表的な産地と言えるのは、新潟の三条と兵庫の三木の二箇所くらいですが、昔は東京都内や脇野、会津地方も多くの鋸鍛冶がいたんです。 特に関東以北では会津若松が最も先進的な産地で、鋸の製作技術はここで発展し、伝播していったと言っても過言ではありません。 そんな会津鋸の歴史の中で重要な存在が、この中屋重左衛門と、その分家筋に当たる中屋助左衛門です。 関東以北では「中屋」という鋸鍛冶の銘が多く、特に会津地方やその周辺は「ナカヤ」だらけと言えるほどですが、その起源は徳川時代に、京都伏見から会津藩主の招きに応じ技術を伝えに来た中屋重内(ナカヤジュウナイ)などに遡るとされています。 (じゃぁなかったです、よくよくメモを見返してみると伏見ではなく大阪・堺でした!コチラのリンクを参照下さい。) 「など」とはまたハッキリしない言い方をしましたが、伝承によると技術を伝えた工人は中屋重内の他に、これまた江戸時代の半ば頃に京都伏見で修行した中屋清右衛門という人物もおり、どちらがより古く会津に招かれたのかが判然としないことがその理由です。 しかしいずれも「中屋」の名を冠する工人で、その由来も京都伏見である部分まで共通しているので、とりあえずはこれらのどちらかあたりが「中屋」の由来であると考えておけば、一応間違いと言うことはなさそうです。 それに技術者を招き産業を興そうとするなら、呼び寄せる工人がたった一人だけというのも少し不自然ですし、もしかしたら複数人の工人が同時に招かれたということもあったかもしれません。 これらの工人が会津に技術を伝えてからというもの、当初の狙い通り鋸作りは会津地方の代表的な産業になりました。 おそらく上質な桐材の産地であることと、当時は下駄の材料として桐材に相当の需要があったことも、鋸やその他の木工具作りが一大産業に発展する上での追い風となったのでしょう。 しかし当時はまだ物流網が発達していなかったため、原料である玉鋼の製造の主要な産地であった九州や山陰地方から遠く離れていた東北の鍛冶屋さんたちには良質な材料の調達が困難で、なかなか江戸時代の代表的な産地であった京都伏見を凌駕するすることは出来ませんでした。 これに関連しそうな話として、「雍州府志」という江戸時代初期の書物(1684年)に言及があり、「鋸、伏見中屋ノ鍛ヘル所好シトシ、人コレヲ求ム」と記されています。 このことから判断できる可能性は二つあり、一つはこの「雍州府志」が成立した当初は、まだ会津には技術が伝えられていなかったという可能性です。 二つ目の可能性として、すでに東北地方に鋸製造の技術が伝播していたとすると、中屋一門の実力はどちらかというと本家本元であった伏見の「中屋」一門の方が優秀であったとという、そんな風な解釈もできそうです。 ただいずれの可能性にしても、江戸時代初期はまだ「鋸作りで優秀なナカヤ」と言えば、京都伏見の中屋一門のことを指していたということに変わりはないでしょう。 ところがこの状況は中屋重左衛門や助左衛門の登場によって一変し、鋸作りの方法そのものにも変革が起きます。 焼入れの方法の変化がその重要なポイントで、それまでの時代は赤らめた鋼材を、泥や砂に入れ焼入れしていたのが、油に投入する焼入れ方法に変わったのです。 鋸の板はナカゴと首の途中までは軟鉄で出来ていますが、使用面であるギザギザの歯が刻まれる鋸板はその全てが鋼で出来ており、しかも鋸という道具特有の薄い作りのせいで、包丁や刀などのように水の中に入れて焼入れをしようとすると、鋸板が割れたり激しく歪んだりして、使い物にならなくなってしまいます。 そのため油焼き入れの技法が編み出されるまでは、水よりは冷却速度の遅い泥や砂などに入れることで焼入れをしていたとされますが、このようないわゆる「ドロ焼き」の鋸は油で焼きを入れた鋸に比べると、鋼の硬度が低くなり切れ味が悪くなってしまうため、元々の素材であった玉鋼の質こそが、鋸の質の良し悪しを決定する重要な要素になっていたようです。 水に投入する方法は冷却速度が速すぎるため、鋼の内部に溜まった応力などが急速に暴れだすということなのでしょうが、ドロによる焼入れは冷却速度が水に入れるよりもずっと遅く、そのため割れなどのリスクだけは格段に下がることになります。 しかし発想としては、「ドロ焼き」の方法は意図的に焼入れの効果を不十分にしているようなものですから、いわば「半焼け半ナマ」の状態に近く、切れ味が十分に発揮されないのは当然のことと言えます。 これに比べると、油による冷却方法は水に入れる場合よりは焼きが入るのが遅く、それでいてドロよりは早く冷却されるようで、この方法の発見により鋸の板は実用上理想的な硬度を得るようになりました。 そしてこの「油焼入れ法」は非常に完成度の高い方法であったため、後の時代には焼入れに使う油の種類が変化したといったような小さな改良こそ見られるものの、基本的には今日に至るまで続く焼き入れの方法が確立されたと見なされています。 この方法を発見したのが、中屋重左衛門、もしくは助左衛門のどちらかと言われているわけですが、どちらも何代も続いた名家で、その最初期の頃の作品には泥焼きと見られる作品も確認されていることから、このどちらか最初に発見したのか今となっては分からないようです。 ただ前述の通り、助左衛門家も元々は重左衛門家から派生した分家ですから、どちらか一方が編み出した技法がもう一方に伝わるのも早かったでしょうし、どちらが先に始めたことなのかを深く詮索することにあまり意味は無いのかもしれません。 徳川時代も終わりの頃に近づくと、初めは新潟、東京と、ゆっくりとしたスピードで伝播していった油焼入れの技法も、中屋銘発祥の地である関西にまで行き着きました。 しかし油焼入れ法が発見されるようになった経緯を見ると、関西からは遠い土地で材料入手面で不利な状況にあり、一番上等とは言えない材料に少しでもしっかりとした焼きを入れようと工夫したことが、この技法の発見の発端になっているように考えられる、―と代々続く目立て師であり、鋸の研究家でもある土田昇氏は考えておられるようです。 今回の写真の鋸は、昨年秋の近所のフリーマーケットで見つけてきました。 鋸の種類としては首の先で柄が折れ曲がっている手曲り鋸の一種で、腰鋸とか天王寺鋸などと呼ばれますが、九州地方などでは笹葉鋸などとも呼ばれるようです。 大工用・指物用などの細かい細工用の鋸ではなく、丸太などを繊維方向に対し直角に切る横挽き鋸の一種で、鋸の中では「荒物」と呼ばれる部類のものです。 このような荒物は通常、あまり品質の良くない鋼が使われており、鋼の質にムラがあったり、炭素量が低く硬度も甘いことや、さらに悪いと実用上の障害になりうるほどの致命的な玉傷があったりすることも少なくありません。 つまり、概して上等とは言えない部類の鋸なわけですが、それでもこの鋸は流石に重左衛門の作品だけあって、荒物としては硬度も高く、ムラや鍛え痕・傷なども見当たらない、大変丁寧な作りになっています。 値段は2000円とのことで決して安くもないのですが、重左衛門の作品を発見した嬉しさのあまり思わず飛び付いてしまいました。 もう寿命が近い鋸に2000円も出すとは、我ながら馬鹿だな〜という感じですが、刃物としての内容が良く勉強になったため、後から考えると買って良かったと思います。 参考文献:
土田一郎著「日本の伝統工具」、土田昇著「千代鶴是秀」、秋山実著「千代鶴是秀写真集1〜2」、鈴木俊昭著「日本の大工道具職人」、小川雄一発行・大工道具研究会編集「鋸・墨壷大全」、村松貞次郎著「道具曼荼羅」シリーズ |
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相変わらずの凄い知識です〜(^^)
勉強になりやす\(^o^)/
2016/1/12(火) 午後 7:28 [ 天然砥石尚 ]
鋸の焼き入れの難しさは鋼の事を少しでも知っていれば想像つく筈で
刃物の焼き入れの中でも 有る意味一番厄介な処理でしょう
鋸鍛治には尊敬の念を禁じ得ません
2016/1/12(火) 午後 8:04 [ 2s305 ]
文化的価値からすれば2000円はお買い得と!深い知識に尊敬の念をいだいてしまいました!素晴らしいです
2016/1/12(火) 午後 8:58
会津の中屋の歴史は、非常に古く今では、伝左衛門さんしかいなくなってしまいました。
自分の親分もこの前伝左衛門さんの所にいっていろいろ話を聞いてきたそうです。
ついでに中屋雄蔵正直の尺一と前引大鋸の歪みとりと目立てを安くやってもらいご満悦でした。
ホームページもあるみたいですよ。
2016/1/13(水) 午前 9:31 [ ころんびあ ]
知らない事が多いですね(^^)/
φ(..)メモメモさせて頂きますね。
2016/1/13(水) 午前 11:55 [ 仁淀の小鮎 ]
★尚さん★
こんばんは、いつもコメントどうもです♪
ただの雑学オタクでございます。(笑)
こんなのどれだけ覚えていても、
モノ作りにおいては殆ど何の役にも立たないですが。(爆)
2016/1/13(水) 午後 10:33
★2s305さん★
こんばんは、いつもコメント有り難うございます。
まったくもって私も同感です。
菜切包丁のような物もそうなんですが、薄物は焼割れとかを起こしやすいそうで、
熱処理が難しいそうです。
おまけに鋸鍛冶の場合は、鋼板を焼きを入れた後にさらに薄く仕上げてゆくので、
厚みを均一に保ちつつ板を削る技術や、削る度に出る狂いを取る技術など、
非常にシビアで繊細な能力が求められるんですね。
そのため、鑿・鉋や包丁程度なら作れる他分野の鍛冶屋さんも、
鋸作りだけには手を出さないのが一般的ならしいです。
逆に、鋸鍛冶が他の道具を作るということはあるようなんですけどね。
2016/1/13(水) 午後 10:40
★おとっとさん★
こんばんは、いつもコメント有り難うございます♪
そんな尊敬だなんてとんでもございませんです!
ただの道具を眺めてムフフしているのが好きなだけの変態ですので!
2000円はこの手の道具のフリマの値段としては決して安くはないんですが、
でもこうして会津の名工の作品をネットで紹介できるだけでも価値はありました。
2016/1/13(水) 午後 10:46
★ころんびあさん★
こんばんは、いつもコメント有り難うございます。
そうですね、中屋市右衛門さんが廃業されて久しいし、
いよいよ伝左衛門さんで最後になってしまいましたね。
しかし流石にころんびあさんの親方さんは良い鋸をお使いですね。
実は私も伝左衛門さんの鋸を使っていますが、大変切れの軽いイイ鋸です。
ホームページを見てメールのやり取りをさせて頂いたこともありましたが、
大変気さくな方で、人柄の良い印象を受けました。
2016/1/13(水) 午後 10:54
★小鮎さん★
こんばんは、長いし読み難い記事をいつもご覧頂き有り難うございます!
実際のところ、コレを書いている張本人も頭の中がコンガラガっていて、
情報がイマイチ整理されていなかったり舌足らずなところもあります。
でもこれ以上語り出すと、中屋重左衛門だけでは納まらなくなって、
助左衛門や会津の歴史にもアレコレと言及する必要がありそうなので、
今回は程々にしておきます。(^〜^;)ゞ
2016/1/13(水) 午後 11:04
> あるけすさんさん
やっぱりあるけすさんは、凄いですね。
既に伝左衛門さんと繋がっていたとは。うちに親分は、何気無く名品を持っていて作業場の隅に落ちてるのが先代の舟弘鑿や銘こそないのですが釜地で玉鋼っぽい鑿だったりしてます。
2016/1/14(木) 午前 8:17 [ ころんびあ ]
ころんびあさんこんばんは、いつもコメント有り難うございます。
中屋伝左衛門さんのことを知ったのはここ数年のことですが、
木工具について詳しい知り合いのブログで紹介されていて興味を持ったのです。
私はといえば詳しい方のブログや書籍の情報を何とか追いかけている程度ですが、
ころんびあさんやころんびあさんの親分さんは良い道具をご存知で、
いつもながら流石ですね。
2016/1/14(木) 午後 7:26