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どうもお早うございます、すっかりご無沙汰してます。 最後に記事を書いてからもう四ヶ月以上が経ってしまいましたが、その間まぁ忙しくしてたり風邪を引いたり腰をおかしくしたり。 そんな感じで飛ぶように時間が過ぎていきました。 本当は今回は仲や久作という鋸鍛冶の名工について書くつもりだったんですが、まだいくつかの資料にとか論文に目を通さないといけないし写真などの準備もしないといけないので、それは次回にします。 もうちょっと待ってね! というわけで今回は以前掲げた公約通り?私の家に溜まってきた鋸を載せてみます。 まぁ、そんなに大した数のコレクションでもないのですが、とにかくまずは木挽き用の荒物からいきましょう! 前挽大鋸は随分前に買った一枚だけです。 理由は手曲鋸を改造した物があれば実用上は十分にコトが足りるため、あまり何枚も必要は無いからです。 枝切り鋸も荒物の部類です。 私の住んでいる地域では関東の二見屋系の物をよく見かけます。 手前三つがボロ市で買った玉鋼製で、他は剪定職人さんからの頂き物。 大工用ので大ぶりなのはこれらかな〜? 右二枚の両刃鋸が頂き物、あとは気が付いたら溜まっていた物。(笑) 片刃鋸はシュモク柄の一枚が現代鋼で、残りが玉鋼製。 細工用の八寸以下のはこれらくらいかな? あと金切り用の換え刃のとか、東急ハンズの細工鋸とか、どこかのタンスを探せばもう数枚のが出てくると思いますが、ちょっともう把握できないです。(汗) 今年に入ってからまた三枚位は増えました。 お財布、寂しいです。(苦笑) 全部でまぁこんなもの。 こうして並べてみると案外大した数は無いですね。 ベテランコレクターの方などは300枚位持っているって言うし、私のは精々その10分の1位ですから。(笑) これらの中で玉鋼製のは18枚程度で、内二枚は人に差し上げたり譲ったりすることが決まっています。 それぞれの産地はというと、ハッキリしている物ではやはり私の住んでいる土地柄関東の物が一番多いですが、京都伏見や会津といった名産地の物を初め、東は仙台の物から、西は九州の物もあります。 正直言って、狭い私の部屋で保管するにはちょっと数が増えすぎてきた感じもするので、記念撮影(謎)もしたことだし、このあたりでちょっと余計な物はヤフオクにでも出そうかと思っています。 けどこの電鋸やチェーンソーが全盛の時代に、手鋸なんぞ売れるかなぁ? 遊んでばかりではないですよ〜、ちゃんとやるコトもやっています。 すっごい遅々とした歩みですが。(猛汗) でももうちょっとでこの鉋とか目立て中の鋸などは仕上がります。
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こんばんは。 先日宣言したとおり、今日は今月6日に書いた三島の名工・宗近にまつわる話のなかで、書き損ねたエピソードを紹介してみます。 近年国内では、大企業の技術流出が頻繁に取り上げられていますね。 ニュースにもなった事例では、日本の企業に勤めていた人物が外国の企業に重要なデータの入った記録媒体を渡して逮捕されたような件が記憶に新しいですし、他にも退職した技術者を海外の企業が雇うことによる技術の流出なども珍しくないとか・・・・・。 このような話は一見すると、産業の高度化に伴って市場競争が激化し、技術的に劣勢な立場にある企業が高度な知的財産を狙って起きる問題のようにも見えますが、実はよくよく調べてみると、大企業という物が台頭する以前の職人間でも似たようなことが起きていた様子です。 明治の初期頃、江戸時代より代々刀鍛冶であった石堂家は、廃刀令により八代目石堂運寿是一(石堂寿永)の代で道具鍛冶に転向しますが、道具鍛冶として再出発した当初は農具作りは順調だったものの、鑿(ノミ)や鉋(カンナ)といった木工具作りでは、10点に1点ほどの割合で切れ味が良くないと苦情がきたそうで、思い通りの作品を作るのに苦労したようです。 刀鍛冶といえば、日本の打刃物について関心がある方はご存知の方も多いでしょうが、工業的に生産された現代鋼が流通する以前の伝統的な鋼材である「玉ハガネ」という素材を巧みに鍛える技術を有しており、日本の鍛冶業界の中では最も高度な技術集団の一つであると見なされています。 しかしそんな伝統素材の扱いに長け優れた刀剣類を作り出していた名工も、日々使用され厳しく切れ味を問われる木工具作りにおいては作刀の技術だけでは対応しきれなかったようで、木工具作りの分野で名工とされる國弘や義廣といった名工らの名声をしのぐことは容易ではありませんでした。 そんなある時、まさに道具作りにおいて目標とする名工・初代國弘の弟子の一人、宗近が國弘の許より独立します。 宗近は最終的には東海道・三島に仕事場を構え落ち着きますが、それまでにどこかでもう一修行でもしたかったのか、雇われ職人として石堂家で仕事をすることになります。 たぶん石堂家の側からすれば、まさに求めていた人材を迎え入れることは、刀鍛冶から道具鍛冶に転身してゆく過程ではそれこそ渡りに船だったでしょうし、宗近の側としても刀工として名声を誇る石堂家で、あわよくば作刀の技術を盗みたいと考えていたはずで、双方の思惑と利害が一致した結果だったのでしょう。 事実、石堂家の側に関しては確実に得る物を得ていたようで、当時まだ石堂家で修行をしていた千代鶴是秀は、宗近について「聞けば何でも教えてくれる優しい人柄であった」と語っていたそうです。 しかしこうなると当然、落ちるところから落ちるべくして雷が落ちることになります。 宗近が石堂家で働いているという噂はやがて國弘の耳にも届いたようで、國弘は石堂家に直に殴りこみ抗議をしたそうです。 現代でこそヘッドハンティングなんて開き直った言葉もまかり通っていますが、やはりやり方があまりに露骨すぎたために石堂寿永も有効な申し開きができなかったのか、結果的に宗近は石堂家を去ることになったようです。 職人の世界では「技術は教えられるものじゃねぇ、親方から盗むものだ!」なんて言われますが、それはつまり師弟関係に限定された話で、よそ様の技術をそのままパクるようなことはやっぱりNGだったみたいですね。(笑) そうそう、技術を盗むと言えば、次の記事で紹介する予定の鋸鍛冶の名工・仲や久作も、まだ焼き入れ方法を極めていなかった頃に、当時の別の名工・中屋平次郎の仕事場を訪問しようとしたタイミングで偶然に焼入れの技術を盗んだというエピソードが有名ですが、こちらはまた随分と大らかなもので、その後技術を身につけた久作はその技術の全てを公開し、「親方の技術を盗めないようなやつは、くたばった方がいい」とまで言い放っていたとの話もあります。 参考文献:土田昇著「千代鶴是秀」、鈴木俊昭著「日本の大工道具職人」 おまけ〜♪ 今回も写真を掲載した宗近の鑿ですが、ヤフオクで静岡の出品者の方から落札しました。 三島で活躍した名工ですのでまさにお土地柄!って感じですが、もう一つ地方色を感じさせる物があります。 それは口金で、全国的に一般的な口金からすると明らかに長い作りなのです。 また一般的な口金は板状の軟鉄をクルリと巻き鍛接により繋ぎますが、この手の口金は銅によるロウ付けというパターンが多いです。 この口金もまさに銅のロウ付けで繋いであり、よく見ると赤錆と紛らわしいような色の筋が雷状に通っているのが確認できます。 はたしてこのような特徴が本当に静岡辺りに限定された地方色なのかどうか、詳しい研究もされていなため立証も出来ませんが、このような作りの口金が静岡近辺の鑿に着いていることが比較的多く確認されているのは事実なようです。 それにしても、鑿柄は細く長い方が打撃力を無駄無く刃先に伝達させられるので、鑿を仕込む上では口金のスソはあまり広くない方が有り難いのですが、こうも口金が長いとスソが広くなって仕込が面倒くさい。 正直あまり有り難い仕様ではないですね。
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鋸の焼き入れ方法のルーツ 中屋重左衛門で、お殿様の求めに応じ会津藩に鋸の鍛法を伝えたとされる、人物・中屋重内を紹介しましたが、その出身地域は京都伏見ではなく大阪堺でした! なんかどこか記憶と違ったような・・・・・?という気もしたんですが、この中屋重内という人物もそのルーツはやはり京都・伏見にある可能性があり、他の最初期の中屋一門の多くが伏見の出身であることから、どうやらその辺りを混同してしまったようです。orz 多くの方々にご覧頂いているというのに、誤った情報をタレ流してしまい本当に申し訳ありませんでした!<(_ _)> ということで今回、改めて会津の鋸鍛治について、中屋銘の起源は京都・伏見出身の中屋清右衛門や、大阪・堺出身の中屋重内がその源流であると考えられ、その技術系統は伏見をはじめとした当時の先進地である関西地方に求められそうである、―ということを書いていきたいと思います。 中屋一門についてのルーツについて、正確な文献、物的証拠は非常に少ないのですが、故村松貞次郎先生の道具曼荼羅シリーズにこれに関連する内容が記載されているので、同著から以下に一部を引用してみます。 中屋、中谷、仲屋、仲谷と鋸鍛冶にはたいへん多い屋号である。今流行のルーツ探しではないが、その起源は京都の伏見の鋸鍛冶にあるらしい。 伏見には秀吉の伏見城築城を契機にたくさんの職人が集まり住みついたという。 とくに道具鍛冶が多く稲荷の門前町は、関西における大工道具の一大生産地となった。 『雍州府志』(1684年)という江戸時代初期の本は釿(チョウナ)や槍鉋(ヤリガンナ)、あるいは鑿、錐と並べて「鋸、伏見中屋ノ鍛ヘル所好トシ、人コレヲ求ム」と記している。 その中屋が”ナカヤ”の起源のようだ。 ここで鋸の鍛法を学んだ中屋清右ェ門という人が會津若松にその技法を伝えた。出典「続々・道具曼荼羅」村松貞次郎著―とのことですので、どうやら中屋重内も伏見からの中屋一門から派生した工人である可能性が高く、会津鋸鍛冶の技術系統のルーツはどのみち伏見に求められそうな気配ですが、とはいえ出身地域ということになるとはっきり誤りですので、これについては白黒ハッキリさせておくべきですね。 ところで本題とは関係無い話題ですが、仲や久作という徳川末期〜明治初期の東京鋸鍛冶の名工の研究者である故・西和夫教授(神奈川大学)は、「日本の鋸,その歴史と現状 : 「中や久作」の検討を中心に」(2000年3月15日)という論文で村松貞次郎先生の引用元である『雍州府志』を原文のまま紹介し、鋸とは言うものの、その言葉が指しているところは「実は鋸ではなく大鋸のことである」と指摘されていますが、大鋸(マエビキ大鋸のことかな?)も一般常識的には鋸のカテゴリーに分類されますし、天王寺の言葉も出てきていることから、おそらく天王寺鋸とも呼ばれる手曲鋸もこの頃に出現していたのではないかとも考えられ、縦挽きの製材用鋸である前挽大鋸だけしか作らなかったということはなく、会津などに広まった鋸のレパートリーの広さも考慮すると、他の伐採用鋸などを作ることもあったのではないか―と個人的には推察します。 なお、西和夫教授の指摘は以下のようなものです。 このうち村松氏が紹介された『雍州府志』の記事は、鋸、所々鍛工打之其内専造之號天王寺屋、始攝天王寺門前鍛冶造之、倭俗山木人客謂杣、杣人自新秋至初冬入山林、伐取材木、其所用之大鋸伏見中屋之所鍛、為好人求之、となっていて、実は鋸ではなく大鋸のことである。大鋸は伏見の中屋が作ったと書かれており、鋸は大阪の四天王寺門前の鍛冶が作ったこと、天王寺屋との屋号が多いことを述べているのだが、大鋸も鋸の一種だと考えれば「中屋」に触れた最初の記事となろう。確かに、伐採用鋸、大工用鋸、船大工用鋸、細工鋸などを手掛けず、もっぱらマエビキ大鋸だけを作った専門的な鋸鍛冶もいたようで、ネットで調べると宝暦10年(1763〜1764年)には山田屋伊右衛門という鍛冶屋が兵庫・三木で開業したという記述も出てきますし、その時代には京都・伏見がマエビキ大鋸生産の産地だったとされるほどの規模もあったらしいので、マエビキ大鋸製造専門鍛冶はさして珍しい職業でもなかった様子です。 しかし特に下駄や箪笥を初めとした家具類など桐を材料とする生産品が多い会津では、やはり伐採鋸や細工鋸なども盛んに作られていたようですので、マエビキ大鋸作り以外の技術も伝わったと考える方が無難ではないかという気がするのです。 つまり、京都・伏見の技術系統と会津に伝わった技術系統は別物なのではないか?という疑問は、今のところあまり深く考える必要は無いように思います。 あ、話しがえらく違う方向に脱線しましたが、とにかくまとめると、会津には中屋清衛門という京都・伏見出身の鋸鍛冶と、堺出身の中屋重内という鋸鍛冶が招かれ、これらの鋸鍛冶(もしかしたらまだ他にもいるかもしれないけど)が会津や東北地方周辺で広まった”ナカヤ”という銘の源流だということ。 そして特に中屋重内については中屋銘ということで一見伏見出身っぽいけど、実は大阪・堺出身でした、―というのが、今回言いたかった事です。 それともう一つ鋸鍛冶のルーツの話題とは関係無いんですが、先日6日に紹介した三島の名工宗近の記事なんですが、こちらには紹介しなかった話題がありました。 紹介し忘れた―ということではなく、肝心の文献が手元に無かったため、紹介したい話題が宗近にまつわる物だったのかそれとも別の誰かのだったか、記憶があやふやだったので見送ったのです。 で、先日図書館でその情報を調べて来てやっぱり宗近の話だった事が分かったので、一度終わった記事で何だかな〜って感じですが、近々その続きを書きます。 ちょっと増えてきたメモ。 今日も図書館で情報の収集とチェックをして来ました。 なんかもうすっかり何が何だか分からなくなっています。 誰か私の脳味噌にデフラグをやる方法教えて下さい。(笑)
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こんばんは。 今年は本当に暖冬なようで、所々で梅の花が咲く光景も見られますね。 昨日・今日は毎年恒例の世田谷ボロ市がありました。 ・・・・・が、早起きして行ってはみたものの、今年の出品は昨年の売れ残りばかりで、当然これといった収穫も無くボウズでの帰宅となりました。 そのまま帰るのもなんなので、帰りに広尾の今西砥石さんに立ち寄りダイヤモンドブリックを調達してきました。 おつとめ品のコーナーにあった軸付き砥石は、新春のサービスとのことで。 どうやら今年初めのボロ市の遠征の収穫は、ボロ市とは全く無関係な所から出てきたようです。
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調理中にうっかり包丁に変な指の掛け方をして、顎の所でバッサリです。 本当は今日はトップページの胴突鋸の記事を書こうと思っていましたが、諦めました。 今は左手だけでタイピング中です。 やっぱり慌てながら刃物握るとロクなこと無いですね。
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