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今日は大和の方でも骨董市があったので、近くのフリマに行くか大和に行くか悩みました。 今日の大和は今年最後の大和骨董市ですので、行きたい気持ちは山々なんですが、近くのフリマでどうしても買いたいモノがあったし、何よりも昨晩はちょっと風邪っぽくて早起きは絶対無理だということになったので、大和の方はサッパリ諦めました。 ―で、買って来たのはこれらですが、欲しかったのはドリルやルーターに付ける回転砥石です。 以前広尾の今西砥石さんで買って来たのが結構磨耗してきたし、裏スキの修正などの必需品でもあるので、やはりそろそろ新しいのが必要だな〜、と。 先々週位だったかな? いつもどこかの金物屋などの廃業品を持ってくる業者のブースでこの軸付き砥石を見かけましたが、その時は300円で買うかどうか迷い、どうせ売れそうにないから何週間か待って値下げされるようなら買おうと密かに狙っていたのです。 そして今日行って見たら200円。(笑) まぁ、100円にして欲しいところだけど、これ以上は無理かな〜って感じですかね。(暴) そしてこの鑿も200円と言うので、迷った末に買ってみました。 作りを見るとなで肩の造形ながらも肩が尖っており、両側面側の鎬の落とし方が単調で甲と側面鎬の鎬筋が直線的です。 それに首も猪のように短い。 さらに裏を見ると、鋼が穂の途中までしか着いていません。 これらは徳川期〜明治初期頃の関西の鑿の特徴で、この条件からいくと100%日本鉄+玉鋼の内容と分かるため、この頃の鑿の地金に使われていた地金の内容に興味が出たのです。 家に帰って柄から抜いて見ると、コミはオベリスク型でした。 もう少し古い物であれば、コミの形状は錐形ってコトもありえますが、これでも十分古風な方です。 上で指摘したとおりこの鑿は突鑿にしては首が短すぎで、元々は叩きまくっても首が折れたり曲がったりしないよう、和鉄の弱さを考慮したデザインの叩鑿か半叩鑿だったと思われます。 そんな性質上、柄が無くなっても叩いて使おうとしたようで、コミの先端が潰れています。 こんな格好ではちょっとあんまりって気もするので、いずれ機会があれば少々温めて金鎚で叩き、元の姿に復元してあげようかとか思ったり。(笑) 和鉄以外の地金であれば、そういう事をすると鉄がボロボロになって上手くまとまらなくなってしまう可能性が高いですが、古い上質の和鉄であれば粘りが強いので叩いて直すようなコトもできちゃうんです。(笑) 前の所有者が砥石に当ててからそれほど時間が経っていないのか、切刃はすこぶる健全ですね。 一見したところ地金と鋼の境界は明瞭で、鋼の硬度は十分なのかな?という印象もありますが、刃の真ん中辺りは鋼の色がぼやけているので油断はできません。 裏面もまた鋼の位置がハッキリしています。 地金の部分には赤錆が回っていますが、鋼だけは綺麗。 こちらも砥石に当てられてからそう時間が経っていないのかもしれません。 おまけ。 明治以降の國弘系の名工の鑿と、この鑿のフォルムを図で見比べてみましょう。 穂の甲の部分に注目して見ますと、左の國弘系の洗練された造形では甲の面が酒瓶をひっくり返したような姿ですね。 穂の刃先から形にかけては緩やかに厚みが変化していっているので、肩近くまで甲・両サイドの鎬の面積を一定にし、肩のカーブの所から首に移行するにつれ甲も次第に幅が細く絞られてゆくこのデザインでは、鎬面は刃先側と肩側で角度が変わってくるのです。 この角度の変化を一定にすることで、造形にボリューム感が出て姿の洗練されたデザインが生まれるわけです。 また裏面は鋼を肩まで貼ったことで穂の強度も上がり、肩近くまで刃の鎬筋が近付くまで使えるようになった事も、國弘が出現した時代以降の鑿の構造です。 それに対して今回捕まえて来た鑿はといえば、鋼が穂の途中までしか付いていないことはもちろん、穂の甲の形が長い三角形のような形ですので、両サイドの鎬は刃先から肩に至るまで角度の変化が殆どありません。 それに加え、肩がなで肩であるにもかかわらず会津の重房や吉房などの鑿と比べて肩が角ばっているため、全体的に平面的な印象の造形になっています。 この辺りに國弘出現以前の時代のまだ未成熟な造形力がうかがえます。 ただ、その未熟さに粗野で荒っぽい印象を受けると同時に、強度についてだけは十分に気を使い、かつ打撃力を無駄無く刃先に伝達させる流線型の骨太な作りが感じられ、そこがこの時代の鑿の魅力の一つだと個人的には思っています。(←変態)
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2015年12月19日
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