皆様新年明けましておめでとうございます♪
今年もどうぞ宜しくお願い致します♪
昨日はこの鉋の作者をクイズにしてみましたが、コメント付かなかったので、
そろそろバラしちゃいます。(笑)
この鉋は房州、今日の千葉県で明治頃活躍した名工、豊廣の鉋です。
豊廣は徳川時代末期に活躍した鉋鍛冶の名工義廣の弟子と伝えられ、
少なくとも二代は続いていたことが知られています。
ただし義廣について詳しく語られている明治時代の文献「怪物傳(伝)」によると、
義廣は技術の流出を恐れて弟子を取らず身内の者だけで仕事をしていたそうで、
詳細は不明です。
豊廣と言いますと、ワールドフォトプレスの書籍、
「千代鶴是秀」を読んだ方ならピンと来るかもしれませんが、
二代目豊廣が千代鶴是秀の偽作鉋を一番最初に作ったことで知られています。
背景には是秀の鉋の人気と、需要に追いつかない供給量の少なさがありました。
その結果、あまりの是秀の寡作ぶりに痺れを切らした商標の権利者であった
田中政八商店が、秘密裏に豊廣にその偽作を作らせるに至ったそうです。
この辺りは上記の「千代鶴是秀」にてその詳細が語られていますので省きますが、
面白いのは後に大量に出回った「千代鶴」や「運寿」銘の偽作と違い、
豊廣の千代鶴鉋は偽物のわりには精度も切れ味も大変良い物だったのです。
通常、偽銘の作品を作る動機は、足りない技量を有名な銘で誤魔化すことで、
自らの製品の価値を高めることにあります。
逆に言えば、本物を作るのと同様、手間も技術も惜しまず作るのでは、、
偽物を作る意味がありませんし、製作姿勢が真面目な作者であれば、
わざわざ偽物を作らなくても必然的に評価は上がる理屈です。
しかし田中政八商店の仕事で偽千代鶴鉋を作っていた豊廣も、
やはりその仕事ついて思うことがあったのか、あるとき是秀と出会った際に、
「いつも千代鶴鉋を作らせて頂いて光栄です」と挨拶したそうで、
立場的にも心境的にも微妙な立ち位置にあったのでしょう。
銘のアップです。
「登録」の刻印と「房州」の刻印の間に  ←こんな刻印、
○枠の中の楕円は五つなら、丁度浜辺に落ちてるタコノマクラっぽい感じです。
左下には擦り切れているものの、梅の花のような刻印があります。
鋼の種類とかではなさそうなので、納入先の区別のために捺された刻印かな?
カイサキ部分はかなりハッキリしていて、鋼が付くか付かないか、
ギリギリの低温で仕事していたことがわかりますね。
上記の通り、豊廣は義廣の弟子との説と、義廣は弟子を取らなかったと、
間接的に否定する説があります。
最初の説は千代鶴是秀が自信で収集した情報がソースで、
後者は怪物傳がソースな訳ですが、それぞれにグレーゾーンがあるので、
判断に困ります。
例えば、是秀の情報は物理的・客観的な証拠や根拠が残されていないので、
本人が見聞きしてきた情報に誤りがある可能性があります。
まぁ、伝聞の域ってことですね。
一方で怪物傳の方はといえば、これは記載されている情報が正しければ、
是秀により伝えられた情報を否定する部分が多いのです。
しかし取材を行った対象が義廣当人ではなく、
「義廣については誰より詳しい」―と自称する老人であったり、
また取材をした人間もこの分野に詳しいとは言い難い普通の作家であったため、
世間で取り沙汰されている義廣と國弘の関係も完全に触れずじまいで、
肝心の義廣が新潟から上京する以前のルーツについては闇のままです。
また義廣は弟子を取らなかったと言っても、これはあくまで
豊廣が近親者の弟子である可能性の否定には全くなりません。
そして是秀の情報が伝聞の類であるとしても、是秀自身豊廣に会っている訳で、
その場で義廣や豊廣本人の情報を聞いた可能性もまた大いにあります。
いずれにしても結論を下すには肝心の情報がすっぽり抜けているので、
新たな情報や証拠が必要になると思います。
色々な角度から地金の様子を撮ってみました。
なかかなか上手く様子が分かる写真が撮れず、もどかしいなぁ。
この鉋は二代目以降の豊廣の作で、輸入鋼+和鉄の組み合わせです。
初代の作では鋼は玉鋼を使っているそうですので、そこらへんで区別できるかも?
豊廣は二代まで続いたことはハッキリしてますが、それ以降は不明ならしいです。
ただしこれ以外にももう一枚、豊廣銘の鉋を見ましたが、花押の刻印や、
カイサキの化粧仕上げの有無など、微妙に違いがあり、
ひょっとすると三代くらい続いたのかもしれません。
この鉋は歴代の名工の作と比べると鋼の厚みはそれ程薄くはありません。
しかし鋼の粘り方が独特で、結構堅く焼が入っているにもかかわらず、
裏出しの際に普通の鉋であれば鋼を割りそうな程鋼に近い部分を叩いても
殆ど割れることが無く、もの凄くペナッと屈んで簡単に裏出しができるのです。
これほどちびてベタ裏になっているのに一部に裏鋤の目が残っているのは
そのためです。
おまけに研ぎ上げて見ると曇り系の石で研いでも鋼にしっとりと艶があり、
初心者用と考えると使いでの良さは他とは一線を画する物と思います。
ずいぶん使い込まれて傷んでいますね。
一番上の写真を見てお気付きかもしれませんが、この鉋、
刻印の位置がちょっと変です。
刃幅は寸四サイズ(約60mm)ですが、実際にはもっと広かった物を、
両側の鋼が切れたので切断したのでしょう。
側面のヤスリ目を観察してみると、頭から刃先まで真っ直ぐ削られています。
本来豊廣のヤスリ目は斜めらしく、おまけに頭辺りは地金の硬い部分、
ツラと呼ばれるものが観察され、砥石で擦ったらしい事が判ります。
こんなに小さくなって、鋼が切れても整形して使うとは、
余程切れたのでしょうね。
もう側面のヤスリ目などの史料価値はありませんが、年末のボロ市で
お買い得、ですかね?(笑)
|