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最近の愛用の鋸です。 両刃ですので当然材料は現代鋼ですが、いい錆びの色をしており、 それなりの年月を経てきたことが分かります。 小細工の横挽きは専ら平治さんの細工鋸を愛用していますが、 縦挽きが必要になったときはこれらの鋸を使用しています。 どんな持ち主が使っていたのか、板が折れて丈が縮まっており、 姿格好としては無残としか言いようがありません。 しかし鋸板が折れるということは、硬度設定が高めだったということで、 熱処理に関しては理想的な焼入れ・焼き戻しがされていた可能性が 高いということでもあります。 実際に古い鋸は歯が飛んでいたり折れていたりする物ほど、 切れ味が良いものが多い気もします。 その証拠として、この鋸も繰返し目立てされ使われていたようで、 江戸目側はもうかなり磨耗してもうすぐアゴに届きそうです。 右の鋸の銘、中や廣次。 この書体、どこかで見たことあるような・・・・・? 左の鋸の銘は判読できませんでした。 どちらの鋸も硬度が良いだけでなく、板の造りも良いように思います。 薄い板で切削抵抗も小さく挽くのが楽なので、柄もまだ作っていません。 茎を持って力を抜いて軽く挽くだけで十分なのです。 手に入れた当初、既に切れが止んでいる状態でしたが、 それでも良く切れていました。 とはいえここ最近の木工でいよいよより鋭い刃付けが必要になったので、 昨日は左の鋸の目立てをしました。 これでまた鋭い食い付きを見せてくれるでしょう。
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鋸(のこぎり)
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鋸の目立ての作業は腰に来るしんどい作業です。 目も疲れるし、そんな作業が何時間も続いたり、 一日で終わらないこともあります。 しかしボロく錆びて汚い鋸の歯を一本一本擦っていって、 長さもまちまちだった歯が同じ高さに揃って光りだすと、 鋸って綺麗だな〜と思う時があります。 部屋中の明かりを消してスタンドの光で作業しますが、 飛行場の誘導灯のように等間隔に目底が光る瞬間は、 早く使って切れ味を確かめて見たいと最も強く感じるときです。
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こんばんは、今日は二見屋系鋸鍛冶の一人、二見屋陳作についてです。 これにはちょっと意味があり、先に二見屋甚八を紹介しておけば、 他の二見屋系の工人を紹介したときに、 「ああ、あの系統の鍛冶屋さんね」 ―と読んでいて判りやすく、比較もしやすいと思ったからです。 さて、前回の鋸は産地・新潟で別人が作った問屋銘の作品でしたが、 今日の鋸は正真正銘本人の作で、明治時代に作られた剪定用の根切鋸、 材質は玉鋼。 これも世田谷ボロ市で21枚500円で買って来た鋸の内一枚です。 受合の「合」の字の両隣に何かの刻印がありますね。 これはトレードマークの梅鉢の刻印で、このため陳作は当時の使用者に、 「ウメバチ陳作」と呼ばれていたそうです。 前回紹介した甚八は、調布の二見屋系でも古参の鍛冶屋さんで、 「二見屋」の由来も甚八にあるのかも知れないという内容を書きました。 対照的にこの陳作は調布系鋸鍛冶の中で最後まで玉鋼で製作をしていたそうで、 (玉鋼を使える工人としては)二見屋の歴史の最後を飾った職人と言えそうです。 当時、明治時代は海外より高品質、かつ安価な輸入鋼材が輸入され始め、 一方の在来の素材であった玉鋼はというと、品質がどんどん劣化していた時代、 東京に限らず、あらゆる産地の鍛冶屋さん達は玉鋼に見切りを付け、 選別や鍛えなどの手間の掛かる工程が不要な現代鋼を使用し始めていました。 陳作が当時何を思い、頑なに玉鋼を使い続けていたのかは今では分りません。 しかし目立てし、実際にテストカットをしてみた印象では良い切れ味で、 玉鋼特有の特別に軽い引きに驚かされました。 決して引きが軽いからと言ってモリモリ切削している訳ではないのですが、 どういう訳かヌルリとするような?不思議な感触なのです。 本質的に不均一過ぎ当り外れがある玉鋼は現在では鋸に限らず、 刃物の素材としては現代鋼に取って代わられているのが現状ですが、 これほどの性能を出せるなら玉鋼も十分通用するのではないかと思います。 東京では中屋平次郎や中屋久作、三五郎などは有名ですが、 よくよく考えてみればそれ以外の工人についての情報はまるで聞きません。 このような鋸を前にすると、もっと色々な工人を調べて見ないと、 実は実力があるのに名の知られていない工人が沢山いたのではないかと、 改めて考えさせられます。
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こんばんは。 今年に入ってから玉鋼の鋸の話題をチラホラ出していますが、 今日のネタは現代鋼の鋸です。 ちょっと判読し難い銘なのですが、二見屋甚八と切ってあります。 二見屋系は東京鋸を代表する徳川から明治時代にかけて栄えた一派で、 関東の「三五郎」に数えられる、二見屋沖五郎、常五郎などが特に有名です。 この鋸について最近調べた結果、偶然にも二見屋工業のホームページを発見し、 そこで詳しい由来の情報を得ることが出来ました。 以下に自分用の「骨董刃物覚書」に書き記した内容をコピペしてみます。 二見屋甚八 東京調布の二見屋系鋸鍛冶の一派。元は矢ヶ崎甚八が伊勢の二見で営んでいた紀州家の御用鍛冶だったが、享保2年(1715年)に紀州吉宗公が徳川八代将軍となり江戸入府の際に、調布(現在の東京都調布市国領町)に領地を与えられ、江戸でも紀州家の御用鍛冶として鋸の製造を行っていた。 当時は相当に景気が良く、明治以降輸入鋼が国内市場を席巻してからは製作は新潟の鋸鍛冶に委託するなど、資本家的かつ近代企業的な気質を有しており、領地内に蔵を複数所有していた程であった。 昭和29年(1954)には社名を「有限会社二見屋甚八製鋸所」、昭和36年(1961)10月「二見屋工業株式会社」に変え、福島県須賀川市に移転したが、現在は既に鋸の製作からは撤退している。 上記は私が独自に得た情報ですので、正誤について責任は持てません。(笑) さて、まず興味深いのは、栄えたのは江戸でも出身は実は伊勢であった事。 次にその具体的な場所が二見であったという事です。 これまでただの苗字なんだろう位にしか考えていませんんでしたが、 もし甚八が二見屋系鋸鍛冶の元祖であったとすると、二見屋の名の由来は、 かつての出身地の名をそのまま使ったのかもしれないという仮説が生じました。 なお、経済的に順風満帆であった辺りや、職人集に製作は任せていた下りは、 都内の道具店で聞いてきた情報です。 記憶では蔵が2〜3個あるのを誰か目撃して来たとか仰っていたと思うので、 確かな情報でしょう(もしかすると店主さん本人だったかな?)。 そして写真の鋸、銘ぶりが東京二見屋系とはかなり違います。 どちらかというと、龍進斎系の銘、例えば有名な「男盛」の鉋の書体の方が近い。 それもそのはず、この鋸は甚八本人の作ではなく、新潟で作られた物とのこと。 明治時代に輸入鋼が入ってくる以前は、鋸を玉鋼から作り出していくのは、 素材の選別、鍛え、熱処理、板作りなど、他の鍛冶屋には出来ない技術が要求され、 それだけに鋸だけは単価も高く、鋸鍛冶は経済的に豊かだったそうです。 しかし輸入鋼が普及し始めると、誰が作っても均一な素材である新しい鋼は、 やがて製作に手間がかかる上に不均一である伝統素材を駆逐していきます。 そうなった時代、裕福だった鋸鍛冶は道具屋など資本家に転じてゆき、 製作に携わるのは雇われた鍛冶屋さん達に代わっていったそうです。 たしかに、ケラの状態から膨大な手間と時間をかけて作った作品と、 大量に生産できる現代鋼の作品が同じだけ良く切れるのであれば、 「自分がわざわざ作らなくてもいい」と考えても不思議ではないですよね。 事実、この二見屋甚八以外に16代目中屋久作の「大さん」も晩年は道具屋を営み、 製作は15代久作の弟子である籠町の中や鉄作に任せていたことは有名です。 現在ではそんな均一で生産性の高かったはずの現代鋼で作られた鋸も、 換え刃式鋸の攻勢にあい絶滅寸前です。 いや、建設現場では換え刃さえも電鋸に取って代わられていそうです。 日本の刃物職人は殆どが経済的な理由や後継者不足に苦しみ姿を消しましたが、 鋸鍛冶の場合は消滅のプロセスが他の鍛冶屋さんとはと違うのではないか、 あるいは今でもどこかで道具屋さんなどに変身して生き残っているかも? ―と思うようになりました。 実際、都内には二見屋の名が付く道具屋さんがありますが、 そんな由来なのではないでしょうか。
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お早うございます。 昨日の記事の続きです。 仕込みの都合を考え、思い切り良くナカゴを切断しましたが、 そのままでは柄に入れ難いので、鑢で削って先端を鋭く整形しました。 例のごとく適当な桐材をナカゴ型に掘り込み、板を張り合わせて柄を作ります。 張合わせタイプの柄では継ぎ目の割れのリスクがどうも気になってしまうので、 口近くは必ず藤蔓を巻いて補強することにしています。 もっともこんなことをしなくても、最近の接着剤の強度はかなり強いですし、 桐材はもの凄く柔らかい木なので、殆ど割れる心配は無いのですが。 それでも何らかの失敗で割ったりしたらショックですし、用心というか、 自分の納得のために念には念を入れるといったところでしょうか。 今回は蔓の両端を埋め込む穴がナカゴの穴に貫通していたので、 ナカゴを焼いて叩き込む際に、穴から煙がヤカンのように噴出してしまい、 笑えるもののかなり煙たい目にあいました。(笑) で、結局こんな姿の鋸になりました。 鉋台の押さえ溝を挽く用途なんかに良さそうですが、 押さえ溝挽専用ではちょっと贅沢ですね。(笑) 他に何か良い用途は無いかな? バランスはこんな感じ。 なるべく手になじみ持ち易い形状を目指してみました。 目立ては皆さんに頂いたアドバイスを参考に、上目の角度を寝かせ、 ナゲシの角度に少しゆとりを持たせてみました。 赤樫の未乾燥荒台を切ってみたところです。 ビックリるほど肩が軽い切れ味です! 以前の鑼は食い付きに弱さを感じましたが、現代鋼の鋸ほどではないものの、 この鋸はそれなりに鋭い食い付きを感じます。 これまでの経験から考えると、玉鋼の鋸全てがよく切れる訳ではないですし、 切れ味の良いものは少数派なのは明らかです。 しかし中にはこんな物もあるのだと思うと、玉鋼も捨てた物ではないと思えます。 切削スピードではやはり現代鋼をノコギリの方が上でしょうが、 使い心地の良さでは玉鋼に軍配が上がりました。
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