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皆様お早うございます。 夏もいよいよ本番間近、蜩の鳴き声が聞こえるようになりました。 暑さで集中力の持続が難しい時期になりましたが、 一昨日から今日まで集中して鉋研ぎに挑み、 何とか秘密兵器2号の鉋を桐の削りに耐えるところまで刃付けしました。 とことん納得できるところまで詰められたとは言い難いですが、 ギリギリ粉を吹かない程度の削りができ、完成のメドが立ちました。 写真の桐板、上半分と下半分で削り別けているのが分かるでしょうか? 上の方はまだ粉が吹いていますが、下は粉も出ず良い艶が出ました。 まだしっかり薄く削っていないので枕などもありますが、 これから仕上げに入ってきます。 頑張って仕上た鉋、納得度90%位? しかしこう頑張って仕上た鉋も、桐の仕上げでは4〜8回も引けば研ぎ直し。 それ位に鋭さが求められます。 今はこの2号以外に秘密兵器1号も研いでいる最中で、 板の仕上げはその両方を使って挑んでいくつもりです。
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鉋(かんな)
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色々な鉋(かんな)を紹介。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
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ここのところ輝秀の裏金が緩くなってきていて困っていました。 普通、裏金は緩くなってきたら耳を金床で叩いて曲げて使いますが、 この押えの耳はなぜかいくら叩いても曲がらないのです。 不思議に思い側面を見てみると、何やら鋼と地金の境が耳まで届いてそう。 昔の安物の裏金は製作の手間を省くため、地金に鋼を貼った利器材を、 金太郎飴のように切断して作ったりしていたそうですが・・・・・。 もしそうなら裏面全体に鋼が貼ってあるわけで、 それなら確かに叩いたくらいでは曲がりませんね。 さすがに嫌気が差して、やってしまいました。 オイルストーブで加熱、まずは耳の軟化を試みます。 もし本当にこの部分に鋼が貼られているなら、これで焼戻しになるでしょう。 肝心の刃先には熱が伝わらないよう、濡れ布巾で押えています。 しかしこれだけでは曲げられるようにならなかったので、 鋼が入っている(と思われる)箇所を削り落とすことにしました。 回転砥石で肉を落とした後、金ノコで鋼を切ります。 これでこの部分に鋼があったとしてももう問題は無いでしょう。 叩いてみたところ少し曲がるようになりました。 しかしまだ十分ではなかったため、反対の肉も削ぎました。 そもそも耳の形状が玄翁で叩き難い状態だったこともあったので、 その修正も兼ねています。 これで玄翁で叩き易くなり、なんとか耳を曲げられました。 それにしてもまぁ、安物の押えは調整が大変です。
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こんばんは、今日は昨日の記事の鉋です。 多少手入れをして、一応見れるようになったので、掲載してみます。 手入れ後こんな感じになりました↓ このブログをご覧の方々の中にはご存知の方も多いでしょうが、 この鉋は徳川時代の会津若松で活躍した名工、若林重房の作品です。 徳川時代から明治以降まで何代かに渡って続いた会津で最も伝統のある銘で、 初代重房は刀工でもあった若林安右衛門(林之助)という鍛冶屋でした。 しかしここからが紛らわしく、初代重房には二人の跡継ぎがいたのですが、 長男の安左衛門(1821〜1888)が本家重房、次男猪之吉(1824〜1875)が分家重房、 どちらも重房を名乗っていたのです。 しかし本家重房は銘の「重」の字の縦線を上まで通さず「里」と銘を切り、 分家重房においては一番上まで縦線を通し、その特徴で見分けがつくそうです。 この鉋刃は写真の通り俗に「サトシゲ」と呼ばれる縦線を上まで通さない、 本家の方の重房であると都内の刃物店で教わりました。 またこの特徴は後の代や、その門人達にも受け継がれていったそうで、 過去に紹介した会津重延の鉋にもその特徴が確認できます。 そして何代か続いた重房の中でもこの代の重房、 特に猪之吉が最も上手な工人で、後の時代の工人にも多大な影響を与えました。 千代鶴是秀も過去の傑出した工人としてこの名を書き留めていたそうです。 まぁ、ググって見ると私なんかよりも全然詳しい方のページが幾つもあるので、 私はあまり長々とは書かないでおきます。 書くだけボロが出そうですので。(笑) 背中の写真、何やら頭の近くに「五」の上の横線を取ったような字か何かが、 タガネで切ってあります。 何の意味があるのでしょうね? 研ぎ上げてみた刃先です。 鋼はどうやら玉鋼ですが、肉眼では現代鋼と区別が付け難い程良く出来ています。 これより上手く出来た玉鋼は他にはまだ岩崎さんの剃刀位しか見たことが無く、 噂に違わない名工であると分かります。 鋼の硬度は明治時代の房州豊廣と同程度のようで、研ぎ味は大変力強く、 玉鋼時代は圧倒的多数の作品がが鋼の硬度が低い物ばかりだった事を考えると、 これはきわめて珍しいと言えるでしょう。 はっきり言って私程度では全然実力が足りず、研ぎが上手く決まっていません。 鋼と地金の境界線がボヤケる程度の硬度の刃物なら研ぎ上げるのは楽ですが、 この鉋の鋼はそんなに生易しい物ではないようです。 もう鋼の残りは少なく頭もまくれてはいますが、比較的原形を留めており、 刃物の内容、整形精度の高さなど、会津重房の実力を示す貴重な資料として、 いずれ箱でも作って大切に保管しようと思います。
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二週間ほど前でしたでしょうか。 ヤフオクで江戸・調布系の鋸鍛冶の名人、二見屋常五郎の鋸を見つけました。 二見屋常五郎は二見屋系鋸鍛冶の全盛時代、深谷で活躍していたそうで、 他の同時代に活躍した鋸鍛冶で、江戸で一番の腕前といわれた二見屋沖五郎、 桐生の熊五郎の三人を一括りにして「三五郎」と呼んでいたそうです。 そして出品されていたのは雁頭か薪挽と思われる鋸で、1000円スタート。 終了少し前まで入札が無かったので、1000円で入札していたのですが、 なんとうっかり忘れてパソコンから目を離していた隙に終了!! もうサイテーもサイテーも!結構凹むショックな出来事でした。 それはそうと三日前、ヤフオクで会津の古い鉋を入手しました。 上の鉋ですが、際鉋と内丸―と呼ぶのかな?丸鉋です。 特に貴重なのはこの際鉋、オークションの写真をそのまま持ってきましたが、 結構な銘なのが分かります。 影が邪魔して見難いですが、こちらも会津の有名な系統の鉋です。 これらの銘を見たときは、かなりの値段になることを覚悟しましたが、 際鉋に一人入札をしていただけで、私が1100円で落札してしまいました。 そして丸鉋にいたっては私以外の入札は無く、苦も無く落札。 最近会津の重道や重高が6千円〜8千円程度で終了しているのに比べると、 ビックリするほど人気がありません。 多分今の時代、これらの道具は仕事に使うことももう少ないでしょうし、 丸鉋にいたっては専用の砥石も必要なので、誰も使いたくないのでしょう。 しかし際鉋は先日の私のようにうっかり放っておかれたのかも知れず、 もしそうなら今回のオークションは運が味方したといえそうです。 捨てる神あれば拾う神あり ―ではないですが、古物探しも運が味方するかどうかが非常に重要ですね。
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皆様お早うございます♪ 今日は一年半前の世田谷ボロ市で見つけて来た鉋、中惣です。 この鉋の銘は作者銘「中屋惣兵衛」を短くしたものだそうです。 中屋惣兵衛は明治時代に新潟の柏崎市で活躍した鍛冶屋さんだったそうで、 中屋〜という名から、元は鋸鍛冶系統だったと推察されるとか。 ただし製作スタイルとしては複数の工人を雇い量産化に重きを置く、 龍進斎悦英などと同様の町工場タイプ(?)であったため、 この銘だけでは作者個人までは特定できないようです。 この鉋の特徴はクロム・タングステンが添加された合金鋼が使われている所で、 熱処理後は顕微鏡で鋼の繊維を検査するなど、当時としては先進的な技術を 駆使して品質管理がされていたことも注目すべき所です。 当時の打刃物製作は職人の勘のみが作品の良否を左右していたため、 品質の当り・外れが多かったそうで、そのため安定した品質の中惣鉋は 外れが少なく好評だったそうです。 刃先はこんなことになっていました。 グラインダの抉り痕が取れないし、刃先も横にクラックがあり、 その部分が欠けてしまいました。 ネットで見かける他の中惣鉋の写真の地金は巣のある研ぎ易そうな地金ですが、 この鉋は変な模様のある極軟鉄の類が使われており、大変研ぎ難いです。 また刃自体も野暮ったいと感じる程に厚くそれも研ぎ難さに拍車をかけています。 それにしてもこの鉋、当時は是秀の鉋と並ぶほどの人気があったと聞きますが、 正直そこまで良く切れるとは思えません。 引きは純粋炭素鋼系のような軽さは無く、鋼はかなり高度があるのに、 期待ほどの長切れもしない。 地金も極軟だし、低位グレードの刃だったのかな〜? ベタ裏が気になったので、鋤き直してしまいました。 古い名品は裏鋤も大事な見所ですので鋤き直しは躊躇いますが、 この鉋は裏面の研磨跡を見ると全面が機械で整形された様子だったので、 こんな場合は全く躊躇いません。(笑) しかし・・・・・。 刃欠けは消えましたが点錆の朽ち込みが酷く、当分はまともに使えません。 グラインダの無い我家では正直研ぎ下ろすのが億劫で、 そろそろ欠けの無い美味しいトコロまで減らすのに飽きてきました。 この鉋はいずれヤフオクにでも出しちゃおうかなぁ〜・・・・・。
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