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こんばんは、前回、前々回に続き、今日も古い鉋刃を紹介します。 今日の刃は會津の重延。 私は會津鉋については勉強不足で詳しく知りませんが、 ネットや諸文献の解説を要約すると、大体以下のような感じです。 會津では今よりおよそ400年ほど昔、文禄の時代に初代重房(若林安左衛門) が活躍し、會津打刃物の名声を築きました。 それ以降、重房門下からは「重〜」と重の字を冠する優秀な弟子が多く輩出され、 昭和頃まで會津打ち刃物の文化は続きました。 この重延(本名長嶺喜好)は會津鍛冶の系統では最も後期の鍛冶屋の部類で、 明治28年に生まれ、後代重房の若林大八に弟子入りしたそうです。 重延には弟子がいましたが、昭和57年に初代重延が亡くなり、 不幸にも娘婿の弟子長嶺久二男もその後一ヶ月足らずの内に亡くなったため、 重延は途絶えてしまったとのことです。 重延は晩年になぜか切銘を左右反転させ、鏡文字の銘を切ったため、 左重延の名で通っていましたが、この鉋は普通に銘が切られていることから、 初〜中期ごろの重延の作品だと思われます。 この鉋は現代鉄+現代鋼でできており、時代を考えると鋼は多分東郷鋼、 地金は縞模様が見えるものの、巣のような物が無く硬い研ぎ心地であることから、 恐らく輸入物極軟鉄の一種が使われたのだろうと思います。 良く切れたようで、大分使い込まれ小さくなっており、 鋼はもう15mm位しか残っていません。 裏を鋤き直しました。 元々酷いベタ裏で、研磨し直したことで刻印も消えてしまいましたが、 これで普通に使えるようになりました。 この鉋は台直し鉋か鰹削り器にするつもりで、今は桜材の荒台を木取りし、 ゆっくり乾燥させているところです。 桐の板材も用意してあるので、一からの製作になりそうです。 私の場合台打ちの際にあーでもない、こーでもないと刃をいじっている内に、 刃先を微妙に傷ませていることがあるので、今はまだ本研ぎはしていません。 刃先についてはまた本腰入れて研いでから掲載したいと思います。
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鉋(かんな)
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色々な鉋(かんな)を紹介。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
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先日紹介した豊廣以外にもう一枚、昨年のボロ市ではこんな鉋を見つけました。 丁度寸四サイズより一回りか二回り位小さい鉋を探してたところ。 手に取って見てみると、全体が錆びて形も崩れていますが地金は日本鉄のようで、 整形精度もソコソコ良さそうに見えます。 値段は200円と先日の豊廣鉋に匹敵するほどの安さでしたので、 迷わずタイホして来ました。(笑) 小鉋は横ズリのような使い方をしていると、どんなに刃の切れる鉋でも、 研いでは使う作業の繰返しになります。 すると最近の鉋は地金に研ぎ難い極軟鉄が使われている物が多いので、 切れ味は良くても毎度毎度研ぎ直すのが億劫になります。 そんな理由で今使っている鉋以外に、「安くて研ぎが楽で、研いでいて面白い」 ―という、やや贅沢な条件に合う鉋を探していました。 それにしても下の一字は殆ど潰れてしまってよく分かりません。 「正稲」のようにも見えますし、下の字は「侮」のようにも見えますが、 さすがに正しく侮るなんて変な名前は無いだろうし? そういえば「正?」の刻印の上に、梅の花のような刻印があります。 もしやと思い顕微鏡を覗くと、下の一字右側は確実に「毎」で、 もう片方は刻印自体が壊れていたのか?かなり消え入りそうな薄さながら、 どうやら木辺らしいことが分かりました。 ということは「正梅」と捺されているのでしょう。 ハテ、聞かないな? 豊廣の鉋にも梅らしき刻印はありましたが、作風も違うし全く関係無いでしょう。 梅の字を含む銘は関西の名工「梅一」や、問屋名の「梅弘」などを聞きますが? 多分この正梅も問屋名だったのかなとか思いますが、どことなく関東っぽい作りで、 鋼も十分な硬度があり基本的な所は押えてある良い作りに思えます。 鋼についてはもう少し薄くできなかったのかな?と思いますが、 聞くところによると昔は小鉋はよく使用者が自分で加工して丸鉋などにしたので、 凹型の丸鉋では裏鋤の深さが浅く高精度でないと裏を出すのが大変で、 ベタ裏に研いでしまう方が多かったとか。 平鉋として使われる幅ならともかく、下手に頑張って薄い鋼の造り込みにすると、 こういう幅の刃では裏を研ぎ過ぎると耳の所の鋼が切れてしまう恐れもあります。 そんな理由で小鉋は鋼がやや厚めの物が多いそうです。 それにしても正梅銘の四角い枠、どこか國弘の刻印に近い雰囲気で、 個人的には気に入っています。 もしどこかの名人が、問屋名で作った鉋とかだったら嬉しいですね。(笑) 色々な角度から撮影して見ました。 何の根拠も無いですが、手持ちの鉋刃と研ぎ比べた印象では、 徳川時代の鉋刃ほどは古くなく、古くても明治頃の作で、 相場は大正から昭和初期までの作のような気がします。 ベタ裏で、凹んだ砥石で研がれていたらしく裏刃の両端は砥石に当たりません。 でも耳の所はどうせ落とす訳ですから、何とか使えそうですね。 この鉋について何かご存知の方がおられましたら教授頂ければ幸いです。
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今年最後の記事です。 今年は骨董市でソコソコエエもんを見つけて来たので、鎬面だけ載せてみます。 正宗さんゴメンナサイ、以前お話したアレではないです。 アレについてはもっと情報が欲しくて現在は調査中の段階ですので、 今回は代わりに別のちょっと珍しい鉋にしました。 鎬面だけで当てるのは難しそうなので、ヒントですが、まず関東の鍛冶屋さんで、 うめあにさんのホームページにも掲載されています。 お値段は世田谷ボロ市で○00円でした♪ これもクイズにしてみよう。(笑) 答えは明日、一月一日に明かしますね♪ そういえば鉋と言えば、今日はまな板の削り直しをしました。 荒シコの一削り目です。 本当は電気鉋でバーっと終わらせられれば良いのですが、 そういう便利な物を持っていないので、手鉋です。 写真のは寸四で一枚です。 荒シコは切削量が多いだけに引きが重くなり易く、二枚より一枚鉋の方が楽ですが、 ただ一枚にしただけでは逆目で困りますよね。 私の寸四は刃口を真鍮にすることである程度逆目を防いでいます。 この方法は大工の伝さんのブログで紹介されていた方法で、 これだけで逆目も止まるとか。 この鉋のように荒シコは刃口をある程度大きくする必要があるので、 完全に坂目を止める所までは行きませんが確かに効果的です。 どうしてこんな加工で逆目が止まるんでしょう?って詳しい方に質問してみましたが、 「多分樫程に硬度がある木材でも、繊維がムシレる瞬間って、 刃口が微妙に凹むっていうか、刃口がムシレる繊維の圧力に負けちゃうんだろうね」 という見解を教えて頂きました。 これは逆目の原理を鉋台に着目した場合の視点で、刃の方について考えても、 研ぎ方とか色々原因はあるでしょうし、そもそも本当にそういう原理なのか、 まだちゃんとは確認できていませんが、理屈としては通っていると思います。 荒シコを終えた時点でこんな感じです。 まだ包丁傷が多いですが、どうせまた明日から使い始めるので、 ツルピカにする意味はないです。 使い込まれたまな板は包丁傷の底に微細な包丁の毀れた刃先が残っているのか、 これを鉋で削ると鉋刃の磨耗が激しいです。 ですので、鉋刃を包丁傷の底よりも更に深く潜らせる感じで削るのが理想です。 今回は丁度良い厚みの削りができたので、同じ箇所を2〜3回往復させるだけで、 この写真のように傷が少ない状態に戻りました。 これは単に厚く削ったというだけでなく、普段から面を崩しすぎないように、 一年に一度位の頻度で削っているからでもあります。 ここ一二年はサボっていましたが、以前は12月31日の恒例でした。 ホンのちょっとだけ逆目も残ってますし、全体に毛羽立っていますが、 そんなの気にしません。(笑)
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普段使っている立鉋の台がユルユルになってしまったので、 台を打ち直しました。 ボロ市で見つけて来た石堂の鉋が収まっていた、ボロボロの台を刻みました。 少し寸法が小さいのが惜しいですが、かなり古い台ですので、乾燥は十分でしょう。 古い台と比べてみました。 今回の台打ちでは色々と仕込みを変えています。 元の台は市販の立鉋として一般的なイスカ仕込みでしたが、 今回使った樫材は丈が短いので、真っ直ぐに仕込んでいます。 他にも鉋刃の切味の悪さに合わせ、仕込み角を5度程倒し摩擦抵抗を軽減したり、 木っ端返しを小さくしたり、屑溜りを大きくしたりして削り屑の出を良くしたりと、 普段使っていて不満なところを改善しています。 これが元の台の刃口です。 上の写真で分かるでしょうか。 木っ端返しをかなり小さくし、屑溜りは角度を寝かせることで広げています。 立鉋は木っ端返しが大きいと、どう頑張っても屑が詰まり易いので、 刃口が広がり易いデメリットは覚悟の上であえてこうしました。 どの道立鉋は刃口が広くてもさほど不便にはなりませんしね♪
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昨年末、森平さんで見つけて来ました。 錆が出ていたので、格安でした。 國秀は森平さんの登録商標として現在も鍛たれていますが、 この鉋は現在の物と違い、裏は機械研磨ではなく鏟で鋤かれています。 カイサキも地と鋼がハッキリ分かれていて、好感が持てますね。 錆のせいで訳あり品扱いでしたが、個人的にはむしろこういう鉋では 薄錆が良い味を出すように思います。 切れ味も現在製造されている國秀とはやや違い、軟材に向き、 現在の物より良く切れる印象です。 作りも丁寧なだけに、地金が極軟鉄でやや研ぎ難い点だけが惜しまれます。
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