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こんばんは。 腹痛も回復し、フリマで上々の収穫品をゲットしてきたAlcesどんです。 その代わりにお財布が寒くなったとです。(苦笑) さて二日も間が空いてしまいましたが、今日も一日に掲載した道具の中からまた一つ紹介してみたいと思います。 今回紹介するのは新潟の名工・江川清宗(本名:江川民蔵)の鉋です。 千代鶴だの石堂だのという有名工の名前は、大工道具ををあまり使わない方でも打ち刃物に興味がある方であれば、一度くらい聞いたことがあるかもしれませんが、江川清宗という名前はあまり知られていないのではないでしょうか。 しかしこの江川清宗の師匠・長谷川清広に始まる技術系統は、実は今日活躍されている他分野の有名工にも繋がるのです。 これが江川清宗に関連した工人の系譜になります。 手道具や打ち刃物の愛好家の方は、この系譜の中に見慣れた名前を見つけられたかもしれませんね。 そう、剃刀鍛冶の第一人者である岩崎重義氏や、包丁鍛冶として有名な飯塚解房氏(作名重房)もこの系統に属するのです。 そのうえ若かりし頃の刀匠・天田昭次氏も鉋作りの指導を受けたということで、いよいよこの系統の重要性も高いものになりますね。 天田昭次氏は日本刀鍛錬伝習所の出身ですので、岩崎航介氏の後輩に当たり、ともに栗原彦三郎門下ということになりますが、終戦後刀剣作りだけでは生活してゆけなくなり、鉋製作にも励むことになりました。 その際に鉋作りを指導したのが長嶋宗則だったわけです。 長谷川清広から長嶋宗則に至るまでのこの系統は、その仕事内容の範囲から分類すると、一般的に野鍛冶のカテゴリーに収まると言えますが、その系譜が刀剣の人間国宝に繋がっていくとは希なことでしょうし、大変興味深いと思います。 この師弟関係の詳細は、ネット検索をかけると詳しく解説されている方のホームページがありますし、今回の本当のメインの話題は江川清宗についてですので、長嶋宗則より後の世代についての詳細な内容は省かせて頂き、話を江川清宗に絞っていこうと思います。(情報源の関係上、その弟子の長嶋宗則の話も多くなってしまいますが) 江川清宗について言及されている書籍は、私が見つけてこれたのは刀匠で人間国宝の天田明次氏の著書、「鉄と日本刀」くらいなのですが、氏に鉋製作を勧め指導をされた「長嶋宗則さん」(P240)という項目で僅かに触れられています。 これを以下に一部引用してみます。 《長島さんの刃物の師匠は、(新潟)県内の江川清宗という方です。この師匠のことを長島さんが「名人の中の名人」と言うのですから、大したものだったのでしょう。種類の違う鋼を10本ばかり並べておいて、小槌でコンコンと叩いただけで、これは鉈にいい、これは鉋だと、鋼ごとの最適な用途をたちどころに判別したそうです。昔の職人に学問のないのは当たり前ですが、それでいてコンピューターでも及ばないような勘が働くのですから驚きです。》 鋼に対する優れた鑑定眼を持っていた江川清宗ですが、その勘の鋭さは弟子であった長嶋宗則にも受け継がれたようで、長嶋氏は安来製鋼所で製造された鋼のなかでも、昭和10年〜11年製の桜ハガネが最高だと語り、その鋼を大事に使っていたそうです。 また長嶋氏については、書籍「刃物の見方」の著者で剃刀鍛冶として高名な岩崎航介氏も崇拝し、曲がらない包丁作りの名人として紹介されています。 包丁は作りたてこそ真っ直ぐでも、2〜3年も経つと鋼の側に曲がってくることが殆どです。 このように曲がることを屈(こご)むと言いますが、長嶋氏の作った包丁だけは何年経っても曲がらないというのです。 これらのことから、清広に始まるこの系統の職人達は、皆鋼の選別・熱処理などが、格段に上手かったということなのでしょう。 宗則については、その実力を遠く離れた九州地方でも高く評価されたようで、高級刃物として有名だったそうです。 さて、ここで作品の方に注目してみましょう。 清宗は地元の顧客相手に下駄屋刃物を多く作っていたそうで、そのためか古物として出てくるのは下駄屋道具が殆どです。 たぶん、ある時期を境に下駄の需要が減少したことで、他に使い道の無い下駄屋道具ばかりが大量に残ったのでしょう。 しかし私が入手できたのは下駄屋道具ではなく、珍しい鉋の作品でした。 下駄屋道具とは違い、普通の平鉋は大工さんや建具屋さん、指物師の方などの仕事にも使われますので、実用の場が多い平鉋は使い切られてしまうことが多く、後世には残り難いのです。 この鉋の見所は何といっても刃味で、これがなかなかお目にかかれないくらい素晴らしいのです。 こんなこと文章で書いてみたところで、ブログをご覧頂いている方々に伝わるわけもありませんが、しかし上の下手な写真でも鋼の色が冴え渡っているのが分かるのではないでしょうか。 すごくいい加減な研ぎなのに、地金の青さと鋼の白さが際立ったコントラストを醸しています。 特に上の55mmの鉋については整形精度も素晴らしく、背中の抜きが深く薄手で、鋼回しも均一な厚みで見事な鋼の薄さです。 こちらの一枚は純粋な炭素鋼が使われているようで、火花試験で回転砥石に当てると綺麗なスパークが飛びました。 研いだ印象からすると、たぶん明治頃の輸入鋼ではないかと思いますが、非常に滑らかで下りやすい研ぎ味でしたので、玉鋼か現代鋼かの判断はできませんでした。 もしこれが玉鋼であるとしたら、歴史規模で考えてもトップクラスの実力と言って良さそうです。 一方の69mmの鉋の方は、刃味は55mmの方のと同様に素晴らしいものの、身がやや厚く、鍛接線も乱れているあたりに若干のヤボさがあります。 ―が、刃味としてはこちらもかなり優秀ですので、実用的にもかなりの鋭さと持久力が期待できます。 こちらの鋼は種類としては炭素鋼に分類されそうなスパークが出ましたが、回転数を落とした状態の砥石に当てるとやや暗めで直線的なスパークになったので、焼入れ性が良くなるマンガンか何かの、耐久性の向上とは無関係な元素が添加されているのかも知れません。 最盛期には弟子の数は20名を数えたそうですし、もしかすると上の55mmの方は清宗本人が、下の69mmの鉋はその弟子筋が鍛った鉋なのかもしれませんね。 余談ですが、全盛期には大所帯だった清宗の工場も、終焉が近付くころにはやがて弟子達もいなくなり、おまけに経理を任せていた番頭に売り上げを持っていかれたことで、貧乏と病に苦しむ晩年となったそうです。 名人と言われる人種にありがちな仕事に一途な性格ゆえのことでしょうか・・・・・。 金勘定についてはどうもイマイチ意識が向かなかったようで、気の毒なことですね・・・・・。 この鉋はヤフオクで落札しましたが、清宗の刻印以外にこれといって目立った刻印なども無いため、果たして本当に目当ての江川清宗の作品なのか、実物を手に取って見るまでは確信がありませんでした。 しかしこの背中の作りを見る限り典型的な新潟鉋なうえ、弟子の宗則の鉋にも作風が似ていますし、新潟に他に清宗の銘の鍛冶屋が見当たらないことから、目当ての江川清宗の鉋と断定して間違い無いと思います。 特に背中には綾目と呼ばれる独特な模様が刻まれており、この特徴は新潟出身鍛冶に見られるものです。 代表的な例としては清宗の師匠の長谷川清広の鉋も綾目の作品がありますし、確か弟子の宗則の鉋でも綾目の鉋を見たと思います。 そして新潟出身で東京に出た國弘や、長谷川廣貞なども、背中には綾目模様が刻まれます。 この寸八(69mm)にも綾目の模様があります。 見え難いですが、鎬筋近くに綾目とも縄目ともつかない、55mmのとはまたちょっと違った綾目が刻まれています。 そうそう、それと清宗は近隣の職人を主な顧客としていて、そのため問屋相手の仕事はしていなかったそうです。 この寸八にはヤマ江の刻印も打たれていますが、問屋の刻印という可能性が無いとなると、この刻印の「江」の文字の意味は、江川清宗の名字の頭文字を意味している可能性が考えられます。(ヤマ〜といった刻印は通常問屋や道具屋の屋号が多いです) 出品者の地域が新潟だったことと、背中の綾目、そしてこのヤマ江の刻印が、この鉋の作者を推理する上での重要なヒントになってくれました。 今回の鉋は二つで2400円。 一個1200円なら資料として十分OKかな?
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鉋(かんな)
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色々な鉋(かんな)を紹介。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
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こーんーばーんーわー☆ 一昨日・昨日と、ガラにもなく真面目な文章を書こうと試みたため、脳ミソがもうヨレヨレのカニ味噌のような感じのAlcesどんです。(笑) もうね・・・・・、当分の間はあまりに長ったらしい文章を書くのなんて冗談じゃないし、図を書いては投稿し、文章の編集に伴って修正する作業を繰り返すのも疲れたので、今日は軽い内容の記事を書いていきますよ。 ええ、軽い内容にしますとも! 軽い記事いくどー!\(^0^)/ ってコトで、一日に掲載した國弘の鉋再登場です。 鑿の作品(?)についてはこちら♪→鑿の形状の変遷と退化―初代國弘以前と以後― 國弘の鉋は、同時代に鉋の名工として名の高かった義廣の鉋との比較において作風が荒かったために、義廣以上に高く評価されることはありません。 どういうことかというと、切れ味に関しては鑿の製作と同様良い鋼を丁寧に鍛えていたので、優秀な内容を示してはいたのですが、整形精度については雑としか言いようの無い物がそれなりにあるからなのです。 義廣の鉋は背中の作りなど丁寧な仕事がされていますが、國弘の鉋はというと、火造りの際に付いた槌の後が残っていたりしてボコボコな物が結構あります。 さらにその槌痕も、表馴染みの形作りが上手な鍛冶屋さんは鍛冶屋槌が真っ直ぐに当たるよう打ち付けますが、國弘の槌痕は鍛冶屋槌の角がめり込んだような、どちらかというと傷とかエクボとか表現する方がピッタリなありさまです。 鑿作りにおいては革新的と言える程の造形力を発揮した天才鍛冶ですが、鉋作りは鑿作りほどには光るところが無かったのですね。 そして鋼付けの技術も、鍛接線がのたくっていたり、鋼の厚みがぶ厚く着けられている物が多いために、真っ直ぐで平に着ける義廣に軍配が上がってしまうようです。 これらは単に火造り成形が義廣程には上手くなかったのか、それともやろうと思えば丁寧にやれるのにその気が無かったのか、今となっては知る術は無いわけですが・・・・・。 それにしても面白いことに、この雑さ加減が偽物だらけである國弘の鉋の中から真作の國弘の鉋を見つけ出す際の、一つの判断基準にもなるようです。 昔あるとき、土田一郎氏は國弘の刻印が捺された鉋を見つけ出し、それを千代鶴是秀に見せたそうですが、 「國弘にしては鉋が上手すぎます」 ―と言われ、國弘の鉋に見られる背中の火造り痕の荒さについて説明を受けたそうです。 しかし國弘だって毎回毎回意図したってわけでもない限り、槌痕がハッキリ残ってる作品ばかりでなく、時にはちゃんと綺麗に仕上がった作品を作っていたとしても不思議はありませんし、逆に國弘以上に鉋作りが下手で表馴染みをボコボコにしてしまう職人だって、それなりの数はいたでしょう。 そんなわけで、登録商標の刻印が打たれる前の作品については、専門家でさえ真贋を判定できないようですが、國弘の真作であると確定しうる特徴もあるにはあるようです。 これがそれです。 なんと表馴染みどころか、側面にまで槌痕が残っています。 なんでこんな所に槌痕?って思うところですが、試験的に鍛冶屋の技術を実践・再現しておられる土田昇さんによると、鉋の平を叩きすぎて側面の厚みが無くなったために、わざと槌の角を入れ厚みを出したと推測されるようなのです。 たまたまこうなりました、―ってことはまず考えられないようで、鍛冶屋槌のど真ん中を当てることは難しくないとしても、角が入るようなことは狙いでもしないとないそうです。 そしてこんなコトを狙ってやれるということは、日常的にこんなコトをやっているということで、そうでもないとこんな面積の狭い面に当てるなんて芸当、そうそうできることではないとか。 そんな荒っぽくもあり、見方を変えれば器用とも言えるようなところに、複雑な形状を作り慣れている鑿鍛冶らしさを感じるのは私だけでしょうか。 写真の際鉋はこれらの特徴から判断して、國弘の真作であることは間違い無いそうです。 ただ、真贋の判断以上に難しいのが世代の判断で、初代〜二代目の初期までは大体同じような刻印を用い、使用した鋼も同じ玉鋼でしたので、よほどハッキリした履歴でも付随していない限りはどちらの作品か判定しようがありません。 それに二代目や他の弟子が初代の許で修行を受けていた期間の作品であれば、初代が横座、二代目が先手といったような感じの共同の作品の可能性もあり得ますし、早死にした國行の存在も視野に入れると、もはや鑑定は混難を極めます。 っていうかカオスです。(笑) 「登録商標」の刻印が入る以前の、初期の頃の鉋の作品では偽物だらけとよく言われる國弘ですが、実は案外一番多いのは偽物ではなく、真贋も世代もハッキリしないグレーゾーンの作品なのではないか―と、最近では思います。 表馴染みの頭に近い所はこんな感じでボコボコです。(笑) もう一つの平の小鉋の表馴染みも見てみましょう。 コレ、世田谷ボロ市のKさんの露天で買ったので、背中はサンドペーパーで「手入れ」されてしまっているんです。(汗) しかしそれでもこれだけ黒肌が残っているわけですから、いかにこの背中がボコボコか理解して頂けるのではないでしょうか。orz はーっはっはっは、おかげで「楽しい」修正作業ができるよぅ・・・・・。(T∀T;) そして色付けし直したら、こんな風にサンドペーパーで磨かれた所とはハッキリ色が分かれるルックスに。 もちろん、表馴染みだけでなくこちらの面も全体がピカピカでしたよ、ええ。(泣) そんなわけで、毎日夜寝る前に栗の煮汁を塗っていたんですよ。 栗のアクが鉄と反応して、暗紫色に鉄を変色させてくれます。 結構自然な風合いでしょ? 平の小鉋の地金は巣は全く入っていないですが、模様と研ぎ心地から見て多分和鉄でしょう。 鑿も鉋も作る鍛冶屋さんの鉋では、時々鑿の地金なら良かったんだけどなぁ―って思う地金の鉋が少なくない確率で出てきますね。 今回二丁の國弘の鉋の内、際鉋はヤフオクで溝鉋7〜8丁に紛れて出品されていたので、数が多かったため送料を入れると5000円以上。 一方、平の小鉋はボロ市なので、1000円。 本当は1300円の札が付いていたのだけれど、常連さんと一緒に買物したおかげでちょっと負けてもらえました。(笑) ほ〜んと、古道具の値段なんて、あって無いような物ですなぁ。
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やっと完成です。 たったこのヤスリ目の実現のためだけに、どれだけの時間をかけたやら・・・・・。 ハッキリ言ってアホです。(苦笑) でも満足できない仕事はしないし、出来ない性格なので、やりたい所までやるしかないです。 当初荒削りの時点では、ヤスリ目を横向きに入れていたんです。 横に長い対象の切削では、横向きに擦る方が精度を出しやすくて楽ですからね。 しかしそれは押え金のヤスリ目としては正しくないと思っています。 何故なら、押え金(裏金)は鉋の本身と押さえ棒の間に押し込んで使う部品ですので、横向きにヤスリ目を入れると、押え金の甲に刻まれたヤスリ目が本物のヤスリのような効果を持ってしまい、押さえ棒を磨耗させやすくなりますし、押え金自体の甲も磨耗しやすくなるはずだからです。 この両方が磨耗するということは、仕込が緩くなりやすくなるということですから、押え金の耳を叩いて圧力を高めるという作業の頻度が高くなるということでもあります。 耳を叩いて圧力を変える事自体は、押え金の調整をするうえで避けて通れない作業ですからまぁ仕方ないとして、この作業もあまり繰り返していくと少なからず耳以外の箇所も変形をするはずなので、本当はこの作業は必要最低限の頻度で済む方が理想的なはずです。 ですので押え金のヤスリ目は、抑え棒との摩擦で抵抗が少なくなる方向に入れるのが、押え金の正しいヤスリ目だと私は考えます。 これが本身ですと、横向きのヤスリ目は台の面馴染みとの摩擦を増大させ、刃先と頭の厚みが大きく違うようなテーパーの強い鉋などでは仕込みが安定する、―という意味がでるのですが。 そんなわけで、押え金のヤスリ目は縦方向か、もしくはこのようなやや縦ぎみの斜めに擦るのが選択肢になるわけです。 で、なぜこのように意図的に斜めにしたのかというと、縦方向だけに擦っていると平面の精度が崩れていても気づき難いからです。 縦に擦ってもそれなりの精度を維持できる自信があるなら、縦でも何の問題もありませんが、私はヤスリ使いにそこまでの自信があるわけでもないので、二つの方向から交差するようにすることで高い箇所・低い箇所を見つけ出し、イイ感じの落としどころを探した、ということです。 しかしその分、仕上げが汚くならないように仕上げるのは難しくなります。 それでも何とかまとまったのは、これまでに墨斎の鉋のように芸術的な表馴染みの鉋を見てきて、自分なりに何とか見れるような誤魔化し方を研究(謎)してきたからですね。 もちろん、あんなに完成度の高い出来にはなりませんが。(笑) 今日もまた先人の技術に脱帽です。
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こんばんは。 ・・・・・って書き始めたものの、眠くなって下書き保存のままにしておいたら、気が付いたら朝になっていたという・・・・・。orz いや〜、しかしまたしても更新が滞ってしまいました。 最近はあまり風邪を引くようなことはありませんでしたが、何だかんだやっていて気づいたらもう12月です。 もう結構前になりましたが、友人に焼入れを頼んで預けていた押え金が戻ってきたので、焼き戻しを試みてみました。 最近フリマでの収穫は随分前の鋸位でしたが、こんな収穫は時々あります。(笑) フリマ会場のお隣のスーパー文化堂、改装セールで色々と安く買えました。 フルーツグラノーラが二袋で1000円だったり、この油が198円だったり、随分財布が助かりました。(笑) まぁ、こんな安い油ですから、恐らく薬品抽出油でしょうね・・・・・。 人間が摂取する油としてはあまり体に良くなさそうですが、焼き戻しや焼き入れ専用の油と考えればどんな油でも問題無し!(笑) せっかくなので、ついでに目立てヤスリを改造して作った極薄鑿も戻してみましょう。 やはり元がヤスリだけあってパリパリの硬度で、しかもこの薄さだけに時々折れるような感じで刃欠けするので、少々戻しを掛けて粘さを持たせた方がよいようです。 ウチの電磁調理器、揚物モードで180゚とかあるので簡単にできるんじゃね?―とか初めは考えていましたが、相談室で「そんなモノ当てにならないよ」とその案はバッサリ。(笑) 友人から借りたこの温度計を使って見ます。 やはり電磁調理器の温度指定機能は全くデタラメだったようで、うかうかしていると100度なんぞいとも容易く突破してしまうようで、温度管理は思ったよりも大変だという事が分かりました。 元々炭素量の低そうな鋼で、そもそも戻しを掛ける必要があるのかどうかすらも疑わしい内容でしたので、戻し時間はごく短めの所を狙い、室温から始め170度〜180度に達した時点で油から引き上げることにします。 焼き戻し終了後黒肌を落としましたが、この落とし方がイマイチ。 まだ上手く目が整えられません。 これでは黒肌のままの方が良かったかも?なんてコトになりそう。(汗) もうちょっと集中して頑張ってみます。
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ってこんな↑感じの日が続いていましたが、やっと押金の改造が一通り終わりました。 ヤスリで、あっちから擦り込みこっちから擦り込み、試行錯誤しましたが、とりあえずこれ以上は無理っぽいって辺りが分かったので、一応完成ということにします。 表馴染み、―と押金の場合でも言うんですかね? 甲のスキ均しは斜めにセン掛けヤスリ掛け、やっている内にこうなりました。(笑) あまり精度的には整っているとは言い難い状況ですが、実用上の精度は出た・・・・・と思います。 そして裏もかなり頑張りましました。 そして色々頑張って、よしここまでやったどー!って心境になって、挙句の果てに銘まで切っちゃって。(暴) お借りしている玉鋼の包丁も、平を削って銘が消えたら銘を切り直す―なんて話も出ているので、とにかく今はやってみようモードになっています。(笑) 本身の銘が龍進斎なので、押えもど真ん中は同じ銘を草書体で切りました。 脇の花押は自分の本名を崩した物。 どうしてこんなのになっちゃったのかは、リアルでよく会っている親しい人にしか教えないつもりです。(笑)
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