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こんばんは。 何だか最近、あれこれやっているとブログに手が回らなくなっています。 まぁ、早い話サボリがちってコトですが。(汗) さて一服!ってことで、今日はまた収集品の中からお気に入りのを一枚! 今日のは関西方面の鉋です。 関西では今、三木が伝統打刃物の一大産地として有名です。 しかし江戸末期から明治初期にかけては、大阪も名人鉋鍛冶を多く輩出した産地でした。 今日でも梅一や善作の道具は多くの手道具愛好家の垂涎の的ですが、それより以前は源兵衛や勘兵衛の鉋が人気で、職人の間では「四つ目の源兵衛」「研がずの勘兵衛」と二つ名で呼ばれたそうです。 源兵衛も勘兵衛もそれぞれ色々な作風の作品があり、中には明らかに別人の作と言える物がかなりあります。 これらはひょっとすると、今風に言うところの問屋銘のような物だったのかもしれませんが、いずれもまだ輸入鋼が出回る前の時代に玉鋼で優秀な鉋を作り、後世まで語り継がれるだけの力量を示していたことは間違い無いでしょう。 あの千代鶴是秀も秀逸な職人としてこれらの名を挙げ、「これらは皆私の師匠達です」と語っていた事は有名です。 今日の鉋は「勘兵衛」銘の鉋ですが、これは明治以降の作品で、初期の頃の作者とは別の作者の作品と考えられます。 しかし一部に剥離層状の玉傷はあるものの鋼の鍛えは上手で、玉鋼にしては硬度も十分です。 また地金も古典的な最上質の物で、研ぎやすさにおいては今の和鉄の追随を許しませんし、整形精度も良く現在の産地の作品より薄手の造り込みです。 鉋や鑿作りで名人と称された國弘や義廣も、代が下るにつれ少しずつ力量も名声もが下がっていったことを考えると、後代まで優秀な実力を維持したのは流石だと思います。 尚さんの田村山合砥石・浅黄での研ぎ上がり。 この澄んだ表情の和鉄、これは今ではほとんどお目にかかれません。 よく見ると右のコバは鑿のように鋼が巻かれていますが、これは側面からも叩いてしまったということ。 これは是秀によると鋼の繊維が乱れるため良くないそうです。 実際、顕微鏡で確認すると確かに鋼の繊維が荒れていますが、荒れた部分は耳を落とせば切削には関係ありませんから、荒くも合理的といえる作り方をしていたのかもしれません。 この鉋はヤフオクで落とした物で、私の買物としては珍しく2300円以上と高価な部類でした。
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鉋(かんな)
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色々な鉋(かんな)を紹介。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
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こんばんは。 昨日の風邪は治りましたが、今日はあいにくの天気でフリマは休みになってしまいました。(泣) 入手後、時々修正の手を掛けていました。 頭のマクレは叩いて修正するつもりでしが、鉄の質に粘りが無く、叩くとボロボロと崩壊してしまいます。 この類の和鉄には覚えがあり、房州の豊廣の和鉄はまさにこんな感じです。 そんなこともあって、この鉋も初代〜二代目初期頃の豊廣かと思いましたが、いつもの相談室での鑑定結果は作者不明でした。 確かに豊廣かもしれないけど、義廣かもしれないし、あるいは廣貞かもしれないし、もしかするとそれ以外の作者の可能性もあるようです。 大体この鉋が作られた時代、多くの名工が活躍した頃は、義廣や國弘にあやかってネコも杓子も「弘・廣」の字を銘に使おうとした時代で、千代鶴是秀でさえこれらの名工から一文字もらおうと考えたくらいです(しかし本名が廣・ヒロシだったので、廣にもう一文字弘の字を付けると「ヒロヒロ」とおかしな銘になるのでやめたとか)。 ですので、アゲハの刻印などトレードマークになるような物が何か無いと、どうしても決め手に欠いてしまうようです。 頭を整形しました。 石堂秀一や義廣の大鉋の櫛型の頭を意識しています。 普通の丸い頭でも良かったのですが、立鉋にする計画でしたので、櫛型の方が手の中での収まりが良いはずです。 整形は鑢で大まかに形を作り、金ノコで鑢目を整えています。 鑢目の一本一本を整えるのは思ったよりも大変な作業でした。 そして成形後は錆び付けをし、周りと見比べても違和感の出ない仕上がりを目指します。 錆び付けはわざと赤錆を出す作業ですが、錆びさせようとすると案外錆びてくれず、気の長い作業になります。 砥石で研いでいるときなどは、うっとうしい位に錆がすぐ出てきますが、思うようにはいかない物ですね・・・・・。 台打ちもしました。 短めの台にし、あくまでも掌中での収まりの良さを優先します。 台打ちをしたのは一昨日。 そして昨日表馴染みにエポキシを塗り、今日表馴染みの調整をして、やっと使えるようになりました。 表馴染みの精度が悪くボコボコで、ちょっと台を削りすぎたらあっという間にユルユルになってしまったので、表馴染みをピッタリくっ付ける調整も兼ねて一石二鳥ですね。 この鉋、指摘されて初めて知りましたが、どうやら鋼は玉鋼なようです。
少々鋼の繊維が荒れ気味で、現代鋼なら確実に切れ味が悪くなっているような状態だそうですが、砥石に乗せた感じではイイ感じの手応えの鋼でしたので、使ってみるのが楽しみです。 |
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こんばんは。 ここ最近更新サボりがちでしたが、収穫品は色々と増殖してきていて、あまりにネタが溜まるばかりでもいずれは忘却の彼方へ消え去りそうだし、一度ここいらで備忘録に掲載しておきます。 まだまだ勉強不足なので、説明は簡単に・・・・・。 これは先週、埼玉から来ている業者のブルーシートで見つけた物です。 Cクランプとまとめ買いで一つ400円でした。 この鉋は以前、かじやさんのブログ「鍛冶屋−木工具の今と昔」で掲載されていたのを見て、ずっと気になっていた鉋でした。 一見、どこにでもありそうな普通の鉋の体裁ですが、良く見ると石堂風の矢羽で、細部の作りは丁寧です。 作者は、埼玉県春日部市で仕事をしていた吉川さんという方で、「男盛」銘の鉋で有名な堤さんの系統の、龍進斎悦英の弟子だったそうです。 この鉋の刻印、「ヤマ甚 村山」という銘は埼玉の村山金物の屋号で、吉川さんは他にも悦英銘の鉋も作っていた、よく言われるところの問屋銘専門鍛冶のような鍛冶屋さんだったようです。 手に取って見ると軽く薄手の作りで、全体的には東京鉋面影を残す穏やかな作風です。 機械類を一切使わず、さながら千代鶴是秀のようなスタイルで製作していたことも、作風に影響しているのでしょうか。 名こそ有名ではないものの、腕の立つ職人さんだったそうですが、残念ながら昭和40年頃には廃業したそうです。 この一枚に関しては、どうやら地金は巣のよく散る錬鉄で、鋼は青紙系です。 鋼の硬度は十分ですが、今のところ研ぎ難さは特に感じず、黒幕#1000でザクザク研ぎ下ろせています。 裏はベタ裏ですが、鋼の粘り方、カエリの出方、研ぎ心地など、良い手ごたえで、実用に期待が持てます。 もう一つの道具類での収穫と言えばこれ、知る人ぞ知る秀奴の鉋です。 秀奴は新潟の土田秀三郎氏の銘で、三条の永弘の系統だそうです。 ちなみにいつもお世話になっている、三軒茶屋の土田さんとは何の関係もありません。(笑) あまりの錆びの酷さに、思わず回転工具でガーッとやってしまいましたが、未だ未だ錆が取りきれません。 ちょっと眩暈がします。 知っている銘だから買ったけど、1000円はちと高かったかな・・・・・。 これの地金は釜地か和鉄かちょっと判断が難しいですが、硬めの和鉄かもしれません。 これも研ぎ心地は青紙系の印象で、かなり硬く焼きしめられています。 鋼が大欠けしているので、この欠けを取りきって、刃が付けられるようになった頃には良い切れ味になっているかも? そして最後の写真、これはガマズミの枝です。 我ながら、何でこんなモノ、500円も出して買っているんだろうと思いますが。(笑) 丁度先日、鑿の柄の仕込みで、誤ってとっておきの素材を削りすぎてパーにしちゃったトラウマ、ってところかな。(笑) ガマズミの枝は芯こそスポンジ状ですが、強度はかなり強靭で、ウシコロシ(カマツカ)や捻木などと同様、玄翁や鎌の柄などのほか、杖の素材として利用されるようです。 個性溢れる素材なので、とっておき道具の仕込みに使いましょう。 フリマでは本当は他にもあれこれ買い込んでいるんですが、無くしたのの代わりの手袋や、デジカメのACアダプター、ドリルのビットに、近所のスーパーのコロッケなど、取るに足らないものばかり。
名品、良品はそうそう毎週出るものではないですね。(笑) |
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こんばんは。 今日の記事も先日の一日に紹介した道具をピックアップします。 今日のオカズはこの前鉋でいきます。(笑) この道具を見て殆どの方が、こりゃ一体どうやって何に使うんだ?っと疑問に思うのではないでしょうか。 他ならぬ私自身も、この道具が目黒区にある学芸大学の前の、風呂桶屋から出た品であるということ以外、何も分からないのです。 一見、長い柄の先に反りの付いた槍鉋という、今日の宮大工さんたちが時折使う道具のようですが、刃先が反り返った笹の葉ような槍鉋と比べると、この前鉋は刃のラインも直線的で、まるで首が折れ曲がった繰り小刀のようでもあります。 そして昔の桶屋は必ずこの前鉋を使っていたといいますから、きっと何か曲線部品の荒削りか何かには欠かせない道具だったのでしょうが、多くの桶屋が廃業した今、どのように使われていたのかを知るのは困難になってしまいました。 この道具を見つけたのは、夏も終わりに近い9月28日、毎週習慣的に通っているフリーマーケットでした。 他にも色々気になった道具があったので、4点ほどまとめて店主に、これいくら?と聞くと、最初はいい加減に1000円!とのことでしたが、四つもまとめて抱えていたのを見ると、ああ、500円でいいよということになりました。 一番の期待の星は当然この前鉋ですが、見慣れない切り銘で「石堂」と切られているのです。 石堂といえば元は刀剣鍛冶で、近江国蒲生郡出身で備前国一文字助宗の末裔とされる初代石堂是一(武蔵大掾是一)が、どうやら室町末期から江戸時代ごろに、江戸に移り住んだのがその起源のようです。 石堂家が道具鍛冶に転じるのは、廃刀令後の明治9年(1876)のことで、八代目石堂寿永の時代でした。 つまり石堂の実用道具となると、八代目石堂寿永か九代目石堂秀一、あるいは秀一の弟子で、後に石堂銘を襲名する輝秀の三人が、可能性のある候補なわけです。 しかし寿永や秀一は、「無名の石堂」の二つ名で通っていたとおり、多くの作品を無銘のまま世に送り出していました。 実際は少数の切銘が施された作品や、刻印が捺された作品が確認されているものの、やはりそのような作品は例外と言っても良いほどに少なく、この二者がこの前鉋の作者である可能性は低いので、その弟子の輝秀作か、あるいは偽作ということも十分考えられるわけです。 しかし松村貞次郎著の「道具曼荼羅」シリーズで見た、秀一が作った鉋の珍しい切り銘を覚えており、その写真の切銘とこの前鉋の切銘が似ているところが引っかかったので、輝秀の時代の作品でも、珍品といえるだろうと思い、面白半分で買ってみたのです。 後日9月30日、いつものように土田刃物店で見てもらいました。 肝心の品を手渡すと土田さん、拡大鏡を装着し慎重に観察を始めますが、う〜ん・・・・・ともらすばかり。 心配なので、上記の通り偽物の可能性も脳裏をよぎったことを話すと、 「いや、偽作ではないでしょう」 ―とのこと。 しかし、そうなると今度は秀一作か、もしくは輝秀の代作かに可能性は絞られてきますが、その判断が難しいとのことです。 すると土田さん、突如席を立ち、店の奥に入って行きます。 「おやじちょっと見て」 どうやら先代の一郎さんが見に来て下さった様子。 そしてしばらくの沈黙の後一言。 「石堂ですね」 すると土田さん戻ってきて、 「秀一です・・・・・!」 ―と答えて下ださりました。 土田さんによると、注文された道具なら何でも作ったという点で、千代鶴是秀や石堂秀一らは、言わば野鍛冶のような性格を持った鍛冶屋で、そのレパートリーはかなり広いそうですが、桶屋道具が確認されたのは初のことなのだそうです。 なんとまぁ、最強の野鍛冶ですね!(笑) しかし秀一が仕事をしていたのは、実質石堂を継ぐ明治中頃から大正13年までの短期間で、遺作の少なさはその活動時期の短さも影響しているようです。 そんなこともあってか、この前鉋、先日の削ろう会会報に、土田さんの名文とともに掲載されることになりました。(笑) 土田さんのエッセイ、なかなか面白い内容でしたので、興味のある方にはお勧めです。 鋼は輸入鋼で、地金はスの類が全く見られませんが、鑿などで見られるタイプの和鉄のようです。
砥石に当ててみるとすぐに下り、大変柔らかな研ぎ心地ですが、鋼はとても強靭に焼きしめられています。 青紙などの合金鋼に研ぎ慣れた私には、鋼の数値的な硬度と、砥石に当てたときの砥石当りの柔かさが大きく掛け離れた印象で、硬度が研ぎ易さ・研ぎ難さに、直接的には全く関係無いという事を思い知らされたという意味で、この感触は衝撃的でした。 |
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先日の一日に紹介した道具の内、今日はこの鉋を紹介して見ます。 この鉋は昨年10月12日に、都内のフリーマーケットで見つけた鉋で、面白い刻印が目に留まったので買って帰りました。 この日はいつも見かけるガラクタ業者のブルーシートの上に、普段と変わり映えしない品々に混じって、ポツンと一つだけ、見かけない新顔の鉋が置いてあるのを見つけました。 手にとって見ると「千 藤四郎」の刻印。 当初はまさか本物とは思わなかったので、 「コイツ、藤四郎をかたるたぁ、ふてぇヤロウだ!」 ―と思いましたが、作りはそう悪くもなさそうなあたりが、ど〜も気になります。 是秀の死後には「千代鶴」だの、「是秀之造」と刻印が入った、「運寿」の鉋だのが沢山作られましたが、是秀の偽作鉋も、当初は房州の豊廣が、大変切れ味の良い偽物を作っていたので、この鉋ももし豊廣の作品なら、実用品としては申し分無いと考えました。 店のオヤジに幾らか聞くと、「300円」とのこと。 世田谷ボロ市での豊廣の相場が100円であることを考えると、決して安くもないのですが・・・・・。 そして帰宅後砥石に当ててみると、豊廣で何度か味わった研ぎ味に似た、何とも言い難い研ぎやすさと、鋼の粘り強さを手に感じます。 三日後の15日に、毎度のごとく土田刃物店で、 「豊廣のでしょうか?」 ―と土田さんに見てもらうと、 「いやぁ〜・・・・・、どうだか・・・・・。」 ―と呟くばかりで、是秀の作品の可能性も捨てきれないと言います。 しかし是秀の鉋でしたら、一般的に枠付き藤四郎の刻印は四角枠で、それと比べるとこの鉋の刻印は枠の角がやや丸みを帯びていますし、どこか銘の書体も違います。 結局その日は結論が出ず、 「所持品と見比べてみるので、ちょっと貸しておいて下さい」 ―ということになりました。 そして四日後の19日、再び土田刃物店に行き真贋について訪ねると、 「結論を言うと、本物だと思います」 ―とのこと、思わずえ〜!?と奇声を上げてしまいました。(笑) この鉋、前の所有者によって側面・表馴染みに砥石か何かを当てられ、本来の鑢目や整形精度が失われていたこともあり鑑定は難航しましたが、作風から考えると、是秀さん以外には思いつかないとのことでした。 この丸枠の刻印については、是秀自身は短期間使っただけで、是秀の死後、商標の権利者だった涌井商店の手に渡り、涌井商店が富山の「金山さん」という鉋鍛冶にこの刻印の鉋を作らせたそうで、この鉋の作者は、是秀と「金山さん」の二人が可能性ありですが、金山さんの作風は全く別物らしいので、消去法的に考えると、是秀以外に思い当たる作者は無いとのこと。 よって「豊廣の可能性は全くありません」とのことです。 あらら、見る目ありませんでしたね。(苦笑) この鉋にはsixpenceさんの京都の砥石サミット行きに同行してもらうことになり、そして後日、うめあにさんの手によって、美しい研ぎがされた状態で帰って来ました。 今は特に使う用も無いし、この美しい刃に砥石を当てるのも恐れ多いので、そのままにしています。(笑) しかしこの鉋、どういうわけか片側の鋼が甘くなっており、鋼が付いているのかどうか微妙なことになっています。 幸い鋼が切れているということは無いようですが、元が炭素移行の多い鉋で、鍛接線がボケていた状況で、さらに前の所有者が裏をベタ裏に押しまくるようなことをしたせいで、どうやら脱炭の激しい部分が出てきてしまったようです。
そのため刃幅いっぱいに使うような用途にはちょっと使い辛いですし、もともとかなり使い込まれて丈も短くなってますので、無駄に使い減らすようなことはせず、この鉋でないと出来ない作業、ここぞ!という時のために、大事にとっておこうと思います。 |




