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昨日は皆さんから銘の伏せられた鉋の予想を沢山頂きました。 有難うございます。 あの鉋の正体は斎藤重利でした。 会津の「重」で始まる銘の作者は何十人もいる上、何代か続いた例もあり、 あの一字で見抜くのは相当に見慣れないと不可能だと思います。 例えば重高などは他の誰とも書体が違うので間違えませんし、 重道などもまだ特徴がある方ですが、それ以外の大多数は区別は困難です。 かく言う私も全く誰の作か分からず、重房なら良いな〜と思っていました。 ご覧のとおり、今回のエモノは見るだけで研ぎ難そうと思うような、 左右で刃の出が違う内丸鉋の一種です。 斉藤重利と言えば、最も得意としたのは下駄屋が桐材の下拵えに使う、 下駄屋鉈という横から見ると前挽き大鋸に似た姿をした鉈でした。 これは下駄が一般的だった当時、相当に需要があった品なようで、 遠く大阪の牛尾太郎商店からも大量の注文ううけつつも、 納品が間に合わず前金を返金した―と言う話が残っているほどです。 重利は二代続いており、初代重利は二代目重正に師事していたようです。 この鉋は相当に古い物で、90歳以上になる家具職人が使っていた物ですので、 もしかすると初代作ということも有り得るのかな? この状態では鋼の厚みしか分かりません・・・・・。 そこで平鉋に改造後、ちゃんと研ぎ上げて見てみましたが、 それでも使用素材は現代鋼か玉鋼か区別が付きませんでした。 地金は巣の少ない日本鉄で、鍛接材は使わずに接合したらしく、 地金と鋼の境界線はぼやけています。 整形精度はともかく、もし使用鋼が玉鋼なら重房並に鍛えは上手です。 裏も修正しています。 元の状態では片側だけが猛烈なベタ裏で、もう片側は錆に覆われた状態、 裏鋤が残っていそうな痕跡はありませんでしたので、ためらいません。 さ〜、幅2cmほどの豆平鉋になりました! コレくらいの寸法の豆鉋は一つあると何かと便利ですが、 どんな台に入れるか、構想ばかり膨らんでちっとも手が付きません。(笑)
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鉋(かんな)
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色々な鉋(かんな)を紹介。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
最近やっとソコソコの収集品が集まってきました。
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どうもこんばんは〜。 ここのところ涼しくなってきましたね〜! 私には嬉しいことに、今年は例年と比べると冷夏気味でした。 それでも夏の盛りはやはり暑かったので、鰻を食べたり、 冷たい物をよく飲んだり、色々な方法で夏を凌ぎました。 アイスや冷凍物をよく買う人はよくもらうのではないでしょうか、 ドライアイス。 夏の間は何かともらって来る機会がありますが、 8月の一番暑い時期に大きな塊を入手したので、 かじやさんのブログで見たように、鋼の組織に問題のありそうな鉋で、 涼を楽しむ意味もかねサブゼロ処理の実験をしてみました。 刃全体がマッシロシロスケです。(笑) この鉋、地金の部分に巣だらけで脆い箇所があったのか、 一部の地金が欠損していて、その箇所の鋼の繊維が荒れていました。 どうもその箇所の鋼には力強さを感じなかったので、 この実験には期待が掛かりますが・・・・・? 結果はまだ桐材の切削にしか試していないので何とも言えませんが、 体感的にはやや長切れするようになったかも?です。 明確な基準も無いし、しばらく使っていなかったので、 以前の切れ味も忘れていて比較のしようは無いですが、なんとなく。 この鉋の場合、一番の問題はどれだけ欠けに強くなったかです。 これまで針葉樹の節などでもよく欠けていたので、 そこが改善されていれば嬉しいんですが・・・・・。
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先日の剣鉋、いよいよ調整が終わりました。 もう、ほんっと難し〜! 研ぎも慣れが必要ですが、裏出しに至っては刃角まで関係しているようで、 鈍角にし過ぎると鉋刃が安定しなくなり、叩くとブレてブレて超大変。 通常の平鉋は鉋の頭を下に向けて裏出しするので、 鉋刃自体の重みで重心が安定しますが、この鉋等は際鉋と同様、 刃を斜めに持って裏出しするので、普段頭がある位置に重みがありません。 そんなわけで鋭角になり過ぎないギリギリのところまで刃を寝かせ、 振り下ろした玄翁の衝撃がちゃんと「ドズン」と伝わる角度を模索します。 ただこの鉋の地金は極軟鋼。 ちゃんと衝撃が入っても地金に付く傷が浅く、裏の出は最悪です。 研ぎも硬くて難しいし、中スキ無しでは研ぎ難い。 刃味は悪くない作品ですが、やはり地金は巣のある物が良いですね。 早速製作に使ってみました。 ちょっと扱いが難しいな〜。 狙った通りの所は落とせるんですが、意図する以上に削ってしまったり、 使いこなすまではかなりの練習が必要そうです。
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昨日の記事の続き、現在調整中の特殊鉋です。 ご覧のとおり、ちゃんと刃の角度を整えれば直角の切削ができる鉋です。 刃は剣先のような形状ですが、何て呼び名が付いているのでしょうね? しかし古いくせに地金が極軟で研ぎ下ろすのがかなり難儀な刃で、 裏出しも形状が形状だけにかなり難しい・・・・・。(汗) しかも買って来た当初は刃の角度が100゚以上に開いていたので、 その修正にうんざりするほど時間をかけて、直った!と思ったら、 台直しをしてみてまだまだ修正が不十分なことが分かり脱力。 富岡八幡宮の骨董市で750円だったのだけれど、手入れの手間を思うと、 全〜然、安い買物ではなかったかも・・・・・。(汗) こんな形状の鉋、箱作りのどの部分に使うのかというと・・・・・。 このような蓋との噛み合わせの段差の仕上げ削りに使えそうです。 今はこの作業、毛引きでこなしていますが、毛引きでは傷が深すぎて、 見た目に難があるばかりか最悪強度の低下にも繋がるので、 毛引きで切り込み傷が残らない程度に切れ目を入れてゆき、 最後の余計な部分をこの鉋で削ればすっきりとするはずです。 しかし形状だけでも際鉋を二つくっ付けたような物ですから、 研ぎ上げるのに普通の鉋の倍以上の時間がかかります。 そして左右に刃があるので際鉋よりやはり持てる位置も限られ、 なかなか手が決まり難いですね・・・・・。 まぁ、これを上手に研げるようになれば左右両方の際鉋も上手く研げそうで、 練習としては丁度良い目標かもしれません。
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どうもご無沙汰です。 またブログの冬眠期が来てしまったようで、長期間おサボリになりました。 毎年夏はこんな感じですね・・・・・。 最近図書館にて堤章著「会津の刃物鍛冶-藤井重正の周辺-」を借りたので、 おかげで以前ヤフオクで見つけた鉋の情報が多少分かってきました。 本当はもっと急ぐべきブログネタがいくつもあるんですが、 写真がなかなか満足に撮影できず納得がいく写真がまだできていないので、 とりあえず写真が出来た物から掲載していきます。 今日の記事は以前この記事で少しだけ登場した会津の「重〜」系の鉋、 重光の鉋です。 頭に重と付く銘の道具類は会津の代表的な系統の物で、 かなりの数の作者がいたのでので、ご存知の方も多いでしょう。 この一門は徳川後期、文化〜文政にかけて活躍した刀工兼道具鍛冶であった、 初代重房(若林安右衛門)がそのルーツで、多くの門人が輩出されました。 重光について堤章氏の「会津の刃物鍛冶」で調べてみたところ、 重正系の門人と、重義(松本富次)系の門人に一人ずついたことが分かりました。 そして重正系の重光については詳しく情報が記されていますが、 重義系の重光についてはどうやら全く何の情報も無いようです。 重正系の重光は上述の書籍によると本名を晴山庄一郎といい、 明治42年岩手県九戸群の生まれで、17歳の春二代目重正に弟子入りしました。 そして徴兵検査があったこともあり、20歳で年季明けとなったようですが、 どうもそのまま軍務に付いたという記述は無く、更に東京に修行に出たようです。 後に帰郷し、久慈街で独立開業、主に下駄屋用の刃物を作っていましたが、 売れ行きが芳しくなく農具鍛冶に転向。 ―が、これも振るわず昭和40年に道具屋へと再度方針転換したそうです。 この鉋の地金はどうやら極軟鉄か何かの現代鉄、鋼は輸入鋼のようです。 経験的に、内丸鉋は下駄屋道具に混じって見かけることは殆どありません。 どちらかというと建具や指物用の木工道具に見られることが多く、 大工用としても時々見かけます。 ということはこの重光は上で能書きを長ったらしく書いた重正系ではなく、 重義系の重光の作と考えるべきなのかな?とも思ってしまいますが、 銘を見ると重の字の縦線を上まで通しきらない、いわゆる「里重」なので、 本家重房より派生した重正系で間違い無いと分かります。 重正は本家重房(若林安左衛門)系で、重義は分家(若林猪之吉)系ですから、 重の一文字を見れば系統ははっきりします。 まぁ、下駄屋道具を主に手掛けていたとは言っても、 実際には頼まれれば大工用の道具なども手掛けたでしょうからね〜。 この鉋、甲の鋤き具合が深く、全体の作りも極めて薄めで手に持つと軽く、 いかにも会津鉋!って感じの作りです。 刃先近くの厚みは3mm強、頭の厚みも最も厚い部分でも5.5mmもありません。 難を言うと刃味がやや甘く、鋼の厚みも少々厚めなのが目に付きますが、 ちょっとテストカットをした印象では軽い感触の引き応えで、 やっぱり会津鉋は甘くても切れんるんだな〜と感心しました。 それにしてもこうして昔の鉋を1000円で試したりできたり、 ヤフオクってホント便利ですね〜。(笑)
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