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この鑿は10月の終わりごろ、いつものフリマで見付けて来た鑿です。 当初は錆が酷かったため、ボンドパックを数回繰返し膨れ上がった錆を落としました。 東京鑿で有名な左市弘の刻印を見慣れている方が見ると、「アレ?なんだか似ている刻印だぞ?」と思うかもしれません。 それもそのはず、この市次は元々中野の左市弘さんの所で働いていた職人さんで、後に独立し市次と名乗るようになったそうです。 この市次という職人さん、本名は誰でどこに工房を持ち何年間活動していたのか、恥ずかしながら私は全く知らないのですが、残された作品を見ると流石に左市弘の弟子だけあって実に丁寧な仕事をしていたことが分かります。 この鑿は建具屋さんなどが使う向待鑿とか建具屋鑿と呼ばれる種類の鑿で、主に建具の正確なホゾ穴を掘るための専用道具です。 そのため、通常大工さんがよく使う種類の叩鑿や追入(大入)鑿よりも造形の正確さが求められる鑿で、作者の成形力を見るにはうってつけの鑿でもあるわけです。 しかし現在ではホゾ掘りの仕事も機械にその役を奪われ、今では全く使われなくなりました。 そのため、ある知り合いの建具屋さんは古物市で名品の向待鑿を見つけても「使わないし」と言って買わなかったそうですし、また別の知人はそんな性質上古物市でよく目にする鑿だと言います。 私の実感としては、そこまで名品の向待鑿に出会う確率は高い気はしないのですが・・・・・。 それにしても、確かに私も自分の作業用としては使わない幅なので、買うかどうかちょっと迷ってしまいました。 この鑿の幅は二分五厘ぴったりで、私の向待鑿の唯一の使い所である鉋台の押さえ溝のサライには太すぎるのです。 他の大入鑿とかなら色々な幅の物を使うので、どんな幅の物を買っても一生使わないってことはまずありませんが、向待鑿だけはそうは行きません。 やはり特定の幅のホゾを掘るための専用道具―という感じが強いように思います。 まぁ、買っても使い道が無いことは分かっていたんですが、使われなくなったけど良品って気の毒な印象もあるし、たったの500円というので結果的にはこうして買って帰ったわけですが。(笑) 鋼の巻き具合は今の鑿らしくやや厚めで、大昔の鋼が貴重だった時代の名品道具と比べると少々ヤボい印象もありますが、それでも結構上手い部類ですね。 左右の巻き具合も均一ですし、鎬面全面に対して鋼の比率が大きすぎるということも無い。 そしてなにより、鋼の色も冴えていて十分な硬度があります。 やはり優秀な職人さんだった事が分かりますが、惜しいことに師匠の左市弘同様、市次も廃業してから何年も経っています。 向待鑿はもう今後は需要は無いでしょうが、もし仮に作ることがあったとして、優秀な内容の向待鑿を作れる職人さんは全国に何人残っているでしょうか。
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鑿(のみ)
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こんばんは。 今日は運良く昼下がりまで雨が降らなかったので、午前中はフリマに行って来ることができました。 とはいえ収穫があったワケではなく、刃だけの釿(チョウナ)がゴロゴロと並べられており、一つ2500円と言われて高いな〜とそのまま帰って来てしまったのですが。 さて今日の本題です。 写真の鑿、以前大和骨董市で見つけて来た古い鑿ですが、その後柄を仕込んで突鑿として使っていましたが、やはり時々叩いて使うので、桂を着けることにしました。 まずは柄を挿げる工程から。 このように薄赤の白樫材を切り出し、いつもどおり鉋で削り出して形にします。 この樫材は元の状態では木目が斜めに通っていて、この方向のまま使うと木目通りに折れる可能性が高いです。 そんなわけで、ロスが多く勿体無いなとは思いつつも、木目に合わせた木取りをします。 突鑿としては、一応これで完成です。 ここまでは随分前の話・・・・・。 これで叩いて使うとしても、ある程度の強度は確保できます。 しかし突鑿として使うならともかく、やはり玄翁で柄を叩くとこれだけでは柄自体が割れる恐れはありますし、良くても柄のお尻が欠けてくるようなことは十分にありえます。 ですので飾り程度の意味しかないかもしれませんが、やはり桂を着けたくなります。 というわけで一昨日、寝る前の空き時間に桂を着けました。(笑) しかし和鉄がイイ色に錆びて馴染んだこの鑿に、最近作られたばかりの錆一つ無い銀色に輝く口金や桂は、似合うかどうか難しい。 たしかに口金も桂も、銀色ピカピカの物でも仕込が正しく行われていれば、古い身と新しい部品のチグハグ感が、かえって実戦道具の凛とした表情を醸しカッコ良くなることもあります。 ただ、単に道具として仕込むだけでは満足せず、古い道具の面影を残したいという欲が追加されると、どうしてもそれなりの年月を経てイイ錆色になった口金・桂が欲しくなります。 とはいえ、口金は径が合う物を探し出すのも大変なので、これまでは妥協して新しい物をそのまま使っていました。 一方の桂は、もし古いイイ色のが手に入れば口金も色付けをしてマッチングし、どうしても手に入らなければ、口金も桂も銀色のまま使うつもりでした。 幸い、古物市で色々な鑿を買い込む内に手頃な色、径の桂が手に入りましたので、それなら―と口金を炙って色付けすることにしました。 色付けが終わった口金です。 ガンブルー液で染めたような青味の強い皮膜ではなく、もっと真っ黒い色に染まりましたが、ここにちょっとした技というものがあります。 元々が磨かれた状態の鉄をそのまま加熱すると、どうしても青っぽくなってしまい、銀色のまま使うよりは見た目は馴染むものの、やはり不似合い感が払拭できません。 そこで、「どうやって青くない皮膜を作るか」という課題に直面していましたが、昔の柄挿げ職人さん達の知恵は素晴らしい物で、加熱した鉄を絹の布などで擦ることで、「焦げの黒」を焼き付けていたそうです。 「焦げの黒」とは、実は以外に身近なもので、例えばグリルの金網やフライパンなどに付く、あのしつこくてなかなか洗い落とせない焦げの色なのです。 絹の糸は元はと言えば、蚕の幼虫が生成した動物性のたんぱく質。 なるほど、肉のように良く焦げ付くわけです。 ご覧のように、口金の裏側は焦げを付けなかったため、青っぽい色のまま。 私のやり方はコンロで口金が赤まる直前まで加熱し、そこに巻物状に巻いた絹の布切れをペンチなどで挟み、火傷をしないように擦り付けます。 理想的な温度で擦れると、絹が樹脂繊維のように熔けて口金の表面で沸きながら焦げ付きますが、温度が高すぎると絹の布が発火してしまうので、このあたりは火傷しないように注意します。 ただ、布が発火してもずっと擦り続けているといずれ火も消え、時間の経過と共に理想的な焼付けができるところまで温度も下がるので、作業自体は失敗するような心配はありません。 これで身、口金、桂の全てがシックリくる色合いになりました。 やはり桂が着くと、柄の長さ・細さが際立って見えるようになりますね。 桂が無いと、なぜか視覚的に空間認識が難しくなるようで、柄が太めで長すぎるような印象になってしまうのが不思議ですね。 これが焦げ色を付けた口金との色の違い。 明らかに違うのは誰でも分かりますが、それでも違和感は然程感じないマッチングです。 それにしても、今回はなんだか実用的な機能には影響の無い部分について、異様に頑張っているような感じの記事になってしまいましたね。(笑) でもカッコイイ・悪いという要素も、明らかに道具を使っていく上でのモチベーションを左右しますから、装飾的とまでは言えない程度の範囲であれば、やっぱり使用者の感覚的な部分に響いてくるような仕込みをしたいですね♪
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こんばんは。 なんだかこのところ、夏バテのせいか暑さのせいか、道具の調整などが全く進まず、ブログに載せるような写真が全然ありません。 そのせいか食べ物の記事ばかりに偏っていましたが、道具の記事書いてよ〜って声もあるので、今日は久しぶり鑿についての記事です。 とは言っても、コケた経験の記事ですけどネ。(笑) 写真の鑿は随分前に前ヤフオクで落とした鑿で、もう記憶が定かではないんですけど、確か3700円位まで競ったような・・・・・。 銘は助國で、刻印も本物のようなので落札しました。 助國といえば新潟・与板出身の機械鍛冶から転身した工人で、向待鑿など精度を必要とされる道具作りで抜群の評価を得ていた名工です。 ある所にはあるようですが、なかなかお目にかかったことがありませんでしたので、思いっきり博打に出ましたが、コレは思った品ではなかったようで、助國の親戚に当たる西山さんという方の鍛った鑿だそうです。 「助國」銘はごく早い時期に商標登録されたため、無関係の他人が作った偽物は殆ど無いそうですが、商標条例の下で合法的に作られた別人の作品は沢山あり、鑑定は非常に難しいです。 また弟子筋には、師匠譲りの高精度な技術で向待鑿などを鍛っていた新潟の名工「久国」や、同じく新潟で、今日もハイス鑿を作っている助丸の先祖、初代助丸などがいますが、残念ながら助國の銘を引き継いだ職人の中には、技術的な後継者と言えるような存在は現れなかったようで、事実上、「助國」は一代限りのただ一人とされているようです。 したがってこの鑿、ニセ物でもなく、かといってホンモノと言えるかといえばそれもNOという、きわめてその位置付けが曖昧な品なようです。 首周りの鑢使いなどは非常に丁寧で、綺麗な仕事がされているのですが・・・・・。 このコミを見て「あ゚ぁ〜、やっちまった!」と思いました。 並の鑿からするとこれでも十分な出来なのですが、やはり名人の仕事と言うにはコミがやや細いし、極めつけにはウラスキも回転工具による仕上げでした。(泣) ホンモノでないなら、3700円はどうしようって値段ですが、いつもの相談室で、 「まぁ使えばいいじゃん。今時3700円で叩鑿なんて買えないよ?」 ―とフォローされ・・・・・、うーん。(汗) キィー!こうなったら思いっきし使い倒したるわ!Щ(`Д´Щ#) そこでまず、こんなちんちくりんだった柄を―、 こんな感じで、定法どおりの寸法のに打ち直しました。 叩鑿は未使用の状態で、柄に挿げられた全体の長さが一尺になるように作るのが、どうやら決まりのようです。 また柄の径も以前より細く作り、衝撃の伝達に無駄が無いようにしています。 ・・・・・で、既に鉋の台打ちなどに使ってみたんですけど、重量分のパワーはあるものの、刃が甘いのか切れ味はそれほど光る物を感じません。 刃持ちも良くないので、刃先を二段刃に研ぎ鈍角にして何とか使っています。 あ〜ぁ。 本物の助國使ってみたいなぁ・・・・・。 いや、もっと欲を言うと助國だけじゃなくて、國秀、カッコウ正光、正芳など、向待鑿の名手とされた名人達、そのオリジナル全てに興味があります。(笑)
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こんばんは。 ここ数日、すっかり暑くなってきましたね〜! 今日の全国での最高気温は39度以上を記録したようですし、外ではセミの鳴くのが聞こえます。 先週末のフリマの日も、似たり寄ったりの暑苦しさで大変でしたが、イイ物を二つも見つけて来れて、Alcesどんは別の方に熱くなっているようです。(笑) 写真の鑿がその内の一つで、誰が作った作品か検証は出来ませんでしたが、首の長さの設定、マチのテーパー、裏の面の角度、どこを取っても素晴らしい内容の作品だと思います。 買って来た当初はいつの時代の作品か分かりませんでしたが、研いでみるとスの確認できる上質の和鉄に玉鋼の組み合わせで、肩はダレて鋼も穂の途中までしか着いていない、典型的な古い作りの鑿です。 また裏面のアールに合わせた鋼の巻き方が大変綺麗で、しかも玉鋼にしてはしっかりとした高度があり、鍛冶技術のレベルの高さが伺われます。 一応首の所に刻印はあり、なんとなく「キ文字」の刻印にも見えるものの、コミのボリュームが見たことの無い作風でしたので、キ文字とは違うのかと思いましたが、キ文字の作品にもこういうコミの物もあり、結局検証はそこから先には至りませんでした。 コミの形状としては、オベリスク型よりもさらに古風な錐型で似ていないことも無いので、もしかしたら近い技術者の作品なのかな? ところでこの鑿自体の作りとは関係無いですが、使い手も上手だったのか、私の印象では柄の挿げ方もなかなかに上手いと思います。 細く長い作りで、玄翁の衝撃を刃先に伝えるには申し分の無い姿です。 それに刃がかなり使い減っていることを思うと、元々はさらに長くスリムな印象だったはずで、近年よく見る太く短いゴロンとした印象のとはまるで別物です。 コミの太さがほぼ一緒だったので、お遊びで先日の鑿もスポッと。(笑) この鑿もマチの太さ、首全体の長さがほぼ同じなので、やはりカッコイイ印象の姿になりますね。 それにしても初めて知りました・・・・・。 丸鑿の裏って、光の当たり方が微妙で、写真を撮り難い! カイサキの位置が分かる写真を取りたかったのですが・・・・・。 結局ピンボケ。 刻印については、これが一番良く撮れた写真。 ね?何となくキ文字っぽいでしょ。(笑) この鑿は日曜日のフリマで300円で買って来ましたが、もう一本、土曜日に2000円で買って来た名工の鋸もあります。 そっちは、うーん・・・・・。 |
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昨日に続き、肩のダレた古い鑿―に見せかけた、古い時代の鑿に倣ったと思われる鑿についてです。 今日は徳川時代の鑿と比較してみます。 左の徳川時代の鑿ですが、関西系の鍛冶屋さんの作品と思われますが、面白いことに肩はイカリ型ではないにしても、首との境がハッキリとしています。 そしてカイサキについては肩にも達していません。 キ文字の鑿などは肩どころか、鋼が穂の半分までしか着いていなかったりするそうなので、古い鑿ほどカイサキが肩から遠ざかる傾向があるのかな? そしてコミの形状です。 手前はダレ肩の現代鑿、奥が徳川時代の鑿。 奥のはオベリスク型というよりも、もはや錐形と言っても良いほどです。 それに比べるとダレ肩の現代鑿は、見る角度によってはオベリスクっぽいアングルもあるものの、全体的には國弘以降の時代の砲弾型に近い印象です。 全体的な印象としては、やはり東北系の鑿に似ている気がします。 特に以前人に見せてもらった、会津で重房に師事した後の吉房が近そう。 まぁ、誰の鑿がモデルだったのかは分かりませんが、いずれにしてもこの鑿も東北から出てきたので、作者も地方柄、重房や吉房、三浦一族の鑿などを見る機会があったのでしょう。
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