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JAZZな家造り(^^♪
尼崎市空家活用アドバイザーになりました。

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自邸は平成6年、阪神淡路大震災の半年前に竣工した二世帯住宅です。
当時は二世帯同居型主流でしたので、変わった二世帯住宅ということで、
ハウス雑誌に3回ほど掲載されています。
−内2回は、書店に長期間置かれる雑誌特集本(ムック?)です。

これは、その自邸の誕生に纏わるお話です。

イメージ 1
『ARC3391の自邸(二世帯住宅)の竣工時の写真』

田舎育ちのワタシは、自分が大都会の中心に庭付き一戸建住宅を建てて住む
ことになるとは夢にも思っていませんでした。

大学院を修了後、大阪の有名な建築家の設計事務所に就職しました。
給料は少ないことを事前に言われてましたので、覚悟はしていましたが、
先輩たちの手取りを聞いて、一生貧乏人だろうなぁ…と思っていました。
−他人の家は設計しても、自分は一生借家住まいだろうと思い込んでいました。

そこで5年くらい修行し円満?退職したあと、一般的な事務所に
再就職し給料は1. 5倍くらいにはなったでしょうか?
−元が安いので大した金額ではないです。

今度は、仕事が面白くありませんでした。

建築士会のヨ−ロッパ都市・建築視察団に参加する機会があり、
そこで本物の建築に触れ、日本で建築するのがアホらしくなり、
その会社は2年で退職しました。
もう建築やめようかなぁ…でも、最後にヨ−ロッパに1年くらい
放浪の旅でもして…などと考えていました。
−全くのノ−プランで、労働意欲はゼロ。とにかくボ−ッとしていました。

ところが…
以前の会社での取引先から「会社辞めたらヒマやろ!バイトしてくれ!」
という話がいくつも飛び込んできて・・・
ヨ−ロッパを放浪するのにお金は必要なので仕事を受けることにしました。

そのうち、手が空けば自分の仕事もしていいという条件で某事務所に詰める
ことになり、日中はその事務所に詰めて、夜は自宅で自分の仕事をこなす
という状況になり、失業者がサラリ−マンの2倍働くハメになりました。
−図面のバイトではなく、計画・デザイン作業です。
 時間給(時給2000〜2500円)なので、働けば働くほど収入は増えていきます。

初めて失業保険をもらいに職安に行き、正直に仕事状況を提示すると、
アンタ、失業者ちゃうよ!普通の人の倍仕事していると言われ、一円も
くれませんでした。
−…ヒドイ国です。失業者は誰でももらえると思っていたのです。仕事状況など
 正直に申告しなければ良かったのです(涙。

収入は辞めた事務所の給料の3倍以上になっていたと思います。
(一生、貧乏だと覚悟していたのですが…ちょっと様子が変ってきました。)


・・・続く。

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