ここから本文です
JAZZな家造り(^^♪
尼崎市空家活用アドバイザーになりました。

書庫全体表示

「子供の世話には絶対にならない。」by 私の母

「それぞれが自立し、関与しないよう・・・」by 妻の母

人間とはいい加減なものである。

若い頃には、体力に自信もあり結構人との関わりについては
こと「家」に関しては排他的である。

しかし、歳をとるにつれ、心境の変化がどうしても起きる。

「家」は家族が共同で生活を営む場であり、
主に直系の血縁関係のある人々によって構成されるところの社会的最小単位である。

故に、直系の血縁の無き者を排除した空間でありたいと思う。

しかし、ライフサイクル変化により、子供が自立する頃から家族数が
減少する場合それまでの排他的「家」の概念が変容してくる。

田舎で一人暮らしをしているお年寄りの心境はわからないが、
自分の親たちを見ると、その言動の変化に返す言葉に詰まることがある。

恐らく、自分が老人になってもそうなのだろう。

あの世に近づくにつれ、もし、
近所との付き合いもない状態で孤独な独居老人だとすれば
「家」は外に対して排他的でいられるだろうか?

別に暮らしに困るとかの経済的な理由ではない。

ただ、昔と違い孤独であることが耐えられなくなるようだ。

私は、妻の親と完全分離型二世帯住宅を建てたので、
その気になれば一日中、顔を見ることもない。

向こうの親も、ワタシを義理の息子というより、たまたま、
自分の娘と結婚した他人くらいの気持ちかもしれない。

お互いに気兼ねせずに必要な時にケアできる関係・・・だったのだが、
親世帯のどちらかが亡くなると心的変化が起きてくる。

要するに1人が「サミシイ」のである。若い頃、孤独を楽しむ人でも、
孤独と死を結びつけるとちょっと怖くなるのかもしれない。

誰にも気づかれること無く、一人家で死んでしまう・・・。

もし誰かがそばにいれば助かるかもしれないのに、
苦しみながらノタウチ廻りながら迎える死の恐怖…

そうなると「家」は「外(世間)」から閉ざされることを好まない。

一つ屋根の下、プライバシ−は守られながら適度な人との関わりを
持てる老後、それが他人であっても、そういう状況にあることは
老人にとってはありがたいことなのではないだろうか?

人と関わる部分が日常にあるから孤独も楽しめるのだ。

煩わしい他人との関わりも、生きる上では必要なことなのかもしれないと思う。

最近、妻から言われて、隣の義母はウチで晩御飯を食べることになった。

どちらかというと犬猿の仲であるので、個人的にはあまり口を利きたくない。
(もちろんそれを表面に出すことはない。)

義母はプライドの高い人なので、こういう状態は屈辱的なはずなのだが、
私とも関わりを持とうとしてくる。

何とか仲良くなりたいと思っているのだろうが、正直迷惑だ。
やたらとナニカ用事を見つけては子世帯にやって来る。

田舎のワタシの母にしても、昔のような強さはない。
やはり一緒に暮らす妹に気持ちの上ですがっている。

それは、家の中に他人を引き入れるものではないが、

生きていくのに必要な他人との煩わしさを感じさせない程度の
適度な他人との関わりで、他人と共棲する家造りがあっても…
良いのかもしれない。




この記事に

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事