僕とチータのジャズ日記

お久しぶりです、オダギリです。まだ生きています!

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小説「星の日の丘で」


ニューヨーク・トリオ「Star Crossed Lovers」
 
 
 
僕はまたこの丘に来てしまった。
自宅から歩いて30分と少しの、見晴らしのよい小高い丘。
僕の住んでいるところや、その向こうの町のほぼ全部が見渡せるところ。
天国へと旅立った女房も好きな場所だった。
七夕の日には二人とも決まって休みを取って登り、
夜空に星が瞬くまでいて、織女星と牽牛星を眺めた。




その女房の翔子もすでに亡くなり、僕だけがこの町に取り残された。
妻がこの世を去ってからこの方、僕には結局何も残っていない。
子供はいず、貯えを失い、友人を失って、今度は仕事を失いそうで、
今は何ひとつ残っていない。
家はアパートで賃貸だから資産ではなかった。
いなくなった翔子の面影だけが、僕の胸に追憶の淡い痛みを残していった。





「なあ、もう死んでもいいか?」と、今しがた登った丘の上から翔子に問うてみる。
夕日がほんのりと空を染め始め、丘一帯を照らしてくれるのはいいが、まだ少し眩しい。
木々から零れ落ちた夏の太陽の残照が、僕に容赦なく降り注いだ。
女房が亡くなってからの時間がとても早く感じられるのはなぜだろう。
あとは自分の肉体が消え去るのを待つだけだ。
そうすると、きっとあの空で星になって、また翔子に会える気がする。
まだ38歳だというのに、最近の僕は早く天空への階段を登りたいと思うようになった。




「やあ!」

丘の上で暫し休んでいると、僕の来た道とは反対の道から紗枝が顔を出した。
ちょうど一年ぶりの再会。
死んだ女房の妹である紗枝も毎年七夕の日にこの丘にやってくる。
僕の住んでいる所とはなだらかな山を挟んで真反対の町にある実家に、
彼女は両親と一緒に今も住んでいた。
私たちは毎年7月7日にここへ登ることに決めていて、今年ですでに3回目。
翔子の亡骸を播いたこの丘の上で、二人してささやかな供養をするためだった。
僕はワンカップに詰めたお酒を、丘の斜面を歩きながら満遍なく降り撒いた。



翔子が死んだのは奇しくも3年前の七夕の日だった。
その日はまだ梅雨が明けていないにもかかわらず快晴で、
僕は寂しい通夜の終わった家の窓から一晩中明るい星を眺めていた。
そのとき僕の心の中には、仰ぎ見た天の川のように
女房との思い出の川が流れていた気がする。
ただ、さらさらあわあわさらさらあわあわと・・・。




「義兄さん・・・」

「うん?」

「私・・・、結婚することになったの・・・」

「それはよかったじゃないか。おめでとう。で、相手は?」

「市役所の福祉課の人」

「そうか。で、式はいつだ?」

「来年の6月・・・」

「そうか・・・。それはよかったな・・・」


僕は煙草を燻らすのをやめ、ベンチの隣に座る紗枝の横顔を眺めた。
顔には薄らと汗が浮かび、健康的な肌を太陽が紅く焦がしていた。
初めて会った頃と比べると紗枝は随分と大人びていた。
僕たち夫婦が出会った頃、紗枝はまだ高校を卒業したばかりだった。
女房の翔子よりも6つ年下で、比較的大人しかった翔子とは正反対の、
勝ち気な性格をしていた。




「姉さんが生きてたらなんて言うかな・・・」

「そりゃ、おめでとうって言うさ」

「そうかな・・・」

「そうさ。ほかになんて言うんだ?」

「でも・・・」


紗枝は言葉を濁した。
何かが彼女の口先から言葉になって出ていくのを拒んでいた。


「義兄さんは・・・、姉さんが妻子ある男性とつき合ってたのを知ってたの?」


その言葉を彼女が紡いだあと、私たちに長い長い沈黙が流れた。
僕はなかなか口を開かなかった。


「ああ・・・、知ってたよ・・・」


僕がそう言うと、きっとした表情でこちらに向き直り紗枝は言った。


「じゃあ、じゃあ、なぜ会うのをやめろって姉さんに言わなかったの!?」

「・・・」

「私、言ってやったのよ姉さんに!」

「・・・」

「別れなさいって! いくらなんでも義兄さんが可哀想だからって!」


僕は再びの長い沈黙のあと重々しく口を開いた。
 
 
 
 
 

「相手の男・・・、ガンで余命幾ばくもなかったんだ・・・」

「!?」
 
 
 
 
 

僕は、じっとこちらを見ているだろう紗枝のほうを向かなかった。
そして、目の前の斜面に生い茂る木々の濃い緑へ、静かに視線を留めていた。


「それに・・・妻子ある男性というのは間違いで、その男に妻はいなかった・・・」

「えっ!?」

「奥さんは交通事故で早くに亡くなっていた。だから小さな娘さんが一人だけだった・・・」


再び二人の間に長い長い沈黙の時が流れた。
僕はもうそれ以上のことを紗枝に言う必要がなかった。
紗枝は一瞬言葉を失った。が、ぽつんと僕に訊ねた。


「いまでも姉さんのこと愛してる?」


唐突に紗枝はそう訊いた。
僕たちは遥かむこうに見える町並みを見下ろしたままだった。


「ああ」


僕は正直に答えた。
「そう・・・」と、紗枝は遠い眼をさらに遠くして言った。
その男と何かあったのだとしても、僕はいまでも翔子が好きだった。



森の微かなざわめきとともに、
星たちを引き連れた闇が私たちを包むように舞い降りてきていた。
僕は紗枝と別れる前に一言付け加えることにした。


「来年は旦那さんもいっしょだな」

「ううん、彼は連れてこない。だってあの人は姉さんのこと知らないし・・・」

「そうか・・・」


私たちはそれ以上言うこともなく帰り支度を始めた。
汗を拭いたタオルをザックに詰め、水のペットボトルをその上から押し込んだ。
サブザックを背負った時、紗枝がわざと弾んだ声で話しかけてきた。


「義兄さんは? 再婚しないの?」

「ハッハッハ! できるわけないさ。翔子の前でそういうこと言うなよ」


僕は相好を崩して笑い、紗枝の肩をぽうんと叩いた。
彼女も少しだけ笑った。
僕たちは「じゃあ」と言い合い、もと来た麓へそれぞれ下っていった。
お互いを振り返りはしなかった。
紗枝が荒れた山道の草を踏みしめる音が次第に遠くなっていった。
宵の空に織姫と彦星がすでに顔を覗かせていたことを、
二人はともに知らぬままだった。




小一時間で、僕はまた薄暗い3DKのアパートへ帰ってきた。
そして翔子の部屋だったエンジ色のカーペットの張ってある六畳間へ行き、
丘の供養のことを遺影に向かって報告した。


『今日、あの丘に行ってきたよ。紗枝ちゃんと会ってきた』


そう言うと、台から線香を摘んで火を灯した。
揺らいで立ち上る煙のむこうに、翔子の微笑む顔が見えた。
その遺影をじっと見つめていると、『女房はまだ生きているのではないか』という
不思議な感覚に囚われた。
一見すると無機質に見えるモノクロームの写真が、
とても強く何かを語りかけているような気がしてならなかった。



(あなたは私よりも星のほうが大事なの? 私<星 なわけ?)
(星と君とを比べられないよ)
(でも、あなたって、なんだかいつも星のことばかり考えてるから・・・)
(そんなことないさ。君のことも考えてるよ)
(結婚前に父さんが『あんな男やめとけ』って。
 文化センターのプラネタリウムの職員なんて、
 そんな星のことにしか興味のない男、やめとけって。そう言ってた)


翔子は生前僕にそう言ってクスクス笑っていた。

――そんなことを言い合ってたな、俺たち・・・。

僕はお供えのご飯を台所から持ってきて、少しのお酒と一緒に遺影の前に置いた。



(星がきれいだよ)
(ホントねぇ、すごいわね〜)
(一番上のほうにベガがあって、それからその右斜め下がアルタイル)
(あ、あれ?)
(そう。そして、もうひとつ左のデネブを加えたのを夏の三角形というんだ)
(ふーん。でもすごいなぁ〜星の輝きって・・・)



僕たちは初めてあの丘に登った時、夜空の下でそんなことを語り合った。
そのとき、既に翔子が件の男性と交際していたのを、僕は知る由もなかった。
僕が不倫に気づいてから2か月足らずでその男は死に、
翔子自身もその後まもなく病気で他界した。
僕には彼女を憎むことも罵ることも暴力を振るうことも離婚を切り出すことも、
何もかも遂に実行することができなかった。
そんな余裕さえも与えない翔子の突然の死であった。






>>着信<<


食堂のテーブルに置いたままの携帯にメールが届いていた。
さっき丘の上で会ったばかりの紗枝からだった。



>義兄さん。
>いままで本当にお世話になりました。
>これからも年に一度だけ七夕の日にあの丘で会いましょう。
>私たち血は繋がってはいないけど、いつまでも兄妹です。
>そのことをどうか忘れないでください。



そのあとかなり改行してあり、画面に大きな空白ができていた。
スクロールしていくと、やっと何かが書かれている行にたどり着いた。










   ☆義兄さんのことずっと好きだった愛してた本気だったでも言えなかった嘘じゃない!









僕はいったいどう返信しようかしばらく思案に暮れた。
何と打てばいいのか言葉が見つからなかったし、
彼女の想いで少年のように胸が熱くなって少しだけ手が震えた。
僕は文章を打ち込むために、やっとの思いで親指を動かした。



>紗枝ちゃん、幸せになれ。
>あなたの気持ち、大事に胸にしまっておきます。
>また三人で星の日にあの丘の上で会おう☆



僕は打ち終わってから今度は躊躇なく送信ボタンを押した。
紗枝からの返事はなく、
私たち二人はその後メールのやり取りをすることもなかった。




僕の勤め先のプラネタリウムはこの8月で閉館する。
昨今の原油高で施設の維持にコストがかかり過ぎていた。
僕は翔子との思い出のアパートを引き払い、福岡県にある星野村へ向かうつもりだ。
村の名前に「星」がついていたからという、ただそれだけの理由で――。
何のあてもなく勿論身寄りなどなかったが、どうにかなるさと腹をくくった。
来年の七夕にはここへ戻ってきて、またあの丘に登ることにしよう。
星の舞う丘で静かに眠る翔子と、
そして「好きだよ」と言ってやれなかった紗枝に会うために・・・。




<了>(過去記事の再掲載です)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
☆皆さん、お元気ですか? 暑さ厳しい折、どうかご自愛ください。
 こちらときおり大雨が降り、大変です(汗)
 

閉じる コメント(6)

オダギリさん、お久しぶりです^^この時期はいつも載せてる小説でしたよね(?)
こちらは今日からしばらく雨模様です。オダギリさんもお体ご自愛くださいね^^

2011/7/8(金) 午前 9:48 nagisa

nagisaさん、お久しぶりです。お幸せそうで何よりです。
星の日にちなんだ小説を何篇か書きましたが、
これもその中のひとつです。
年明けからこれまで小説を書く暇なんぞまったくなく、残念でした。
でも、これから11月ぐらいまでは少しは暇が取れそうです。
またつたない小説でも書いてみたいものです。

こちら本日お天道様が顔を出しています。
このまま梅雨明けしてくれると助かります。
どうかよい休日をお過ごしください♪

2011/7/9(土) 午後 2:41 オダギリ&チータ

顔アイコン

おはようございます。やはり「叶わなかった恋」の物語は良いです。叶わなかったからこそいつまでも想いが消えないですものね。ぽちっと。

2011/7/10(日) 午前 6:58 やま

yama兄さん、おはようございます。
叶わなかった恋は物語になりやすいですね。
そして、たとえ叶ったとしても、いつかはダメになるのが恋です。
いっそ恋、しないほうがいいかもしれません(笑)。
いつもありがとうございます。
そして傑作もありがとうございます。

2011/7/10(日) 午前 8:20 オダギリ&チータ

はじめまして。

以前西岡恭蔵さんの「プカプカ」大好きで、検索していたらこちらのブログに出会いました。

それから、今日訪問してみました。
とてもすてきな心惹かれる物語でした。

これからもちょくちょくおじゃまさせていただいていいですか?
又、こちらにもお出かけ下さい^^:

2011/7/13(水) 午後 3:01 おっちょこちょいの パンダ

パンダさん、はじめまして。
「プカプカ」ですね、私もとても好きな曲です。
ここは本来ジャズのブログなのですが、
時々他のジャンルの曲も紹介しています。

そして小説、読んでいただいてありがとうございます。
お気に召したら書庫「ショートストーリー」もどうぞ♪
もちろんまたご来訪ください。

おやすみなさい。

2011/7/14(木) 午前 1:54 オダギリ&チータ


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