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      仮想通貨についての意見書                                                                                                                             平成30年7月20日
意見の趣旨
 資金決済法を改正し、発行者等によりほぼ一定の価格に固定されたものを除き、仮想通貨の流通を禁止すべきである。

意見の理由
1.理由の要旨
   ビットコインその他仮想通貨で、発行者等によりほぼ一定の価格に固定されたもの以外(以下ビットコイン等という)の流通は、禁止されるべきである。ビットコイン等は通貨としての効用はなく、その取引の実態は賭博でしかなく、その流通を許すことは反社会的だからである。
   ビットコイン等は乱高下する。ビットコイン等の乱高下は、それが投機対象であることからその宿命であり、価格が安定し、支払いや送金手段として問題がない状態になるということは考えられない。よって、通貨類似のものとしての存在価値はビットコイン等にはない。
   一方で、永久に値上がりを続けない限り、株式などと違って配当等を生まないから、ビットコイン等の売買による儲けは別の参加者の損失により賄われる。結局、値上がりする前に買った者が、値上がりした後で買った者の損失により利益を得る、という構造はビットコイン等の取引において不可欠の要素である。
   すでに一定の価値で流通している仮想通貨について、今後、値上がりが予想される合理的根拠は特に無い。値上りすることもあれば値下がりすることもあるが、どんな理由でどの程度、値段が上がり下がりするか、全く合理的な予想の根拠もなく、また、その価格変動の過程でどのようなことが行われているか、世界中のどの機関も監督していない、そのようなものが一般人に対して勧誘されていること自体、不相当である。そのことは、今後発行される仮想通貨や、今後、広く流通して値上がりする仮想通貨についてはなおさらである。
   ビットコイン等の取引は賭博以上の意味は無いのであるから、送金等の効用に関しては価格が(ほぼ)固定された仮想通貨の流通を待つべきで、そうではない、ビットコイン等の流通を禁止すべきである。
  以下、詳述する。

2.ビットコイン等は通貨類似のもの、などではない
   ビットコイン等は、仮想通貨の一種とされる。「仮想通貨」というのが通貨を擬装したもの、という趣旨であればその呼称も否定しないが、仮想空間における通貨といった意味で使われるなら、ビットコイン等を仮想通貨と呼ぶこと自体が不正確である。
   なぜならば、通貨の性質、意義がビットコイン等には無いからである。つまり、通貨の効用としては、価値の尺度、交換の媒介、価値の保存などが挙げられるが、乱高下するビットコイン等は、それらの、通貨としての効用は無い。このようなものを通貨類似のものと評価すること自体が誤りである。

3.ビットコイン等を支払いや送金に用いるのは不適切である
   ビットコイン等は価格が大きく変動するのであるから、ビットコイン等を支払いや送金に用いることは不合理である。100万円のつもりで誰かに送金したところ、受け取った側が使う時点で90万円になっている、などというのでは他の、若干送料が高い他の手段でも、そちらを用いる方が有利なことは明らかである。
   ビットコイン等による代金受け入れ量が増えれば増えるほど、店舗の損失発生の危険性も大きく、店舗の存続にかかわる問題にもなる。多少不便でも手数料が高くても、円やドルで受け取る、あるいは、クレジットカードを用いる方向に店舗が動くのは当然である。
   あるいは、ビットコイン等を法定通貨に交換する際には何%かの交換手数料がかかるから、相場の変動の有無にかかわらず、ビットコイン等を受け取った者は一定の損失を被ることになる。
   現在、ビットコイン等を支払いに使える店舗が増えているということであるが、その多くはビットコイン等販売業者が、前記の交換リスクを負担する、つまり、客が200万円の自動車をビットコイン等で支払う時点で、ビットコイン等販売業者が200万円の支払を店に保証し(あるいは直ちに200万円を支払い)、受け入れたビットコイン等の下落リスクはビットコイン等販売業者が負担する、などというシステムになっているものである。ビットコイン等販売業者は、そのリスクを負担してでも、ビットコイン等が通貨類似のものとして広く使える外観を作出しようとしているものであり、ビットコイン等流通の不合理性は、何ら変わらないものである。
   あるいは、ビットコイン等下落の危険性を覚悟しつつ、それよりも、当店は「ビットコインの使える店」である、ということで中国などから集客ができる、などという動機でビットコイン等を受け入れている場合もあると考えられるが、これは、ビットコイン等下落によるリスク分、その損失分を宣伝費として考えていることから説明できることである。よって、「価格変動の激しいビットコイン等を通貨代替物として受け入れることは不合理である」という本立論に特に影響を与えない。

4.ビットコイン等の価値の乱高下は、その宿命である
   一方、学者などの中には、今後、価値が安定した際に、ビットコイン等の通貨としての効用が発揮されるもので、現在は過渡期にある、などと説明する者があるが、それは間違っている。ビットコイン等の価値が安定することはあり得ない。
    現在のシステムにおいて、ビットコイン等が安定した価値を保つ、ということはあり得ない。なぜなら、価格が一定期間、安定するという状態になったならば投機目的で保有している投機家において、値上がりの期待が持てず、一方で政府の規制等により暴落の危険もあるビットコイン等を持ち続ける理由がなく、手放すことが考えられるからである。投機家の売買によって支えられているビットコイン等は、その価格が安定すると、投機家にとって、そのような値段で持ち続ける意味が無くなるから、おのずと下落していくということが考えられるのである。
   あるいは、交換比率が時々刻々変化するという意味では円とドル等、通貨同士の取引の関係に似ているとも言われるが、円やドル等の通貨は、世界においてほぼ固定した価値を有するドルと、同じくそのような円との交換比率の変化であるから、おのずと、一定の安定したものとなると考えられるのに対して、片やビットコイン等と円との交換比率について考えると、円にはほぼ固定した価値があるが、ビットコイン等にはそれが全く無いのであるから、全く交換レートが安定する理由はなく、非常に多く買われれば非常に大きく上がり、非常に多く売られれば非常に多く下がるのは明らかであり、価格が安定すると考える方がおかしいというべきである。
   あるいは、そもそも一定の価格で価値が落ち着くという、その価格自体、全く想定できない。つまりビットコイン等はもともと全く価値を持たないものであり、将来の値上がり期待により初めて価値を持ち得たものだからである。最初、無価値だったビットコイン等が1万円で流通しているとき、それがこれからも永続的に1万円で流通すると考える根拠は全くない。そのようなものとしてビットコイン等は作られていないからである。しかし、投機物として、1万円よりも上がっていくだろうと考えることならあり得るから、その場合、そのビットコイン等を1万円で買う根拠にはなり得る。そうやって、ビットコイン等は1万円になり、10万円になり、100万円に値上がりしてきたものである。
   よってそれが、将来の値上がりが期待できない事態となったあとで、株のように配当もなければ、「金」のように、それ自体で装飾品として持ちたいという需要も無い中で、では10万円が将来においてビットコイン等の安定的な価値として落ち着くべき価格なのか、そこから10倍になった100万円がそれなのか、10分1になった1万円がそれなのか、流通価値そのものにしか価値のないビットコイン等においては、どの値段が相当価格なのか、客観的には何の指標もない。
   よって、ビットコイン等においては現在の価値、たとえば1ビットコイン=100万円という価格が、高すぎるという根拠も、安すぎるという根拠も全く無い。たとえ1ビットコイン=1000万円でも1億円でも、みんながその値段で売買するから、1ビットコイン=その価格、ということが言えるものであり、100万円が高すぎるなら、では10万円なら妥当なのか、1万円なら妥当なのか、などという基準は全く存在しない。
   また、ビットコイン等は、他の同種の仮想通貨と、成り立ちも仕組みも、流通量も大きく異なることから、他の同種の仮想通貨も、価値の比較の基準となることもあり得ない。
   要は、みなが買うから上がる、上がるから買う、下がるなら売る、売るから下がる、その過程で、たまたま今、その値段である、という以上の、価格及び価格変動の説明は付かないものだからである。

5.価値が(ほぼ)固定された仮想通貨の登場を待つべきであることに ついて
   現在すでに、1円=1コインなどとしてレートを決めて、あるいは、それに限りなく近づけるように価格安定を目指すメガバンク等による仮想通貨が計画されている。政府が通常の貨幣としての円と平行してそのようなものを発行することもすでに構想されているとのことである。
   ビットコイン等の流通等のメリットについては、前記の仮想通貨の普及を待つべきものであり、ビットコイン等が将来、価格安定により通貨類似の効用が生じるかの幻想を持ってはならないものである。
   また、ブロックチェーン技術の優秀性、有益性とビットコイン等を流通させることとは、特に関係が無いということも重要である。ブロックチェーン技術は優秀であるが、それならば、そのような、送金等の利便性、安全性を備え、価値が(ほぼ)固定された仮想通貨を流通させるべきであり、それが実現した後に、ビットコイン等が前記のあまたの不合理、不利な点を持ちながら、世の中で存在し続ける、ということは考え難い。まさしく、賭博としての要素、用途のみでしか、流通を続けることはできないのである。
 
6.甚大な被害の可能性
  たとえば、ビットコインについては、平成29年12月には200万円を超えて流通していたが、平成30年7月には70万円程度で流通している。この間、投資金を半分以下に減らした者が多数存在すると考えられる。また、今後の価格変動によってはそれ以上に、大きな損失を被る者が出てくる危険性がある。
  ビットコインだけではなく、その他すでに一定の値段で流通している多くの仮想通貨や、今後発行または一般化する仮想通貨が値上がりし、また値段が下がる過程で多くの被害が発生することが考えられるが、投機対象は数十万円、数百万円の単位で考えられるものであり、ビットコイン等の取引をこのまま放置して、今後発生する可能性のある被害のことを考えると、極めて甚大なものがあり、決して放置できないことは明らかである。

7.投機対象としてのビットコイン等と他の投機との比較
   典型的な投機としての商品先物取引と、ビットコイン等の取引を比較すると、商品先物取引においてもそれ自体は、参加者の総利益は総損失と同じで、ゼロサムの世界であるからビットコイン等と同じである。しかし商品先物取引については、対象商品、例えば「金」や原油、トウモロコシなどの価格安定、取引業者のリスクヘッジのためには一般投機家の参加が不可欠であるから、商品先物取引には社会的存在意義があることから、実質的には博打としての意味が大きいとしても、商品先物取引は社会的に許容されている。
   あるいは、土地や権利等に対する投機について考えれば、土地そのものや一定の権利を買って値上がりを待つ、などということについて、それ自体を禁止することはできないのに対して、ビットコイン等にはそのような面も特にないのである。
   ビットコイン等には投機対象としてしか存在価値がない、つまり、博打そのものなのであるから、禁止することに何の問題もないのである。
 
8.博打としてのビットコイン等の不当性
   ビットコイン等取引は博打そのものである。土地や商品等、取引そのものにも意味があるものについて、その取引が博打としての意味合いも有している、というものではない。
   ビットコイン等は、各種経済の要素を予想し、それに従って値段が決まるというものでもないから、経済その他の予想とも特に関係が無い。要するに、今後、高くなるのか、安くなるのかを予想するだけのことである。そして、買う者が多くなれば上がり、売る者が多くなれば下がる、これらが経済とは無関係に動く、という意味では、仕手株の値動きを予想するのとまさに同様である。
   また、ビットコイン等による博打は、最初に安く買った人の利益が、その後、高く買った人の損失で賄われる、という関係にあることも特徴的である。結局、ビットコイン等が値上がりを続ける限り、皆が儲かる、ということになるが、値上がりを続けることはあり得ないもので、値下がりを始めた場合、儲かっていた時期とは全く逆に、下がるものを持っていると損をするから売る、売るから下がる、下がるから損をする、という時期が来る、ということになる。その際、高く買った者、遅れて取引に参入した者の損失が莫大になるのである。
   また、ICO(イニシャルコインオファリング)は、発行企業の信用性や成長性など全く無関係に、多くは、新たに発行される仮想通貨に、全く博打としか考えられない、何の経済的根拠も無い値段が新仮想通貨に付いて、無から有を生じ、価格が乱高下するもので、全くもって不当な賭博という以外に表現しようがないものである。
 
9.ビットコイン等の取引の公正を、誰も監督していないことの危険性と、金融庁等がビットコイン等取引の公正さをチェックする、などということが不合理であるということについて
   現在、仕手戦その他、不公正な株価形成については、金融庁や証券取引所等が常にチェックを怠らず、誰かの買い支えや売り浴びせ等による価格操作について、常に監視、監督を行っている。
   これに対して、ビットコイン等にはそのようなものが全く無い。よってその点だけからでも、一般人が取引に参加するのは危険極まりない状態にある。一見、90万円から100万円のあたりで価格が動いているから、それくらいの価値があると世間では考えられている、などと評価するのは危険である。そのような状態になるように、自らの当面の利益を無視して、買い支えを行っている者がいないか、誰も監視していないからである。つまり、誰かの買い支えがなくなれば、とたんに10分の1にも100分の1にも下がってしまう、などということが無いのか、誰も監視していないのである。
   また、ビットコイン等の販売所の売買価格が、顧客から見た「買い」価格と、「売り」価格の差が、小さいときでは1万円程度であるところ、大きい時には30万円近くなったりしているのが現状である。これらの価格差を調整、操作することにより、ビットコイン等の販売所は、ビットコイン等が順調に値上がりしているように装うことができるし、ビットコイン等が暴落していないように装うことも可能である。
   これらのことは、ビットコイン等の価格操作であり、株式であれば違法行為であるが、現行制度のもとでは、ビットコイン等においてそのようなことが行われたとしても、これを違法とするのは困難である。そこで、ビットコイン等についても取引の公正のためのルールを定めて、金融庁等が多くの税金を使って、そのルールに基づいた公正な取引が行われているかを検査しなければ、とんでもない不正行為が行われていても、誰も気が付かない、という恐れがあるというべきである。
   しかし、行政が多額の税金を使って、そのような検査を行う制度を作ることには反対である。なぜならば、ビットコイン等取引は前記のとおり、博打としての意味しか持たないものである。そのビットコイン等の取引の公正を行政が徹底的に検査するのは、不正のない博打としての条件を、博徒たちのために整えてやっている、ということだからである。ビットコイン等取引の公正を検査するのは、その電子取引としての取引の複雑性、公的な取引所で集中取引がなされているわけではないことからしても、莫大な手間と費用がかかるものと思われる。どうしても新式の博打を広めたいというならば、公設カジノの設置に関して議論されるべきものであり、新出の博打たるビットコイン等について、その公正をはかるのに莫大な税金を使うのは、社会的必要性、妥当性が無いことは明らかである。
 
10.ビットコイン等の取引を、金融商品取引法等の適用対象とすることの不当性について
  これまで指摘してきたとおり、ビットコイン等はいかなる場面においても、妥当な価格、相当な時価、などというものを想定できないものである。結局、現在の価格で、買う者が多ければ値上がりし、売る者が多ければ値下がりする、ということを繰り返すもので、ビットコイン等の取引参加者の思惑によって値段が変化する、としか説明しようのないものである。
  あるいは、ビットコイン等についての金融商品取引的な説明義務の内容を考えるに、仕手株が、他の同種の株式の流通価格からかけ離れた株価で取引されている場合と同様に、ビットコイン等については、「現在の流通価格は何の合理的根拠も無いもので、「買っている者」らが買うのをやめた場合、どこまで下がったら値下がりが止まるかなど、全く説明しようもないもので、結局、どこまでどんな理由で上がるか、下がるかなど、全く予想のしようもないから、投資対象としては不適格、博打としての意味しか無い」、ということを理解させるのが説明義務の内容ということになろう。しかし、それは、顧客に対して、ビットコイン等は買うべきではないものだと理解させるべきだ、ということになるから、そもそも金融商品を取引の対象とする証券会社等で扱うことが不適切なもの、というほかないのである。
  あるいは、適合性原則という点においても、そのような「博打」や「仕手株の株価乱高下部分を取り出したもの」としかいいようのない対象物の取引に適合性を有する投資家はいないと考えられることから、金融商品取引法の対象として証券会社がこれを扱う、という前提でビットコイン等を考えること自体が不当である。
  以上のとおり、そもそもビットコイン等は、金融商品取引法の対象とすべきではない。

11.ビットコインのマイニングには大量の電気使用が必要であるとの点について
  特にビットコインについては、その発生の際に(マイニングの際に)極めて大量の電気を使用し、このままでは今後、世界の電気使用量の何%を占めるなどという事態になるということである。ビットコインとは電子情報に過ぎないのに、それを作出するのに大量の電気消費が必要だ、というだけでも社会的に有害な存在だというべきである。

12.結語
  以上のとおり、ビットコイン等取引は通貨代替物としての取引の効用は全く無く、博打としての意味しか無いものである。博打としての意味しか無いもので、その儲けは、後から高く買った者の資金が、先に安い時期に買った者に移る、というものであり、ますます不当である。
   その博打も、価格操作等の不正が疑われるものであり、また、ビットコイン等取引の公正を維持するには莫大な費用がかかるもので、まともな博打としての性質を維持するにも莫大な資金が必要となり、それも不相当である。
   ビットコイン等の送金手段等としての有用性は、政府やメガバンク等が、ビットコイン等と同じブロックチェーン技術等を用いた上で、1円=1コインなどと(ほぼ)固定された仮想通貨を発行して流通するのを待つことで、何の不都合も無いものと考える。
   以上の理由により、ビットコイン等は、流通させてはならないものなのである。
   資金決済法を改正し、発行者等によりほぼ一定の価格に固定されたもの以外、仮想通貨の流通は禁止すべきであると考える。
                                            以上
                                                                                                                                       
                     
                 

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(1) ビットコインは、日本の法制度、公序のもとでは存在してはいけないもので、日本政府は、ビットコインの日本での流通を阻止する義務がある、放置すると後日、国家賠償の対象となると考える。
 
(2)ビットコインは、通貨類似のもの、通貨の機能を持つものとして存在するのであるが、実は、すべてがとんでもない詐欺で、ある日突然、ゼロになる、という危険性は否定できない。
 どこの政府その他、公的機関、私的機関も監督していないのであるから、そうでない、そのような危険はないと断言できる者は、いないはずである。それは、通貨として求められる安全性とは真逆のもので、そんなものが通貨類似のものとして流通するのを放置してはいけない。
 
(3)前記(2)は危惧に過ぎない、ほぼ、無視できるほどのリスクしかない、という者との議論が必要な論点ではあるが、現に、この1年だけでも相場が数十倍動いた、というのも通貨としては致命的欠陥である。
 それだけ動く投資、しかもよく判らない理由で動く投資は、例えば証券会社が勧めるだけで違法である。まさに、仕手株を普通の人に勧めたらそれだけで違法なのと同じで、通貨類似のものとしては、そのようなことだけで致命的欠陥があることは明らかである。
 よく判らない理由で大幅に価格変動するものは、投資物として保有するだけでも不当であるところ、世界の通貨当局等から独立し、独自の存在をしていくのがビットコインであるところ、思惑による投機にさらされて、乱高下するのは宿命であると考えられるから、その意味でも存在してはならないものである。
 
(4) 結局、最後に、投機、賭博としてなら、辛うじて存在が是認できる可能性がある、ということになる。しかし、日本ではそのような投機は、商品先物取引その他、法制度に則ったもの以外は賭博で、賭博罪が適用されることになる。
 よって、日本では、ビットコインなどというものは流通させてはならないものである。
 大きな被害が出る前に、少なくとも日本政府は、ビットコインの国内流通を禁止すべきであると考える。

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(1) 平成26年2月26日、仮想通貨・ビットコインの最大の取引所が倒産し、民事再生を申し立てるということで、取引の中断を発表したが、これを受けて関係者の間に混乱が広がり、急成長してきたビットコインに対する信頼が揺らいでいるとのことである。
 
(2) しかし、ビットコインなどというもの、全く信頼できない。かつて、詐欺業者が「円天」なる通貨まがいのものを作りだし、「『円天』を購入して『円天』で買い物ができる。『円天』は持っていれば業者が増やしてくれるので、減らない」、という触れ込みで多くの投資を集めたが最終的に破綻し、多くの被害を出したことがあった。
 
(3) それとどう違うのか。『通貨』の交換に責任を持つ詐欺業者すらない分、もっとタチが悪いと考える。
 何もないところからビットコインなる通貨を作り出し、それをドルや円等の本来の通貨と両替した者(創出者)は、無から利益を得ることができる。現在、世界で流通しているビットコインは、本来の通貨と両替した際の利益分、創出者の利益になっていて、それは莫大な利益となっているはずだが、創出者がそのような利益を得ることの説明がつかないと思われる。
 あるいは、創出者がビットコイン創出により得られる利益は、その労力、手間よりも遙かに大きいと思われる。創出者は創出により不当な利得を得るもので、そのことは非倫理的である。ビットコインの所有者からすれば自らの価値を薄められることになることから、このような構造に反対するはずのところ、「薄まる以上に時価が上がる」という期待から容認しているだけで、すべてが、非倫理的な世界である。
 
(4) それはともかく、日銀は、通貨を発行する際は債券やあるいは債権を取得し、発行した通貨に見合う財産を保有していて、流通通貨分の財産を保有しているというのが建前である。また、基本的に国内の物価が上がるようだと、通貨発行量を減らす等により、物価を安定させるから、通貨の価値も安定する、ということになっている。
 つまり、そのようなシステムにより、円とドルとの関係で大きな交換価値の変動は無い、ということになる。まさに、日米間の物価変動に基づき、日本の物価が10%上がって、円の価値が10%下がれば円ドル交換レートは、1ドル=100円から、1ドル=110円になる、などということでバランスが取れて、円とドルの交換レートは安定する、ということになるはずである。
 
(5) ところが、ビットコインにはそんな法則、基準のようなものは全くない。ビットコインの流通量が突然、2倍になったとしても、ビットコインの価値、つまりドルとの交換レートが、半分になってしまう、とは限らない。1ビットコイン=10ドルだったところが1ビットコイン=5ドルに減ってしまう、などということでもないはずである。なぜなら、もともとドルとの交換に、そのような法則性は無いからである。
 結局、ビットコインのユーザーがビットコイン市場で普通の通貨と交換する際の価格がどうなるか、ということだけでビットコインの価値が決まる、つまり、価値などないのだから、仕手株が市場で暴騰したり暴落したり、要するにみなが買えば上がり、売れば下がる、という客観的価値とは無関係なところでマネーゲームが展開されるだけの状態になるというべきである。
 
(6) あるいは、コインをみんなで持ち合って、その相場の上がり下がりで儲かった、損をしたという価値のやり取りは、賭博そのものであろう。金の相場、原油の相場であれば、金や原油という実際の価値を別の場面で有するものを売ったり買ったりし、その結果、損益が生じるだけだから賭博ではない、との言い訳も可能であるところ、ビットコインはそれ自体では価値はなく、取引参加者が価値を付け合うだけのものであり、買った時の数値よりも売った時の数値の方が高ければ利益になり、その逆だと損になるという、単なる博打以外の何物でもないと言えるものである。
 
(7) ビットコインなど、全く信用できないというべきである。通貨ではないのに、通貨まがいのものが流通していて、それは結局、博打を行っていると評価できるものである。また、利用者に予期せぬ莫大な損失を与える危険性も否定できないのであるから、その流通を禁止すべきだと考える。

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(1)総合取引所構想実現のため、金融商品取引法の定める金融商品に商品先物取引を加えた改正法が2012年9月に成立した。そして、本年6月19日、内閣府副大臣が、衆議院経済産業委員会において、証券・金融・商品を一括的に取り扱う総合取引所での円滑な運営のための法整備に関する議論の中で、委員の質問に対し「商品先物取引についても、金融と同様に、不招請勧誘の禁止を解除する方向で推進していきたい」旨の答弁を行った。これは、総合取引所において商品先物取引業者に対しても監督権限を有すこととなった金融庁が、総合取引所に関する法規制について、不招請勧誘禁止を撤廃する方向での検討を進めていることを示している。                           
 
(2)改正金融商品取引法の施行が2014年3月と迫っている中、金融庁は、現在、施行令等の改正作業に取り組み中であるが、現行の施行令(金商法施行令16条の4第1項)では、店頭デリバティブ取引のみが不招請勧誘禁止の対象に指定され、市場デリバティブ取引は対象外であることから、今回国内の商品先物取引を不招請勧誘禁止の対象取引に加えなければ、現行の商品先物取引法下で禁止している不招請勧誘禁止が撤廃されることになってしまう。しかし、当会は、商品先物取引についての不招請勧誘規制を撤廃することに、強く反対する。
 
(3)そもそも、商品先物取引についての不招請勧誘規制は、商品先物取引業者が、不意打ち的な勧誘や執拗な勧誘により、顧客の本来の意図に反した取引に引き込み、多くの被害を生んできたという歴史的事実を踏まえ、消費者・被害者関係団体等の長年にわたる強い要望が積み重ねられた結果、ようやく、2009年の商品取引所法改正により、実現したものである。
 
昨年2月から6月にかけて開催された産業構造審議会商品先物取引分科会における議論において、不招請勧誘規制を見直すべきとの意見が出されたものの、日本弁護士連合会が2012年4月11日付意見書において同規制の維持を主張し、分科会報告書も、「不招請勧誘の禁止の規定は施行後1年半しか経っておらず、これまでの相談・被害件数の減少と不招請勧誘の禁止措置との関係を十分に見極めることは難しいため、引き続き相談・被害の実情を見守りつつできる限りの効果分析を試みていくべきである」、「将来において、不招請勧誘の禁止対象の見直しを検討する前提として、実態として消費者・委託者保護の徹底が定着したと見られ、不招請勧誘の禁止以外の規制措置により再び被害が拡大する可能性が少ないと考えられるなどの状況を見極めることが適当である」とされ、商品先物取引についての不招請勧誘規制を維持することが確認されていたところである。
 
(4)このように、商品先物取引についての不招請勧誘規制は、深刻かつ悲惨な被害の多発を受けて導入されたもので、産業構造審議会商品先物取引分科会が取りまとめた報告書においても規制維持の必要性が確認されているところであり、それから間もない現時点において、何らの検証もなく、規制を撤廃する方向で検討することは極めて不適切である。
 
(5)商品先物取引についての不招請勧誘規制の導入以降、商品先物取引に関する苦情件数が減少する一方で、不招請勧誘規制を潜脱する業者の勧誘により消費者が被害を受ける事例が、なお相当数報告されている。政府は、商品先物取引の出来高が大幅に減少していることを懸念し、その市場活性化対策として、再び、商品先物取引の不招請勧誘禁止規制を撤廃しようとしているが、そもそも商品先物取引が個人投資家に敬遠されているのは、他の金融取引と比べて、格段に複雑で投機性の高い取引であることのほか(しかもゼロサムの世界である)、過去に不招請勧誘を行う業者によって多くの個人投資家が被害に遭ったことにより、「先物取引は危ない」との認識が個人投資家に広まったことが一因と考えられる。不招請勧誘禁止を撤廃すれば、個人投資家の商品先物取引被害が再び増加するおそれが非常に高く、かえって総合取引所全体に対する信頼を損なうこととなる。
 
(6)よって、消費者保護の観点から、総合取引所において取り扱う商品先物取引について不招請勧誘禁止を撤廃することに強く反対するとともに、改正金融商品取引法施行令には商品先物取引に関する市場デリバティブを加えるよう強く求めるものである。
 

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(1) 週刊朝日が、橋下大阪市長について、その人格に問題があるのは、親や親戚が被差別部落出身者で、また犯罪者だからだ、という趣旨の記事を掲載していた問題で、朝日新聞出版社は、社長を更迭した上で、橋下氏に謝罪し、二度とこのような問題が起きないようにする旨を説明に橋下氏のもとを訪れた。
 
(2) 親が被差別部落出身者であるとか、犯罪者であるとかいう理由で、子の人格を否定するなどということは、極めて重大な人権侵害であり、言語道断であることは言うまでもない。また、総選挙を目前に控えた公党の代表者について、いわれなき非難の記事を掲載するなどというのは、悪質な選挙妨害でもある。
 よって、朝日新聞出版社が社長更迭処分で応じたことも、当然のことである。
 
(3) 私などは、昭和61年以来、新潮社などの、人権侵害記事を批判し、損害賠償訴訟を提起し、現・会社法429条により、新潮社社長は、新潮社の不法行為記事の掲載につき悪意・重過失があるとする主張まで行って責任を追及してきた。いつかは、新潮社に心から謝罪させ、社長更迭などをもって反省の意思を表明させなければならない、と思っていたが、いまだ全くそれに至っていない。
 
 何かと、問題行動の多い橋下氏ではあるが、橋下氏が、この点において、正義を、早期に、完全な形で実現したことにつき、心から敬意を表したい。
 
(4) 朝日新聞出版は、佐野真一氏のコメントを掲載しているが、末尾に引用した部分は、断じて受け入れることはできない。朝日新聞出版としては、自らのホームページにコメント記載を許している以上、批判すべき点は明確に批判すべきであると考える。
 
(ア)生まれ育った環境や、文化的な背景を取材して、当該人物を評価することは、佐野氏の人格表現としては不可欠かもしれないが、当該人物にとっては、プライバシーの侵害であることも多々ある。たとえその当該人物が政治家で、有権者が、その人物を評価することが必要だとしても、一般人の、政治家の評価に合理的に寄与するものでなければ、違法性を阻却しないプライバシー侵害そのものであって、決して許されないものである。
 
(イ)その観点から、取材の自由は、その結果、それが報道され、有権者の知る権利に寄与するものでなければ認められない。
 当該人物が被差別部落出身者かどうかなどということは、有権者がそれを知って投票判断の根拠としてはならないものである。よって、取材の自由も認められない。そのような取材は、単なるプライバシー侵害、人権侵害そのものである。
 
(ウ) 朝日新聞出版社は、下記の佐野氏の間違った論述が、自社のものと異なることを明示しなければ、同社が、下記の論述を特に否定していないものと見られてしまう。あのような人権蹂躙記事を平気で出した出版社なのであるから、特に神経質にでも否定しておくべきだと考える。
 
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(引用始め)
 生まれ育った環境や、文化的歴史的な背景を取材し、その成果を書き込まなくては当該の人物を等身大に描いたとはいえず、ひいては読者の理解を得ることもできない。それが私の考える人物評伝の鉄則です。ましてや公党の代表である公人中の公人を描く場合、その人物が生まれ育った背景を調べるため、家族の歴史を過去に遡って取材することは、自分に課したいわば私の信念です。
 取材で得た事実をすべて書くわけではありませんが、取材の自由は保障されなければなりません。それが許されなければ、まさに言論と表現の自由の危機です。
(引用終わり)

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