聖なる主の教会 ??? ??? ??

主は真理であり道であり命である。

外国先生メッセージ

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マタイ251430
「また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを与えて、旅に出た。5タラントを渡された者は、すぐに行って、それを商売して、ほかに5タラントを儲けた。2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントを儲けた。しかし、1タラントを渡されたものは、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。すると5タラントを渡された者が進み出て、ほかの5タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに5タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに5タラントを儲けました。』主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 2タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに2タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに2タラントを儲けました。』主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 1タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます。』すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取り上げて、10タラントの者にやりなさい。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。』」
 
 サタンは、人間のことを悪い怠け者にさせます。しかし、与えられたものを用いることは神様に喜ばれることです。与えられた賜物を用いて、神様のために心から仕え合いたいです。
 
 さて、貧しい人の特徴は、助けばかりを貰おうとすることです。彼らは、「私は足りない者であるから」という言葉が体に染みついていて、自分は助けないにもかかわらず、助けを求めるのです。しかし、神様は私たちを互いに助け合うように創られました。ですから、助けること、仕えること、もてなすこと、褒めること、認めること、尊敬することを大切にしてください。神様は、それぞれの信仰に応じて、量は違えどもすべての人に賜物と油注ぎを与える、公平で偉大な方です。よって、神様が与えた賜物を用いて、どのくらい愛し、もてなし、認め、尊敬し、褒めて、仕えるかが重要です。豊かな実を結んで、30倍・60倍・100倍になることを祝福します。
 
 では、金持ちの特徴はどうでしょう。一攫千金の人を除き、大部分の金持ちは早起きし、その日の計画を立て、何をするにも人一倍研究し、自分のベストを尽くす人が多いそうです。彼らはいつも勤勉で一生懸命なのです。しかし、貧しい人は、金持ちは何も苦労をしたことがないに違いないと思い込んでいます。
 
Ⅱコリント9:10
「種蒔く人に、種と食べるためのパンとを備えてくださる方は、あなたがたにも種を備え、それを増やし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。」
 
 金持ちは、この箇所にあるパンをしっかり食べ、種もしっかり蒔きます。つまり、金持ちは御言葉をしっかり心に植え付け、奉仕・献金・献身・もてなし・仕えること等を通して、他者に分け与えているということです。そして、やがて義の実を結びます。しかし、貧しい人は、パンと共に種をも食べてしまうのです。つまり、他者に与えるための力を、自分のために使っているのです。
 
神様は私たちを、分け与える人として、また、貸す人として召しています。例えば、お祈りしてほしいと物乞いのように頼むが、自分は祈らないという人が多くいますが、私たちは貸す立場であるため、そうではなくむしろ、他者のために多く祈るべきです。私たちは、イエス様に救われた者として、誰に対してもケチケチせず、最善のもてなしをするべきです。
 
マタイ10:40〜41
「あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをおつかわしになった方を受け入れるのである。預言者の名のゆえに義人を受け入れる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受け入れる者は、義人の報いを受けるであろう。わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。」
 
へブル13:1〜2
「兄弟愛を続けなさい。旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人は気付かないで御使いたちをもてなした。」
 
 誰に対しても心から仕えることは神様が喜ぶことですが、小さな弱い人に仕えることは特に大切です。教会では、初めて来られた人が1番弱い立場にあります。ですから、声をかける、お茶をあげる、食事をする等の小さなもてなしは、とても大切です。神様は仕える人に油を注いでくださいます。また、小さな弱い人とは、何かをしてもらっても返すことができない人のことも指しています。この世で報いがないことは、天で報いがあります。ですから、この世で報いがないことは感謝なのです。天に宝を積んでください。これらの小さな弱い人は、もしかしたら天使かもしれません。
 
 主にあって私たちは、仕える者、貸す者として立てられていることを忘れないでください。
 
 
 
 
心にささりました^^*感謝です
ハン先生のメッセージ 仕えること|よしこの恵まれたメッセ?ジ
  | 조회 3 |추천 0 |2011.08.18. 10:50 http://cafe.daum.net/tommay777/9IJr/6 
ヨハネ13:1〜20
「過越しの祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。こうして、シモンペテロの番になった。すると、彼はイエスに、『主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか。』と言った。イエスは彼に答えて言われた、『わたしのしていることは、今あなたにはわらないが、あとでわかるようになるだろう。』ペテロはイエスに言った、『わたしの足を決して洗わないでください。』イエスは彼に答えられた、『もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる。』シモンペテロはイエスに言った、『主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も。』イエスは彼に言われた、『すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない。』イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、『みんながきれいなのではない』と言われたのである。こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、彼らに言われた、『わたしがあなたがたにしたことがわかるか。あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。わたしはそのとおりである。しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互いに足を洗い合うべきである。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたは幸いである。あなたがた全部の者について、こう言っているのではない。わたしは自分が選んだ人たちを知っている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしにむかってそのかかとをあげた』とある聖書は成就されなければならない。そのことがまだ起こらない今のうちに、あなたがたに言っておく。いよいよ事が起こったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。よくよくあなたがたに言っておく。わたしがつかわす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをつかわされた方を、受け入れるのである。』」
 
 イエス様が弟子たちの足を洗う場面です。当時、「僕が主人の足を洗う」という習慣があり、それは、主人に対する尊敬や大切に思う気持ち、低い謙遜な僕の印でありました。また、タオルを腰に巻くことは、本来は僕がすることであるため、イエス様が弟子たちの僕になって足を洗ってくれたことを、この箇所は表しています。このように、イエス様は、主人であられるのに、僕のように弟子たちに仕えています。ですから、私たちもイエス様にならって互いに仕え合いなさいと言われています。イエス様の霊性は仕えることです。イエス様は自分自身を徹底して低くしました。
 
ピリピ2:6〜11
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしくして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえ、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜った。それは、イエスの御名によって、天井のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものが膝をかがめ、また、あらゆる舌が『イエスキリストは主である』と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」
 
 この箇所からも、イエス様が自分を空っぽにし、人となって自分を低くし、十字架にかけられるまで従順して仕えたことを知ることができます。また、イエス様は1番低いところにきてくれたにもかかわらず、神様はイエス様を1番高いところに登らせたところに、イエス様と神様の霊性が見えます。低い者が高くなることは、神様の法則なのです。
 
 しかし、サタンはその逆です。サタンは、いつも高くなろうとし、いつも上にいようとし、いつももてなして貰いたいのです。そして、何の代価も払わず得るために頭をつかい、自分は何もしないが、人にはたくさんの物を求めます。このようなサタンを、神様は1番低いところに置かれました。
 
イザヤ14:12〜15
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたは先に心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の異なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう。』しかしあなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる。」
 
 この箇所にある、「明けの明星」とはサタンのことです。どのようにしたら自分だけが得をするか、どのようにしたら苦労せずに食べられるか等の考え方は、一見上手くいくように見えるが、最後には下に落ちます。
 
箴言21:4〜6
「高ぶる目とおごる心とは、悪しき人のともしびであって、罪である。勤勉な人の計画は、ついにその人を豊かにする。すべて怠る者は貧しくなる。偽りの舌を持って宝を得るのは、吹きはらわれる煙、死の罠である。」
 
 このように、財産を求める人は、あっという間に消える煙のようであり、死を求めることと同じなのです。イエス様は私たちのために命をかけて仕えてくださいました。しかし、サタンは私たちを高ぶらせようと努力しています。よって、私たちはサタンからくる思いを諦めて、頭から完全に消す必要があります。
 
 さて、神様の願うことは、自分がしてもらいたいと思うことを、自分もすることです。要するに、神様は、イエス様を信じる私たちに、必ず他者に仕えるよう命じています。聖書は、仕える人が与えられる祝福について語っています。恵みを他者に与える人は揺れ動きません。
 
Ⅱコリント9:6〜9
「わたしの考えはこうである。少ししか蒔かない者は、少ししか刈り取らず、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からではなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである。神は、あなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のある方なのである。『彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう』と書いてあるとおりである。」
 
 仕える者は必ず与えられます。これは神様の法則であり、律法です。お金がなくなっても貧しい人に与え続けた牧師にも、神様は必要をちゃんと与えてくださいました。また、モザンビークの孤児院で忍耐をもって献身的に仕えた牧師にも、神様は力を与えられ、豊かに油注がれました。彼らは、一生懸命、主の愛で仕えることによって、強力な聖霊の力が注がれ、必要なものは全て与えられました。ここから、謙遜に仕えることは、祝福されて用いられる秘訣であることが分かります。仕えることなしに貰う人は、せっかく与えられた賜物が用いられないばかりか、かえって人を傷つけてしまいます。また、自分は認められるべきだ、褒められるべきだ、という考えはサタンから来ていることを知ってください。また、仕える場所に行くことを邪魔するサタンの働きに気をつけてください。そのようなサタンの働きによって傲慢になり、怠け者に陥る危険性があることを心に留めてください。しかし、心から仕え、強力な聖霊の力が働くことにより、サタンを追い出すことができます。ですから、いつも愛をもって仕えましょう。
 
 
 

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