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●塩ラーメンの思い出

※「感動する話、泣ける話」より転載

『塩ラーメン』 

うちの家族は母と私(長男)、弟が二人の母子家庭。

 父と母は、私が5才の時に離婚をし親権は母親へ。
「扶養金なんかいらない」と言い残し、私たち兄弟を引き取ったらしい。
女・酒・ギャンブル。全てに手を付けていた父のもとに、
一人でも子供を残して行きたくなかったのだろう。

 母はそれからというもの、幼い私たちからひと時も目を離したくなかったのだろうか、
私たちの入園した保育園で働き始めた。

 お世辞にも給料は良いとは言えない。おそらく12、3万だっただろう。
自分には何一つ買わず、全てを子供の為に注ぎ込んだ母。
いつもボロボロの服を着ていたのを覚えている。
しかし、それでも生活は厳しく、唯一ボーナスを貰ったときだけ食べに行ったのが、
ある定食屋の塩ラーメンだった。

野菜がたくさんのった塩ラーメンを食べているあの時間だけが、
私たち家族の至福の時だった。
…そう、夏と冬、二度だけの...

 今では兄弟も成人し、家族四人なに不自由なく暮らしている。
住むところはまちまちだが、そんなことを感じさせないほど、家族の絆は深い。
…兄弟三人。しかも年子で男ばかり。

これを、女手一つでここまで育て上げた母を、私は世界中の誰よりも尊敬している。

 そして、その定食屋はというと。
…大変残念な事に、数年前に店主が癌で亡くなり、今はその形だけが残り、
シャッターを下ろしている状態である。

しかし、今でもあの店の雰囲気と、四人で過ごしたあの時間を生涯忘れる事はないだろう...

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<ミス・ユニバース>日本代表の森理世さんが優勝
5月29日12時44分配信 毎日新聞

【メキシコ市・庭田学】
07年ミス・ユニバースのコンテストが28日、メキシコ市で開催され、
日本代表でプロダンサーの森理世(もり・りよ)さん(20)=静岡市出身=が優勝した。
日本人の同コンテスト優勝は1959年の児島明子さん以来、48年ぶり。
昨年は那覇市出身の知花くららさんが2位に輝いている。

 選考会で最後の5人に選ばれた森さんは
「オラ(こんにちは)、メキシコ」と会場に明るく手を振り、大きな拍手を受けた。

AP通信によると、審査委員から子供のころの思い出について質問され、
「ダンスで忍耐と積極性を学んだ」と答えていた。

 森さんは身長175センチ。4歳でダンスを始め、中学卒業後、
ダンスを学ぶためカナダの高校に進学した。

●母の遺書

※「感動する話、泣ける話」より転載

『ずっとお母さん...』

まだ自分の気持ちに整理がついてないので
母の残した遺書を書き写します。

お父さん、祐ちゃん、みみ 今まで有難うございました。
自分の不注意から病気になってしまい みんなに辛い思いをさせ
申し訳ない気持ちで一杯です。

お父さんも 心身ともに極度の疲労の中 家族の為に
本当に頑張ってくれてありがとう。

みみも祐一も精一杯尽くしてくれてありがとう。

治療を早めにあきらめ、緩和ケアを受ける事を理解してくれてありがとう。

お母さんが居なくなってからのことを考えると辛くて 
三人の事が心配で心配でたまりません。
どうか悲しみの中から早く出て笑顔が取り戻せるよう祈ります。

振り返れば、子供の頃はおばあちゃんのいなかで皆に可愛がられて、
幸せな毎日を過ごしました。
又、結婚してからは我ままなお母さんの意見をいつも尊重してもらい
自由ですばらしい豊かな人生を送る事ができました。
二人の子供は宝です。本当に誇らしい良い家族です。
これから三人が心穏やかに、楽しく毎日が送れるよう
そして 人生の最後には安らかな死が迎えられるよう
ずっと、ずっと見守っています...

お母さんはみんなの心の中にいつも、いっしょにいます。

本当にありがとう...感謝の気持ちで一杯です。

                      正子

こんなあたしを、宝って思ってくれてありがとう...お母さん

●こころちゃん

※「感動する話、泣ける話」より転載

『こころ』 

19〜200歳の時、
一人暮らしの女の家に転がり込んで、一緒に生活を始めた。

好きな時に帰って、好きな時にエッチをして、好き放題していた。
そんなちゃらんぽらんな事ばかりしていたので、その女に子供ができてしまった。
その時の俺は、堕ろすことしか頭になかった。
それが当たり前だと思っていた。
手術日の前日の夜、女の家の机の上に一通の手紙が置いてあった。

「パパへ
 初めまして、私はこころといいます。
 今はまだ、ママのおなかの中にいます。
 こころは、パパのお顔を見てみたかったです。
 こころのお顔も見てほしかったです。
 パパはこころのことが大嫌いで会いたくないのかも知れませんが、
 こころはパパのことが大好きです。
 こころはお空の上からパパのことを見ているので、
 パパもこころのことを忘れないで下さい。
 こころはパパのことが大好きでした。
 こころ より」

俺はぼろぼろと泣きながら、何回も読み返した。
どうすることもできない自分が情けなかった。
けなげに寝ている彼女の姿を見て、また泣いてしまった。

今は別の女と結婚して、2児の父親になった。
今でもこころのことを思うと、切なくなってしかたがない...

●最期の文字

『最期の文字』

2年前の8月10日、大好きだったじぃちゃんが亡くなりました。

私は小さい時からよくじぃちゃん家に泊まりに行ってました。
泊まりに行くたびにいろんな事を教えてくれました。
本当に優しくてみんなから頼りにされていて絶対にツライと言わない人でした。

じぃちゃんの病名は「肝臓ガン」。

その事は私の親夫婦と叔父夫婦だけにつげられました。
私達孫とじぃちゃんとばぁちゃんは何も知らず3年間は今まで通りの生活をしていたのでした。
しかし、だんだん病気が進行し入退院を繰り返すようになりました。
検査入院だと本人や周りに嘘をついていた叔父夫婦や親夫婦もとても辛かったと思います。
じぃちゃんはお見舞いに行くたびに決まって「いつ帰れるんだ」と聞いていました。
早く帰って仕事がしたいと…そんな体じゃなかったのに…お腹が妊婦さんのようにふくれあがり
ご飯が食べれなくなって息も苦しそうで家に帰ってきても寝てるばかりでした。
そして、ツライはずなのに明るく笑うのです。

そして最後の入院。
その時に私達やばぁちゃんに「今度が最後の入院だ」と言う事がしらされました。
実感がわかず、ただ早く病院に行きたいと思いました。

1週間後じぃちゃんは亡くなりました。

じぃちゃんの最後は親戚みんなにみとられ静かに、
最後までツライと言わず安らかな顔でじぃちゃんらしく亡くなりました。
じぃちゃんの人柄かお葬式にはたくさんの人が来てくれて、
みんな泣いて悲しんでくれました。
みんなじぃちゃんに感謝していました。

後日、遺品整理をしていると一冊のノートがでてきました。

それはツライ中もうろうとした意識の中で書いたノートでした。
そこには「もうかんねんした。亡き父母弟が迎えにきた。
もう長くない…(自分が病気なのを)黙っていたのはすべて私を思ってのため、
辛かっただろう...
ありがとう...
もうあきらめよう...楽しかった...ありがとう...」と、

最後に入院する日に家で書いたらしい…
じぃちゃんは全部わかってたんだ…
だから最後の入院では家に帰りたいって言わなかったんだ。
もっといっぱい喋ればよかった。
もっと優しくすればよかった。
もっと感謝すればよかった。

でも、いつか言ってた
「すぐツライと言うのはほんとはツラくないんだよ」って、
その言葉忘れない。
優しい気持ち忘れない。
じぃちゃんみたいにみんなに頼られて誰にでも優しくて明るくてがまん強い人になる。

ありがとう。じぃちゃん…忘れないよ…


※「感動する話、泣ける話」より

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