●感動編●

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私は右手に障害があります。

兄弟が二人いますが、彼らは生まれたときから
幼児期の写真がたくさんあるのに私の写真はありませんでした。
両親に理由を聞くと、「カメラが壊れていて撮れなかったの...」
と言っていました。

物心ついたときから私は自分の障害について認識をはじめ、
他人への劣等感、最終的には自分が生まれてきたことへの恨み、
そして両親への恨みへとつながっていきました。

小学校の頃は両親に「右手は20歳くらいまでには治るかな??」
などと聞いていたりしたのですが、上のようなこともあり、
「何で俺は右手が使えないの?何で俺を生んだの?」
と不躾な、両親からしてみると非常にやりきれない文句を
言っていたことを覚えています...

今、私は大学の卒業を控え、両親の私を育ててきた苦悩を
多少なりとも知ることができます。

障害をもって生まれてきた私に衝撃を受けて、
生後しばらく自暴自棄になってしまった母親と
それを立ち直らせるために母親を殴った父親の悲しみ、
写真が少ないのもしばらく私に愛情を注ぐことができなかったから、
そのような背景があるからなんです。

でも、私の記憶にある両親は、私にたくさんの愛情を注いでくれました。
幼い頃、寝るときいつも父に右手を握ってもらって寝てたことは忘れません...
「おまえの手が早く治るように」この父の願いは叶わない事は今ではわかります。
一生付き合っていかなければならない障害ですが、私がこの世に生を受けてきたこと、
両親が頑張って育ててきてくれたこと、絶対恩返しします。

来春から就職。本当に頑張って働いて絶対に親孝行します。

パパ、おかあちゃん、長生きしてください......


※「感動する話、泣ける話」より

●一杯の暖かいスープ

『暖かいスープ』

フランスに、一人の日本の留学生がいた。
彼が渡仏したのは、第二次世界大戦が終結して間もなく、
日本がオリンピックに参加することもままならなかった頃のこと。

 彼が最初に訪れた下宿先では、彼が日本人と分かるや否や断られた。
「夫の弟がベトナムで日本人に虐殺された。あなたには何の恨みもないが
この家に日本人をいれたくないのです」

 その後住居は定まったが、貧しい学生生活を送ることになった。
彼は大学から少し離れたレストランで毎週土曜は夕食をとった。
そこは若い娘と母親が営む小さな店で、パリの雰囲気を漂わせていた。
彼は「今日は食欲がないから」などと言いながら、
いつも一番安いオムレツを注文した。

 ある夜のこと。
通い慣れたそのレストランで、娘さんが黙ってパンを二つ出した。
パンは安いので、会計の時にそのまま支払うことにした。
食事がすみ、レジの前で二つ分のパンの料金を払おうとすると、
他の客に分からないように人差し指を口にあて、
目で笑いながら静かに首を振り、一人分の料金しか受け取らなかった。
彼は、かすれた声で「ありがとう」と言った。
それ以降、いつも半額の二人前のパンが出た。

 何ヶ月か経った冬の寒いある晩。
彼は無理に明るく笑いながら、オムレツだけ注文した。
店には他に二組客がいたが、どちらも暖かそうな肉料理を食べていた。
その時、店のお母さんの方が湯気の立つスープを持って近寄ってきて、
震える声でそれを差し出し、小声でこう言った。

「お客様の注文を取り間違えて、余ってしまいました。
よろしかったら召し上がってください」
小さい店だから、注文を取り間違えたのではないことくらい、よく分かる。
目の前に置かれたどっしりとしたオニオンスープは、ひもじい彼にとって
どんなにありがたかったことか。
涙がスープに落ちるのを気づかれぬよう、
彼は一さじ一さじ噛むようにして味わった。

仏でも辛い目に遭ったことはあるが、
この人たちのさりげない親切ゆえに、私が仏を嫌いになることはないだろう...

いや、そればかりではない。
人類に絶望することはないと思う。


※「感動する話、泣ける話」より

●教師と生徒

小学生のとき、少し知恵遅れのA君がいた。
足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅い。
でも、絵が上手な子だった。

 彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

 担任のN先生は算数の時間、
解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。

 冷や汗をかきながら、指を使って、
ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

 クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、
N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、
と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

 私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。

 その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、
嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

 昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、
A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
蛇足かもしれませんが補足。

 先生は、教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて、
登校しなければならないような過疎地へ自ら望んで赴任されました。

 N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、
街や風景をたくさん描いた人なんだけど。空が、綺麗なんだよ。

 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。

 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。そして、
A君はそれを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」

 A君は、空を描いた絵を送るそうです。その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。


※「泣ける、感動する話」より

●胎内での記憶

『胎内記憶』

不妊に悩む女性がいて、やっと子宝に恵まれた。

子どもが二歳になり、いろんな言葉も覚えた頃に
「お母さんのお腹の中のこと、覚えてる?」と聞いてみた。

「おかあさんのとこだけだれもならんでなかったから、ぼくがならんであげたんだよ...」


※「泣ける、感動する話」より

●お子様ランチ

これはTDL(東京ディズニーランド)にある食堂で本当にあった話です。

ある若い夫婦がお子様ランチを2つ注文しました。
食堂の主任さんが、
子供もいないのになぜだろうと不思議に思い、その理由を尋ねてみました。

その夫婦の娘さんは、
TDLに来てお子様ランチを食べるのを、とても楽しみにしていたのに、
その夢もかなわず亡くなってしまったそうです...

その思いを大事にしたくてお子様ランチを頼んだそうです。

そこで主任さんはお子様ランチを3人分と子供用の補助椅子を持ってきて、
「これは当店の気持ちです。どうぞ娘さんとご一緒に・・・。」
と言ったそうです。

夫婦は大いに感激し、娘さんとの食事を楽しんだそうです。


※「泣ける、感動する話」より


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