|
※「感動する話、泣ける話」に参考になる話が載っていましたので転載しました。
『分かれ道』
後から思うと「ああ、あの時が分かれ道だったのだ」と思うことがいくつかあります。
私は北海道で野や山を駆け回って子ども時代を過ごしました。
大雪の朝、通学の途上まだ誰も踏んでいない雪野幌にでーんと倒れて空を眺めたり、
友達と探検ごっこをするのが大好きでした。
愛読書は「あしたのジョー」。
明日のために・・・という言葉がいつまでも脳のシワに刻み込まれています。
高校までは男女共学でのびのびと育ちました。
さて、短大は地域でお嬢様学校といわれるキリスト教の短大で源氏物語なんかを読んでいました。
私は、マリアの処女懐胎なんて「あり得ない」とレポートするとんだはね返りの学生でした。
ただ、”けち”だった故か授業にはまじめにでていました。
月に一度ほど学長の講話があり、ある時の授業が未だに心に残っています。
北国で修道女として、長く女子教育を使命として生きてきた学長は、
こんな風にお話しされました。
「皆さんはこれから社会に出ます。ある人は穏やかで幸せな人生を送るでしょう。
ある人は困難な、苦労の多い人生を送るでしょう。
神様はどなたにも公平です。
もし、あなたがこれから困難が多い、厳しい人生を送るとしたら、
それは神様があなたにその困難を乗り越える力を与えてくれているからなのです。
もし、あなたが平穏で穏やかな人生を送るとしたら、
神様はあなたにはその力がないと思っているのかもしれません。
だから、これから先どんな困難があるとしても、
それは神様がかならずあなたに乗り越えられる力を与えてくれているので、
心配することはありません。
貴女は心配せずに乗り越えることができるはずです...」
マリアなんてと言っていた私は、そのとき何故か「ふーん」と思いました。
それは、世の中をこんな風に考えていくことができるという驚きでした。
そして、何故か私に困難が一杯くるようにと待ち望むような気になりました。
|