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私が禅(ZEN)に興味を持って、二十数年がすぎました...
禅というと、何か宗教的な堅苦しく難しいというイメージをお持ちの方が多いと思います。
かくいう私もその中の一人でした。
私は無宗教で特にこれという宗教を持っていません。
キリスト教にはキリスト教の、仏教には仏教の、神道には神道のそれぞれ良いところがあります。
強いて言えば仏教に関心がありますが、宗派には関心がありません。
仏教の根本的なところに関心があるのです。
今日は仏教のことは、ひとまず置いておいて禅について触れてみたいと思います。
禅とは、言葉でそれに答えることはありませんが、内なる「智慧」を引き出して悟りの世界へと導いてくれます。
インドで生まれ、中国で育ち、日本で開花した未曾有の思想です。
宗教を超えた宗教なのです。
つぎの言葉からあなたは何を得ることが出来ますか。
「禅の心」
あるがままに生き、あるがままに存在する
いったい、何のために生きているのか、
ふと、感じる瞬間がある。
本物の自分とは何物なのだろう...。
禅は、言葉でそれに答えることはない。
しかし、内なる「智慧」を導き出してくれる。
「三昧(ざんまい)」
あれやこれや為そうと考えず、
仏の姿のままに、ただひたすらに坐る。
ふと、がらんどうになってしまった心に、
ありのままの「自然」が飛び込んでくる。
「ただ、ひたすらに」が重要なのだ。
「無一物」
「仏に逢えば仏を殺せ、祖に逢えば祖を殺せ」
これまで身にまとってきたものすべてを
捨ててしまえ、という。
何ものにもとらわれず、縛られず、執着せず、
たった今、ここにいる自分こそが、真実なのだ。
「自由」
自我の執着がぬけきった地平に、
かけがえのない、本当の自由が広がる。
そのとき、自由自在、
融通無碍にまわりが動き出す。
己が世界の主人公となって動き出す。
「生死」
景色には何一つ同じものはない。
人間はさまざまな思いに振り回されている。
驚くことはない。素直にいただけばいいのだ。
生きるときは精一杯に生き、死ぬときは死ねばよい。
あるがままに...禅はそう教える。
言葉にならない境地、言葉で説明できない意味、これらをいかにして体得し、自らのものにするか...。
禅は、この根源的ともいえる問いから出発した。
宗教という枠組みを超え、
本質を追求したそのあり方を、
現代に生きるわれわれは再認識しておきたい。
※関連書物から抜粋し、自分の意見も付け加えました...
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