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母里支線の開業は昭和5年1月1日。法勝寺線の阿賀駅より分岐して原、猪小路、与一谷(隧道東)、島根県に入り終点母里の順に駅を設けました。客貨ともに少なく開業から14年後の昭和19年戦局が悪化し不要不急路線に指定されてレールを軍に供出して営業休止になり、昭和32年廃止になりました。
阿賀駅は母里支線側に開いた三角形のホームで、(JR伯備線備中神代駅の様な感じのホームです)法勝寺線側に貨物引込線と倉庫、母里支線側に留置線が有りました。 阿賀駅跡です。法勝寺線は正面の民家のブロック塀の右側に路盤跡が続いています。阿賀より分岐して右カーブで西に進路を変えます。右側に伸びる道が支線跡を拡張したものです。 法勝寺川を越す為勾配になっています。川を越すとやがて左に少しカーブ。 直線になった頃、原の部落が近づき北方に続く道を横切ったとこに原駅が有りました。この辺りに駅がありました。 ここより暫くまっすぐに進みます。 やがて左に大きくカーブ。猪小路を通り母里に抜ける道を横切る手前に猪小路(いのこうじ)駅がありました。駅跡はこの辺りです。道を横切ると直線になりここより二重峠(ふたえとうげ)を越えるため緩い勾配になっています。猪小路の部落を右に見ながら登って行くと、左にカーブします。 左にカーブしたとこに石垣が残っています。この先少しの直線区間になり勾配も緩やかになります。右に カーブ。真直ぐになり峠が近いのか勾配がアップして両側の山が迫って来ると右に大きくカーブ。ここまでは路盤跡がそのまま道路になっていましたが、このカーブより路盤跡に手が加えられて少しの間平坦になって左に曲がっていますが、路盤跡は連続勾配で正面の山に向かっています。 正面の山を良く見ると笹の間に何やら古い橋台が残っています。この橋台からトンネルまでの区間は笹や木がびっしり生えて一度中に入ってしまうと歩けますが、出るのに一苦労です。中は朽ち果てた大木が折り重なってでこぼこになっていて路盤跡には思えない程です。 二重トンネルの手前に与一谷(よいちだに)駅がありました。駅跡にはため池からの排水口が有り土手を 補強する為か石垣があります。この石垣のとこに木造のホームが有った様です。与一谷の部落からかなり離れています。この駅跡を背にすると右側に朽ちかけた車が見えます。そこから山沿いに部落への近道が有ります。この道を通って人が行き来しました。トンネルは左に緩くカーブしています。 内部には何の為かこのような物が付いていました。このトンネルで島根県になります。 |
伯陽電鉄母里支線(1)
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