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不登校ではないのですが、保育園への登園を嫌がるお子さんの悩みを相談されました。
AZも保育園を嫌がって、けっきょく中退(!)しちゃったツワモノです。
とても他人事とは思えません。
なので、反省もこめて記事にしてみました。
保育園ととっくの昔に縁の切れた方はスルーしてください。
私は園を辞めさせたことを後悔しています。
厭なことから逃げてもいいと教えてしまったかもしれないからです。
うちの場合も先生から、園にいる間はちゃんとやっているから大丈夫と言われました。
泣いてもわめいても気にせずに、そのままさっさと帰ってくださいとも言われました。
それを聞いて私はその保育士に、「なんてやつだ」と腹を立てていました。
そこには優しさを感じられなかったからです。
むりやり手を引っ張って連れて行く保育士を信頼できませんでした。
まるで私が悪いように、いつもうんざりした顔で「帰ってください」というだけなのです。
私は泣いている息子を置いていくのがしのびなく、つないだ手を離せずに、そのまま園で見学していたこともあります。
たしかに、園の中では何事もないように遊んでいました。いま思えば、自分がそばにいたかったのかもしれません。
私が途中で帰っても平気だったのかもしれません。
本当はどうだったのか、今ではわかりませんが、私自身も離れたくなかったことは事実です。
そんな過去の反省と、その後、いろいろな話を見たり聞いたりして思ったことから出した結論が、登園を続けた方がいいということです。
私は、泣いている子供を無理やり行かせるのは、心を傷つける行為だと思っていました。
心に無理やり行かされたという記憶が残り、それは悪い潜在意識として、その子供を一生支配するのではないかと思っていました。
けれども最近になってなのですが、それは違うのではないかと思い始めています。
確かに、泣くほど厭な所にむりやり行かせることはむごいことかもしれません。
なんだか見捨てられた気持ちがするかもしれません。
うらまれそうな気さえします。
なのに、なぜ、登園を勧める気持ちになったのでしょうか。
理由1
うちの娘は保育園にも幼稚園にも行かず、小学校に上がりました。
理由は、家でそれに相応する、もしくはそれ以上の教育を与えられることと、自由な時間を持つことでいろいろな場所に出かけられ、たくさんの経験をさせられること。
それらの理由で、私は確信を持って保育園には行かせませんでした。
それはそれで間違っていなかったと思っています。
けれども娘の場合、学校に上がってからが大変でした。
娘は団体生活を経験していないのでなかなか学校に慣れることができず、毎日帰ると泣いていました。
みんなにできることが、慣れていないために自分にはできず、クラスメイトにいろいろ言われていたのです。
保育園から持ち上がりだったクラスメイトからは、珍しさも手伝ってか、実にさまざまな中傷にあいました。
慣れてしまえばなんでもないことかもしれませんが、団体生活を経験させなかった私のミスだと思っています。
なので、団体生活を皆と同じように経験することは必要なことだと思います。
理由2
息子が登園をイヤがって泣くのは当然です。
その泣いている息子を見ているのが、私は辛くてたまりませんでした。
泣いている息子から離れたくなかったのは、本当は私の方だったのではないでしょうか。
今ではそんな気さえします。
無理やり引き離されることに抵抗を感じていたのは、息子ではなく、私だったのかもしれません。
嫌がって泣いている息子を無理やり引き離し、部屋に引きずっていく。
たとえ登園後は普通に過ごせていたとしても、それはあきらめの気持ちがさせることであって、けっして本意ではないと私は思いこんでいました。
こんな小さな息子にあきらめの気持ちを植え付けるのはかわいそうだとも思っていました。
でも今考えてみると、あきらめさせるのでなく、納得して登園させることもできたのではないでしょうか。
きちんと話し、時間になったらちゃんと迎えに来ることを約束して、お友達の待つ園に向かう気持ちを作り出すこともできたのです。
私にはあのとき、そうすることができませんでした。
それをまったくしなかったわけではありませんが、納得して行かせるという気持ちは足りなかったと思います。
私は泣いて嫌がる息子を見て、かわいそうとか不憫とか思うばかりで、登園することを前向きに捉えることができませんでした。
そこが間違っていたのではないかと思います。
たしかにあの園は、ほとんど何も楽しいことがなく、ただ子供を預かって、時間を潰しているだけのような保育方法でした。
けれども他の子供たちがそうであるように、何か楽しみを自分で見出し、それなりの時間をすごすことはできたはずです。
その機会を私は摘んでしまったのかもしれません。
泣いていることに私は過剰に反応してしまったのかもしれません。
むりやり登園することに不安を感じていたのは私でした。
不安な自分の気持ちを息子に投影して、必要以上に心配してしまったのでしょう。
あきらめるということの寂しさを、私は自分に置き換えて感じていたのです。
もしかしたら息子は、ただ行きたくないというわがままな気持ちから泣いていただけで、その気持ちが治まれば、保育士の言うとおり、けろっとできたのかもしれないのです。
それなのに私が勝手に不安な気持ちをふくらませ、息子の気持ちと自分の気持ちの区別がつかず、息子に振り回されていただけなのです。
親は時には客観的に子供を見ることも必要なのではないでしょうか。
今は素直にそう思えます。
客観的に見れば、入園したのだから、そこに通園することは当たり前です。
イヤという気持ちはあったとしても、その気持ちと行かなくてはいけないというルールとの折り合いを、どこかでつける必要があったのです。
そして私は、その折り合いをつける手伝いを、積極的にしなくてはいけなかったのです。
それにはやはり息子に向き合い、きちんと話して聞かせるべきでした。
私は説得を試みることなく、「泣くほどイヤなのだから、そのイヤという気持ちを尊重するべきだ」と結論づけてしまいました。
それは私の心に弱さによるものなのですが、その弱さと戦いつつある今の心の状態から見ると、間違った対応だったと思えます。
本当は、そのイヤという気持ちの正体を突き止め、解決へむけて努力するべきだったのです。
それなのに、私はただ、「イヤ」という気持ちにしか心を向けることができませんでした。
「イヤ」の奥に隠れて見えないもの、それが親と離れたくない大切な理由だったのかもしれません。
そしてその理由がわかれば、親としてどうしたらいいかが見えてくると思います。
休ませることが正解かもしれないし、むごいと思われても、引き離すことが正解である場合もあると思われます。
私がそうだった、ただ「泣いているからかわいそう」という感情は、そのときの私の精神状態にも依存していました。
そのとき私は精神的にも肉体的にもストレスをかかえていて、余裕がありませんでした。
もし心に余裕があったなら、ただかわいそうだけでない別の捉え方もできたと思います。
なので、子供が泣いていてもそれをただ「かわいそう」と思うのでなく、そこに隠された心の欲求を探ることが大切なのだと思います。
まだあるのですが、また思い出して更新します。ごめんなさい。
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831さん、そうなんですか。
うちは時間がたつと大丈夫だったみたいだけど、3ヶ月、朝は毎日泣いていました。それで私が一日中居たりしたから、よけい泣いたのかもしれません。
2009/10/17(土) 午後 10:55
有難うございます。何だか色々な意見を教えて頂き有り難く思います。私自身も多分娘が泣く事に対して可哀想とか泣いてまでも園に行かせることはないかなとか。でもそこに何か原因があるのではと、、今はちょっと色々と娘とお話をして見ようかなと。この時期だからこそと思います。娘の心の声を聞き逃さずにと私自身もあの時こうしてやればよかったなんて後悔しないように。と言うのも1つ理由があり私は娘を妊娠してから子宮頚癌が見つかり娘に命を頂いたと、、この娘がいなければ私は今ここにいなかったかもしれない!と・娘の成長をいつまでこの手でこの目で見ていけるのだろうと色々な気持ちが・・かと言ってウジウジしたりはしません!この命は頂きものだから必要な限り生かして貰ってると思いうまく言えないのですが私には守るものが沢山あるから(笑)強く生きてます。なので今私が出来ることは全て遣り尽くしたいと・・何だかすみません!こんな事。。言葉足らずで私自身の気持ちが伝わらないのじゃないかなと・・告白してみました!でも私もこんな相談に皆様が本当に親身にお言葉を頂くのが有難く感謝してます。有り難うございます。
2009/10/19(月) 午後 2:16 [ みかまま ]
こちらこそ、つたない記事にお礼を言っていただきありがとうございます。勇気が出ました。
コメント欄には書ききれず、ブログのほうも、空間を含めて5000文字しか書けません。
こま切れで申し訳ないのですが、すこしずつ更新しますね。ごめんなさい。
そのうち、解決しちゃって、役に立たなかったりして・・・そうしたら、ほんとうにごめんなさい。
のろまな私を許してくださいね。
2009/10/20(火) 午後 1:21