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 前の記事で、市橋容疑者は親に期待されすぎてしまったのではと書きました。
 http://blogs.yahoo.co.jp/nggjb060/30628886.html
 
 「親には頼りたくないので連絡をしないで欲しい」という言葉に、親との確執がうかがえます。


 ところで、酒井法子の場合はどうだったのでしょう。

 ここに対比させてみました。


 ノリピーは2歳で母親に捨てられました。

 母親は、刑務所に入った夫に愛想を尽かし、男を作って出て行ったそうです。

 その後親戚の家に引き取られ、次に父親が再婚したので再び父と同居します。

 けれども数年でその人とも離婚した父親は、今の母親と再婚します。


 親の都合であちこち引き取られ、母親の愛情を知らずに育ったノリピー。

 彼女には規範となるべき、親の背中がなかったのではないでしょうか。


 市橋容疑者には、医者である両親の、壁のように立ちふさがる大きな背中がありました。

 それはそれで、乗り越えられずに、市橋容疑者は犯罪者になってしまいました。

 一方、ノリピーが見ていたものは、自分の感情に左右され、勝手な行動を続ける父親と、その父親に振り回される、女として生きる母親たちの姿です。


 そんなノリピーが、子供のいる部屋でクスリをやり、夜中に子供を残して夫婦で遊びに行ってしまうのは、当然の行為だったのかもしれません。 

 なにしろ、彼女には、親として見習うべきお手本がなかったのですから。


 自分が育てられた親の在りようは、とても真似できるものではありませんでした。

 彼女は気持ちではわかっていても、経験として親の姿を知らないので、ところどころ本能のままに動いてしまったのでしょう。



 動物園のサルも、母親が子育てをしたサルと、しなかったサルとでは、自分が母親になった時の態度が違います。

 母親が自分で乳を飲ませ、子育てをしたサルが大人になったとき、妊娠してからずっと自分が母親であるという自覚のもとに行動します。


 けれども、母親が子育てできず、人間に育てられたサルは、出産して自分の子供を見ても無関心で、お乳はおろか、抱こうともしません。

 親に育てられた記憶が、母親としてのDNAをよびさまし、自分のなすべきことを思い出させるということなのかもしれません。

 女性には生まれつき、母性本能が備わっていると思われていますが、そうでもないようです。



 母性本能は、子供が生まれ、少しずつ進化します。

 おっぱいを吸わせることにより、オキシトシンというホルモンが分泌され、それが女性を母親になるよう刺激します。

 子供の笑顔も、母親に保護を求めているようで、世話をしたくなるよう要求します。



 そうやって一日ごとに母親は、子供との相互作用のなかで、母親として成長していくのです。

 子供を生んだからといって、一足飛びに母親の自覚が生まれてくるのではありません。


 だから赤ちゃんは、生まれてから片時も、母親を放すまいと必死になって、泣いたり、微笑んだりして、絆を深めようとしているのではないでしょうか。

 世話をしてくれる人の名前をいち早く覚え、おぼつかない足でよちよちとその腕にたどり着こうとするのではないでしょうか。


 そのあまりのかわいらしさに、思わずほほずりをしたくなってしまうでしょう。

 そうやって、親子は少しずつ理解しあい、つながりあって、深い愛情を感じていきます。



 なんで泣いているのかわからずに、自分のほうが泣きそうになることも、何を欲しがっているのか見当が付かず、途方にくれてしまうことも、みんな、親子としてのみちすがら。

 そのさまざまなときを経て、親子は親子としての絆を結べるのではないでしょうか。


 言葉も使えない赤ん坊の要求が、親の心を育てます。

 そしてその手探りの親の世話が、子供の心に、親に対する信頼感を芽生えさせます。

 双方が係わり合いを重ねることで、親子は本当の親子になっていくのではないでしょうか。




 ノリピーは、その親子の日々の重ねあいを紡ぐことができませんでした。

 望んでも、与えてもらえうことはできませんでした。


 そんなノリピーは、母親であっても、母親としての心が育ってなかったのではないでしょうか。

 そのために、多くの母親が信じられない思いをした、「子供がいるのになぜ」という行動をしてしまったのかもしれません。



 親にまともに育ててもらえなかったであろうノリピーと、親が過剰に干渉しすぎてしまったであろう市橋容疑者。

 どちらも本当の悲劇は、親と上手くかかわりを持てずに成長してしまったことではないでしょうか。



 それほどまでに、子供を育てるということには責任があるのだと思います。


 
 親として、子供とうまくかかわって、その心を成長させるためには自覚が必要です。

 そして、その親の自覚を支えているのも、自分が育てられた親との係わり合いによるものなのです。



 子供を大切に思う心、子供を愛する心が大切なのはもちろんですが、子供の将来の生き方に、親の在りようが大きくかかわっているのだということを自覚したいと思います。

 そして、これからも緊張した子育てを続けたいと思います。

閉じる コメント(2)

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子どもを育てるというのは、一人の人を育てることですからとても大きな責任があると思います。
子育ては親育てと言われるように、子どもを育てながら親もともに育つ。
しかしながら、個の集まりのような家族も少なくなく・・互いに無関心で子どもの事は放っておいてパパやママ自身の楽しみに興じてみたり・・
かと思えば、子どもがトラブルとさも自分がトラブルの張本人のようにオーバーに騒ぐ親も見かけます。
つかず離れず、微妙な間合いを取りつつ、ちょうどよい塩梅をみはかりながら子育てをしていきたいですね。

2009/11/18(水) 午前 10:37 [ くれよん ]

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くれよんさん、コメントありがとうございます。
子供を育てるのは大変。いつも思います。
おっしゃるように、微妙な間合いと言うのが一番難しいですね。
私もがんばらなくちゃと思っています。

2009/11/21(土) 午前 11:49 youareok


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