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6月18日、宮崎県の東国原英夫知事が、県議会本会議後、記者団に対して、「過去は、げんこつで教えられたが、最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」と体罰を肯定するともとれる発言をした。
この「体罰は愛のムチ」などと発言したことを受け、7月1日、現在で、宮崎県に賛否両論の「声」が、約40件届いており、特徴として、県外と女性からのものが多いという。
また、6月30日付けで、男女共同参画推進を目指す団体「宮崎女性ネットワーク」の有志5人は、暴力容認とも取れる発言は、影響が大きい。知事としてあるまじき軽率な発言だ」などとして、公開質問状形式で、3点について回答するよう求めてたとのこと。
なお、今回の発言について、容認する意見は約40%だったという。
私見としては、「拳骨=暴力を連想させる発言と、条例化まで言及してしまったのは、失言であった」と思います。
ところで、法律上は、学校教育法(昭和22年法律第26号)の第11条において、校長および教員は、懲戒として体罰を加えることを禁止としています。
また、この規定には、刑法上の罰則規定はないですが、スキンシップと解せないものについては、腕力に訴えた行為は、暴行罪や傷害罪(死亡した場合は致死罪)となるケ−スもあります。
合わせて、教員が職権として体罰を加えた場合、刑事上の責任とは別に、民事上の責任も発生。
万一、有罪の判決を受け様ものなら、その教員は、公務員の信用失墜行為として、懲戒処分が待っています。
さて、本題に入りますが、近頃の学校を取り巻く報道からは、モンスタ−ペアレンツによる教師のメンタルヘルスの増大、一部の生徒達による妨害行動で学級崩壊と、相当、教育現場は荒れているのでは。
私は、腕力の暴力より、言葉の暴力の方が、「しっかりとした自己確立が出来ていない子供達」にとって、余程、深くて痛い傷を心に刻む事になると考えます。
従って、生徒の事を思って、言って聴かせても、素行が是正されない様であれば、傷害・障害を残すような、過度な腕力による体罰(暴力)は、当然、許されるものではないですが、「軽度の拳骨の1回位は、許される範囲」なのではと思います。
実際、感受性が豊かな子供達は、教師が私憤で腕力を奮ったか、自分のためを思っての行為であるかは、日頃のつき合いの中で、親達より、ずっと分かるのでは。
友人の教師に聞いた過去の話しでは、一定の子供達と、その親の対応で、本来の授業活動の事前準備や、誰から吹き込まれたか、「言葉で注意しても、そんな事いうならPTAに言うとか、教育委員会に言う」という餓鬼が増えているそうで、日々、大変だと言っておりました。
体罰を全て悪とするなら、『家庭での躾は、どうなっているのか』、私、個人としては、学校に乗り込んで来る様な親御さま達に、1回、お伺いしたいものです。
はっきり言って、近頃、就職セミナ−でも、入社してきた新入社員でも、ほんと、親御さまの、ご尊顔を拝したいと思うこと仕切です。
これ何も、私が勤務する法人だけではなく、友人達に聞くと、業種を問わず、似たり寄ったりの現状で、OJTをやる担当者は、学校の教師以上に大変な思いをしています。
何度も言いますが、言葉・腕力に限らず、過度な言動や暴力は、人格を破壊する行為ですので、許されるものではないでしょうが、【仏教でいう餓鬼とは、貪り喰う者との意味】であり、社会に出て他人に迷惑を掛けないように、矯正するのも教師の役目の1つでは。
でも、本当に大切なのは、『勉強しろ等との強要より、家庭では知識は無くても、品位・品性のある人間になる様に躾』をすべきと考えます。
勉強等は、本人が何らかの事情で、学習したいとの意識が変わった途端に、成績は上がっていくものです。
しかし、品位・品性は、社会人になる年齢までに、そこそこになっていなければ、厳しいビジネス社会を生き抜いていくのは、容易ではないです。
ビジネスの最前線にいる方々なら、学校時代、厳しく指導してくれた先生の方が、記憶に残っており、その頃の事など、会社での辛辣な出来事に比べたら、可愛いものだと。
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