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私の現在、居住している地域は、「県からの行政ごとが、移管されて来た政令都市」という田舎の町。
さて、今日、帰宅する際に乗った〔市が経営している公共バス〕で、とても冷たい対応をする【特別技術職】、要するにバスの運転手ですが、『国費が私費は、分かりませんが、旧帝大に留学してきている学生』が、1万円しか持ち合わせいないと、カタコトの日本語でお願いしているのに、【ダメ・ダメ、そんなお札、両替できない。】と、押し問答して、とても、どちらの国かは、分かりませんが、その留学生、
困っていましたよ。
ところで、その降車したバス停留所には、傍に歩いて0分のところに、コンビニもあり、《機転の利く人間なら、money change》とか言えたはず。
まあ、海外出張で頻繁に行く方にしたら、英語はもちろん、現地の言葉、話せるのはあたり前ですが、私が若い時、初めて、ロ−マに行った時、事前にガイドブックは、頭に入れておきましたけれど、『地下鉄の機械に、お金を入れても切符が出てこない』ことがあり、難儀していたところ、現地のイタリア人に助けて貰った覚えがあります。
私が、言いたいのは、何も英語を流暢に話せるようになる事が、国際化ではなく、異国の人々に〔思いやり・親切〕をすることも、立派な友好親善だと申し上げたいのです。
それに、付け加えて言えば、同じ日本人でも、非常識か、偶々か1万円しかないと言い張り、次の機会に支払ってくださいとの対応、この間、見てきていますが、これ、私から言わせたら、単に営業所を出庫する際に、そういった輩が乗車する事も想定して、【2万円分くらい金種を、変えて乗車勤務】すれば良いことではないかと思うのですけれど。
今度、云十年ぶりに、教育改革が行われることになりましたが、本当に、小学校5年生から、英語を教えることが、国際化の先駆け等と考えているとすれば、大きな誤りです。
英語など、中学校からで充分です。
現に私には、アジア系・欧米系の友人がいますけれど、いつも、言われるのは、《何故、日本人は歌舞伎・日舞・琴など》、固有の素晴らしい文化を持っているのに、我々の音楽であるクラッシックを聴く、日本人が文化人として、古典芸能をやっている人達を、誇りに思わないのは、明治維新の頃と同様に、欧米は素晴らしいという幻想を、未だに懐いているからではと、質問されると返答に困ってしまいます。
ところで、私、外国人の友人を作る時、必ず聴く中学生レベルのフレ−ズがあるのですが、〈What was
your fist impression of Japan?〉と聴くと、答えは千差万別ですが、日本人は親切で、清潔な国と思うといのが、社交辞令もあるでしょうが、大勢の答えで母国にいた時のイメ−ジとは、乖離があると言っています。
しかし、私は、日本人同士、ほんまに、親切かいなんかなぁ〜と、外面だけではと思うのは、私の性格に難ありかもしれませんね。
理由は、まあ、色々あるのですけれど、東京にいた頃、確か東京の八重洲口の自動券売機で、切符の買い方が分からない、お婆さまがいたのですけれど、後ろに並んでいた結構、いい歳をされているビジネスマン、舌打ちして苛ついているのを見たことがあって、「私、余計のお節介とは、思いましたが、何処までいくのが、お聴きして対応した」ことがあります。
私にしてみれば、ほんの数分のことで、後ろで舌打ちしているなら、助けてあげれば良いではないかと単に思っただけです。
東京・大阪、大都市で住むというのは、地方では考えられない通勤地獄とか、様々、人の心をすり減らす大変なことがあるのは、事実ですけですがね。
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