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* 今から20年前のこと。私は省の師範大学を卒業すると直ぐにNa Bon村に赴任することになった。この村は黒タイ族が住む僻地山間部にある村で、私はここの子供たちが通う小学校で教鞭を執ることになったのだ。児童数は全部で約30名で、その殆どが11〜13歳の間の男の子たちで占められていた。赴任して数週間 私の授業は好奇心旺盛な村人たちによって、彼らの子供たちが私からどんなことを習うのか静かに観察していたことを除けば、私のここでの生活は順風満帆だった。
次第に授業を観察しに来る村人の数は少なくなって行ったのだが、たった一人8〜9歳くらいの小さな女の子が残っていた。薄汚れた服を着て顔はすすけたままのその少女は、辛抱強く窓の外に立ち、来る日も来る日も授業を眺めていたのだった。ある日の事、休憩の時間に私は少女の元へ行き、私の授業に出てみないかと尋ねた。すると彼女は、その言葉に反応するかのように首を縦に振ったものの、直ぐに拒絶した。「なぜ?いいでしょう」と少女に手を差し伸べ、教室に招きいれた。驚く表情を隠せずにいる少女に、一番前の席を与え 名前を尋ねた。ソンと答えた彼女に、明日から教科書を準備すると告げて、その日は別れた。
翌朝からクラスに出てきたソンが、私が読書の指名をすると自信を持ち堂々と読み上げる姿にクラスメイトは騒然とした。加えて、彼女の綺麗な筆跡に私は驚きを禁じえなかった。恐らく、彼女は私の授業を覗きながら自然に覚えたのだろうと考えた。一週間後、ソンの隣の机の女の子がクラスから消えてしまった。それに続くように多くの児童がしっかりとした理由もなく、学校へ出てこなくなってしまった。そして終に誰も居なくなってしまったのである。訝っていると、村の村長さんが我が家へ訪ねてきた。そして彼は私に何故、吸血鬼の娘をクラスに入れたのだと非難したのだった。
「ちょっと待ってください!誰が吸血鬼の娘なんですか!?」村長さんは絶望的な眼差しを私に向けながら、吸血鬼の娘がソンであること。クラスの中の児童二人が既に、ソンの魔法で病気になってしまったこと。仮にこの二人の命に何かあれば村人たちはきっと私の罪を呪い、村から追い出してしまうことだろうと話してくれた。私は頭の中が混乱しながらも、他のクラスの子供たち同様 ソンは可愛く素敵な少女なのに、ソンのどこに危険性を秘めているのかさっぱり解らない。何が吸血鬼なのか村長さんに逆に詰め寄り再度尋ねてみた。
村長さんは声を詰まらせながら、ソンの母親は多くの人々の死に関与した吸血鬼なのだといい、そしてソンをクラスから追い出さなければ、私を解雇するだろうと警告して去って行った。その夜 村長のLoさんとその仲間の村人たちが、誰が吸血鬼で、彼女がこれまでどんな酷いことを村人にしてきたか教えようとやって来た。Lo村長は、吸血鬼は普通 その魔法を彼女の娘たちに使わせるだという。私は幽霊とかお化けの類は信じない方なのだが、少し心配になってきた。そのとき私はソンの自宅を家庭訪問した時を思い出していた。小さな掘立小屋で、入り口に階段を上がる度に小屋全体が揺れるほど粗末な作りのものだ。
ソンの母親は凡そ40歳前後。悲しげな表情の彼女はこれまでの辛い人生で美しさが完全に閉ざされてしまったかのようだった。ソンが二歳のときに亡くした父親の死亡理由は、妻が彼の生血を吸ったからだという噂が村中に流れると、この母娘を村から森へ追い出そうという村人たちの機運が高まったのだが、母親の懇願に負けた村人たちは最終的にこの母娘を村はずれの森の入り口に住むことを許したのだった。私はこの母親にソンが如何に学業優秀かを伝えたが、彼女から戻ってきた言葉は、娘には学問は要らない。それよりいずれまた村人たちから追い出しを掛けられるようになったらどうすれば良いかと私に尋ねてきたのだ。
その晩 Lo村長が我が家を去ると、私は村はずれまで出掛け、遠くの霧の中に立つソンの小屋に目を凝らした。草の中の昆虫の鳴き声や鳥のさえずり、小川のせせらぎ、空中の幻想的なホタルの乱舞・遠く離れたところから聞こえてくる鹿の呼び声以外、私には何も聞くことができず 亦。何も見ることができなかった。私は翌朝 ソンに何と言って話を切り出して良いのか判らず悩んだ。彼女の賢そうな顔を思い浮かべると、私の心は辛く張り裂けそうになった。クラスから彼女を追い出すべきか否か、、、。彼女に落第を奨め母親の手助けをするように諭すか、、、。しかし仮にそうしたとしてもソンはきっと以前のようにクラスの窓辺に戻って勉強をするだろう。そんな彼女の姿は私をより悲しくさせるだけだ。悶々とした気持ちを胸に眠れぬ夜は過ぎて行った。
次の朝 私はソンにもっと勉強をしたいか尋ねてみた。彼女は、元気よく肯いた。そこで私は彼女に町の小学校で勉強してみる気はないか問い質したところ、彼女は目を輝かせたのだった。この日の夕刻 私はソンの自宅を訪ねることにした。母親は遅くならぬうちに帰宅していた。私は母親にソンを町の小学校と中学校に進学させないかと話を持ちかけた。もちろん授業料は免除されることも添えて、、、。ところが母親はこの話を聴き終えるや否や、彼女の美しい顔をより一層青白くして憂いを湛え始めてしまった。
そして暫くして彼女は、その胸の内を語った。娘とは離れて暮らしたくない。しかし、それで娘の幸せを奪いたくないのだと、、、出来れば町の学校へ娘をやり彼女の運命を帰させたいと本音を語ったのだった。その年の11月 私は村人にソンが伝染病に罹ったので感染を防ぐため町の病院へ暫くつれて行くと告げ、町の学校に転校させ、その学校の校長や教職員にソンのことを依頼して村に戻ったのだった。
Na Bon村で二年間 教鞭を執った後 十数年、私はあちこちの学校で教壇にたった。ある日 ふとソンのことを思い出した。彼女が通う町の学校は、私が勤務するところから僅か6キロしか離れていない。ある昼下がり、私はクラスで明日の授業の準備をしていると10代後半の可愛い少女が入ってきた。ソンだった。彼女は私の前に涙を流しながら跪いた。再会を喜び合うと、ソンはゆっくりと私と別れてから今日までに彼女の身の回りで起こった出来事を話してくれた。それによれば、ソンが村を離れてから直ぐに、10人もの村人がマラリアに感染し命を落としたという。村人はソンの母親に原因があるとして、彼女を村はずれからも追い出そうとしたが、彼女は自ら森の中へ入って行き小屋を構え生活を始めた。そして日も経たぬうちに母親は悲しみの中で一人寂しく死んでしまった。母親が死で、一旦 村に戻ったソンを知る村人はもはや誰もいなかったという。
涙に泣き濡れて、身の上話を終えたソンに私はこれからどうするのか尋ねた。すると彼女は省立医科大学への進学を希望しており、将来 医者になって母親が受けてきた村人からの誤解を解くのだと決意を滲ませて語ってくれた。そして「グットラック!」と一言贈る言葉を添えて再会したソンと別れた。この再会が彼女を見た最後だった。後年 ソンは大学を卒業すると開業医となるべく、彼女は生まれ故郷の村に診療所を構えた。そこで彼女は多くの村人の命を救い、村人も徐々に迷信を捨て教育の重要性を悟って行った。無知と無教養であることが社会悪と気がついたのだ。
その年の雨季、早朝 ソンはいつものように往診から自宅に戻る途中、増水した川からの鉄砲水に襲われ溺れて命を落としてしまった。村人の嘆きはその後 数年途絶えることが無かったという。その後 私は教員を辞めジャーナリストの道に進むことにした。そして我が国のこと我が国の人々を深く探求するため、国中をくまなく飛び回ることにしたのである。昨年末 私はNa Bon村を再度訪れた。多くの教え子は私のことは既に忘れているようだった。ソンの運命を変えようと私がもがいた際、当時の教え子の一人は私にソンについての悲しい身の上や誹謗中傷を交えて話したことを思い出す。もちろんそんな話を信じるわけはない。しかし、今 ひとつだけはっきりしているのは、ソンがこの村に戻ってから村人に尽くしてきた日々が村人の心の中に伝説として刻み付けられていることだ。
(辛口寸評)
ベトナム人が迷信にとらわれ易い人たちであることは以前も、このニュースで取り上げたのは記憶に新しいところだが、今日はベトナムで日陰に曝されている人々について取り上げてみる。こんなことを云うと、俄かに信じて貰えないだろうが、ベトナムの中にも差別はある。尤も、日本と違うのは部落や在日朝鮮人問題のような感情的な流れの中にあるのではなく、ベトナムの場合は多分に政治色を帯びた差別なのだ。もちろん公にベトナムには差別が無い事になっている。が、しかし人間社会である以上 本音と建前は恒につきものだ。
この国で、政治的に不利な状況下に置かれる人々の代表的なものは、共産党に楯突く反体制派 次に体制に迎合しない 或いは教義の独自色の強過ぎる宗教団体が挙げられる。反体制派については、未だ結社の自由も認められていない事からも明らかなように国内では公安当局が常に目を光らせて下り、差別以前の問題として国内に生息すること自体厳しい環境下に置かれている為、ここでは除外する。残るのは宗教団体ということだが、社会主義の父 マルクスが宗教は麻薬だと嘗て比喩したように、そもそも宗教と社会主義思想とは相容れない関係にある。ベトナム共産党も反宗教色一掃の旗印を掲げて設立されたが、ベトナムが抗仏・抗米を戦い抜く為には、国内の宗教界(仏教・カトリック)を取込まなくてはならぬ事情があり、当初の立場を軟化せざるおえなくなったわけだ。それほど宗教勢力が庶民の信仰に根ざして強固なものになっていたというわけだ。
ところが、ベトナムにも仏教・キリスト教から分派した宗派がある。これらは仏教界並びにキリスト教の本流からは異端として扱われているばかりか、政府からの差別を受けて窮めて経済的にも不利益な状況に置かれているのだ。もちろん、このような話が表に出ることはない。しかし、ドイモイを強力に推し進めている今だからこそ、国民が一丸となって国家建設が求められる時であることを、ベトナム政府は認識する必要があるだろう。自分たちと毛色が異なるから避けるのでは無く、そんな人々を懐柔し、仲間に迎え入れることにより、ベトナム政府は押しも押されぬ立派な正当政権としての器を認められるのだろうと思う。
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