This Is ベトナム(明日の寿司より 今日のラーメン)

サイゴンはやっぱ熱い!!さて、セカンドステージへゆるりと参りましょう。

埋もれた名文散歩道

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筆者の好きな古く埋もれた名文を現代文に書き換え文章書きの練習台の書庫です。著作権が切れているかどうか不明ですが、名文散歩道 ご一緒にいかがですか?
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吸血鬼の娘

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* 今から20年前のこと。私は省の師範大学を卒業すると直ぐにNa Bon村に赴任することになった。この村は黒タイ族が住む僻地山間部にある村で、私はここの子供たちが通う小学校で教鞭を執ることになったのだ。児童数は全部で約30名で、その殆どが11〜13歳の間の男の子たちで占められていた。赴任して数週間 私の授業は好奇心旺盛な村人たちによって、彼らの子供たちが私からどんなことを習うのか静かに観察していたことを除けば、私のここでの生活は順風満帆だった。

  次第に授業を観察しに来る村人の数は少なくなって行ったのだが、たった一人8〜9歳くらいの小さな女の子が残っていた。薄汚れた服を着て顔はすすけたままのその少女は、辛抱強く窓の外に立ち、来る日も来る日も授業を眺めていたのだった。ある日の事、休憩の時間に私は少女の元へ行き、私の授業に出てみないかと尋ねた。すると彼女は、その言葉に反応するかのように首を縦に振ったものの、直ぐに拒絶した。「なぜ?いいでしょう」と少女に手を差し伸べ、教室に招きいれた。驚く表情を隠せずにいる少女に、一番前の席を与え 名前を尋ねた。ソンと答えた彼女に、明日から教科書を準備すると告げて、その日は別れた。

  翌朝からクラスに出てきたソンが、私が読書の指名をすると自信を持ち堂々と読み上げる姿にクラスメイトは騒然とした。加えて、彼女の綺麗な筆跡に私は驚きを禁じえなかった。恐らく、彼女は私の授業を覗きながら自然に覚えたのだろうと考えた。一週間後、ソンの隣の机の女の子がクラスから消えてしまった。それに続くように多くの児童がしっかりとした理由もなく、学校へ出てこなくなってしまった。そして終に誰も居なくなってしまったのである。訝っていると、村の村長さんが我が家へ訪ねてきた。そして彼は私に何故、吸血鬼の娘をクラスに入れたのだと非難したのだった。

  「ちょっと待ってください!誰が吸血鬼の娘なんですか!?」村長さんは絶望的な眼差しを私に向けながら、吸血鬼の娘がソンであること。クラスの中の児童二人が既に、ソンの魔法で病気になってしまったこと。仮にこの二人の命に何かあれば村人たちはきっと私の罪を呪い、村から追い出してしまうことだろうと話してくれた。私は頭の中が混乱しながらも、他のクラスの子供たち同様 ソンは可愛く素敵な少女なのに、ソンのどこに危険性を秘めているのかさっぱり解らない。何が吸血鬼なのか村長さんに逆に詰め寄り再度尋ねてみた。

  村長さんは声を詰まらせながら、ソンの母親は多くの人々の死に関与した吸血鬼なのだといい、そしてソンをクラスから追い出さなければ、私を解雇するだろうと警告して去って行った。その夜 村長のLoさんとその仲間の村人たちが、誰が吸血鬼で、彼女がこれまでどんな酷いことを村人にしてきたか教えようとやって来た。Lo村長は、吸血鬼は普通 その魔法を彼女の娘たちに使わせるだという。私は幽霊とかお化けの類は信じない方なのだが、少し心配になってきた。そのとき私はソンの自宅を家庭訪問した時を思い出していた。小さな掘立小屋で、入り口に階段を上がる度に小屋全体が揺れるほど粗末な作りのものだ。

  ソンの母親は凡そ40歳前後。悲しげな表情の彼女はこれまでの辛い人生で美しさが完全に閉ざされてしまったかのようだった。ソンが二歳のときに亡くした父親の死亡理由は、妻が彼の生血を吸ったからだという噂が村中に流れると、この母娘を村から森へ追い出そうという村人たちの機運が高まったのだが、母親の懇願に負けた村人たちは最終的にこの母娘を村はずれの森の入り口に住むことを許したのだった。私はこの母親にソンが如何に学業優秀かを伝えたが、彼女から戻ってきた言葉は、娘には学問は要らない。それよりいずれまた村人たちから追い出しを掛けられるようになったらどうすれば良いかと私に尋ねてきたのだ。

  その晩 Lo村長が我が家を去ると、私は村はずれまで出掛け、遠くの霧の中に立つソンの小屋に目を凝らした。草の中の昆虫の鳴き声や鳥のさえずり、小川のせせらぎ、空中の幻想的なホタルの乱舞・遠く離れたところから聞こえてくる鹿の呼び声以外、私には何も聞くことができず 亦。何も見ることができなかった。私は翌朝 ソンに何と言って話を切り出して良いのか判らず悩んだ。彼女の賢そうな顔を思い浮かべると、私の心は辛く張り裂けそうになった。クラスから彼女を追い出すべきか否か、、、。彼女に落第を奨め母親の手助けをするように諭すか、、、。しかし仮にそうしたとしてもソンはきっと以前のようにクラスの窓辺に戻って勉強をするだろう。そんな彼女の姿は私をより悲しくさせるだけだ。悶々とした気持ちを胸に眠れぬ夜は過ぎて行った。

  次の朝 私はソンにもっと勉強をしたいか尋ねてみた。彼女は、元気よく肯いた。そこで私は彼女に町の小学校で勉強してみる気はないか問い質したところ、彼女は目を輝かせたのだった。この日の夕刻 私はソンの自宅を訪ねることにした。母親は遅くならぬうちに帰宅していた。私は母親にソンを町の小学校と中学校に進学させないかと話を持ちかけた。もちろん授業料は免除されることも添えて、、、。ところが母親はこの話を聴き終えるや否や、彼女の美しい顔をより一層青白くして憂いを湛え始めてしまった。

  そして暫くして彼女は、その胸の内を語った。娘とは離れて暮らしたくない。しかし、それで娘の幸せを奪いたくないのだと、、、出来れば町の学校へ娘をやり彼女の運命を帰させたいと本音を語ったのだった。その年の11月 私は村人にソンが伝染病に罹ったので感染を防ぐため町の病院へ暫くつれて行くと告げ、町の学校に転校させ、その学校の校長や教職員にソンのことを依頼して村に戻ったのだった。

  Na Bon村で二年間 教鞭を執った後 十数年、私はあちこちの学校で教壇にたった。ある日 ふとソンのことを思い出した。彼女が通う町の学校は、私が勤務するところから僅か6キロしか離れていない。ある昼下がり、私はクラスで明日の授業の準備をしていると10代後半の可愛い少女が入ってきた。ソンだった。彼女は私の前に涙を流しながら跪いた。再会を喜び合うと、ソンはゆっくりと私と別れてから今日までに彼女の身の回りで起こった出来事を話してくれた。それによれば、ソンが村を離れてから直ぐに、10人もの村人がマラリアに感染し命を落としたという。村人はソンの母親に原因があるとして、彼女を村はずれからも追い出そうとしたが、彼女は自ら森の中へ入って行き小屋を構え生活を始めた。そして日も経たぬうちに母親は悲しみの中で一人寂しく死んでしまった。母親が死で、一旦 村に戻ったソンを知る村人はもはや誰もいなかったという。

  涙に泣き濡れて、身の上話を終えたソンに私はこれからどうするのか尋ねた。すると彼女は省立医科大学への進学を希望しており、将来 医者になって母親が受けてきた村人からの誤解を解くのだと決意を滲ませて語ってくれた。そして「グットラック!」と一言贈る言葉を添えて再会したソンと別れた。この再会が彼女を見た最後だった。後年 ソンは大学を卒業すると開業医となるべく、彼女は生まれ故郷の村に診療所を構えた。そこで彼女は多くの村人の命を救い、村人も徐々に迷信を捨て教育の重要性を悟って行った。無知と無教養であることが社会悪と気がついたのだ。

  その年の雨季、早朝 ソンはいつものように往診から自宅に戻る途中、増水した川からの鉄砲水に襲われ溺れて命を落としてしまった。村人の嘆きはその後 数年途絶えることが無かったという。その後 私は教員を辞めジャーナリストの道に進むことにした。そして我が国のこと我が国の人々を深く探求するため、国中をくまなく飛び回ることにしたのである。昨年末 私はNa Bon村を再度訪れた。多くの教え子は私のことは既に忘れているようだった。ソンの運命を変えようと私がもがいた際、当時の教え子の一人は私にソンについての悲しい身の上や誹謗中傷を交えて話したことを思い出す。もちろんそんな話を信じるわけはない。しかし、今 ひとつだけはっきりしているのは、ソンがこの村に戻ってから村人に尽くしてきた日々が村人の心の中に伝説として刻み付けられていることだ。

(辛口寸評)

  ベトナム人が迷信にとらわれ易い人たちであることは以前も、このニュースで取り上げたのは記憶に新しいところだが、今日はベトナムで日陰に曝されている人々について取り上げてみる。こんなことを云うと、俄かに信じて貰えないだろうが、ベトナムの中にも差別はある。尤も、日本と違うのは部落や在日朝鮮人問題のような感情的な流れの中にあるのではなく、ベトナムの場合は多分に政治色を帯びた差別なのだ。もちろん公にベトナムには差別が無い事になっている。が、しかし人間社会である以上 本音と建前は恒につきものだ。

  この国で、政治的に不利な状況下に置かれる人々の代表的なものは、共産党に楯突く反体制派 次に体制に迎合しない 或いは教義の独自色の強過ぎる宗教団体が挙げられる。反体制派については、未だ結社の自由も認められていない事からも明らかなように国内では公安当局が常に目を光らせて下り、差別以前の問題として国内に生息すること自体厳しい環境下に置かれている為、ここでは除外する。残るのは宗教団体ということだが、社会主義の父 マルクスが宗教は麻薬だと嘗て比喩したように、そもそも宗教と社会主義思想とは相容れない関係にある。ベトナム共産党も反宗教色一掃の旗印を掲げて設立されたが、ベトナムが抗仏・抗米を戦い抜く為には、国内の宗教界(仏教・カトリック)を取込まなくてはならぬ事情があり、当初の立場を軟化せざるおえなくなったわけだ。それほど宗教勢力が庶民の信仰に根ざして強固なものになっていたというわけだ。

  ところが、ベトナムにも仏教・キリスト教から分派した宗派がある。これらは仏教界並びにキリスト教の本流からは異端として扱われているばかりか、政府からの差別を受けて窮めて経済的にも不利益な状況に置かれているのだ。もちろん、このような話が表に出ることはない。しかし、ドイモイを強力に推し進めている今だからこそ、国民が一丸となって国家建設が求められる時であることを、ベトナム政府は認識する必要があるだろう。自分たちと毛色が異なるから避けるのでは無く、そんな人々を懐柔し、仲間に迎え入れることにより、ベトナム政府は押しも押されぬ立派な正当政権としての器を認められるのだろうと思う。

* 「あなたのような若い方はお断りしているのですが、お宅をよく存じあげているものですから、、、。」そういう女将さんまでが、しみじみした。これまでにないある種類の人情を感じた。しかし私は座敷へ呼んでみた女が、どうしても寺のお詣りに来て、いつもちゃんと座っている熱心な祈願に燃えている有様とまるで別人のような気がしてならなかった。合掌して帳場にいても、それと聞き分けられるほど、鋭い艶々しい性欲的であるのに、会っていると、あれほどの刺激性もなければ美しさもなかった。それに彼女の銀杏返しが本堂内で見るとき、天井からつるしさげられた奉納とか献燈とか書いた紅堤灯との調和が非常に良く釣り合っているのに比べて、目の前で見ていると、ただの女のようで味気無かった。私の求めて行ったものがいつも失われるような気がした。その結果、私はもう行くまいと考えたり、自分がああいうところに行くようになった事を非常に悪い事に考えられて仕方なかった。

  私はひとり机に向かっている時でも、色々な恋の詩を書いたり、または、いつまでも一つのところを見て、何をするということもなくぼんやりしている事が多かった。妙に体中がむず痒いような、頭の中がいらつき、絶えず女性の事ばかり考えられて来るのであった。例えば、自分の蒼白い腕の腹をじっと見詰めたり、伸ばしたり曲げたりしながら、それがある美しい曲線を形づくると、そこに強烈な快感を味わったり、自分で自分の堅い白い肉体を吸ってみたりしながら、飽きることのない悩ましい密室の妄念に耽っているばかりで無く、時として、新聞の広告に挿入された忌まわしい半裸体の女など見ると、自分の内部にある空想によって描かれたものの形までが手伝って、永い間、それを生きているもののような取扱いに心は悩み、快感の小さい叫びをあげながら、その美しい形を盛り上げたり、崩してみたりするのであった。朝々の目覚めいつもぼおっとした熱のようなものが、瞼の上に重く蜘蛛の巣のように架かっていて、払おうとしても取り除けられない霞のようなものが、そこら中に張り詰められているようで鬱陶しい毎日が続いた。

  私はふらふらと外へ出た。霰が二三度降って来てから、国境の山々の姿は日に深く、削り立てたような厚い積雪の重みに輝いていた。磧の草はすっかり穂を翳らせしながら、今は、粛々とした荒い景色の中にあって、もう立つことのない季節の厳しい風に砥がれていた。誰しも北国に生まれたものの感じることであるが、、冬のやってくるまえの息苦しい景色の単調と静止は、人々の心にまで乗り移って、何をするにも純な、かじかんだところが出て来るのであった。向河岸の屋根は曇った日の中に、空と同じ色にぼかされ、窓々の障子戸ばかりが寒々と水面に投影しているのが眺められた。私はそれから坂を上がって、公園の方へ出た。冬の始まりは公園の道路に吹きしかれた落ち葉にも、掛茶屋のぴったり閉め切った障子戸にも、刈り込められた萩の坊主株が曲水のあちこちに取り残された辺りにも感じられた。葉を振るい落とした明るい雑林に交じって咲いたサザンカの冷ややかに零れた土の湿り気は凍るような荒さを夜毎の降霜や、霰に痛められながら、所々むくれ上がっていた。

  私はその疎林を透して、やや下地になった噴水の方を見た。たたた、、、たたた、、、と水面を叩いて落ちる飛沫は、小さいそこかしこの躑躅の葉っぱを濡らして、たえまなく、冷やかな単調な音を綴っていた。私はしゃがんで、表が良くこちらでお玉さんと逢引した事を考えた。すぐ噴水の傍に彼女の家があったが、ひっそりと静まり返った障子戸のうちは、深い山里の家のような寂しさを私に思わせた。殊にこの頃になると散歩する人も無くなっていたから、徒に掃く園丁の忠実な仕事振りも、ただ、そこらの道路をひとしほ白々と眺めさせるのみであった。私はお玉さんの家の前へ行った。そして「ごめんなさい。」と言うと、中からひそひそ声がした。それは誰の声とも判らなかったが、何故かしら不安な気を起こさせた。そのひそひそ声が止むと、お玉さんのお母さんが出て来た。前に二三度会っていて知っていた。

  「いらっしゃいまし。」と言ったが、私はその母なる人の顔を見ると、何かを取り込んだような落ち着かぬ色を見せた。「お玉さんは。。。」と言うと母親は私の傍に寄って、「実は先日から少し加減を悪くして寝ておりますので、、、。」私はぎくりとした。すぐ、この前に会った時の蒼い水気を含んだ顔を思いだした。「うつったな。」と言う心の中の叫びは、すぐに「やられたな。」とつぶやきに変わった。「よほどお悪いんですか。」「ええ、、良かったり悪かったりして、お医者では長引くだろうと言ってらっしゃいましたが、やはり表さんと同じ病気だと思うんでございますよ。」いくらか皮肉なところもあったので、私は、「お大切になさい。どうかよろしく言って下さい。」とそれだけ言付けると表へ出た。私は道々、あの恐ろしい病気がもう彼女に現れ始めた事を感じた。私自身の中にも、あの病気がありはしないだろうかという不安な神経を病みながら、あの少女らしい可憐な肉体が静かに家に横たえられていることを考えると、やはり表のように、とても永く無いような気がした。私は噴水のたえまなく上るのを見ながら沈んだ心になって、公園の坂を下りて行った。

  (了)

* 11月になって、ある日どっと寒さが日暮れ近くになり、急に大粒なかっきりとした霰となって屋根の上の落ち葉を叩いた。その烈しい急霰の落ち方は人の話し声も聞こえないほど盛んであった。書院の障子を開けて見ると、川の上に落ちるのや、庭の落ち葉を叩きながら跳ね返る霰は、まるで純白の玉を飛ばしたようであった。私は毎年この季節になると、特にこの霰を見ると幽遠な気がした。冬の一時の報せが重々しく叫ばれるような荒々しく非常に寂しい気を起こさせるのであった。父は茶室に籠もり始めた。静かな釜鳴りが襖越しに私の部屋まで伝わって来た。「お父さんはまたお茶だな。」と思いながら私は障子を閉めた。梅が香の匂いがどの部屋で焚かれているのか、ゆるく、遠く漂って来た。

  私は夕方からひっそりと寺を抜け出て、一人である神社の裏手から廓町の方へ出ていった。郭町の道路には霰が積もって、絹行灯の灯火があちこちに並んで紅殻格子の家が続いた。私はそこを小さく、人に見られないようにして行って、ある一軒の大きな家に這入った。「先日は失礼しました。どうぞお入りなさって下さいまし。」二階へ案内された。私は先の晩、形の高い女を招んだ。私はただ、好きなだけ女を見ていればだんだん平常飢えがちなものを埋められるような気がした。「お寺の方でしたわね。いつもお目に掛かったことのある方だと思っていたんですよ。」彼女は小さな妹芸者を振り返ってそう言った。私はいつも彼女を寺の境内で、そのすらりとした姿を見たときに逢って話がしたいと思っていて、こうしてやってきて、いつも簡単に会えるのが嬉しかった。

  「雨の降る中 良くいらっしゃったわね。」彼女は火鉢の火を掻いた。この廓のしきたりとして、どういう家にも皆 香を焚いてあった。それに赤襟と呼ばれている美しい人形のような舞子がいて、姉さんと一緒に座敷へやってくるのが例になっていた。「お酒をお召し上がりになりますの。」彼女はちょいと驚いた。「少しやれるんだから、とって下さい。」この頃飲み慣れた酒を言いつけた。女は手持ち無沙汰らしかった。私は別に話すこともなかったし、妙に言葉が麻痺したように何も言えなかった。それにこの郭町へ入ると、いつも身体が震えて仕方がなかった。ことに女と話していると、その濃厚な大きい顔の輪郭や、自分に近くどっしりと座っているのを見ると、一種の押されるような美しくも怪しい厭迫を感じた。それがだんだん震えになって、指先などがぶるぶるしてくるのであった。お玉さんなどと会っていても身に感じなかったものが、ここではいつも感じられてくるのである。

  「じっとしていらっしゃいな。きっと震えないから。」と女は言ったが、じっと力を込めていてもやはり手先が震えた。堪えれば堪えるほど烈しい震えとなった。ここではいつも時間が非常に長いような気がして、例えば女と私が僅か三尺ばかりしか離れていない為に、女の身体の悩ましい重みが少しずつ、その美しい円いぼたぼたした座り具合からも、全体の曲線からも、その花々しい快活な小鳥の嘴のように開かれたりするところからも一種の厭力を持って、絶えず私の上にのし掛かるようで、か弱い少年の私の肉体はそれに打ち負かされて、話をするにも、どこかおずおずしたところがあるのに気がついた。「私ね。昨日もお詣りに行った時、あなたがもしも境内にでも出ていらっしゃらないかと思って、暫く廊下にいましたの。」

  「僕は奥にいるから滅多に外へ出たことが無い、、、。」と、女が何だか、ありそうもないことを言ったようで変な気がした。それに先程来しきりに寺の事が考えられて仕方なかった。父の事や、父を欺いて貰ってきたお金の事などが、絶えず頭の中で繰り返され落ち着かなかった。例えば、私のこんな遊びをしている間に、ひょっとして火事でも出たら大変だという懸念や、何か特別な天災が起こって来そうに思われて仕方なかった。特にこんな派手な座敷の色々な飾り立てや、女の持ってきた三味線や、仰々しく並べ立てられた果物の皿などが、寺の静かな部屋と比べて考えると、ここに座っているだけででも非常に悪いことのような気がした。終いには、ひとりで顔が蒼くなるほどうざったく様々な事を考え出して、胸が酸っぱくなって一刻も早くここを立ち去らねばならぬような気がしてきた。

  「僕は今夜は少し急ぐから。」と言って立ち上がった。「もっとゆっくりしたっていいじゃありませんか、余り遅くなるとお家へ帰れないでしょうが、未だ9時ですし、、、。」引き留められても、私はどうしても帰らなければならない気がして、外へ出た。寺へ帰ると父の顔が正視出来ないような、今までいたところをすっかり父に見透かされているような気がした。「随分 遅いようだが若い内は夜余り外出しない方がいいね。」父は優しく云う。「つい友達のところで話し込んでしまったものですから。」私は逃げるように自分の部屋へ這入って行った。自分の部屋は直ぐ縁から犀川の瀬の音がするところにある。今夜はなぜかその瀬の音までが、いつものようにすやすやと自分を眠らせなかった。私は長い間目を覚ましながら、もっと女のところに居れば良かったとも考えた。

* 表の葬いの日は彼岸に近い白々と晴れた午後で、いよいよ棺が家を出るとき、お玉さんが近所の人混みの間に小さく挟まれたようにひっそりと唯一人で見送っているのが、いじらしく涙ぐんだ眼と共に私の目に焼き付いた。参詣人といっても僅か四五人の貧しい弔いは、長々と続いた町から町を練って野に出て行った。野にはもう北国の荒い野わけが吹き始まって黍の道続きや、里芋の畑の間を人足どもの荒々しい歩調が続いた。表の短い十七年の生涯は、それなりでも、かなりな充実した生活であった。私は彼が色々な悪辣な手段を持って少女を釣ったり、大層な誘惑を、しかも何ら外部から拘束されること泣く、また少しも顧慮しないで突き進んだ事もだんだん私の心の持ちようにも染みて行くところがあった。しかしまた一面には何とも云えない優しい友達を持っていたことも忘れられない事であった。

  弔いが済んでから、私は自宅に戻り、それから幾日か淋しい日々を過ごしていた。ある日 孤雲のお玉さんのところへ行って見たい気持ちに駆られた。一度行こうかと思いながらも、死んだ友達の愛した女を訪ねて行くということが、しきりと気が咎められて仕方がなかったのだ。ひとつには、もう表もいなくなったら、却ってゆっくりお玉さんと話が出来るという邪魔者のいない明るい心持ちと、表も色々な悪いことをやったのだから、私があの人と交際したって構うものかという心と、もうひとつは、死んだ人に対する深い恥ずかしさとが、私をしてつい彼女を訪ねさせなかったのである。もう公園の芝草の先が焦げ始めて、薄や萩の叢生した辺りに野生の蟲が鳴き盛る頃で、高い松の群生した辺りを歩くと、自分の下駄の音が、一種の響きを持つほどに空気が透き通った午後であった。

  茶店へ寄ると、お玉さんが出てきた。そのしおらしい赤い襷も良く冴えて、はっきりと眼に映った。「よくいらっしゃいって下さいましたわね。」と言って、彼女はいち早く私を見ると、直ぐ表を思い出して涙ぐんだ。私も二人きりで会った事が余計なだけで、直ぐに彼女の目の潤みに誘われててしまい、やや胸が迫るような気がした。私たちは色々な話をした。死んだ表が絶えず、私たちの間にしょんぼり座っているようにも思われたりした。そして、いつか「お玉さんと交際してくれたまえ。君となら安心できるから。」と表が言ったことを思い出した。余所の人なら僕は死にきれないが君となら安心できると言った。「これから時々いらっしゃって下さいまし、私本当にお友達がないんですから、、、。」と彼女は言った。

  人間一人の死は、私と彼女の間に挟まって、事に娘らしい弱い彼女をだんだんに安心させて私に近づかせて来るようであった。私は私で、表の死んだのを餌にしているような心苦しさを絶えず気にしながら、馴れやすい優しい女の性から来る親しみを少しづつ感じた。「あの方の事はもう仰らないで下さいまし。私色々な事を思い出し悲しくなりますから。」と言った。私はそれを聞くと、彼女が出来るなら少し表の事を忘れるように努めているのを感じた。私はそれが物足りない気がした。一方では死んだ人間をいつまでも慕っている事も、しおらしい彼女にとっては仕方のないことではあったが、何だかこれまで経験したことのない妬ましさを感じた。「表さんの病気は伝染するって本当でしょうか。」とお玉さんは言った。それと同時に私も表と一緒によく肉鍋をつついたり、酒を飲んだりしたしたことを思い出して、自分にも伝染しているんじゃないかと一瞬寒さを感じた。

  「食べ物からよく伝染する事がありますね。体の弱い人はやはり伝染しやすいようです。」いつか表が咳込んでいたときも、どこかに肺病の蟲が、私の座ったところまでパッと広がったような気のしたことを思い出した。そのときは、何 感染するものかと言う気がしていたし、友に安心させる為にワザと近々と顔を寄せて話した事も、今 思い出されて、急に怖じ気づいてきて、取り返しのつかない事をしたように思われた。「私 この頃変な咳をしますの。顔だって随分蒼いでしょう。」始めて会った頃よりか、いくらか水気を拭くんだ青みを帯びているように思われた。そして、私は直ぐに表と彼女の関係が目まぐるしいほどの早さで、二つの唇の結ばれている様を目に浮かべた。あの美しい詩のような心で眺めた二人を、これまで一度も感じたことのないある汚さを交えて考えるようになって、妬みまでが烈しくズキズキと加わって行った。

  今ここにこうした真面目な顔をして話をしていながら、色々な形を亡き友に開いては見せたかと思うと、あの執拗な病気がすっかり彼女の胸に食い入っていることも当然のように思えるし、また何かしら可憐な気をも起きさせてくれるものであった。また一面には小気味よくも感じ、苛々した気分をも感じてくるのであった。そうかと思うと、彼女と表との関係があった為に、この頃毎日家で責められていたり、少しも寛いだ気のする時のない事や、よく表に融通した金の事などで絶えず泣かされたことを聞くと、私は「表も随分酷い奴だった。」と考えるようになっていた。「みんな私が悪かったんですから、私あの方の事を少しも恨んでいません。」と言って私を見詰めた。「表がもう少し生きていれば何とかあなたの事も具体的に出来たのでしょうけど。」

  いつも表が決して確かな地盤の上で組み立てられていないことを、殊にお玉さんの身の上にも感じた。表は唯享楽すれば良かった。表は未来や過去を考えるよりも、目の前の女性を嗜みたかったのだ。私は表がしていたことが、表の死後、尚 その犠牲者を虐め苦しめていることを考えると、人は死に因っても尚、注ぎ尽くせない贖罪のあるものだと言うことを感じた。本人はそれで良いのだろう。しかし後に残ったものの苦しみはどうなるのだろうと、私は表の生涯の短いだけ、それほど長い生涯の人の生活だけを短い間に仕事していったような運命の狡さを感じた。「この頃 死ぬような気がしてしょうがないんですの。」「あんまり色々なことを考えないようにした方が良いね。」「でも私、本当にそんな気がしますの。」女の人にありがちな、優しい死のことを彼女も考えているらしかった。私はまたの日を約して別れた。

* ここ西町の午後は静かで、外の明るい木漏れ日が小さな庭にも射し入っていた。私は暫くそれを見ていたが、約束の北原白秋の「邪宗門」を出して見せた。「もう出たんだね。」表は手にとって嬉しそうに見ていた。草刷のような羽二重を混ぜ張った燃ゆるようなこの詩集は彼を慰めた。感覚と異国情緒と新しい官能が盛り上がったこの書物の一ページ毎に起こる高い鼓動は、友の頬を紅く上気せしめたのみならず、友に強い生きる力を与えさせさえした。友はこの書物を横に置いて、「この間 短いのを書いたからみてくれ。」とノートを出して見せた。ノートも薬が染み込んで、ページをめくるとパッと匂いがした。私は暫く見なかった作品を味わうようにして読んだ。

  『この寂しさはどこより訪れてくるや。魂の奥の奥よりか 空と僕の過ぎゆく如く 我が胸にありて囁く如く 捕らえんとすれど形なし。ああ、我、ひねもす座して 我が寂しさに溺れんとはせり。されど形亡きものの影を落として 我が胸を日に日に衰えゆかしむ。』

  しかも彼は一日づつ何者かに力を掠め取られる行くのものように、自分の声明の微妙な衰えを凝視しているさまが、私をしてこの友が死を否定していながら次第に肯定して行くさまが読み分けられて行くのであった。「病気になってから書いたんだね。」「ああ四五日前に書いたのだ。やはりその気持ちから離れられなくてね。私たちはまた暫く黙っていた。表はその間に二三度咳をした。力のない声は、私をして顔を背けさせた。私は時々伝染しないだろうかと云う不安を感じたが、しかし直ぐにそれらは消えて行った。私はそれから間もなくして席を立った。帰るときには酷く発熱していた。もう夏は残る暑さのみに感じられるだけで、地上の一切のものは凡て秋の装いに急ぎつつあった。寺の庭の菊がつぼみを持ったり、柿が重そうに梢に下がりだした。けれども土は乾ききって白かった。何故かそれらを見ていると、夏の終わりから秋の初めに移る季節のいみじい感情が、しっとりと私の心に重なり掛かってくるのであった。

  秋の御講連中が三十三箇所の札所巡りに、良く私の寺の方へもやってきた。淋しい白の脚絆をつけた女連れの中に、若い娘たちも雑ざっていた。その連中が観音様のお堂の前でご詠歌を誦んで去ると、賑やかで淋しさを感じるのであった。私は毎日詩作していた。友が病んだ後は私一人きりな孤独のうちに、まるで自分の心と一緒に生活するように、川近い書斎に籠もっていた。その日も表を訪ねた。この友は四五日見ない間に非常に痩せ込んで、もう臥せったきりで起き上がれなくなっていた。「どうかね。きっと良くなると信じていれば快くなるものだよ。」彼は白いような微笑みを浮かべた。それが自分の病気を嘲っているようにも、また私が彼の病気には罹っていない事を冷笑しているようにも受け取れるのであった。深刻な、嫌な冷笑であった。「どうも駄目だね。こんなに痩せてしまってはね。。。」友は手を布団から出して擦って見せた。蒼白い弛んだ艶のない皮膚はつまめば剥げてしまいそうで力なく見えた。

  「随分痩せたね。」私は痛々しく眺めた。「それからね。お玉さんと君と友達になってくれたまえ。僕の代わりにね。この間から考えていたんだ。」彼は真摯な顔をした。私は直ぐに紅くなったような気がしたが、「そんなことどうでも良いよ。快くなればみんなでまた遊べるじゃないか。何も考えない方が良いよ。」「そうかな。。」と力なく言って咳き込んだ。彼は突然発熱したように上気して、起き直ろうとしていった。「僕がいけなくなったら君だけは有名になってくれ。僕の分も頑張って活躍してくれたまえ。」私は彼の目をじっと見た。目は病熱に輝いていた。「バカを云え!そのうち快くなったら二人で一緒に仕事をしようじゃないか。」と、私は励ましたが、友はもう自分を知っているらしかった。あのような哀れはこの頑固な友の強い意志をだんだんに挫いて行った。しかし彼はまた言った。「僕が君に力を貸してやるからね。二人分やってくれ。」「僕は一生懸命やるよ。君の分もね。十年間は勉強に明け暮れる積もりさ。」私はつい昂奮して叫んだ。二人は日暮れまでこんな話をしていた。間もなく私はこの友に暇を告げて外へ出た。外へ出て私は胸が迫って涙を感じた。秋も半ば過ぎにこの友は死んだ。

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