一歩、また一歩と・・・

それでも、「日本」は、な〜んにも変わらへん。わし、ひとりの「日本人」として、「独立宣言」するさかい(笑)

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前回の更新から相当の間が空いてしまいました。昔話の次は、伝説です。
 
よく「昔話と伝説は同じ?」「どう違うの?」と聞かれます。民俗学では、特定の場所・人物・時にまつわる話を「伝説」といい、場所・人物・時が特定されていない話を「昔話」といっています。
 
つまり、「むかし、むかし、あるところに・・・」という語り口で始まるのは、場所も時も不特定なので、「昔話」です。それに対して、具体的な地名や場所が示されていたり、その話にまつわる特定の木や石が存在したり、特定の人物にまつわる話は、「伝説」ということになります。
 
例えば、「おじいさん」や「おばあさん」は登場するが、その名前が定かでなければ「昔話」です。日本を代表する昔話である「桃太郎」も「鶴の恩返し」も「かさ地蔵」も、皆「おじいさん」「おばあさん」の名前が特定されず、しかも似通った話が全国各地に存在するので、「昔話」です。「桃太郎」は、あたかも特定の人物名のようですが、単に「桃から生まれた長男」といってるだけです。「浦島太郎」も、似たような話が全国にあり、あちこちで「浦島太郎」といって、具体的にどこの誰かが定かでない(そもそも実在した証拠がない)ので、「昔話」ということになります。
 
一方、「弘法大師」「平将門」「聖徳太子」など、歴史上の人物にまつわる話や、「富士山」「筑波山」など、特定の場所にまつわる話は、「伝説」です。また、先に「桃太郎」「浦島太郎」は「昔話」といいましたが、実は「桃太郎が生まれた」とか「浦島太郎が住んでいた」と伝えられる場所があり、そういった場所にまつわる話は、「伝説」ということになります。このように、実際には「昔話」と「伝説」の区別は曖昧な部分もあり、特に地域に伝わる語りや言い伝えには、そのような曖昧さが付き物であって、必ずしも厳密には区別しきれないのも事実です。
 
前置きはそのくらいにして、『富岡町史 考古・民俗編』から、富岡町の代表的な伝説ともいえる、「高津戸館と高津戸餅」に関する部分を引用します。
 
朝賀城哀話

富岡町上手岡に、館山と呼ばれている小高い丘陵地がある。標高一一七メートルの広い台地は、今は自然林の松林と雑草に覆われたまま、かって朝賀城ともいわれた高津戸の館があったとされる面影はどこにも見出せない。しかし、今から約六五〇余年前の南北朝時代に、この館をめぐって激しい攻防が演じられて、館主高津戸氏は敗退したと伝えられている。
 
当時、今の双葉郡は、岩城氏の一族である楢葉氏と標葉氏の両氏で二分していた。が、この領地は勢力に勝る相馬氏と岩城氏の草刈り場的存在で、小競り合いは日常茶飯事であった。
 
岩城氏は、更に高津戸隼人守を配置して、北、相馬氏の侵攻に備え万全の態勢を整えていた。
 
高津戸氏は高津戸館によって、浜通りに勢力を誇ったのである。
 
当時、岩城氏も相馬氏も、北朝、足利幕府にくみしていた。ところが、その後、高津戸氏は岩城氏の意に反して、南党楢葉・標葉側についてしまった。これが悲劇の始まりであった。
 
怒った岩城氏は、北党勢と語らい、一三三七年(延元二年)九月二十三日、岩城好間荘預かり所、伊賀三郎盛光代、贄田六郎盛行(今の四倉町仁井田の豪族)らと、中野義長と大泉平九郎の率いる相馬・岩城の軍勢が怒濤の如く高津戸館に押し寄せたのである。
 
「月の出を合図に合戦を始める。」との申し合わせであった。館では軍勢が兵糧を持って集まっていた。二十三夜の月は子(ね)の下刻(現、午前一時)ごろ出るのでまだ間がある。俗にもいうではないが、「腹がへっては戦はできぬ。」と。まずは腹ごしらえをと、餅をついて準備中であった。
 
権謀術策は戦いのならい、敵は月に似せた大提灯を東、仏浜の空に掲げて突如攻めかかってきた。
 
時ならぬ月の出に、あわてふためいた館勢は、ついた餅につけるものが間に合わず、有り合わせの大根おろしをかけて、大急ぎにかきこみ応戦したが、勝敗は最早や歴然として姫だけを辛うじて逃げ落としたのみで、館主らは討ちとられ、「館が落ちた。」と伝えられている。
 
落館に際し、隼人守は、家宝の黄金の鶏を館内の井戸深く投げ込んだという言い伝えがあり、その井戸は雑木林の中にひっそりと現存している。
 
昭和の初期、土地の若者たちが、井戸を掘って見ようとの相談になり、ちょうど、春の冷雨降る日であったが、めいめいスコップを携えて集まり、掘ってみた。掘り下げること約五、六メートルにして一枚岩につき当ってしまい、ついに断念したという。この時、一枚岩から時折り井戸の底に、雫の滴る音がかすかに聞かれ、気味の悪さはこの上なかったということである。

もっと掘れば、あるいは黄金の鶏が出たかも知れないのに、本当に残念な、とは口さがないすずめ達の言草である。

何はともあれ、手岡の人達は、以後、大根おろしを「高津戸おろし」と呼び、「高津戸餅」とは大根おろしにつけた餅のことをいう。

又、この高津戸の残党は、手岡(ちゅうか)の里に土着したが、二十三夜の月待ち供養をいまだにしようとしないという。これは、遥かなその昔の油断を、家訓として子孫に伝えたものといわれている。
(pp.884-886)

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震災前、分布調査で縄張り図片手に入ったのが懐かしいです。
ありがとうございました。

2012/5/21(月) 午前 6:17 snp*h*de

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本格的調査もまだこれからだった、というのは、残念至極ですね。

2012/5/21(月) 午後 6:30 ぱぱちん

近所だったので行った事があるのですが、館山稲荷の右手側にある鉄塔より東側になるんですが。
石垣跡のような石積みと、その石積みの上に倒れた大きな馬頭観音の碑、石垣跡の脇を直っすぐ山の奥へとのびる人工的に造られたと思われる道の後、その道の跡をしばらく進んだところに丸く木が開けて地面に円形型に苔が生えている場所があります。
入口は現在存在する山へ立ち入れる場所では無いところになるのでてっきりそこが噂の井戸なのかと思っていましたが、井戸は井戸として現存しているのですね。

あの場所は一体何なのか気になってきました(^_^;)

2014/12/8(月) 午後 1:23 [ moe*o*usuus* ]

すぐお近くに住まれてたんですね!
現地はもはや荒れ果てて確認しようもない状況かも知れませんね・・( ´△`)

2015/1/15(木) 午後 11:01 ぱぱちん


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