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現実を直視することは、とても大切なことで、物事の本質を見誤らないためには、どんなに厳しい状況下でも、目の前にある「不都合な真実」から、目を背けるべきではないとは思います。
ですが、実際問題として、誰もがそこまで強靭な精神力を持ち合わせている訳ではありません。むしろ、たとえそれが「とてつもなく重大」かつ「決して目を背けてはならない問題」だとしても、毎日毎日、その事ばかりを考え、片時も忘れないでいたとしたら、ストレスが溜まる一方であり、いずれ心身ともに消耗しきって、病気になってしまいます。 人は、そうした過剰なストレスから来る「自らの心身に起こり得る危機」から、事前に身を守ろうとして、恐らく本能的に、回避行動を取るものです。例えば、意識的にせよ、無意識的にせよ、そうした目の前の「不都合な真実」や「重大な現実」から、時には目を背けたくなるし、思考停止したくなるものではないでしょうか? 私自身は、そうした過酷な現実を目の前にして人が取る回避行動とか、時々起こる「思考停止」への欲求を、決して「人としてしょうがないこと」とマイナスに捉えるのでなく、日常生活の中では、むしろ積極的に容認し、その人その人の状況に応じて、適切に取り入れていくべき方法論の一つだと考えています。それは、人が自らの心身の健康の維持を図っていくために必要な発想であり、時には、重大な現実について「考え続けること」よりも、逆に「思考停止」する方が、より価値的と思われる場合は、往々にしてあると思うのです。 私自身も、震災の半年後くらいから、次第にそのようなジレンマに陥り、本当は「目の前の現実、問題に目を向け、考えないといけない」と思いながらも、それがあまりにも深刻で複雑な問題であるために、ふとそれが脳裏を過っただけでストレスを感じて、辛くなり、逆に「何も考えたくなくなる」という、まさに行ったり来たりの状態でした。このブログで時々愚痴を吐露してみたりもするのですが、そのこと自体に「言い知れない虚無感」もあり、でも、何か言わないと、書かないと、腹の虫も治まらないので、時々は精神力を振り絞って書く・・。そんな繰り返しだったと思うのです。そういう悶々とした状態から、ようやく抜け出たなと自覚できたのは、震災から3年の、今年の3・11あたり、つまり、ほんの1か月前くらいのことです。 今年は、今までにも増して「心の復興」という言葉が聞かれました。そのこと自体にも、言い知れないもどかしさがありましたが、逆に自分の中でうまく整理をして、バランスを取っていくためのキーワードとして、「心の復興」を利用したかも知れません。 |

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ご無沙汰しております。
私意見は、当事者の方からみたら
受け入れられないかもしれませんが
3年と言う月日で一区切りつけよう考えは
残された生きていく人たちにとっては
大切な事なのだと感じています。
震災後3年ぶりに祭りを行った山田町の地区にに行ったとき
そこ神社の宮司さんが
3年と言うことで、生き残った人たちは
悲しみから区切りをつけなきゃならない・・
そのような感じの言葉を言っていました。
そんななか
被災地では、津波から助かった人たちが
自殺すると言う話を聞いて
誰が悪いとかいう事よりも
悲しみしか感じられないのが辛いですね・・・・(>_<)
2014/4/17(木) 午後 9:08 [ ワタナベ ]
ワタナベさん、ご無沙汰です。当事者にとっても3年はひと区切りと考えている人は、かなり多いと思います。いつまでも引きずれない、引きずるべきではないという気持ちは、かなり切実です。やはり現実は現実として受け止める覚悟は必要なのです。
一方で、あまりにも過酷な現実を受け止めきれない、逃げ出したいと思う気持ちも、また真実です。そうなると、逆に積極的に「忘れる」べきなんでしょう。「記憶し続ける」権利と同じように、「忘れる」権利もまた認めないと行けません。
それにしても、「忘れる」ってとても難しいことですね。本当に最後の最後まで、追い詰められてしまう人の気持ちが、私にもよく分かります。泣
2014/4/18(金) 午後 9:47