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福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの長崎大学・山下俊一教授の最近のインタビュー記事を、飯坂生まれさん〜フュージョンさん経由で読みました。今、福島で起きている放射線パニックをどう理解し、一人ひとりがどう行動するかを考えていく上で、これは基本的な認識を共有するために、とても重要だと思いましたので、私の記事でも紹介させていただきます。
(以下のリンク先は「こども健康倶楽部」HP)
「福島は心配ない」と言える理由ある
「多様な発がんリスクをどう捉えるか」
「最初から火中の栗を拾う覚悟だった」
内容は、リンク先で直接読んでいただければよいですし、飯坂生まれさんが丁寧にまとめてくださっているので(http://blogs.yahoo.co.jp/iizakaumare/35583206.html)、ここでは割愛します。
先に言っておきますが、今、福島で大問題になっている長期間に及ぶ低線量被曝の健康へのリスクについて、私は今のところ、あくまで中立的な立場です。それは、一つには、チェルノブイリ事故後も、低線量被曝についての疫学調査の蓄積がまだまだ不足していることは事実だと考えるからです。もう一つの理由は、山下教授や高村昇教授の低線量被曝や内部被曝についてのこれまでの説明には、見えない放射線に対して不安を抱く県民の立場に立った「リスク回避」の視点が、やや不足していたのでないかと、今でも思っているからです。
とはいえ、チェルノブイリ事故の被曝研究や、長崎・広島での膨大な研究蓄積に裏打ちされた教授らの説明には大いに説得力がありますし、かつ権威を有することは間違いないと考えるので、私自身、心して山下教授らの説明には耳を傾けたいし、その価値を強調していきたいとも思います。
その山下俊一教授のインタビュー記事の中で、3月の事故発生当初の「クライシス・コミュニケーション」から、4月に文科省から「数字」(年間20mSvと3.8μSv/hの「被曝許容限度」を指すと思います)が出て以降は、「リスク・コミュニケーション」に変わったという部分があります。山下氏によると、前者は「白黒はっきりしたことを言うこと。危ないか、危なくないか」であり、これは「皆をパニックにしないことが重要だから」とのことです。後者は「分からないところ、グレーゾーンの議論」であり、「最終的に情報をどう解釈して行動するかは住民の判断になる」とのことです。
このうち、「リスク・コミュニケーション」については、今回は国が示した「被曝許容限度」というものを我々住民がどう理解し、自分たちの判断基準につなげるかという問題に直結するわけです。しかし、「分からない」「グレーゾーンである」という情報発信には、我々はあまり慣れ親しんでいません。ましてや、初めて経験する原発からの放射能漏れ事故に対して、「最終的には自分の判断だ」と言われても、どうしてよいか分からない人はやはり多いわけです。私は、この山下教授のいう「リスク・コミュニケーション」において、「言葉では容易に払拭されない不安」の存在は、決して軽視できないものだと考えています。
そのために、「リスク・コミュニケーション」に切り替わった時点で、多くの人が何らかの確証を得ようと、インターネットや週刊誌などの情報に頼るようになりました。すると、そこには「福島は危険だ」「今すぐ逃げるべき」といった情報が溢れていたために、今のこの混乱が始まったわけです。
今さらながら、この「リスク・コミュニケーション」に切り替わった段階で、どのような言葉、情報発信のあり方が必要だったかを考えると、私は、やはりチェルノブイリ事故における疫学調査事例を、もっと大量かつ詳細に示すべきだったと思っています。たとえば、それぞれの地域の汚染度合と住民の健康との因果関係に関する見解や、学校や地域、医療現場で実際に行われた対応策がどうだったのかなどです。その中で、事故から25年たった今でも、分からないことについては分からない、分かっていることは分かっているなりの情報発信が、もっと必要だったのではないでしょうか。それが、フクシマに求められた「リスク・コミュニケーション」だっのではないかと思うのです。
しかし、そうは言っても、我々福島県民の多くが、今、自分たちがどう判断し、どう行動するかの答えを早急に求めていたので、あの状況下では、むしろ誰にでも分かりやすい平易な表現で、「正しく恐がることが大事」「放射線の影響はニコニコしている人には来ない」などの表現を、山下氏自身も熟慮の上であえて選択したのだと思います。また、チェルノブイリにおける疫学調査事例などの情報を発信しても、それを読んで正しく数値や統計の意味を読み取れる県民が、果たしてどれだけいたかという問題もあるでしょう。
とはいえ、この時期に、誰にでも分かる平易な表現を繰り返した(実際にはYoutubeなどネット上で反芻された部分が大きい)ことが、私は、むしろ仇になったという気がしてしょうがないのです。つまり、「大丈夫」「心配ない」という明らかに「安心」「安全」を喚起する言葉は、まったく逆の「危険」論が存在することを知った多くの人々にとって、返って不安を増幅する響きを持っていたのではないかということです。
それは、私が考えるに、放射線は目に見えない上に、低レベルではその影響が現れるまで時間がかかるので、どうしても「安心だ」「安全だ」と言われて安心できる人と、逆に不安になる人とが必ずいるからです。仮に極端に相反する両論が存在する場合、一般的な人間の心理としては、やはり「危険」論に意識を取られるのは自然な反応ではないでしょうか。なぜなら、人間は誰しも本能的に「リスク回避」の感覚を有しているからで、どちらの言い分が正しいか分からないときには、自分がより「安全」「安心」になるためには、やはり「危険」論を採用するのが人の常だと思うのです。
ところが、自分が「安全」「安心」になるために「危険」論を採用するといっても、子を持つ母親などの場合はそうですが、まったく逆に「安全」論を採用する人々もいます。それは、「危険」論の拡大によって自分の立場や仕事、収入が脅かされると感じる人々です。たとえば、風評被害の拡大によって農産物が売れなくなることを懸念する農畜産家や、商工会、観光業界などの関係者がそうであり、保護者らが不安を増すことで学校現場が混乱することを恐れる教育関係者などもそれに当たるかも知れません。そうした立場にある人々にとっては、「危険」論の拡大こそが、自分たちにとって「危険」だと受け止めるものです。ただ、これも本能的な「リスク回避」という意味で言えば、子を持つ母親などと根っこにある心理は同じはずなのです。
山下教授らは「リスク管理」を県や県民にアドバイスする立場にあるわけですから、この「リスク回避」の考え方や心理的側面にまったく無頓着だったとは、私も考えてはいません。あったとすれば、どちらかというと後者の立場に近かったのではないでしょうか。少なくともその印象はあります。ただ、その辺りの真意は直接本人に聞いて見なければ、私にも分かりません。しかし、少なくとも多くの子を持つ母親などからは、そのように受け止められてしまった、つまり「避難地域の拡大や風評被害の拡大を懸念する県や県内産業界に配慮するあまり、放射線への感受性の高い子供や、妊婦などの健康問題を軽視した」と受け取られてしまったことは、残念ながら事実だと思います。
いずれにせよ、やはり「安心」「安全」あるいは「危険」といった言葉や、そのイメージを喚起する言葉というのは、一連の放射線問題の「リスク・コミュニケーション」の流れにおいては、相当な慎重さが求められたはずです。しかし、思うに、この2〜3か月の状況を見ると、情報発信する立場にあった様々な人々の間で、少なからず慎重さが欠けていたような気がしてなりません。特に近年はブログやツイッター、フェイスブックなどで誰でも容易に情報発信できるようになっているために、医者や学者だけでなく、ジャーナリスト、政財界人、芸能人、そして一般人に至るまで、多種多様な職種、立場の人々が、この放射能漏れという未曾有の事態に、積極的に自らの意見を述べたり、情報を発信してきたために、「リスク」に対する曲解や誇張表現ばかりが一人歩きするような結果につながったのではないでしょうか。
しかし、その中でも、「リスク」をめぐる混乱の背後に隠された「確かな情報」を探し出そうと、情報の海の中で必死にもがきながら探し回った人々が大勢いますし、ようやく「最終的には自分の判断」というレベルに達し、何らかの「確証」を得られた人々も、徐々にですが増えてきているような気がします。ただ、問題はそこから先で、自分が得た「確証」を、今度はどのようにして他者と共有できるようにするか、具体的な「言葉」を選ぶために、また慎重さが求められてきます。
たとえば、私自身、ブログの中で「もう大気中には放射性物質はほとんど飛んでいない」とか「猛暑の中で学校の窓を閉め切ることは意味がない」と書いたのも、そうしたプロセスを経たものであって、自分では相当な慎重さを持って臨んだつもりです。また「暫定基準値を超える恐れがある食品を一度や二度食べたからといって、将来がんや白血病になるというレベルの話ではない」と書いたのもそうです。
ただ、その一方で、正直な話をすれば、「耳のない子ウサギ」など、個人的に一番不安心理が高まった時期に書いた記事などは、新聞記事などで事実確認をしつつ慎重に書いたつもりではあっても、少なくとも放射能漏れとの関連を示唆して書いていますから、自分でももう少し慎重さがあってしかるべきだったかと思うことはあります。「子供の鼻血」「下痢」などの件もその部類です。(ただ、これらの件はまだ分からないことだらけなので、今のところそのままにしています)
どっちにしても、まだまだ書きたくても書けないこと、自分自身の「リスク・コミュニケーション」として採用するには、もう少し慎重でありたいと思う言葉、表現はたくさんあります。特に、「100mSv以下なら心配ないという、山下教授の説明は正しかった」という情報発信だけは、私自身、なかなか出来ずに、いまだに悩んでいるところです。
それでも、恐らく、数年後には何の躊躇もなく、「山下先生は正しかった」と言える日が来るのではないかという淡い期待が自分の中にもありますし、むしろ、そうなってほしい、そうなることを信じたいとも思っています。
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庶民科学
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わが家で招聘したホウシャノッピ教授の出張測定は、5月22日の着任以来、この1か月間に、ご近所からの依頼を含め、延べ10か所を超えました。ご近所でも、標高の少し低いところは線量が低い傾向がやや見られますが、これとて明確に言えることではありません。放射性降下物の量は、まさに3月15日以降の数日間の風向き、降雨・降雪、地形などによる、まさに「偶然の産物」としか言いようがないようなのです。
その間、わが家の庭の芝生問題も、抜本的な対策が見出せないまま、ほとんど放置状態です。庭の線量は、地上1m付近で0.3〜0.6μSv/h前後と、たいして変わっておりません。昨日の福島市はかなりの降雨量でしたが、降雨による目に見えた影響は確認できません。
また、ここ2〜3日は梅雨前線の影響で、やや風が強い日が続いてますが、終日窓を開け放っても屋内の線量はほぼ0.2〜0.3μSv/hで安定していることが判明。少々の風では地表の土に付着した放射性物質が巻き上げられる心配が、ほぼないことが実証されました。したがって、学校は授業中に窓を開け放つべきでしょう。うちの子も毎日「暑い、暑い」と申しております。
昨日は、かねて「ここはちょっと心配」と懸念されていた福島市のあぶくまクリーンセンターの視察に随行しました。福島市内全域からゴミが集積するこの場所周辺の数値がどうなっているのか、私も関心を持っていたのです。そこで、出かけようとした、その前に、教授が「ちょっと・・」と仰って、
娘が時々拾ってくるクローバーでした。「う〜ん・・・」。。。やはり、触らないに越したことはなさそうです。わかりました。ひきつづき、娘に言い聞かせます。
市内中心部も、場所によって線量の高い低いはかなりまちまちです。弁天橋を渡って、最近は全国ニュースでも頻繁に紹介されてすっかり有名になった渡利地区に入ると、車内で測定しても1.2〜2.0μSv/hと一気に跳ね上がります。普段はなんとも思わないのですが、教授と一緒だとドキドキします。
さて、今回の視察地、あぶくまクリーンセンターに到着。敷地外から測ると1.3〜2.0μSv/h前後で、なかなか数値が安定しません。教授もお悩みのようです。ただ、渡利地区からここに来るまでに急に上がったというわけではないようです。今回だけでは、はっきりしたことは何も分からず仕舞いでした。
時々もくもくと煙突から白い煙が出てくるのが気になりましたが、市では排気口のフィルターで除去されるので心配ないと話しています。一方で、福島市内の東部地区から渡利地区にかけて線量の高い地域が集中していることについて、この施設との関連を指摘する声も出ています。
実際にそれを確認すべく周辺を計測した方もいるようです↓。
http://goo.gl/V7M0X (Googleマップ)
ちなみに、ここと隣接する「ヘルシーランド福島」には、あぶくまクリーンセンターの焼却による余熱を利用した屋内プールがあります。現在、市内の各小学校のプール授業のために使われていて、うちの娘の学年も、先週来たばかりです。
視察の帰り道には、先日、松尾の親分からもご紹介のあった「ナカツネのスワン・シュー」を、お土産に買い求めました。
かめとうさぎも一緒に来ました。スワンは娘がほとんど一人で平らげました (・д・ノ)
(でも、実は、冷蔵庫にもう一つ残してあるのです。たぶん、第一発見者の腹に収まることになるでしょう (^ー^)v)
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福島市の小学校では、現在でも登下校時はマスク着用、授業中は教室の窓を締め切るなどの対応をしています。本格的な夏を前に、窓を閉め切っての授業は教室内の気温が上昇するため、福島市では各教室に扇風機4台の設置を進めています。ちなみに、となりの二本松市などではエアコンの設置を進めています。
しかし、こうした対応について、私はかねてから疑問を持っていました。そもそも、空気中に放射性物質は、もうほとんど飛んでいないのではないかと考えていたからです。
先日議事録を紹介した市内のある小学校の懇談会の席でも、教室への扇風機の設置が話題になっていました。ある保護者は少しでも早く設置を進めるために各家庭から持ち寄るべきだと発言しています。一方で、窓を開けても放射線量はそれほど変わらないと聞いている、と発言する保護者もいます。しかし、大方は窓を開けて授業をすることへの抵抗が、保護者の間では非常に強いようです。
多くの保護者や学校関係者が教室の窓を閉め切って授業をするべきだと判断している背景には、学校の敷地内で計測される放射線量が高いからだと思われます。たとえば、この学校では、校庭の真ん中で測った放射線量が1.5μSv/h、敷地内のもっとも高い場所で9〜10μSv/hで、これは確かに福島市の通常値0.02μSv/hよりはるかに高い数値です。しかし、これは地表に付着した放射性物質から発せられる放射線量を測っているのであって、空気中に漂う放射性物質の量を測っているのではありません。
このブログでも過去に何度か言及したように、原発から放出された放射性物質は、大気中に漂いながら広範囲に拡散しましたが、その後の降雨、降雪でほとんどが地上に落下し、今は地表の土などに付着している状態です。つまり、強風などで舞い上がったりしない限り、大気中に漂う放射性物質は、もうほとんどないと考えてよいはずです。
そう考えると、砂埃が舞うような風の強い日を除けば、外出時にマスクをすることも、建物の窓を閉め切ることも、あまり意味がないことになります。実際に、窓を開けても教室内の放射線量は変わらないか、逆に風通しをよくしたことで少し下がったという報告さえされています。
わが家でも、暑い日中は窓を開けていることがほとんどです。屋内では0.2μSv/h前後ですが、これは窓を何時間開けていてもほとんど変わりません。
ただ、多くの人が不安に思っているのは、福島第一原発では、水素爆発で原子炉建屋が大破しているので、メルトダウンした核燃料などがむき出しの状態のまま、放射性物質が拡散し続けているのではないか。あるいは、しばしば原子炉を写すライブカメラで煙が立ち上る様子が確認されるなどしていて、そのたびに放射性物質が拡散し続けているのではないか、ということだと思います。
それについて、東京電力のホームページに、福島第一原発敷地内の空気中の放射性物質について公表されているので紹介します。これは6月15日に計測された最新値ですが、これを見ると、原発敷地内でさえ、空気中の放射性物質の量がこれだけ少ないのですから、福島市などでは空気中に飛んでいないのではなないかと考えられます。
もちろん、「東電の発表は信じられない」、「この数値そのものが捏造ではないか」、などと疑ってしまうと、それで話は終わりですが・・・
ちなみに、この「○.○E−○」という数値表記がわかりにくいのですが、「○.○×10のマイナス○乗」ということなので、たとえば、第一原発西門のセシウム137の「8.3E−06」とは、「8.3×10のマイナス6乗」ですから、表記し直すと「0.0000083Bq/c㎥」となります。
これが、どの程度の汚染度を示すのかが問題で、なかなか比較できるデータが見当たらないのですが、たとえば、空気と飲み物を単純に比較できないとは思いますが、先に紹介した日本の暫定基準値(これが各国よりかなり高い!)が、飲み物に含まれるセシウム137で200Bq/ℓ、それよりかなり低いウクライナの基準値が2Bq/ℓです。1ℓ=1,000c㎥なので、先の「0.0000083Bq/c㎥」は「0.0083Bq/ℓ」で、仮にその空気を全部吸い込んだとしても、日本の暫定基準の2万4千分の1、ウクライナの基準の240分の1、ということになるかと思います。
「庶民科学」を標榜しているわりには、私自身、数学や科学がとっても苦手で、この計算のしかたにあまり自信がありません。もし誤りがあれば是非、ご指摘ください。
(※申し訳ありませんが、記述が確定するまで、転載、コピペはお控えください<(_ _)>)
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わが家の庭の芝生ですが、1.0〜1.5μSv/hと敷地内でも比較的線量が高く、先に紹介したように除去してもその処分に困るため、手をこまねいていました。ただ、もともと水はけの悪い土地で育ちにくいので、いずれ剥ぎ取って暗渠排水にするなど、庭の全面改良をしなければならぬと考えていましたので、芝生の部分的な剥ぎ取りを強行しました。
実施前
実施状況
実施後
分かっていたことですが、違いは一目瞭然です。ただ、こうやって剥ぎ取った放射性物質を含む芝生と土ですが、やはりこれら放射性物質の元の所有者である
東電さんにお持ち帰りいただきたいなぁ・・・(*:;;;:*v)☆
・・・当面はビニール袋に入れておくしかないのですが、近所で畑を借りて混ぜ込んでひまわりを植えるなど、色々なことを検討中です。 |
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最近、身近な人と空間線量率や土壌汚染などの話をしていて、どうも話がかみ合わないなぁと思うことが多かったのですが、今日、ふと気づきました。どうやら「放射能」や「放射線」「放射性物質」といった基本概念をよく理解しないまま、これらの言葉を使っている人が、まだとても多いことを・・。
しかし、これらの概念を理解しておくことは、これから日本、とくに福島県とその周辺地域で生きていこうと考える人にとっては、とても大事な基礎知識だと思うので、今日はこれを取り上げたいと思います。(もうとっくに分かってるぞ!という人は、読まなくてよいです
まず、「放射能」とは、「放射線を出す能力」のことです。・・・これはいいですよね
では、その「放射線」とは何か?・・というと、これがちょっと難しい。正直言って、私自身、きちんと理解しきれていないし、まだうまく説明する自信がありません
Wikipediaには、「一般的には電離性を有する高いエネルギーを持った電磁波や粒子線のこと」と書かれています。・・・といっても何のことかさっぱり分からん
そこで、私は、あえて「ある種類の物質から発せられる、目に見えない高いエネルギーの流れ」くらいに理解すればよいのでは、と考えています。それ以上の科学的な説明がいろいろあるんですが、今日は触れません・・・。
で、その「放射線」を出す(つまり「放射能」を持つ)物質のことを、「放射性物質」といいます。ウラン、プルトニウムなどの核燃料も、放射性物質ですが、今回の原発事故後に大量に放出され、直接われわれに降りかかっている放射性物質は、放射性ヨウ素、放射性セシウムです。それぞれ、放射能を持つヨウ素、放射能を持つセシウムのことです。
以上の概念について、理解できましたか?
理解できたところで、次の穴埋め問題をやってみましょう
では、いってみましょう
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〈穴埋め問題〉
福島第一原発の1号機で水素爆発が起きた3月12日午後3時36分以降、大量の(放射性)ヨウ素や(放射性)セシウムなどの(放射性物質)が空気中に放出されました。その後も15日にかけて、3号機、2号機、4号機と次々に水素爆発や炉心溶融が起きて、大量の(放射性物質)が破壊された建屋から周囲に飛散しました。これらの大量の(放射性物質)がどこに流されたかは、この間に福島第一原発周辺で吹いていた風の向きに大いに関係があります。大部分は太平洋上に吹き流れされたとされていますが、3月15日に運悪く北西方向に吹く風が吹き、原発から見て北西の方角に大量の(放射性物質)が流されました。そして、この日の夕方から翌16日にかけて、福島県内では各地で雪や雨が降り、その後1〜2週間ほどの間に、大半の(放射性物質)は雨などで地上に落ちたと見られています。
事実、3月15日夕方から、原発から60km離れた福島市などで観測される(放射線)量の値が急速に上昇しました。事故後に観測された(放射線)量は、当初は、空気中に漂っていた(放射性物質)と、雪や雨で地上に落ちた(放射性物質)の両方から発せられるものであったと思われますが、次第に大半が地上に落ち、同時に半減期が8日と短い(放射性)ヨウ素からの(放射線)がなくなっていったので、観測される(放射線)量も急激に減少しました。事故後2ヶ月半が過ぎた現在は、観測される(放射線)量はほぼ横ばい状態ですが、これは半減期が30年と長い(放射性)セシウム137が地上に付着したままま残っていて、(放射線)を発し続けているためと考えられます。
よくガイガーカウンターなどの(放射線)量計で、地面すれすれで測ると高い値が出るのは、(放射性物質)が地面に付着しているからで、当然のことです。では、地上1mで測っても地上付近より少ないながらも通常より比較的高い値が出るのはなぜか?空気中に漂っているからではなく、地面に付着した(放射性物質)から発せられる(放射線)がそこまで届いているからです。ただし、空気中に漂う(放射性物質)が皆無とは言いません。風が吹けば舞い上がるからです。しかし、3月16日以降は大きな(放射能)漏れが起きていないと考えられるので、空気中の(放射性物質)の大部分はその後の雨で地上に落ちています。
ところで、テレビ等でよく「(放射能)漏れ」という表現が用いられますが、この場合の「(放射能)」がウランなどの(放射性物質)から発せられる「(放射線)」を指している場合と、「(放射性物質)」それ自体を指している場合があるので、そのどちらの意味であるかは、文脈などからよく確認する必要があります。
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いかがでしたか?優秀な福島県民は、たぶん全問正解ですよね!
ちなみに、( )の部分をマウスなどで選択すると、答えが見えるはずです。
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