神様のこと1 洗礼を受けて

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十字架

この記事の内容ですが、、少々最初が暗いです。でもその中で見つけた光、希望、
そして私に示された信仰の道について書きました。
決して死にたいとか、生きている意味がない、、という内容ではないです。
本当はとても明るい内容です。




私の中に苦しみはいったいいくつあるだろう。

それを上回る喜びがあるだろうか。

生きていてよかったのだろうか。。

そう思うことが時々ある。


神を知っても、自分を受け入れても、祈っても、、努力しても、、

何をしても解決することのない苦しみがある。

解決するには、首をくくるか電車に飛び込むしかないだろう。


でも、最近思う。死ぬまで消えない苦しみ、、これはきっと私の十字架なのだと。
(ある人のブログからこの表現をかりました。本当にしっくりくる表現です)

十字架は死ぬまで消えることはないけど、イエス様が共に背負って、、私の歩幅で一緒に

歩いてくれるので、、少しは軽くなるのです。

私は十字架を背負い、イエス様と共にゴールまで歩きます。

長男はイエス様を信じていると言った。
(正確には私が「信じて!」といい、それに対して「わかった」と返答した。
でもメビックでイエス様を信じてる人といわれ手をあげてるし、、絶対信じている。)

でも、牧師先生と向き合って「イエスが自分の罪のために死んでくれたことを信じる?」ときかれ

「わかんない。」と言った。

私は落ち込んだ。

またそのうち受けれるさ、、とか関係ない。

神様に祈ったことの結果は恐ろしいほど同じ。

いつも「かなった!」とぬか喜びさせておいて寸前で取り上げる。いつもそう。

時にかなって美しかったことなどない。


2年くらい前に祈ったこと。。私が当時習っていた格闘技を友達と一緒にできたら、、と思って

ちょうどその時格闘技に興味を示してくれていた子と一緒に習えますように。。と祈った。

最初はその子のご主人が反対していたけど、何故か許可がおりて一緒にできることになった。

そりゃ喜んだし、神様にもお礼を言った。でも次の週、格闘技の先生が事故で亡くなってしまった。

交通事故でした。そのときのことは祈ったのにどうしてこんなことになったのか未だにわからず。。

一生わからないだろうけど、祈りが信じられない大きな原因です。


他にも、主人と次の週に教会に行こうと約束をした。祈りがかなったと思い、神様に感謝しました。

しかし、その週の日曜日、私は教会の姉妹と喧嘩をした。

どう考えても自分に悪いところもなく、、また、どのように行動しようともその喧嘩を

さけることが出来ない状態でした。せっかく主人と教会に行く約束ができたのに、私はその日から

3年間教会に行くことができませんでした。


何かを祈るといつもこんな感じ。

今私はとにかく何もしたくない。無気力な状態。


本当に信じていたら聖餐式なんて受けてくても天国にいけることは知っている。

でも、あやふやな信仰心を聖餐式を受けて「これで天国に行ける」と思うことで確かな信仰に

してほしかった。でも、信じていないと食べちゃダメって、、腹が立つ。

食べることで信じられることもあるのに。

っていうか、、長男は何年も教会に来ている。5年近い?

少々特例を認めてくれても良いと思う。

前のブログに書いたように、イエス様の体をそれが救いだと信じることで救われること。

人によって信仰のカタチは違うと思うけど、、私はその信じる度合いは関係ないと信じている。

ただ、、信じればそれで良いと。

だいたいさ、、救いを信じる度合いが深くなるのは普通信仰生活をある程度経てのことじゃないのかな?

こんなとんでもない話なんだもの。

「へー、まぁ信じても良いかな。。」て思えることすら大拍手なのですが。。

いいかげんであたりまえ。とにかく信じりゃいいんだって思うよ。


でも、、先生に聞くと、、それが合っているとも間違っているとでもないあいまいな答え。

信仰は人によって違うみたい。同じ御言葉を読んでも全く違ったとらえかたをする。

先生は聖餐式はしっかり信じて受けないといけないと言っていた。

でも私と同じ意見の人もいた。まあいい。我が道を行こう。。


自分の信仰のためでもあるけど、、なんとか家族の魂が救われてほしかった。

なので、、家で聖餐式ができないか聞いた。

夫は教会に来るのをすごく嫌がるので。教会の人に対しても警戒する。

救いの話は私がしなくてはならない。

先生に聞くと、しても良いが教会の聖餐式とは少し違うらしい。

聖餐式を家庭ですることは出来るが私にはその権威はない。でもしてもいいらしい。

よくわからないが、、いいなら良い。それ以上は面倒だったので聞かなかった。

あと、一つのパンをイエス様の体とするので残ったパンを捨てたりしないように。全部食べれる

大きさにすること。(はっとした!)

でも、やってもいいんだ。よかった。

いつできるかまだわからいけど、出来るときにしたい。


夫や息子、、それから父がイエス様の救いを受け入れてくれますように。イエス様のお名前に
よってお祈りします。アーメン。

別に犯罪を許可してほしいわけじゃないです。

「信仰による義」のことをリアルに書きたかったのです。

魂が救われること(天国にいける)に関しては行いは全く関係がないようです。

下の御言葉から、救われてからの行いに関しても同様だとわかりました。


「だれかが、わたしのいうことを聞いていてそれを守らなくても、わたしはその人を裁きません」
ヨハネ12章47節

48節に「わたしを拒み、言うことを受け入れないものには、その人を裁くものがあります。」

これは、「イエス様が私を助けてくれたんだなぁ」と思った人であれば、あとはもうなんでもいい。

(悪いことしていいって書いてるんじゃないですよー)


何の働きもない者(奉仕しない、献金しない、)

不敬虔な者(盗み、姦淫、殺人)

このような者を義と認めてくれる。

それは「イエスって人が助けてくれたんだ。ふーん。」と思うだけということ。

別に感謝しなくたって怒られない。神を愛さなくてもいい。

その後御言葉を守れなかったから裁かれるということもないみたい。


以前教会で「人の感情は相手の行動によって変化することがあるが、御言葉は違う。

御言葉は永遠に変わらない。」と言われた。

「わたしは、天から下ってきたいけるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」
ヨハネ6章51節

このパンを食べるなら永遠に生きると書かれている。信仰によって与えられた「恵み」が

救われてからも罪を犯しつづけてしまったという「行い」によって取り消されてしまう

などあるわけがない。


私は救われてからも、まだ罪責感に悩まされる。というか、、実際に罪を犯しまくっている。

それは確かに悪魔の影響かもしれない。でも、、それによって、より多くの恵みを求めることが

でき、多分それを得ることもできたと思うので良かったです。

いのちのパン

 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。

 わたしはいのちのパンです。」ヨハネ6章47節


私の魂が救われて天国に行くにはこのパンを食べるだけで良いように思いました。

もちろん、このパンがイエス様の裂かれた体で、私は十字架にかかって死んでくれたイエス様の

体を食べることによって天国に行けるんだ。ということを信じていないといけないけど。


別に神の愛がわからなくても、、神を呪っていても、、御心にしたがっていなくても、、

教会に行かなくても、おおげさに言うと、、たとえ犯罪をおかしまくっていても、、

魂の救いはイエス様の十字架にかけられて死んだ体。いのちのパンを食べることによってのみ

なので、、行いとは別なので、、信じてこのパンを食べれば天国に行けるのだと思います。


天国に行くこと(魂が救われること)は本当はとてもシンプルで簡単なのかしら。

「ただ信じるだけ。」そう聞いてはいたものの、いったい神の何を信じることなのか。

御言葉を読んで、私は「イエス様がいのちのパンであることを信じること」だと思いました。

他の部分は信じていなくても、とりあえず永遠の命は得られるんじゃないかな。


いのちのパンを食べるには・・・
「これはイエス様の裂かれた体と血だ」と信じて聖餐式のクラッカーとブドウジュース飲んだら

天国行き決定!!そう思います。いえ、、誰がなんと言おうがそう信じます。

聖書にはそのような意味のことがかかれています。

以前教会の人がいのちのパンが御言葉で御言葉を聞くことがいのちのパンを食べることだと

言っていた気がします。それは違っていると思います。

「またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための私の肉です。」と書かれているので。

御言葉でなくイエス様の体なんです。多分。

御言葉を信じたり守ったりしないといのちのパンを食べたことにならないなら、なかなか私は

食べられない。なのでそうではないと思う。


例えば、、こんな人がいたとして、、

この人は毎日人を殺したり盗んだりする大悪人です。

「へー。イエスって人が俺達のために死んでくれたんだ。バカな奴だ。アホらしー。

・・・え?そのパンを食べたら死んだときに天国に行ける?それは俺達のために死んでくれた

イエスって奴の体?それを信じて食べたらいいって?

ハハハハ、、簡単だなー。そんなんでいいんだ。。信じる信じる信じてやるよ!

それじゃあいただきまーす。」むしゃむしゃ、ごくり。

この後、この人はいつもどうり。教会なんて一生行かなかったし相変わらず犯罪だらけの

日々を送りました。。

この人、、天国に行ける?

私は行けると思います。

イエス様を救い主と信じてその体であるパンを食べたので。

また、、信じ続けないといけないのであれば、「なくなる食物」と同じです。

いのちのパンは「いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食べ物」と聖書に書かれているので。


あ、、もちろん犯罪は悪いことです。でも魂の救いは行いによるものではないので。


*私が聖書を読んで勝手に信じた内容です。正しいかどうかは知りません。
でも正しいと信じています。
今度のマリア会で話そうかなと思います。

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