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「感嘆詞」

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 やすけさは川のごとく心ひたすとき かなしみはなみのごとく わが胸満たすとき

 すべて やすし 御神ともにませば

 聖歌476



 この賛美に思い入れがあり、たまに口ずさむ。しばしば、目頭が熱くなる。


 自分が歌謡曲を聞き出したのは、つい最近からである。

 自分は幼少時代より、親から「世」の曲は悪魔を賛美する歌だと教えられてきた。


 自分の頭の中は、「世」と「教会」という二つの世界があった。

 聖書の正しい解釈を教えられず、幼少よりそこで育つと、教会の常識と生活と社会の常識生活にギャップが生じる。

 救われていない人達で構成されているのが「世」。
 救われた人達で構成されているのが「教会」

 だから、「世」の人は・・とか、「世」の曲は・・とかいう表現をよく使う。

 学生の時は、周りに自分の思考と共感し合える友達が居なかったのは言うまでも無く、また友達をまだ救われていない「世」の人と心では定義つけていた。
 常にこの「世」の友達が救われることを願い、「教会」に来るように願っていた。
 しかしながら、自分自身に義認体験がなく、「逸脱」した信仰の中で、心に叫びがあった自分が、自信をもって友達に福音を語れるはずもなく、ただ、教会の使命のみで、伝道よりも教会に「世」から友達を連れてくることに心がせかされていた。より多くの人を「世」から連れてくるクリスチャンは、この偽教会では称賛されていたことも、その意識の要因の一つだった。

 同年代の男性のクリスチャンが少ないことに、自分は責任を感じていた。

 
 学生の時、友達の間では、歌謡曲が話題になることが多かった。

 中学生のころ、「X」や「BOOY」といったハードロック、ロックが流行っていた。

 「X」のCDを友達からかり、家に持ち帰ったときは大問題になった。親の中では、彼らの格好や歌詞の内容は正に「悪魔」そのものだった。
 これはわかりやすいが、その他のポップス等も認められず、当初は反抗して聞いたり、また、親に歌詞がわからない、洋楽を聞いたりしていたが、親と教会の影響は非常に強く、「世」の曲を聴くことに「心を汚される」的思考になっていた。

 
 賛美オンリー・教会オンリーでどんどん「世」と「教会」が自分の中で「乖離」していた。
 もちろん、賛美を知っている友達、共感できる友達は「世」にいるはずもなく、こと「歌」に関しては、社会で今でも共通の話題とすることができない。
 

 でも、よかったのは、神様に、賛美の中で慰められていたことである。 



 「すご〜い」
 「へ〜っ、すばらしいね〜」

 自分がよく使う用語でした。
 「世」の人と話す時は特に、世間知らずで幼稚で、議論不足の自分は、肯定的な言葉を発しなければ・・、相手をつまずかせず、特に教会に初めてくるような方々には最新の注意を払い、教会にとどまるように、相手にいい気持ちになって頂かなくては・・と、相手が話すことに「意見」することはもってのほか、できないし、そんな言葉は持ち合わせておらず、結果、「感嘆詞」になってしまう。

 あまりにもその言葉が、自分の中で自然に、どんな話にもでてくるようになっていた。
 一度、教会の賛美バンドつながりの兄弟姉妹と、「世」の人数名を交えて会話をすることがあった時、いつものように、たわいのない普通の会話に「すご〜い」「へぇ〜」等の言葉をよく使っていた。

 そのとき、「世」の人の一人が、「何がすごいの?」と聞き返したとき、はっと我に返った気がした時があった。その中で、感嘆詞が使いづらい雰囲気になり、その時、感嘆詞抜きの会話が非常に難しいことを知り、自分の会話の大部分を感嘆詞が占めていたことに気がついた。




 教会で、ある○○姉妹が捧げ物をした、と牧師が講壇から言い放った。

 自分はその時は、教会にどっぷりだったため、来るべきときが来たのかと思い、教会の中の噂が現実化したという思いと、また、世間知らずなので、その捧げ物の「意味」と「価値」がよくわかっていなかった。

 礼拝が終わったあと、その姉妹のところにみんな駆け寄って、「すごいね〜」「神様すばらしいね〜」と感嘆詞と抽象的なすばらしさの言葉が姉妹に浴びせられた。

 あ、ぁぁ、はい・・すごくないです・・
 う、うん・・神様すばらしい・・です

 涙がでてくる。

 「牧師」の言うことが絶対で、「情報」がその牧師の発言のみだったその当時、その捧げ物、神のすばらしさのみが強調され、また、その捧げ物にまつわる過程の話を一方的に牧師から聞かされ、その姉妹自身から証を聞くことはなかった。

 教会の中の噂と事件、御言葉と成功哲学、牧師の権威が強調される中、純粋であればあるほど思考停止に、また罪の意識が増大していくことを自分は知っている。心の本音にふたをされ、心の叫びがかき消されていく過程を自分は知っている。

 「すごいね」と言われて、すごくないと言えるクリスチャンはいない。
 「神様すばらしい」と言われて、すばらしくないと言えるクリスチャンはいない。

 その時の姉妹の気持ちが、今は痛いほどよくわかる。

 毎週、毎週言われ続け、また、間違った聖書解釈に基づく信仰。思考停止にどんだけ心にふたをされ、言いたいことも言えず、兄弟姉妹から「感嘆詞」を浴びせられ、否定的なことは一切口にできないし、牧師に反することは地獄的発想を持っていたのは、その教会にいる兄弟姉妹とも一致の見解かと思う。その証拠に、牧師に意を反して意見をぶつけ、教会を追い出された人達を「悪霊にやられた」「これは人間の戦いではなく、背後に働く空中の主権者との戦いだ」と言っており、接触することを悪としている。純粋な信徒が「真実」を知ることを恐れている。

 結果、誰もが、その姉妹が今もなお、「捧げた」と思っている。

 間違いである。

 「捧げさせられ」、「捧げた」と定義づけられたのである。

 どれだけの兄弟姉妹が「捧げさせられ」、どれだけ間違った聖書の解釈を植えつけられ、思考を停止させられているか。

 回復するのに地道な作業が必要なんだぞ。常に過去の自分の思考と戦わないといけない。信じていました。信じさせられました。強く。



 今、自分は、意図的に教会用語を避けている。なるべく、感嘆詞を使わず、自分の気持ちを正直に表すようにしている。




 

 

閉じる コメント(3)

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自分の「硬い殻」を破り、削ぎ落とさないかぎり「カニ」は成長しないらしい。新しい自分の体、心、知恵というのは自分の中で「成長をしよう!」と意識することからはじまるんでしょうね。自分の殻を自分で外すことも出来る人もいれば出来ない人がいてもおかしくない・・・出来ない人にはきちんとその人の周りには手助けをしてくれる「友達」がいる。 殻がどれだけ硬いのか? 外しにくいのか?知っている友達だけが周りにいる・・・その友達に出会えただけでも「楽しいぃ〜さぁ〜」と本気で言える。

2007/7/10(火) 午前 8:36 ヤッカン2001

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教会に通ってるときって、世間に関心ごとを持つことが、だんだん難しくなっていっていた。音楽への関心も持ち方がわからなかった。 音楽、嫌いじゃないけど、こだわって好んでもいなかった。
教会をでて3年。。。今は、好みがはっきりとしてる。
R&Bだ。もちろん洋楽です。 J−POP?私にとっては、ムズがゆい。 洋楽は歌詞の内容が空っぽなの多いけど、心地いい。 賛美歌???今聞くと、クックックって笑い出しそう。 歌詞古すぎて日本語なのに意味わかんない。。。

2007/7/10(火) 午後 5:07 [ mag*i*33*0 ]

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このブログ、正直な、素直な言葉が聞けて素敵だなって思います。
自分は何がしたいのか、何がすきなのか、何が嫌いなのか、そういうことが安心して発言できるってうれしいですね

2007/7/30(月) 午後 9:35 [ コアラ ]


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