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牧師:
「牧師が恵まれると、信徒が恵まれます!! 牧師が恵まれていないと、信徒も恵まれません!!
 だから、牧師のために祈りましょう。祝福されるように祈りましょう。」


ペンテコステ・カリスマ・福音派では、上記は「常識」。

何の疑問も持たず、必死に「牧師」が祝福されるように祈る。


今でこそ、プロテスタントの教会は、世の中でも認知されるようになってきたと思う。

かつて20数年前までは、「賛美」においても、ドラムやギターを導入するのも革新的、

メガチャーチ等もなく、みなほそぼそと教会を運営していたと思われる。

そんな中、アメリカでは、金集めや政治に利用され、根深くその土台の上にキリスト教

がある気がする。

「デッドゾーン」というスティーブン・キング作の海外ドラマがあるが、とても面白い。

当時(一昔前)の「教会」がどういうものかよくわかる。



沖縄の「牧師」達の多くは、教会をビジネス化させている。

いや、ひょっとしたら、ビジネスを教会化させたのかもしれない。



その20数年前の社会では、職業「牧師」というものは認知度がひくく、沖縄リバイバル教会でも

メッセージでよく、

「日本の牧師は、権利がない。アメリカでは牧師は社会で認められている。」

 (上記の内容からなぜか・・下記↓)

「教会の信徒達は、礼拝が終わると、牧師に握手を求め挨拶しに来るが、その手には小切手が
 あったりする。」

「アメリカや韓国では、牧師の誕生日に沢山のプレゼントが牧師に送られているそうです。」


と語っていた。


ことさらに、什分の一献金や、その他の献金については、異常なほどメッセージで語られていた
時期があった。





あれは、2005年3月か4月、教会に問題が勃発したときに、牧師の友人と言われる人がメッセージを語ったときのこと。


牧師:「牧師がベンツにのって何が悪いんですか?」

会衆:「あはは・・・」



ウケをねらうように軽い口調で語られた言葉。





:「牧師がベンツにのって何が悪いんですか?」


・・・どう思われますか。 現役のクリスチャンの皆様方。







これは別話、1億2百万円詐欺られながら、その最中に自分の家建てられる牧師の神経が、今となっては、

怒りを覚える。

「現役信徒」は、微塵も、これっぽっちもそんなこと考えられないと思いますが。

牧師が祝福されての信徒だからね・・^^







当時の自分・・マジでアホだと思う。








 

 
教会から離れてはや4年が経過。

かなり安定した日々。


この安定した日々は、決して教会に通っていては得られなかった。


当然。


カルトだから。  ビジネス化した教会だから。  権威主義だから。


そこには命はなく、あるのはカリスマ。


その魅力に取り付かれ、共感する人達の集まり。


当時、教会には、野心家が多かった。


というのは、ビジネスでの成功、祝福を求めている人がほとんど。

彼らは、イエスキリストの福音のため、という大義名分でもって、世で認められることを

望んでいた。


広告塔がかならずいるし、広告塔を利用する。


「あの有名人、クリスチャンなんだよ。」


POWER FOR LIVING。 流行りました。

みんな利用。

もう聖書を紹介することなく、POWER FOR LIVING。

自信がないんだよ。 自分が信じている方に。


キリストを信じるものが、地の塩となることの曲解。


霊的?   

くそっくらえです。  いりません。


イエスキリストの十字架が、自分を罪から解放し、救ってくださった。

それだけで十分です。





あの時。

霊的でもなく、とりなしの祈りでもなく、自分を助けてくれたのは、

親身になった人なんです。



「とりなしているよ。 祈ってるよ。」

偽善。 何の助けにもならない。

本当に助けになるのは、そんな報告より、聞きたくない言葉。厳しい言葉。

その時必要だけど、言うと傷つくかもしれないような言葉。その時限りではなく、

その「言葉」に責任を持ち続けてくれる「人」




誤解しないでほしい。


いや誤解してもいいか。別に。


長い期間、ずっと、とことん。

話が通じない人達と、理解し、話を聞き、厳しい言葉をかけることほど、

大変なことはない。

本当に大変なことだと思います。



本当の病、心の傷、みんな病んでいる。

癒しは、人間を通される。


誤解しないでほしい。 いや誤解してもいい。別に。


「神様は 人を通して 表される」

ということが、本当に「わかった」というか、なんというか。

「人」だと思う。

「人」が癒すのではないけれど、人は人としか関われない。

話を聞いてくれるのは、その聞いてくれる「人」

手を握ってくれるのは、その手を握ってくれる「人」

共に泣けるのも、喜べるのも、怒るのも、「人」と共に。


「最終的に神様が癒されるんだ」

という、とってつけたような言葉はいらない。

全てだから。

そのうえで言う。



自分は決して、そのような、マザーテレサのような「人」にはなれない。

とても、「他人」のためにできない。

言いたくないことを言える「人」

聞きたくないことを、ずっと聞いてくれる「人」

本音で、より人間らしく、経験を、惜しみなく、隠さず、良い所も、悪い所も言ってくれる「人」

その「人達」に自分は支えられて、今があります。

「神様がその人達を導いた。」

というような、とってつけたような言葉はいらない。


すみません、人間賛歌ではないけれど。 深く考えてます。

わからない。そこまでできることが。「愛」ですか。

教会では、決して見れなかった。触れられなかった。




自分ができるところから、やってみる。

家族から。

「躓きを与えてはいけない」

「死んだハエが清い油全体を濁す」



子供の時によく言い聞かされた言葉。

ささやくように、諭すように言われたわけじゃない。


「強いられた」




教会では、古い日本語がよくつかわれている。今思えば、聖歌等、普段使わない言葉を、当たり前のように教会では使っていた。

「我が霊(たま)いざたたえよ おおいなる御神を」

普段使わない。



「傲慢だ」
「自我を砕け」
「奉仕しなさい」

中学生の時には、かなり敏感に、周りに気を使い、教会に気を使い、自分はそこにいない。

自分の同年代でその時期、「傲慢」「自我」「奉仕」「我が霊(タマ)」「いざ」等々・・

なかなかいないんじゃね、そういう言葉をイヤというほど耳にしたり、使ったり。



手ー挙げて賛美

「主よ清めて下さい、自我を砕いてください、自分の思いが主と同じ思いになりますように、頭のてっぺんから足のつま先まで主の霊で満たされ清められますように、十字架の血潮で洗い清めて下さい、自我を打ち砕いてください、主よ助けてください、自分は弱いものです、罪を赦してください、罪から解放してください、傲慢の罪を赦してください、今日友達を悪く思ったことを赦してください、二度とそのような思いを持たないように取り除いてください、











木曜日は祈祷会

土曜日は午後から夕方まで奉仕

日曜日は午前中は礼拝 午後は親の交わりをただひたすらまつ

月曜日は、学校で伝道に意識を集中

火曜日は、日曜日の余韻が冷め始めるころ、悔改めと自我の砕き

水曜日は、翌日木曜日「祈祷会がある」から時間がとれない、とテンションが下がったり上がったり。

木曜日は、夜の祈祷会に備え・・・



物心ついた時からこんな生活

クリスチャン2世で、特に親がカルティなところは、悲惨というほかない



自分の正直な心はない


「周りに合わせる」


それは、結構周りをイライラさせるようだ。

「ことなかれ・・ 周りを荒立てず・・」

自分を殺して、言いたいことも押し殺して、自分がそう思ったことも、思ったのかどうかもわからなくなり・・


周りを荒立てないように、と、気分を害さないようにと、


「死んだハエは清い油を濁す」「自我は砕かなければ」「傲慢だ」「躓きを与えてはいけない」


人が求めているのは、そんなものではないらしい



相手はガンガン気持ちをぶつけてくる

それを受け流し、交わしながら、相手に合わせる


「聞き上手」


違うね


オレはそんな人間じゃない


イライラする


相手もイライラしているようだ




自分はそこにいないほうがいいんじゃないか


わかっている


わかっているけど、そのように思う


不思議な感覚



違う


違うのはわかっている

いや、わかってないのか、わからないんじゃないか



赦せない               いや赦さないと

イラッ                イライラしてはいけない

こうじゃないと思うんだけど      でもいい

それは・・              そうなんだ

あれは・・              そうなんだ

・・・                ・・・




完全思考停止

               

客観的に見ると、きつい。

以下 Youtube
http://jp.youtube.com/watch?v=4_abkHC5nFw




倒れることに何の意味があるのだろうか。


安主の祈りってなんだったんだろう。


倒れるのわかってんだったら、みんな座らせて、祈ればいいのに。 何でたたすの。




あ、上記についても、youtubeについても、「みんな座らせて・・」っつう問題でもないけどね・・・。

マインドコントロール

マインドコントロールは洗脳ではない。


最近、なんか、ブログが開設されて、また閉じて。



「私たちはオウム真理教のようにマインドコントロールなんかされていません!」


教会はマインドコントロールの学びはしないのか・・。


カルト化した教会がマインドコントロールやカルトについて、学びなんてするはずないか。



マインドコントロールには、「情報操作」という、情報のコントロール、支配があります。

あらゆる情報を遮断し、一方からの情報のみを与え、それが全てだ、とその人自身に決定させるように誘導します。


マインドコントロールは洗脳とは違う。 

オウム真理教が行っていた洗脳活動をマインドコントロールだ、私たちの教会はそんなことはされていない、ということ自体、教会の一方的な「情報の支配」を客観的にみることができる。



なんで、3年前に教会で起こった悲しい事件を、その直接関わって教会から出た人達に何があったのかを聞かないのか、不思議です。



「教会」の現役信者は、あの当時の問題、その時、何があったのか、教会が言う情報しか聞いてない。


教会から出た人達に会って話しを聞く人が全くいないので。




とても不思議。


「あの人はとてもいい人。 だからそんなことするはずがない。」
「まさか牧師がそんなことするはずがない。」



とても不思議。




3年前のある告別式で何があったか、教会が言うことだけでなく、その告別式に参加した人達から話を聞いたんですか?



告別式に参加した人達、今教会に残っていますか?  


みんな、牧師とその取り巻きがした裏の顔と、礼拝等での表の顔を見、聞き、困惑しましたよ。


あきらかにウソついてましたから。



一人を除いて全員教会から出ています。出されています。


話合うといいながら、話合わず、教会の言うことだけを信じる人達を使って情報コントロールしたじゃないですか。





サインアップってなんだったんですか?


自分が受けた説明:

教会は会社と一緒で、牧師が社長で、その社長の方針に従うかどうかのサインアップだと。

一致が必要だと。 その方針(規約)にサインできなければ、奉仕をおろします。

その場には、自分を含め、事務局(?)の人が上記の説明をし、同席に二人いましたね。

「に〜ぶやが納得(規約に)できないのって、献金のところでしょ。」

献金のところだけじゃないよ。 とりわけ献金については、十分の一献金には疑問があったので、重視してはいましたが。




できるわけないじゃん。

教会の社長って・・、キリストではないんかい。 正直今はどーでもいいけど。




現役教会員の方々、一度、教会をでた人達の話を聞いてみてはいかがでしょうか。


「彼らはやられているから、話しないほうがいい」
「騙されるよ」


自分がそこまで愚かではない、と思うなら、教会が言うことと、教会から出た人達、当時「問題」に関わっていた人達の話を聞いて、判断してはいかがでしょう。


その上で、教会は間違っていない、と声高らかに叫べばいいと思いますが。

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