占星術 ★連載コラム★

『超次元占星術』の生みの親、酒井日香と『インド占星術』の玉妃 による、占星術連載コラム!!

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今日はスピリチュアル・エゴと因果応報のお話です。
 
さて、 「スピリチュアル・エゴ」とは何かというと、「霊的傲慢」と訳すとピッタリ来るでしょうか。
 
私が占いダイヤルの受付事務として働いていた遠い昔のある日のこと、とあるお客様が、うちの会社の占い師にひどいことを言われたということで、受付にお怒りの電話をしてきました。
 
そのお客様はどうやら、障害をお持ちの方のようでありまして、鑑定中その障害の話に及んだそうです。するとうちの占い師から、その障害は前世からの報いであり、自業自得だ、と言われたのだそうです。 
 
「自業自得って、ひどくないですか? 好きでこんな体に生まれてきたわけではないのに、
どうしておカネを払ってそこまでひどいことを言われなくてはならないのですか?」
 
と、そう言いながら怒りまくるお客様の傾聴をしたのはもちろん、一人しかいない
事務員の私だったのですが……。
 
お客様の傾聴をするうちに、 「なんてひどいことを言う占い師だろう」 と、私も怒りが湧いてきましたが、一応は占い師側にも事情を聴いてみなければなりません。会社の電話から当該占い師に電話をいたしました。占い師にとって会社からかかってくる電話というのは、大抵クレームです。私が電話をかけると占い師はすでにわかっていたようで、「さっきのお客さんの件ですよね」 と言いました。そうです、先ほどのお客様の件です、ということで、占い師側の事情を聴くと、 「だってそう見えた」 という説明でした。
 
私はここで悩んでしまったのです……。当時はまだ、25歳くらいの若い私でした。最初は 「なんてひどいことを言う占い師だ! とっちめてやる!」 という思いでしたが、しかし、電話で占い師と話すうち、これはジャッジしていいのかどうなのか、わからなくなってしまったのです。
 
 なぜならそもそも占いとは、 「そういうもの」 だからです。だってそんな風に見えた、感じた、ということだけで、あれこれ言うのが 「占い」 です。 そしてここは占いサービスの会社です。
 
 だとすれば、その占い師が 「見えたんだもん」 ということで、それをクライアントに伝えるということは、占いサービスとしては何ら間違ってはいないのです。社会通念としては、心身に先天的な障害を抱えた人を捕まえて前世の報いだ、などと言うのは、いじめのようにも思えます。ここが一般の会社であればそんな社員は指導されて当然です。ですが、ここは占いダイヤルですから、この占い師の言動も、業務内容から逸れているわけではないのです。かくして、私はもやもやした気持ちだけが残ったまま、この問題にはきちんと論理的な説明が必要なのではないだろうかと思ったのでした。
 
 その当時、恥ずかしながら私は、サルトルやハイデッガー、ニーチェといった虚無主義、実存主事、唯物論哲学かぶれの若者でした。そうした哲学では、 「霊」 とか 「死後存続」 などに含まれる概念である 「自分が存在し続けること」 さえ、皮肉に考えます。そうしたことを信じて逃げ込むより、能動的に 「いま・このときだけ」 に集中して全力で生きていこうという、そうした姿勢のある哲学ですから、その教えにかぶれていた私にはそもそも、占いダイヤル自体が理解できなかったし、この問題がずっと心に引っかかりました。問題点はいくつかありますが、整理するとこういうことです。
 
1、 そもそも「前世」の存在自体が一般的には認められていない。
2、 占い師が 「見えた」 ことが正しいとは限らない
3、 正しかったとしても伝えていいのかどうか。また、それを正しいとする自信はどこから来るのか?
 
 この3点がずっと心に引っかかり続けました。おそらく、占いやスピリチュアルなどの非合理世界、精神世界の探求を始めて間もない人がもっとも勘違いし、また悩むのもこのあたりではないだろうかと思います。この3点に対する答えを求めて、あれこれ文献を読む日々でしたが、あるとき大変面白い本と出会いました。
 
 それは 「ミリンダ王の問い」 というタイトルで出版されている本です。もともとの原典は「那先比丘経」と言います。那先、とは、「ナーガセーナ」という名前のお坊さんのことです。このナーガセーナ師が、ギリシャからやってきて西インドを支配していたミリンダ王(メナンドロス王)という実在した王様と討論したときの記録です。この本を読んだのはだいぶ昔のことで、今回その本を家の押し入れで探したのですが、見当たりませんでした。したがって記憶のみを頼りに書いている点、ご了承ください。しかし、この 「ミリンダ王の問い」 には、私の悩みと同様なことを質問したミリンダ王に対して、ナーガセーナ長老が答えているシーンがあったのです。
 
 ミリンダ王は、この本の中で、ナーガセーナ師に問いました。なぜこの世には幼くして罪もないのに死ぬ命があるのか。 なぜ無慈悲に殺される者があるのか。なぜ良いことをした者が報われるとは限らないのか。なぜ努力したものが報われるとは限らず、ずるいことをした悪人が栄えるのか——?? あるいは、障害や病気、環境などもそうしたことで、なぜ、生まれながらに不遇の者がいるのか? 
 
 こうしたことは、誰でも人は考えることであろうかと思います。私が哲学かぶれの面倒くさい若者になってしまったのも、もとは自分自身への疑問や社会への疑惑からでした。宗教もいうなれば哲学の一つ、思想の一つですから、そうしたものを求める人々の内には、常にこの矛盾に満ちた社会への疑惑があるはずです。
 
 記憶している文脈では、私の記憶違いでないのなら——。ミリンダ王は本の中で、前世をナーガセーナ師に否定させたかったのだろうと思います。「前世」など、うそではないか、というわけですね。仏教はしかし、前世という概念がなしでは、もはや成り立たないくらいの基本中の基本、根本の教えです。でも、その「前世」のゆえに記憶もないのに今生、罰せられる。道理として納得できないとミリンダ王はナーガセーナ師に詰め寄るのです。
 
 みなさんも、このミリンダ王の気持ちは痛いくらいにわかるのではないでしょうか。少なくとも私は、このくだりを読んだときにまさに、自分のための問いだと感じて夢中で読みました。
 
さて、ミリンダ王のこうした問いに、ナーガセーナ師はなんと答えたか——??
 
それは、私の記憶が間違っていなければの話ですが……、確か、こう返したのです。「それでも前世は否定できない。確かに過去世はあるのだ」と——。しかし、と、そのあとに、くれぐれも勘違いしないようにと言い含めて、こう続きました。
 
「大王よ、因果の法則はまさに正しい。機械のように厳密です。ですが、それがいつ戻ってくるか、いつ受け取るかは、ブッダのように正しい悟りを開いた者でなければけっして読み取ることはできません」
 
と——。
 
なんとナーガセーナ師は、「それはブッダくらいのものすごい人でなければ、いつ因果応報を受け取るのか誰にもわからない」 と認めてしまっているのです。それを聞いたミリンダ王はあきれ返ります。わかりもしないのに、認めるのかね? と。わからないのにある、というのかね? と。
 
ここから討論はまさに 「前世とは何か?」 「因果応報とは何か?」 という核心を突く話になっていくのですが、本当に面白い本で夢中で読みました。最終的にはとうとう、ギリシャの自然観察的な、経験主義的な哲学を学んできた、どこか現代人の私たちに似た感覚のミリンダ王は、仏教に帰依してしまうのです。
 
実は、占星学にも同じことが言えます。超次元占星術を連載し始めてから不思議で仕方がありません。たとえば、土星は苦しみの星ではありますけれども、同じ土星の影響を受けながら、ある人は職業的に表彰されました。またある人は病の苦しみに泣きました。何も起こらなかった、という人もあれば、突然の別れ話に動揺した人もいます。同じエネルギーを受けながら悪く出ない人もときどきいるのです。この違いは何なのか。
 
これこそが実は、ナーガセーナ師が言うように 「悪因がいつ悪果となって戻ってくるかは、(正しく悟りを開かない以上)誰にもわからない」「けれどもエネルギーとしては確実にそれは宇宙を漂っている」ということです。あなたが土星によって苦しみを受けたなら、それは確かにあなたが放出した悪い因縁が、土星と言う「鏡」に反響して戻ってきただけなのだけれども、じゃあ、その因果を受け取る 「あなたとは何なのだ?」 ということを仏教は突きつけていて、占星学もそうなのです。土星が来て、苦しいという。そしてそれはあなたの自業自得だ、と言われてしまう。じゃあ聞くが、その 「あなた」 とはそもそも、何なのだね?? と。
 
ナーガセーナ師は、「苦を受けるものが “あなた” であるならば、では、“あなた” とは何だね? あなたの肉体のことか? 脳髄のことか? 意思のことか? 地位や肩書のことか? 苦しい苦しいというあなたを、ここへ出してみよ」 と言う。車、という乗り物があるけれども、「車」とは何だ? と聞かれると、タイヤがあってシャフトがあってハンドルがあってエンジンがついていて……、となりますが、その概念の一つの “シンボル” こそが、 “車” という名称なだけなのです。パーツを寄せ集めてもそれで “車” になるわけではない。“あなた” という存在も、名前や肉体やこころや、いつも着ているもの、地位・肩書がただ寄せ集まって、“酒井日香” という一つの記号、シンボルになっているに過ぎない。
 
そのシンボルが、苦しむ。おかしなことではないかね?? と、ナーガセーナ尊者はミリンダ王に逆に詰め寄るのです。
 
キリスト教では 「原罪」 と言って、ど直球なのですが 「生まれてくるほうが悪い」 と教えています。この世に人がなんのために生まれてくるのかといえば、それは 「罰を受けるためだ」 と言うのです。生まれたからには全員罰せられるのが定めです。
 
だとするならば、幼くして亡くなった子どもも、それを失って苦しむ私も、正しく 「罰せられている」 ことになります。この、地球という刑務所が、刑務所として正しく機能しているだけで、なんの問題もないことになります。つまり、生まれた以上、殺人や戦争や自然災害や、病などによって誰が死んでも、それは 「当たり前」 ということになります。生命にもともと付随している苦しみなのであり、生まれた以上、生きとし生けるものすべてが最後は引き受けねばならない苦しみです。そう考えれば 「死んでしまった他人の子ども」 と、 「これから殺されるわたし」 には区別はありません。だから他人の死が苦しいし、その死を否定してしまうと自分もたちまち救われなくなるのです。
 
そう——。悪因悪果、善因善果や、因果応報の法則、占星学の惑星のエネルギーや、前世、来世などを考えるとき、必ずセットで考えなくてはならないことは、 「苦を受けている “わたし” とは何だ?? 何が “わたし” なのか??」 という、自己存在への疑問なのです。この視点が欠落したままでただ、因果応報を語ったり、人に押し付けたりすることは霊的傲慢、スピリチュアルエゴであり、これこそがもっとも罪深いことなのです。
 
ここの視点が欠けたまま、他者に因果を解く。それは、もっとも情けないことです。他者の因果を居丈高にああでもない、こうでもないと言っている占い師こそ、 「じゃあ、あなたは何なのだね??」 ということです。自業自得、という言葉には、 「じゃあそれを口にするあんたのほうこそ何なのだね??」 「それを受けるわたし、とは何なのだね??」 という、「存在そのものへの疑惑」 が含まれている。そして、存在そのものを疑うとき、なんと仏教は、すべてを皮相的に捉える唯物論哲学や実存主義哲学、虚無主義とも重なるのでした。
 
だから、占星学がなんのためにあるのかといえば、それはやはり、星の影響を受け取る 「わたしとは何だ?」 という疑問に常に立ち戻らせるためでしょう。そうして、 「わたしが、わたしであると思っていたことには実態がない」 と気づいてしまえば、実は占星学は当たらなくなります。また、運命をデザインしていくことさえ可能です。
 
ですから仏教の母体となったインド哲学では、占星学は悟りをひらくためのヨーガの中の、重要な柱の一つなのです。それは星の力を受けて、「当たった、当たった!」と喜ぶことではなく、当たったらむしろやばい、と考えて、いかに当たらなくさせるかというゲームです。そういう使い方こそが本来の正しい占星学なのですが——。 しかし、世の中の多くの占い師はそうではないようで、むしろ 「当たった、当たった!! すごい!!」 となり、占星学の罠にハマっていくように見えます。
 
近年、さまざまな自己啓発セミナーや占いセミナーがネットに林立し、それに対してカルトだ、詐欺だ、社会通念上おかしい、と糾弾する書き込みをするブロガーさんも増えてまいりました。
 
けれども、幼くして罪もないのに殺されてしまった子どもや、陰惨な犯罪被害者を、「かわいそうだ、かわいそうだ」 と言い続けたところで、起こってしまったことは絶対に戻らないのです。最近、子どもを虐待してしまう親に対して 「その子はあなたに殴られるために生まれてきたのだ」 などといって大炎上した心理カウンセラーがおりますが、しかし、そうしたことをどこかで認めないと、陰惨な事件の被害者は永遠に救われないのは確かなのです。
 
この心理カウンセラーは、炎上をはらみながらも大人気です。しかし、なんとなくその理由がわかる気もするのです。もしも私が、陰惨な事件で子どもを殺された母親だったら、それでもその子の不遇な生涯を認めてあげたい気がします。生まれてきてよかったんだよ、と、幸せだったんだよ、と、まず本人に言ってあげたい。そうしないと、その子は永遠に不幸なのです。たとえ殺されても、よかったんだ、幸せだったんだと思わないと、やりきれないのです。犯人は確かに憎い。けれども、我が子は犯人より何万倍も愛しい。犯人が苦しむことよりも、我が子が幸いであることを親ならば望むはずです。そうしたとき、「殺人犯、ゆるせねぇ!! 子どもを叩いていいなんていうカウンセラー、ゆるせねぇ!!」 と、社会通念だけを突きつけられても、私が当事者だったらなんの救いにもならないでしょう。
 
けれどもそれは、社会通念とはぶつかってしまう。だから、誰も口に出せないのです。この心理カウンセラーはその禁忌を犯しているわけです。だから一部の人から絶大な人気があるし、その理由もなんとなくわかる。
 
眼に見えない世界について、「わたし」という存在について、罪と罰について、因果応報について、この地球の全ての人々が真剣に考えるようになったら、少しだけ私たちはラクに生きられるようになることでしょう。けれども、それを他者に押し付けることはスピリチュアル・エゴです。やはりこうした問題は、カウンセラーが解決できる問題ではありません。神様・仏様と、本人の力でしか解決できない重いテーマです。事件の当事者ではない他人が因果応報だ、などと人に言うことは、厳に恥ずべきことであると我々は肝に銘じなければなりません。他人よりもまずは自分なのですから。



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先日、ご質問をいただきました。
曰く、超次元占星術の各ゾーンとは、どのような性格や適職、恋愛傾向があるのですか? というものです。
 
 確かに、今後超次元占星術がマルチ展開されるとか、書籍化するなどの事柄があれば、12星座占いのようにそうした性格付け、イメージなどはあったほうがいいのかも知れません。読み物として一番求められる部分でもあります。
 
 しかし、私はそれについては慎重です。といいますのも、私はどうしても「星座アレルギー」だからです。西洋占星術に星座(Sign)は要らない、というのが、私の占星術鑑定のスタイルです。欧米のアストロロジャーの間でもここは意見が分かれるところであります。18世紀末から19世紀にかけて流行したロマンティック占星術、神秘主義占星術、マスコミ占星術がベースの占星家は星座がなければ商売になりません。原稿が書けませんからね。
 
 また、伝統的な「ホラリー」という技法を用いる占星家ですと、星座(Sign)によって天候や曜日、時刻、方位などを見ますので、これも用いる必要があるでしょう。
 
私は、“ハーモニック”という手法を多用する流派に属する占星家だと思います。ハーモニック使いの多くが星座(Sign)というものは、惑星同士が作る視座相(アスペクト)を知るための目盛りにすぎません。単なる目盛りに性格を与えるというのも、なんだか違和感なのです。
 
それに女性誌に占い原稿を納品していたころから、女性誌特有のアオリかたが好きになれず、根拠など何もない、いわば「うそ」の情報を繰り返しごり押しして流すことで人を洗脳する手口に見えて仕方がないのです。
 
また、「星座」などで相性とか、適職などを指定してしまうことは、下手をすれば読者の思い込みを増長し、その人の世界を狭めることになります。星座マニアにはしばしば、〇〇座だからあの人は感じが悪い、とか、○○座の人は採用しない、とか、そういうことをする人もいます。
 
すべての人間は神の元に平等である、と説くキリスト教や、すべてはアッラーがお決めになることである、とするイスラーム教や、すべてはエネルギーの循環であり実態のないものだ、と説く仏教など、今日、親しまれている宗教の教えからすると、そのような占星術の手口は悪魔以外の何物でもなく、世界3大宗教ではもれなく占いを禁止しています。
 
それはおそらく、占いというものが「差別思想」だからでしょう。宗教は逆に「平等思想」がベースになっています。平等の宗教と差別の占いですから、水と油です。たとえば○○座の人は採用しない、ということは個人の勝手ではありますが、しかし、それは反面人を差別している、自分自身も差別している、という感情とどこか地続きなのです。でも、「相性なんか気にしない」としてしまえば、それは宗教的な生き方です。占いと宗教は、どこまでも水と油でありながら、ときに混ざり合い、響きあいます。宗教家が占いを行ったり、占い師が宗教家や心理学者になってしまうということは、よくあることで、コインの裏表のような存在であると言えます。
 
そんな理由で、あまり「〇〇は▲▼だから故に◇◇なのだ」という、乱暴な三段論法で成立しているだけの、人間へのリアリティが欠落した星占いなど書きたくないのであります。
 
さて、少し話は変わりますが、心理学者・カール・ユングは、占星術を用いた心理実験を行いました。それは以下のようなものです。
 
まず、自身の診療に来ていた人々を数十名ほど集めます。彼らにそれぞれ、自分の性格の問題点や特徴を話してもらいます。そのあとで、ランダムに集められたホロスコープシートが入った箱の中から、「これはあなたの出生図だよ」といってシートを引かせます。そのホロスコープはもちろん被験者のものではなく、ユングが診療でかき集めたランダムなものですが、被験者にはあえてそれを言いません。
 
さて、受け取ったホロスコープシートを見て、被験者の多くはなんと言ったか?? なんと、多くの被験者が 「先生! このホロスコープはまさに私にピッタリです!!」 と言ったんです。たとえば躁の強い患者はなぜだか、火星(怒り)が優位な位置にあるホロスコープシートを引き当ててしまう。鬱の強い患者はなぜだか、土星(悲しみ)が優位なホロスコープを引き当ててしまう。
 
このことによりユングは、実は明確に 「星が人に影響することはない」 ということを証明したのです。つまり占いとは、サイキックと対象物のシンクロ(同調)なのであり、占星術も実は、生年月日を用いて不変の宿命を語っているかのように見せかけながら、実はタロット占いや易占いと同じ原理のものだった、ということなのです。
 
ユングは以前から、お忍びでユングのカウンセリングルームに通っていた量子力学者、ウォルフガング・パウリと語り合うことが多々ありました。電子や陽子など、微細なもののふるまいを研究する学問である量子力学が、心理学と異常なほどリンクしているということを、二人はなんと戦前の、今から80年も前に語り合っていたのです。
 
そして実は、16世紀に占星術師としても名高かった天文学者ヨハネス・ケプラーも、自分の著述の中で占星術が当たるのは、人間が星を “見る” からだ、と語っています。
 
つまり、占いが当たるメカニズムというのは大いに、視覚効果によるものだ、ということで、視覚や聴覚を通じてもたらされた占いの情報が、「意識」に作用しているんだということです。つまりは、星など見なければ、カードなど見なければ、易など立てなければ作用されないのに、ということです。
 
ここも踏まえて、実は超次元占星術では、2016年に私がユングの心理学実験を再現しています。私は15のゾーンそれぞれの性格を、「DSM−Ⅳ・Ⅴ」という精神医学におけるところの性格付けに分類し、描写をあたかも 「小説を描くように」 具体的な人物を思い浮かべて、まるで透視しているかのように詳細に書き、それをパーティーに集まった50名ほどの人々の生年月日を聞き出してから、太陽のゾーンカラーの小冊子をプレゼントしました。
 
そうしたら、その中の何人かが腰を抜かして「先生!! 私のことを透視したんですか!! これは何もかも当てはまっていますよ!!」 と言いました。それが元で超次元占星術講座をひらくことになってしまったのですが……。
 
このように、たとえば「やぎ座」生まれのあなたが、間違って「しし座」の星占いを読んでも、あなたは「当たった!」と感じるし、ユングはそれを「意味のある偶然性(シンクロニシティ)」と呼びました。そうして「間違えたこと」そのものに、何か、不思議な、神の関与とでもいうような、眼に見えない同調があるのだ、ということです。
 
そう考えると、例えば書店に行き、毎年刊行されている「12星座シリーズ」の前に立ち、眼をつむってそこから1冊、ランダムに引き抜いて、ぜんぜん自分の星座とは違う星座の本を買っても、そこにはなんらか、あなた自身を言い当てる描写が絶対にあるということです。この原理を利用した自己啓発が実は 「引き寄せの法則」 です。引き寄せを研究することが今後の占いと、量子力学的な心理学のテーマではないかと思います。
 
そう考えると、「生まれ星座」に固執することの意味はわからないですね。そのとき何を引くかによってしまうわけですから。まさに占星術は「命術」ではなく「卜術」であるわけです。
 
そういうことも踏まえて、固定的な、「ゾーンレッドのイメージ」とか、「ゾーンスカイのイメージ」などは作りたくないと思います。今後、書籍化のお話も来たら、未来予知の部分はいつもの超次元占星術ですけれども、性格診断の部分は、「毎年言っていることが違う星占い本」でいいのじゃないかな、と考えているんです。たとえば、去年のゾーンレッドの適職は、弁護士だったのに、今年は数学者になっているとか、来年は船乗りになる、とか。相性も毎年毎年組み合わせが変わるとか(笑)。
 
超次元占星術の週報も、当たるとかなり評判ではありますが、じゃあ、どうして当たるのかといえば、それはおそらく原理的にはユングの言う 「シンクロニシティ」 であり、ケプラーがいう 「視覚効果」 、量子力学が言うところの 「観測問題」 だろうと考えています。つまり、超次元占星術を「見る」から、その通りになる(笑)。超次元占星術など「見ない」でいれば、当たらない(笑)。私もときどき星の奴隷に成り下がるのが怖くなるので、そのときは適宜、宇宙人グレイ総裁やその他のキャラクターに代筆をお願いするかも知れません。
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 超次元占星術の連載を始めて早くも5か月目になろうとしています。  
おかげさまで検証ブログを立ち上げてくださった方々がおられ、熱心に超次元占星術を学ぼうとしてくださる方もおられます。開発者として本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
 
 しかし、毎週毎週星占いを書く、超次元表を作る、という作業の中、私はどうしても一番星の位置が刷り込まれてしまいやすい環境にあります。覚えたくないのに、「あ、今、土星は〇〇座の何度だな」とか、「木星は〇〇座の何度だな」とか、しみついてしまうのです。
 
 そうすると、太陽のゾーンだけならまだしも、自分の月のゾーンや水星のゾーンなどにどんな星が重なるのか、知ってしまうわけです。そうすると毎回星の運行が当たるようになり、私は今 「星に憑依される」 という状態の最中にいます。
 
 これは実は、皆さんにも言えることでして、超次元占星術の諸刃の剣でもあるのです。毒と薬は表裏一体。超次元占星術で簡単にわかる星の運行も、毒薬と薬の境目がきわどい部分があるのです。太陽のゾーンに来る星を知る、程度にとどめておいて、そのうえで星に負けない心を培う、というレベルの容量ならば深いところまで 「星に憑依される」 ことも少ないですが、私のように毎週追いかけるようになると、惑星の運行(トランジットと言います)が、ことごとく当たるようになり、それはそれで少し危険です。だから、そういうものを時々落とさなければならなくなり、宇宙人グレイ総裁にバトンタッチしてもらった、ということなのでした。
 
 それにしても、私の出生の太陽のゾーンは 「ホワイト」ですが、月は 「ライム」でございまして、そしてこのライムの月は、もともとのホロスコープシートでは、木星・冥王星とともに 「Tスクエア」という、非常に厳しいとされる幾何学模様の一端を担っているのです。
 
 そこに、土星が入ってきた。
 
 私は長らく自分のTスクエアのことなど忘れていましたが、まるでラジオの周波数がはっきり受信できてしまったかのように、まさに土星―月―木星—冥王星 のコンビネーションが意味する事件が次々と降りかかってきたのです。占星術に触らないでいたときには、こんな感覚はありませんでした。私が毎週星の位置を見ていたので、チューニングが合ってしまい、もろにその影響を受けた、という面と、もともとこのTスクエアには非常につらい孤独が予告されており、それが今回、ライムを通過する土星の刺激で一気に噴き出した感じです。
 
 しかし、これは宿命なのでしょう。ここからいかに立ち上がるか。お前、日ごろから占星学を志す人々に偉そうなこと言っているんだから、ちゃんとお手本見せなさいよ、と、星に言われているかのようです。辛いですが、ここで折れるわけにはいきません。私は思いがけず星に試されているのです。
 
 ただ、こんなに詳しく占星術やホロスコープを知らなくても、重大な悲しみが起きた時、私の太陽ゾーン 「ホワイト」 には、痛ましい火星がぴったり重なっていたのでした。
 
 私は長年、占星術を否定してきましたが、なんとなく 「星からの影響はあるのかも知れない」 とも、超次元占星術を始めてから思い直すようになりました。それは実は中世の大天文学者であったヨハネス・ケプラーや、チコ・ブラーエと同じで、ケプラーは 「惑星が人間の宿命に影響する原理はわからないけれども、影響は確かにある」と記述しています(ヨハネス・ケプラー全集)。
 
 ただ、この 「星が影響する」 という前提を過大評価すると、占星術は暴力になってしまう。また、どういう作用で影響するのか? という点においても、疑わしいのは 「視覚効果による刷り込み・インプット」 という可能性であります。事実、自分の経験では、超次元占星術を連載し始める前は、事件など起こってもなにも気にせず生きてこられました。
 
 ところが、これが半分仕事になり、しょっちゅう作業するようになると、嫌でも脳に星位がインプットされてしまい、アスペクトを 「想起」 してしまいます。 その 「想起」 こそが、星の影響力の正体なのではないのか? というのが、実はヨハネス・ケプラーが最後に考え至った結論でありまして、私の実感もそれに近いのです。そしてそれは、量子力学上の大きな基本である 「観測者が電子のふるまいを変えてしまう世界」 、いわゆる 「意識論」 にならざるを得なくなってくる。
 
 どうして、人間がただ 「想起」しただけの、実態のないイメージに、人間のこころのほうが引っ張られて、星の予告通りの事件を作り出すのか——。 このことに対する答えは、これからさらに量子力学や脳神経学などが発達した先にわかる日が来るかも知れません。太陽系のモデル自体がそもそも、不思議なことに人間の心の構造とよく似ている、という不思議さもあります。あるいは惑星の神々と言うのは、はるか数万年前からすでに人類の友であり、我々の祖先が根深く信仰してきたものなので、ご先祖さまたちが積み重ねてきた思念エネルギーが一人歩きして、占星学に惹かれる人間にどんどん 「憑依」 しているだけなのかも知れません。
 
 今、辛い運命にある方であっても、星はあなたの成長を促すため、カルマを解消させるため、事件を起こすのですから、甘んじて受けなければなりません。そしてそれを乗り越えたとき、星の影響に自分が打ち克った、ということになります。
 
 それを目指し続ける占星術でありたいな、と思います。
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☆☆週間星占い、アップいたしました☆☆
(11/12〜11/18 の1週間)


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  突然ですが、私は1970年代生まれの人間なので、小中学校の理科では太陽系の惑星は 「すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい・めい」 と習いました。いわずもがなですがこれは 「水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星」 のことですね。
 
 ところが最近では 「すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい」 と習うようです。
 
 あれ?? 「めい」 に相当する冥王星は??
 
 というと、実は冥王星は寂しいことに、現在惑星の地位から外され 「準惑星」 にされているのです。2006年にプラハで行われた国際天文学総会にて格下げが決定されたのです。
 
 冥王星がなぜ準惑星に格下げされたのかというと、3つある惑星の条件のうち、決定的に当てはまらないものがあったからです。
 
〜惑星の定義とは〜
1)、太陽の周りを公転していること
2)、十分な質量と重力があるため自然に球形を取っていること
3)、その軌道周辺で圧倒的に大きく、他に同じような天体がないこと
 
 以上、3つの定義のうち、冥王星は3)、の条件にあてはまりませんでした。冥王星の衛星と考えられてきたカロンが、冥王星と比較しても大きすぎることや、周辺には球形を取るいくつかの星があったこと、2003年には冥王星より大きい準惑星エリスも発見されており、冥王星は今や 「太陽系外縁天体」 という星群の総称的な存在になってきています。
 
 さらに驚いたことに、最近の研究では、公転周期実に3600年という巨大惑星 「プラネットナイン」 の存在もほぼ確実視されています。なんとその質量は計算上、地球の10倍程度あり、大きさは天王星や海王星並みの巨大なガスと岩石の惑星であると予測されています。あとはこの 「プラネットナイン」 をカメラに収めるだけなのですが、いかんせん大変暗いため、コンピューターシミュレーションでは位置もほぼ特定できているのに、星影をとらえることが難しいそうです。しかし、数十年以内には発見されるだろうと多くの天文学者が予測しています。この星こそ、古代シュメール文明の伝承に登場する 「惑星ニビル」ではないかと考える向きも。
 
 翻ってここから占星学の世界を見てみることにします。インド占星学では、惑星は、17世紀のハーシェルの天王星発見もなんのその、伝統的なライツ(太陽と月)に5惑星のみ(ここに黄道と白道の交点であるラーフ・ケートゥを加えますがこれらは惑星ではありません)で占断していきます。古式ゆかしい天文学を現在まで堅持しています。
 
 反対に西洋占星術系のジャンルでは、 「小惑星占星術」 とか、 「ウラニアン占星術」と言った、新天体をどんどんホロスコープに組み入れる手法も見られます。しかし、小惑星占星術やウラニアン占星術と言った新天体を組み入れる占星術は、現在混迷の度合いをますます深めて、いっそう神秘主義的な、創作的な占星術になってしまっているのです。
 
 それはなぜかというと、発見される新天体が追い付けないほど膨大になってしまっているからです。70年代に、火星—木星間にケレス・カイロン・パラス・ウェスタ・ジュノーといった比較的大きな小惑星が発見されたことを契機に、こうした小惑星を占星術に取り入れようという動きが始まりましたが、占星術家が思う以上に天文学の進展は素早く、どんどんホロスコープ上の感受点が増えてしまって、ホロスコープがごちゃごちゃしてしまったのです。
 
 それで、 「やはりオーソドックスに主要惑星とラーフ・ケートゥだけ用いればそれでいい」 という動きに最近は落ち着いてきて、小惑星占星術やウラニアン占星術等は元気がなくなっています。インド占星術は保守的、西洋占星術は進歩的・革新的で、両者の性質は明確に違っています。どちらの姿勢が正しいか、正しくないかということではなく、東洋の精神主義に対比して西洋の合理主義、という見方で二つの占星学世界を見比べると、比較文化論として面白みがあります。
 
 さて、こうなってくると、西洋占星術でも、 「冥王星」 や、 「冥王星と似たような天文単位の位置にある惑星群」 の立場をどう考えたらよいのでしょうか。それらに占星学的な役割を与えたくても、占いが扱うのは 「こころ」 ですから、こころをそんな、機械のパーツのように細分化する、などということなどできようはずもありません。実は当の天文学者たちでさえ、近年は新天体が毎日のように発見されるため、 「ギリシャ・ローマ神話の神々が足りない」 事態になっているそうです。
 
私が占星学講座を開催した時、ある占星家の方が 「冥王星が怖い」 とおっしゃっていました。確かに占星学上の冥王星の意味は 「カルマ・執着・途方もないこと」 を意味するとされており、名前も 「冥府の王」 という意味ですからちょっと怖いですね。日本人だと閻魔大王のような、あの世の怖い鬼のようなイメージになってしまうのかも知れません。
 
 さらに冥王星の公転周期は、実に248年であります。ということは、コンジャンクション(合)とオポジション(衝)の繰り返しが124年ごと、90度のスクエア(矩)まで加えると64年ごとにしかアスペクト(視角度)を作らないことになります。そうすると、 「それだけのめったに起こらないアスペクトが自分の星に関係するのだから、さぞかし恐ろしいことが起こるに違いない」 と考える占星家が多いようです。ただ、冥王星よりはるかに公転に時間がかかるエリスや、プラネットナインともなると、座標上を1度動くのでさえ数年、へたをすると10年近くかかってしまいますので、もはや占星学の対象にならないというか、アスペクトなど考えても仕方がないように思えます。さらに近年の新天体の中には、黄道に対して垂直に近い鋭角軌道を取る星もいくつか見つかっており、そうなるとそれは太陽系の仲間でありながら 「黄道12星座を背景に運動しない」 ということですから、星座占いの範疇にさえ入らなくなります。どうしてもそうした鋭角軌道の星を占星学したいなら、赤道座標を強引に黄道座標に置き換えて、軽く詐術のようにして占いをするしかないでしょう。
 
 しかし、現在の太陽系モデルを、心理学モデルとして眺めてみると、私はこの冥王星にシンボライズされた太陽系外縁天体とは、 「個人心理学」 と 「トランスパーソナル心理学」 の分水嶺のような気がするのです。
 
 神道の考え方の中に 「一霊四魂説」 というものがあります。人間のプシュケー(霊)とは、中心に直霊(なおひ)と呼ばれるものがあり、直霊からさまざまな働きがほとばしる、という考え方です。直霊が、ある時には 「奇魂(くしみたま)」 に、ある時は 「荒魂(あらみたま)」 に、あるときは 「幸魂(さきみたま)」 に、あるときは 「和魂(にぎみたま)」 になる、という考え方です。
 
 直霊、と書いて、 「なおひ」 と読むわけで、 「ひ」 は当然 「日」 だと思い浮かびます。つまり神道の捉える心理学は、まず中心に直霊(なおひ)があるわけですが、それは太陽からの分魂(わけみたま)であり、我々は太陽から命をいただいてここにいるのだ、ということであり、その太陽が4つの働きに顕現していく様子をとらえているわけです。
 
 そしてこの四魂——、奇・荒・幸・和は、占星学から見た、地球にすぐ近い月・金星・水星・火星のイメージとピタリと重なるのです。奇魂(くしみたま)は知恵の働きですから、水星です。荒魂(あらみたま)は勇気や残酷性ですから火星。幸魂は衣食住を求める物質的な力ですから金星。最後の和魂は、すべてと調和し心の平安を求める大事な働きであり、四魂の中でもっとも重要だとされる力で、月です。占星学が示す地球のすぐ近所の惑星とまさにピッタリ。
 
 ということは、これを心理学的に捉え直すと、太陽〜火星までが 「自分の心の感受性の範囲」 である、と言えるわけです。これらはすべて混然一体となって働き、分けることはできません。同じ一霊四魂の人間が、外部からの感受性(刺激)を受けて幸魂になったり、荒魂になったりするわけです。さらにこの四魂の働きは、互いをカバーしあいます。水星が悪い 「から」 勉強はダメだ、金星が悪い 「から」 冷淡だ、という荒っぽい読み方をする占星家があとを絶ちませんが、1つの直霊が4つの働きに縦横無尽に変化すると考えると、水星も月も金星も火星も、他の惑星も、結局は太陽の別形態の力をシンボライズしているだけだ、とわかります。勇気を強く持つことが知恵になったり、勇気で人を愛したり、憎しみが芸術になったり、平和を求めるこころが知恵になったり、知恵があるから幸いを理解したりする。個人の才能は決してホロスコープなどで計れるものではないということです。それを今の占星術はなんだか、各惑星を、独立した働きみたいにとらえるので、心理学としてもいびつだな、粗悪品だなと感じます。人間のこころを明確に 「これは火星だ、これは月だ、これは水星だ」 などと分けることなどできないのです。すべて直霊のもと混然一体です。
 
 その、火星の外側に木星・土星・天王星・海王星が続いていきますが、これらの星が一霊四魂である我々のこころとたましいに刺激を与えます。詳しく言うと、一霊四魂を鍛える役割です。一霊四魂が大きく強く、より明るくなるにつれ、これら火星外天体が我々にもたらす感受性の刺激は変化していきます。
 
 さらにこの外側に位置する冥王星ですが、この冥王星のことを 「太陽系外縁天体すべてをまとめる象徴」 であると捉えると、冥王星のことを 「個人が最大限苦しむカルマの源である」 と説明する占星学は、不思議とトランスパーソナル的な心理学とリンクしていくのです。
 
 カルマ、とは、いうなれば 「執着」 のことであります。たしかに占星家としてたくさんの人を見させていただきましたが、この 「執着」 こそが人間を壊す最大の原因であり、精神医学的にみても、いかにこの 「執着」 というこだわり、異常性、思い込みを解除させていくかということがカウンセリングや認知行動療法の最大の焦点です。
 
 そして 「執着」 はときに才能の源であり、執着が強いゆえに 「自分はこれをするために生まれてきた」 と、強く信じてしまうタイプもいます。またはあるとき、なんとなくそんな気がして、自分の進路が決まるということもあるでしょう。私にとってはそれが 「占星術をテーマにした長編小説を描く」 ということでした。小説を描きたい、と強く執着したことで、自分を取り囲むすべてが 「お前は作家なのだ。作家になるために生まれてきたのだよ」 とささやいて聞こえるようになり、占星学の本質とは何なのかを理解したのです。
 
私の指導霊から聞いた話では、この 「執着」 こそが、次の輪廻転生の源であり、かつ、過去世の痕跡でもあるのだとか。 そういう意味で、冥王星研究と、冥王星をこうした星々の総体と位置付けて、エリスや小惑星群、プラネットナインなどの太陽系外縁天体の占星学的・心理学的対応を観察していくことは、これからの占星学の発展にとってまことに重要なことのように思えます。これらの星には 「執着(カルマ)」 のはたらきと、その執着(カルマ)が実は今の自分自身と霊界との境界線、侵食しあう波打ち際である、という予感を占星術家に想起させずにはおきません。
 
ここから太陽系外に向かって彗星の巣であるエッジワース・カイパーベルト、太陽風が届く限界の 「ヘリオスフィア」 へとだんだんグラデーションのように外宇宙に伸びていき、広大な 「ヘリオポーズ」(外宇宙や銀河系星間物質と太陽系が侵食しあう境界) になっていくわけです。ここから先は神の摂理というか、広大なこころの海といいますか、もはや個人的な、今生かぎりの霊魂といった、卑小なものさえも超越した、広大な世界になっていくのでしょう。そこに無限の輪廻があると思うと、途方もない神秘に胸がわくわくしてしまいます。
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タントラとは何か?

 タントラには様々な概念があり専門の学者でもそれを一言で定義するのは難しく、その中の一つには「聖俗一致を明確に最終目的とする中・後期密教聖典そのものをタントラと呼ぶ事もあり、『密教とマンダラの著者:頼富本宏』さんは「聖(仏)と俗(我)の全身的一致を説く実践的密教」をタントラとも言えると述べています。
 インドの密教聖典、ヒンドゥー教、ジャイナ教などはセックスを積極的に取り入れた性的行法や身体の中心にあるチャクラのエネルギーの流れをタントラと説き、ユダヤ教の一派であるカバラでは宇宙的人間と巨大な木を組み合わせた生命の樹で表し、これらも聖俗の一致を旨とする神秘主義もタントラの一つと考える事が出来ます。

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 インドやチベットでは後期密教が一世風靡し、タントラ仏教と呼ばれていました。

タントラの無上瑜伽密教(むじょうゆが:最高のヨガ)二種の聖典群に細分される事が多く、方便(父タントラ)は宇宙存在を表す法身仏がわれわれの身体の中に降下してくるのを布置感などの行方によって体得する事であり、般若(母タントラ)は我々の身体を性などの行方によって作動させて、その究極において実在に直入する事を目指したものであるとされています。又、平安朝のはじめに最澄と空海がもたらせた密教のうちの一つ、占星法の一種に七曜や十二宮や27(又は28)の星宿の仏たちに祈願する熾盛光法(しじようこうぼう)などの秘宝は最澄の弟子である慈覚大師円仁は比叡山を整備して伝えました。
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「密教占星術は人間と宇宙を繋ぐ」 
 密教占星術と呼ばれる宿曜経は西洋占星術、九星気学、易学などのような当て物占いや興味本位で個人の吉凶や相性を判断するものではなく、形こそは西洋占星術にも似ているものの、本来は星宿への修法、祈祷の時間設定に用いた実践的な技法です。宿曜教は人間と宇宙を繋ぐ密教的なアプローチであり、宇宙から人間に働きかける力を知る為のヒントや方法や理論を暗示する神秘学的な経典です。七曜に2つの謎の星(彗星と羅睺を加えたものを九執と呼び、これに12宮と27(28は牛宿を足したもの)宿の力関係や個性との関係、それが発源する人間や社会への影響を考察していたようです。星宿にはそれぞれ特徴と祈祷の御真言が決まっていました。月は星宿のどこかに滞在している為、月がある宿が一番力を持つ為にその星宿の御真言を唱える事で宿の良い影響をもたらす事が出来、悪影響を避ける為にも御真言を持って供養していたのです。
*布置観(ふちかん:身体各所に仏を観音的に配置する行法)
*九執(彗星と羅睺は蛇の頭や尾という記述が残っている為にラーフとケートゥの事をさしているのではないかと推測される)



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