にこの虹色定期便

いつの時にも、神様のみことばを聞き、みこころを尋ねる自分でありたい。

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人が、何を信じ、どのように生き、死んでいこうが、その人自身の勝手でありその人自身の問題である。何に感動し、何に希望を見いだし、何に頼って生きようが、その人自身が決めることである。・・・そうですよね。ただ、自分が出会ったもの、素晴らしい感動、実感を知ってほしい、ぜひ伝えたい、必要とあらばその人自身を同じ感動に、希望に導くことができるかもしれない。(もちろん、自分の力や誇りのためではない。神様に喜ばれるためであるが)そんな思いで、伝道を地道にしていく。しかし当然ながら現状は、簡単ではない。
迫害こそされない時代、国であるからこそこんな気持ちでのんびり構えていられるのかもしれない。迫害の時代にあっても自分は主を信仰できるのか、私にはわかりません。悲しいかな、わかりません。何と弱気な信仰のうすいことでしょうか!でも、この現代にこの日本で、私はイエスキリストを知り、イエスキリストを信じる心を与えられました。洗脳じゃなくて、自ら求めてその言葉に本物、いのちを感じたのです。
日本では、長い歴史の風土があって「日本古来の神様、仏様」が根付いていますから、イエス様は異国の神様です。でも、聖書が何かいぶかしげな外国の書物であって、人が死んで生き返ったことを信じることの愚かさが先に立つ以上、この方を「知ろう、知りたい」という欲求さえ起こりようもない。ドラマの中で「聖書を売る人物=近づきがたい」という設定をされ、主人公がその台詞を語ったとき、私の心に寂しい思いがかけめぐったけれど、そんなことは日本では当然ですね。
クリスチャンの夫は、「まあ、日本では隣人愛はわかっても、神の絶対愛を理解するのは難しいなあ・・・」と他人事で言ってました。
それでも、数が少数でも、いぶかしげに思われても、現実の社会の中で生き辛い場面があっても、子ども達の教育方針に戸惑っても、
それでもやっぱり、私の出会った神様は私の心の内側から常に生きて働きかけて下さる方と信じているし、私自身は死ぬまでこの信仰にたって生きたいと願うから、へこんだりしないで元気を出して、今日も私の主イエスキリストに感謝の祈りをして過ごしたいです。
 

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初めまして。アーメンですね。御言葉にしっかり立って歩みたいですね。感謝!

2014/2/23(日) 午前 8:20 [ パスターハリーの「聖書」その他 ]


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