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ハレルヤ!!主の御名を賛美いたします!!!
2歳から教会に導かれ、教会学校で少しずつ福音に触れ学び、祈ることを通して「イエス様」を知り、親しんできた10歳の次男が、自らの意思をもって『信仰告白』に至ることができました!
昨年の夏ころには、自らゴスペルクワイヤに加わり『賛美がしたい!』と言いだし、その気持ちが変わる
ことはなく、大人のメンバーと一緒に賛美を重ねてきました。また、聖書漫画を飽きることなく繰り返し
読みふけり、聖書の内容を確かめるように心に深くとどめ、十二弟子やパウロの伝道物語を通して『聖書
の人物』に関心を持ち、イエス様の歩みや『主のたとえ話』を話してくれるようにもなりました。
知識としての関心をこえて、『もっともっと神様の事が知りたい!』『神様を信じる気持ちを表したい!』という気持ちがずいぶん高まってきたころでしょうか・・・私が夕食の皿洗いをしていますと、突然、側にやってきて、「ママ、僕、洗礼を受けたいなあ。だから、牧師先生に言いに行きたいんだけど。
一緒についてきてくれる?」と少しはにかみながら、目をキラキラさせて私を見て立っていました。
「ああ、本当にそう思うの?そう思えるんだね?すばらしいよ。ママは嬉しいよ!感謝だね!」
「もちろん、ついて行ってあげるけど、そのことを自分の言葉で伝えるのは君だよ。できるかな?」
「・・・うん!」
私は、『神様の時』が来たことを思わされました。これまでにも何度か、『洗礼』という言葉を本人の口は語っていたのですが、その舌の根の乾かないうちにわがままや悪態を繰り返す『息子の現実の姿』に接する中で、私自身の中にも何か冷めた思いが静かに与えられていきました。(確かにまだ早い・・・。この子の『洗礼』への求めと渇きはまだ満ちていない。洗礼は受ける者にとっても、授ける者にとっても、そんなに簡単なものではない。『生涯、主を主として生きるということの素晴らしさへの理解と決心』があってこそ、本物の信仰に成長できる(させていただける)のだろう。純粋な心と素直な悔い改めは、主への何よりのささげものとなり、祝福の基となる。こののち襲い来るであろう幾多の試練や誘惑に対抗してしっかりと『立てる』ための堅固な土台を、生ける神様の御言葉『聖書』に据えて、聖書が明かす主イエスキリストの『福音』(罪からの救い)の確信と希望をしっかりとつかんでいくためには、やはり初めの『求め』が真剣なものであり、本人の心の内側からあふれ出てくる、とどめようのない期待と喜びに推されてのものであってほしい・・・)今、自分たちの思いや都合ではなく、主にゆだねることに導かれたことの『神様の意図』が胸にしみわたるように感謝となってあふれます。
主なる御神様の恵みのご計画に従って、生ける聖霊の取り成しと御導きによって、愛する息子を、われらの救い主イエス様の御手にゆだねて、深く感謝をささげます。イースターの受洗の時が、主の祝福に満たされますように!
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この恵みの喜びをわかちあうことは教会という、主にある仲間のうちでしかできないことでもある。伝道という意味では批判もあろうが、今回の事柄をまずは本人と共に信仰告白する友達と、教会員と共に、主の御前に心からささげ感謝することが先決だと思う。まだこのことの意味が理解できない親族に対しては、この子がこの先に主の愛によって生かされる姿の中に、きっと『神の愛』の尊さを感じてくれる日がくることを信じ、穏やかな心で主に祈りつつ歩みたい。
2014/4/11(金) 午前 9:08 [ nicochan1040 ]