にこの虹色定期便

いつの時にも、神様のみことばを聞き、みこころを尋ねる自分でありたい。

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祈りとは、呪文ではない。

毎日、決まった時間に、決まった場所で祈る・・・そのことが、神様に喜ばれるかは

人間の側には、わからないことではあるが


私は、この秋の季節の自分の状態、祈りに求めたもの、それが無意識のうちに『自己中心』で

『形式的』であったことを、思い知った・・・。


映画にも描かれていたり、先人のエピソードで聞いたこともあることだが、

『祈り』が、いつのまにか、自分の恐れ、不安の解消の手段になっていたり、自分の求めは神様に

喜ばれるに違いないと高ぶったり、祈るという行為が日常生活の他の事柄よりも優先されるべき、

高尚な行為であって、それをしている時、それをしている者は間違いはおこさないし、守られるべきだ

という無意識の『選民意識』は心の高ぶりとなり、現実の中に、思いがけない衝撃となって自分自身を襲

うことがある。


自分自身が、無意識に犯す罪は無数にある。自分自身の意識と決意で、それらを無にすることはできな

い。そして、自分自身に起こった事柄には、「何故?」ではなく、「何のために?」と問うべきだと

学んだ。


『主は与え、主はとられ給う。』『天に登ろうともそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、

あなたはそこにいます。』詩編139、8節


くどくどと言葉数を並べて祈らず、願う前から私のすべてをご存じで、必要を与え、逃れの道を備え、

みこころにかなう者に祝福を与え、高ぶる者を退けられる方、

生ける主をそばに感じて、生かされていきたい。


弱さの中に十分に働いてくださる、私の主、イエス様を覚えて生かされていきたい。

愚かなるこの小さな心に、力と平安を下さるのはあなたです。

                   主イエス様のお名前によって、アーメン

どうしようもない気持ちで会堂に入った私は

静かなその会堂の中で、大きな十字架の前に立っていた。

その時に、どうしようもない気持ちを、すべて告白し、祈ることに導かれた・・・。


自分の過ち、口にした言葉の愚かさを、神様の御前に、具体的に明確にされた・・・。


私は、ただただ弱い自分の愚かさについて神様の憐みを請い願った。


涙と共に、神様は私の祈りを聴かれた。


土曜日に頼まれている結婚式のオルガンの練習を心をこめてすることができた。


それから、教会から離れかけている息子と共に過ごし、

ちょうど、クリスチャン4部作品の映画のDVDが届いたので、それらを観ることもできた。


苦悩の中で、敬虔な信仰が揺らぐ姿から学び、励まされた。そして、ちょうど、映画のクライマックスで

カーテンの揺れと共に、私が学生時代に使っていた讃美歌の背表紙が取れて、落ちてきた・・・


私へも、息子へも何か感じさせる事柄だった。


神様は目には見えないし、人間の言葉で会話をするわけではない。けれども、自分の日常の中に、

周囲の人々の心に『愛』となって存在されている。


そのことを、私ももう一度、まっすぐな心で信じたいと思った。

豊かな実を結ぶ

真夜中に、突然目覚めた。自分が思い巡らせていたのは教会学校の事・・・

子どもが少ない。そしてもはや、教会学校は存続の危機に或る・・・。

教会学校教師としてたてられている今、自分にできることは何か。そして、主が私にご計画されて

いることは何か。


「もう、無理だよ・・・。」「時代が違うんだから・・・。」「求めがなきゃ、誘ってもねえ・・・。」


人間『私』の中身。けれども、神様は、『私』に何かを働きかけ、すべてを導かれるのかもしれない。

ゆだねつつ、「しもべは聴いております。」という心でいたいと、思わされている。


願わくば、近所のこどもたちが教会に一歩、近づけられて、教会学校の働きが豊かに実りますように。

子どもたちが、一人でも多く、主の愛を知り、受け入れて人生において豊かな実を結び、希望をもつ

ことができますように!

見えるものにではなく、見えないところにある主の働きを、小さな主の御声を受け止める心の耳を開いて

下さい。一人の子供を心から受け入れ大切に想う愛を、イエス様の愛を、私の心に満たしてください。

祈りのちから

生ける神様は、私のすべてをご存じの方である。

主によって与えられた仕事であったのに、いつのまにか自力での努力や工夫や忍耐であるかのように

時間の使い方、過ごし方、自分自身の所作、言動も自己中心なものとなってしまう・・・。

疲労感に言い訳をして、みことばから離れ、すると次第に祈りもおろそかとなっていく・・・。


先日、久しぶりの休日に映画『祈りの力』を観る機会が与えられた。本当に、製作者の祈りが込められた

素晴らしい証の作品で、自分自身の救いのあの時を、ひしひしと思い起こした。

早速、良い影響を受けて新たな思いで、側にいます主に祈りをささげた。そして、ここからまた、

あなたと共に歩ませてくださいと願った。


さて、中学生となりサッカーの部活動に一生懸命の息子の活躍を、応援し主の御守りを祈っている。

その彼が、心に主を見上げる信仰を失わないように、聖霊様の助けを祈っている。彼自身が、聖霊様を

呼び求める祈りを力として導かれて欲しい・・・。置かれている場で主のみこころにかなう働きをし、

彼を通して、主の愛が周囲に届くようにと願う。

教会学校で礼拝を守ることは難しくなっている。わかっていた。それでも、夕拝に父親と行くことが

条件のようになっていた。ところがやはり、疲労した体で教会に向かい、且つ、大人向けのメッセージを

きくことが本当にふさわしいのか、可能なのかを冷静に問えば・・・無理がある。形ばかりになってしま

う。親の、思い通りにはなっていかない。

私は、今日、夕拝に行かずに寝ていた彼を、肉の思いと力で牛耳るようになじった。それが、大間違いだ

と知っていながら・・・。そして、(へたくそ・・・。相変わらず・・・。サタンめ・・・。)と思って

いた。虚しい思いで、「聖霊様、助けて下さい。正しく導いてください・・・。」と短くヘルプの祈りを

した。

数時間たって、神様のみわざがなされた。

自分自身でも、突然の発想で教会学校の教案誌をカバンからとりだし、今日の箇所をコピーしていた。

(そっか・・・自分自身が彼に知ってほしいことを、与えられるではないか・・・)と思いながら。

「ここにきて。自分の聖書をもっておいで。」「さあ、プリントを一緒に読むよ。」「気になるところに

線をひいてごらん。」「どんなことを想う・・・?」「こんなとき、どうするかな。」「困難を前にして

も神様により頼むこと、大切なんだよね。」「さあ、お祈りしよう。」


『神様・・・。今日こうしてあなたのことを学べてありがとうございます。最近は、お祈りすることも少

なくなり、教会にもいけませんが、いつもあなたを忘れることがないように助けて下さい・・・』

心を合わせて、「アーメン」とささげることができた。


主のみわざが、ここに与えられた。ハレルヤ!!

みこころにかなう願いを、主はかなえてくださる。そのみことばがここにも証された。

主の御名をあがめ、感謝をささげます。

主のご臨在のあかし

主が生ける神として臨在し、信じて求める人間に必要なことをご存じであること。それらを、ふさわしい

時に与えられること。救われた人間の喜びが、神様ご自身のお喜びであり、神様の栄光をあらわすことで

あること・・・。


年に1度、一般向けに伝道集会を行っている。今日はその日であった。

私は、仕事に明け暮れ十分な備えができない実情の中にも、何とかこの日のために主のご用に生かされた

いという思いが与えられて、奏楽のご奉仕に備えて臨んだ。楽譜の隅には思わず、「イエス様へ」と

記した。偽らない気持であった。(実際は、平穏な気持ちでいても指は絡んで完璧には弾けなかったが

私の心の内側は平穏で、感謝しかなかった。精一杯できたことで主が受け取って下さったという安堵が

心にあった・・・)


時間的に、神様とお話ししていない・・・みことばに触れていない・・・そして、肉の思いが言葉になり

きっとお喜びでない言動をしてしまう日常の自分が居る・・・。けれども、時々、不思議とそのジレンマ

から引き出されて「ごめんなさい」をしたり、御言葉を貪るように開いたり、それが短くとも、心に

残っていたりする。


親族への伝道は勇気がいる。私には勇気がなく、避けていたが、昨夜になって急に心の内側から動かされ

てメールで伝えた。なおかつ、今朝には直接電話をして、この集会に穏やかに誘ってみた。

やはり、受け止めてはもらえなかったし「子供を自由にして教会から離しなさい。」という、私には

なんとも言えないメッセージで返ってきた・・・


さて、「伝道の難しさ、息子に対する姿勢への重荷」を心の隅に抱えて、けれども晴れやかな天候に感謝

と期待をもって教会に向かった。玄関でまず出会ったのは・・・いつも教会学校の教師を一緒にしている

姉妹と、長年祈り続けておられたその方のご両親であった!私は自分の実母が今は応えてくれなかった

その願いを、そのお母様が来て下さったことに対して自分の母が教会に来たように心が喜び踊った。

それから、証では、やはり教会学校でご一緒に奉仕している兄がご自身が幼いころに母に連れられて

教会学校に行っていたがスポーツに打ち込む時期に教会から離れたこと、それでも、大人になって

お子さんを救いに導きたい!気持ちが湧き出でて、教会に再びもどったこと。未だ理解されないご家族に

対して、自力でなく執り成しの祈りを続けていくこと・・・を伺った。


二つの出来事は、私が勇気をもって「時が良くても悪くても、みことばを宣べ伝えなさい」に従ったこと

と、それにもかかわらず迫害めいた反応が返ってきた私に、タイムリーにどんなにか勇気としるしを

与えられたことだろう!

実は、今朝、『神様・・・今の私にみことばをください!』と心で求めて開いた聖書箇所がルカ21-14〜19

であり、弁明の準備を自分自身でしなくても、どんな反対者でも対抗も反論もできないような言葉と知恵

をわたしがあなたがたに授ける。と、イエス様がお語り下さった。


講師の先生のすばらしい救いの証を伺ったのち、質問事項で「キリスト教に反論する親族への伝道」の

悩みを伺ったところ、私にとって明快なしるしを与えられた。

数々の、今日の恵みと主のご臨在を感謝して、今日の日の感動をここに記したい。


私はありのままに愛され、導かれ救われたものである。

『神の国とその義とをまず追い求めなさい。加えてすべてのものは与えられる。』

そのみことばに従って、主の約束を信じて、私はこれからも歩みたい。

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