感謝の花束

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。

神様への信頼

信仰の成長を求める。 それは、みことばによって生かされ、主なる神様をいつも覚えていること。
 
人間は、私は、万物の創造主によって導かれる存在であることを一糸も疑わないで 素直な思いで神様に向かうこと。
 
万物創造の全能の神様の存在を否定して、他の物事に心を向けて、満たすのは人間の『原罪』であるから、主に
 
立ち帰ることのできる唯一の手段は、『霊の目が開かれる』ことによって『聖霊なる神』の さまざまな働きかけや導きを
 
素直に覚えること。 感謝と喜びと平安に心が満たされる。それが、決して目に見える 『繁栄』の時ばかりではないこと、
 
最も 『苦難』の状態の中にあって、たとえ、耐え難い苦しみを神様に訴えることになっても、決して『神様から離れない』
 
者、それは、ヨブのように 『 怒りと訴えの連続 』であったとしても、神様は、その御前に 『ありのままの自分』 で
 
出るものを しっかりととらえその叫びをすべてご存じであられる。 心にもないことを語ったり、神様の代弁をするかの
 
ような 『高慢』 を、神様は怒りをもって見られている。(それでも、ヨブの祈りによって主は『高慢な友人』を赦された。)
 
 
私たちは、いつも必ず富んでいるわけではない。 いつも必ず、健康ではない。 いつも、うまくいくわけではない。
 
けれども、そんな時にこそ そばにおられる主を忘れない者になりたい。自分一人が苦しみ、嘆いているのではない、
 
そのそばにいまして、『 ありのままの私 』 と共にすべてをご存じの主に 祈りをささげていく者になりたい。
 
「私の思い通りにして。」 と言いたいところだけど、そうではなく 「みこころのうちに導いて下さい。主よ、信頼します。」
 
という祈りのできる者になりたい。
 
 
天地万物は創造主なる神様が、初めから終わりまでを司っておられる。
 
人間は創られたものの中で最も、神様に『よいもの』とされ、『愛されている存在である』
 
人間は一人では生きられない。そして、神様との交わりの中に永遠に生きるべき存在である。
 
悪の存在は世の中を支配して人間を堕落させ死(魂の滅び)に至らしめるが、神様の光は闇に打ち勝ち、人間の魂の救い主として受肉された神様ご自身であられるイエスキリストが十字架の上でその血潮を流された時に、堕落した人間の罪 (原罪) の罰をその身に受けてくださり、『死からいのちへ』の救い(人間が神の御前にゆるされた存在となった)を完成された。
 
ゆえに、十字架の血潮による魂の御救いを信じ、救い主イエスキリストの御名をよび御名を通して 神様に祈ることの赦された者として、
 
確かにこの魂は 『主なる神様に愛されている』 『主なる神様のもの』 であることを 
心から信頼して、地上での歩み(人生)を 過ごしていけますように・・・。
 
与えられるもの、とられるもの、いろいろあるに決まっているけど、そこには 『主なる神様』 の御守りと御導きが必ずあるから、主に伴っていただくことを 『忘れない』 ことが、悪の力に対抗するもっとも力強い方法だろう。
 
「 うまくいかないことを、なんでもかんでも『悪』のせいにしてはいけないよ。 」
祝福の中にも、試練の中にも 必ず『そこに居ます主』 を 覚える者として、成長できるように願い求める。
 
 

喜びの時を与えられ

いよいよ、合格発表を見に行く日がやってきた。 試験からの一週間、彼自身は何を思っていただろう・・・。
 
私は、不思議と平安な思いの中にいて 結果いかんについては、想像することさえしないような、『時がきたら
 
おのずと知ることだ。』という思いでいたように思う。 いや、そうされていたのだろうと思う。
 
『何事も思い煩わず、一切を神にゆだねなさい。』 の守りの中に・・・。
 
 
さて、向かう途中の息子は、不安と緊張でいっぱいの様子。
 
「もし、番号がなかったら、ママならどう思う?」 と聞いてくる。
 
「それが、現実、と思うよ。そこからまた新しい道が開ける、と思うよ。」と答えていた。
 
「一人で見るから来ないで。」という、彼の気持ちを受け止めた。車中で待ちながら・・・祈る。やっぱり、祈る。
 
「願わくば・・・」と祈る。 「みこころのままに、導いて下さい」と祈る。・・・
 
 
携帯がなった。 息子の声はいつもより、一オクターブ高かった。
 
「受かった!みんな、受かったよ!」 本当に、心からの喜びの叫びだった。私は本当にそれを受け止めた。
 
「おめでとう!よかったね!  感謝だね!!」    何に対して感謝をするべきかは彼の心が知るだろう。
 
 
喜びの思いで校門を出た時に最初に出会ったのは、彼を その高校を目指す思いを与えてくれた人物だった
 
そうで・・・その方は、自分の息子のように泣いて喜んでくださったとのこと・・・。神様の御導きだと実感する。
 
 
1番に、自宅で待つ祖母に報告。 それから、母の声掛けに 素直に即座に応えて教会に電話・・・。
 
牧師先生に、今まで出したことのないような 心からの喜びの叫びを伝えた。
 
「お祈りを、ありがとうございました。」  きっと、心から そう思っただろう。
 
牧師先生も、わがことのように 喜んでくださった。 
 
 
先日、ようやく手にした携帯では一斉に友人とのやりとりが始まる・・・。合格の喜びのわかちあい。
 
一方で、残念ながら不合格だった友人の情報も得る。 そして、沈黙。
 
歓喜の喜びは、友人の心情を慮る思いがしめていく・・・。 それもまた、必要。 なんと声をかけたらよいか
 
わからない、という経験。 「他人がどうなっても、自分には関係ない!」 今まで、もしかしたらそんなふうに
 
わが身中心に生きてきた息子は、今こそ、自分が得て友が得られない、という現実に直面している。
 
その 自分にはどうしようもない 現実 の中に立っている。
 
 
「数字って、怖いね。」 と実感をこめて彼は言った。 発表会場で、歓喜の声をあげる者、一方で失意の涙を
 
流す者がいたという現実。 もちろん、それぞれの歩みを 主は知っておられる。 どんなところにあっても共に
 
いてくださる主を知る者は、必ずその手を取って『起き上がらせて下さる』 のだが、それを知らずに 悲しみに
 
だけ捉われてしまう時の苦しみは計り知れない・・・。
 
 
もちろん、念願をかなえることができたことは、ただの偶然ではない。 主の御導きのもと、与えられる環境の中
 
で 『自分の目指すもの』 を明確にもって 努力を重ねたこともあっただろう。 我が子にあっては、やはり、本人
 
の努力を生かしてくださり、挫折しかかる弱さの中に 励ましと回復を与え続けて下さった方 、我らの祈りを聴い  
ていて下さった主イエス様の御霊の支えを 心から感謝し、御名を崇めます。
 
 
我々、両親を日々 『祈り』 へと導きだしてくださったのは 聖霊なる神様であります。これからも、主によって
 
守られ生かされていく 『人生』 『家族』 であれますように。
 
与えられている順境の時を 主にあって喜び、 いつも 訪れうる逆境の時にも、必ず 主を覚えて祈り力をいた
 
だく歩みをしていけますように。 弱い私たちの自力では到底なしえない、このことを 聖霊様によって 実現させ
 
て下さい。 いつも、主を覚え主に感謝をする生活をさせてください。 

導かれる主

子供の受験を目前に控えている。主に守られ、平安のうちに日々を過ごしていることに感謝の思いをもちつつも、
 
ひとたび息子自身が自信を喪失している様子に触れるたびに、表面は『お母さんらしく・・・どんと構えて。励まし
 
て。』 『ありのままの彼を受け入れて、温かく接しよう。』 と決めたのに、心の内面には、子供と一緒になって、
 
『大丈夫かなあ・・・』と不安な気持ちは湧いてくる。でもやっぱり、彼をみこころのうちに導いて下さる主を信じ、祈
 
りゆだねていきたい。
 
主のみことばを、心から願い求めた私に、神様は、ローマ信徒への手紙16章17〜20節に導かれた。
 
 
【兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。なおそのうえ、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。】
 
神様の福音(イエスキリストについての宣教)によって、私自身も『強められた』といえる。信仰を与えられ、それによって主に従う従順に導かれているからである。異邦人である、この私が・・・。今、日本の地で。
 
唯一の神様がイエスキリストによって、人類、天地万物から崇められ、栄光が帰されますように・・・。
 
 
さて、思いがけず母がやってきた。出掛けようとしていた私は、母を迎えた。
 
「今日は、これを買ってきたんだよ。買うだけじゃ悪いから、ちゃんとお参りもしてきたよ。」 と差し出したのは、
神社の合格祈願の御札だった。
 
「・・・。」 もちろん私自身は積極的に受け取れるはずもないが、強く拒否もできず穏やかに沈黙していた。
 
「これ、まずいかしら?」 「だけど、あんた、これを拒否するなんておかしいんだから!」 「あの子は、キリスト
 
教なの?!」 母が、ひとしきり自分自身の揺れ動く思いを顕わにして静まった瞬間に、静かに「受け取るよ。だ
 
けど、渡すのは今じゃなくていいかな・・・。」 と言っている自分がいた。そして、「ねえ、ママはこれを一刻も早く
 
身に着けると何か力が働いて合格になるとは、思ってないよね?」 と 確認するように母をまっすぐに見て話し
 
かけていた。母は、びっくりして、戸惑って苦笑していた・・・
 
私は、 「これは、ばあばの応援の気持ちなんだよね?」 と聞いていた。
 
大きく大きくうなずいて、母は、「そうだよ!あたしの気持ちだよ。」 と言う。 「ありがとうね、いつも孫を思って
 
くれて。」 「前の日に渡すね。」 といったん受け止めた。すると、どうだろう・・・。
 
穏やかになった母は、思いめぐらせて 「・・・やっぱり、これはあたしが持って帰るよ。」 としまっていった。
 
 
その後、私は母にメールで伝えた。
 
『 孫を大切にしてくれてありがとうね。 我が家も何かとバタバタ、ざわざわする時もあるけど、基本的には守られているなあ、と感じます。父母にも支えられています。』
 
一つ一つの出来事を通して、主は私のそばに居まして、必要な言葉、助け、導きをくださる。主は生けるお方。
 
母は、まだまだ主に心を開けないけれど、以前の頑なさが やわらぐ瞬間がある。
 
私自身、そのことをとても感じる。 焦らないで、私を導かれる 主なる神様に信頼して 『善にさとく、悪に疎く』
堂々と歩ませていただけることを感謝していこう。
 
 
 
 
 

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