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の続きです。是非,上記をお読みの上で読んでくだされば嬉しいです。しょうたろうくんのご家族
からメッセージを頂きましたので掲載させていただきます。
【しょうたろうパパより】
NICUのブログで、私たち家族がNICUを訪問させていただいた時のことを載せていただきました。
何かのお役に立てばと思い、そのいきさつや訪問させていただいたときに感じたことを書きたいと思います。
長男しょうたろうは、94年9月から95年3月までNICUでお世話になりました。
しょうたろうとはNICUで最後の時を過ごしました。
その2年後に長女がこども医療センターで生まれ、その退院のときにあいさつに
行ったのがNICUの最後だったと思います。
長女の退院のとき、しょうたろうを担当して下さった看護師さんたちと
それから10年余りが過ぎ、2007年1月、朝日新聞にNICUの特集が連載されました。
そこには豊島先生の名前と写真がありました。当時、白衣姿の大きな体で、
小さなベッドに覆いかぶさるようにしょうたろうを治療する豊島先生の後ろ姿を
思い出しました。
写真の豊島先生は当時とはだいぶ(横幅が)違うようでしたが・・・。
(豊島先生すみません)
新聞記事を切り抜きながら、
「いつかNICUでのしょうたろうのこと、NICUの先生や看護婦さんのことを
娘に話してあげよう」と、妻と話しました。
NICUの新聞記事の切り抜き
今年、娘は高校1年になりました。将来のことを考え始めているようです。
将来は医療系の仕事を考えているとのこと。「NICUへ行こう、豊島先生に会ってもらおう」
と妻が私に提案しました。
もちろん賛成です。
しかし、豊島先生にどう連絡をつければ良いか、私たちのことを覚えていないだろうから、どう面会希望を出せば良いのか、など考えてしまいました。でも兄が過ごしたNICUを見ること、そしてその治療にあたって下さった先生方と話をすることはとても大事なことだと感じ、思い切ってこども医療センターのホームページからメールをしました。
数日後、豊島先生から返信を頂きました。
「しょうたろう君のことはよく覚えています、というか新生児科医になるきっかけだと思っています。
もちろん,ご家族のことも妹さんの帝王切開の立ち会いをしたこともよく覚えております。」
私たちは本当にうれしくなりました。先生にお返事をし、面会の日時を決めました。
娘も楽しみにしています。
8月の夕方、こども医療センターを訪問しました。NICUの入口で豊島先生を待ちます。
NICUの入口は当時のままです。入り口前のじゅうたん敷きのコーナー、入口の引き戸、
いつも入室するときに使っていたインターホン、どんどん記憶が蘇ってきます。
そして豊島先生が出てこられました。昔のままの豊島先生の話し方で、声をかけてくださいました。メールをしたときは、少しNICUをのぞかせて頂ければ嬉しいなと思っていましたが、NICUの中を案内して下さるとのこと。先生の思いがけない配慮にうれしくなる私たちでした。
中に入るともっとサプライズです。当時の看護師の皆さんとも再会することができました。
皆さん、しょうたろうのことを覚えてくれています。話していると、18年も前の事なのに、
何か2,3月前のことだったようなとても不思議な感覚です。妻も同じような感覚だった
とのこと。
娘は豊島先生といっしょに見学をさせていただきました。
私と妻は、看護師長さんに案内をしていただきました。当時はしょうたろうのいた
A室の入口付近のベッド付近だけがいつも行く所だったので、奥まで見せていただいた
のは実は初めてでした。しょうたろうがいたベッド、お風呂にいれた部屋、最後の時を
過ごしたファミリールーム、涙が出てきます。娘は豊島先生と別行動で院内を廻っていました。
看護師長さんとは当時の話や、当時の看護師さんを紹介してもらいながらNICUを見させて
もらいました。当時からいる看護師さんが皆しょうたろうのことを覚えているのが本当に
驚きでうれしく思いました。
しょうたろうは別の個人病院で生まれました。
そこから数日後にこども医療センターへ搬送され、そのままNICUに入りました。
5ヶ月間NICUで過ごしましたが、今回の訪問でNICUの皆さんはしょうたろうに
とって家族だったんだなあと思いました。
家に帰ることのなかったしょうたろうは、いつもNICUで先生方、看護師の皆さん、
スタッフの皆さんに面倒をみてもらっていたんだと、改めて思います。
当時の私たちに廻りに気を配る余裕など全くなく、症状の悪化するしょうたろうに
会いに行く、NICUへ行く、そのことがだんだん怖くなってきていました。
NICUの自動ドアを抜けてベットまで行く、元気にしているだろうか?しょうたろうが
生まれてから亡くなるまでの毎日の日記を見返すと、希望と不安で揺れていた毎日が
思い出されます。
当時、しょうたろうの担当だった看護師さんが育児ノートを作ってくれていました。
日々の様子をその日の担当の看護師さんや、スタッフの皆さん、私たち家族が交換
日記のように記載しています。豊島先生も時々書いて下さっていました。
それを読み返すと本当にNICUの皆さんが親身になってしょうたろう、そして私たち
家族をサポートして下さっていることがわかります。私たちと同じようにしょうたろう
の成長を喜び、また共に同じ痛みを背負う。
入院している子供だけでなくその家族も支える。家族が子供を思うその思いと同じ思いで、
時にはそれ以上の思いで治療を行ってくれる。そんなNICUの皆さんです。
このようなNICUの皆さんのサポートがなければ、私たちはしょうたろうとの5が月を
乗り越えることが出来なかったと思います。このノートは今も私たちの宝物です。
育児ノート、たくさんの方が書いて下さいました。
豊島先生が書いて下さった育児ノート。
研修の延長を考えて下さった時でしょうか?
豊島先生が書いて下さった育児ノート。
NICU研修の終わりに。
しょうたろうが亡くなったのは3月15日ですが、その育児ノートの最後の日付は6月15日。
しょうたろうが亡くなってから3か月後です。担当だった看護師さんからです。
私たちのことを心配し、助けようとしてくれている、そしてしょうたろうを
思っていてくれたことを感じる、そんな思いのこもった最後のページです。
育児ノートのはじめのころは、しょうたろう君とかしょうちゃん、
と書かれていましたが、最後の方は、しょうたろう、と友達や兄弟のように
呼んでくれています。一部記載します。
「お父さんがこの間、病棟にいらしてしょうたろうの写真を持ってきてくれました。すごくうれしかったです。あんなにいい顔しているしょうたろう…。信じられません、未だに。
しょうたろうのことが大好きでした。だから余計に未だにしょうたろうのことが頭から離れないのかもしれません。でも離したくもないし、離れてほしくないです。」
「しょうたろうの写真をみるたびに、いろんなことが思い出されてとても淋しい気持ちになりますが、今の病棟にいるといつまでも淋しいとばかり思ってもいられなくて、続々と新しい生命が誕生し、また亡くなりといった生死が背中合わせの状態です。」
しょうたろうがNICUを卒業できなかったことは、
今も私たちの悲しみであり痛みでもあります。
でも私たちはそれを美化することなく、その悲しみや痛みがその形のままで
消えないことを願っています。それがしょうたろうの生きた証であり、
今の私たちの家族に繋がるからです。
一方でしょうたろうには、私たちと同じ悲しみや痛みを感じて下さったNICUの先生方、
看護師さん、スタッフの皆さんという家族がいたことが、私たちの何よりの慰めとなっ
ています。
しょうたろうの妹がうまれる時、豊島先生や当時の看護師さんが帝王切開の出産に
立ち会ってくれました。そしてその誕生を喜んでくれました。皆しょうたろうの家族です。
このような繋がりは普通では考えられないことだと思います。
今、年間約400人弱の子供たちをNICUで治療していると聞きました。
18年後のNICUでは今も同じように小さな命が小さな体で全力で頑張っている、
そう感じました。小さなベッドの上で小さな体で、全力で頑張っている。
その子供たちに力をもらったような気がします。そしてNICUではその小さな命
に向かって全力で取り組んでいるように感じました。
そして何より、兄のしょうたろうを懸命に治療して下さった豊島先生とお話をすること
が出来た妹にとっては何より貴重な体験となったことと思います。
そしてNICUに特別な想いを持ったようです。
豊島先生に病院内を案内してもらいながらいろいろお話したとのこと
訪問の最後の記念写真は皆さんに無理をいってご一緒していただきました。
しょうたろうの入院中はしょうたろうの写真ばかりでNICUの皆さんの写真がなく
残念に思っていたので、無理を承知でお願いしました。
NICUの皆さんのおかげで、私たちはしょうたろうとの時間を精一杯過ごすことができました。
本当に感謝しています。
そしてまた、そのつながりが、娘へと繋がっていることが、不思議でなりません。
そしてうれしくてなりません。
今回、星野先生にはお会いできませんでしたので、それを口実にまた訪問させて
いただければと思います。
NICUの皆さん、本当にありがとうございました。
【しょうたろうママより】(コメント欄のお言葉をこちらにも掲載させていただきます)
当時のことを思うとこの再会日が来るとは夢にも思いませんでした。
翔太郎は、先天性の病気で、いくつかの障害を持って生まれました。
こんな状態で生きていくなんて無理、生きられたとしても苦労するだけと、
現実から逃れようとしていました。
苦しそうな我が子を見ると、つらく悲しく面会に行くことが出来なかった日がありました。
一方で治療を続けながら見守って下さる先生、看護師さんがいつも翔太郎のそばにい て下さいました。その励ましと支えがあったからこそ、翔太郎は、頑張って生きることが
出来、私は我が子への愛しさ=愛情が与えられました。
意味のない生命はないこと、障害があろうともパワーを今も与え続けてくれる翔太郎を、
あらためて感じさせてくれた感動的な1日でした。
娘にふれあいの機会を与えて下さった入院中のお子様、お母様ありがとうございました。
看護師さんとも再会出来、豊島先生はすっかり偉大になられた今でも全然かわっておらず(笑)
気さくなお人柄でとてもうれしかったです。
星野先生、お会い出来ず残念でしたが、いろいろとお世話になり本当にありがとうございました。
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最後まで読ませていただきましたが、とても感動的な記事で、胸が熱くなりました。記事を書いてくださったしょうたろう君のパパさん、そしてママさんありがとうございます。それから、直接太晴(緊張した様子で写っている男の子です)に会って下さった妹さん、本当にありがとうございました。
パパさんの記事から、しょうたろう君の入院中の様子が計り知れて、自分も共感する部分が多いので、当時の不安だった心境をよく感じることが出来ました。10年以上が過ぎても、昨日のことのように思い出してくれる看護師さんや先生方がいることは、しょうたろう君がNICUの中で生きた証であり、とても愛されていた子だったのだと感じました。
そして、その繋がりが妹さんへの受け継がれ、不思議な感覚もありますが、きっとしょうたろう君が導いてくれていると感じました。
ぜひぜひ、今度星野先生に会いに来た際は、太晴と一緒にお話など出来ればと思います。ありがとうございました。
2012/8/28(火) 午後 0:54 [ たっくんパパ ]
育児ノート懐かしいです。私は書く側でしたが。
初めて我が子を授かり日々のノートを書く度に勤務時代の自分の文章を思い返します。 笑ったこと、体重が増えたこと、上手にミルクが飲めたこと。。本当ならば親御さんが誰よりそれを見ていたいだろうに叶わず、代わりにお預かりしている立場として丁寧に書かせていただいた記憶があります。
私は10年以上前に妹を亡くしましたが、この様な場合は「ひにち薬」しか無いと実感の日々です。 しょうたろうくんパパが書いておいでですが、痛みや悲しみは消さずに抱いて過ごすしか遺族はできません。がそれで良いのだと思います。
確かに生きていた命を忘れるなんてできないし。
話が脱線しましたが。。
ご家族にとってもNICUの方々にとってもしょうたろうくんの築いてくれた人間関係はなんと素敵かと思います。
2012/8/28(火) 午後 0:56 [ Ban@fuku ]
とても感慨深く拝見させていただきました。
そして読み終わると心の中がホッしました。
なんて素敵なご家族だろうと・・・
こどもを見送る気持ち、本当に辛く悲しいものですよね。
私も長男を亡くし、今は彼への想いとともに生きています。
お父様の『私たちはそれを美化することなく、その悲しみや痛みがその形のままで消えないことを願っています。それがしょうたろうの生きた証であり、今の私たちの家族に繋がるからです。』という言葉胸に突き刺さりました。ありがとうございます。
妹さんの進路選択。ご両親の愛情の賜物ですね。
お兄さんとともに生きていく、そして今後の生命を守っていく決意、本当に素晴らしいですね。
このたびはとても素敵な記事ありがとうございました。
2012/8/28(火) 午後 3:39 [ 悠真母 ]
素敵なご家族に胸が熱くなりました。
しょうたろうくんが頑張って生きた証が妹さんに引き継がれ、しょうたろうくんも喜んでいると思います。
立派に育たれた妹さん、きっとご両親の愛情をたくさん受けて育ったんだろうと思いました。
「意味のない生命はない、障害があろうともパワーを与え続けてくれている」、その通りだと思います。NICUの中には小さくても頑張っている子供達がいる、そういう現実を偏見なくもっとたくさんの人に知ってもらえればもっとNICUを出て社会に出たときに生きやすい社会になるのではないかと感じました。
2012/8/29(水) 午後 10:30 [ あみママ ]
18年前の話におつきあいくださった、たっくんパパさん、修矢母様、あみママさん、こころのままにさん、しょうたろうくんのことを一緒に偲んでくださってありがとうございます。私がNICUで気付かせていたことの1つに<例え、救命できても家族の1人に数えてもらえない、居場所がなくなってしまうような赤ちゃん><お亡くなりなったときに後で想い出したくないと思えてしまうような診療>をしたくないということです。救命できる、出来ないを越えて、NICUの中にいても御家族の1人に感じて貰って、例え、肉体はなくなってしまおうとも御家族の中で生き続けてもらえるようなお手伝いを赤ちゃんに出来たらと思うようになりました。しょうたろうくんは、18年後の今も知っている人の胸の中で生きていて、会ったことが無くとも妹さんの中に受け継がれていて、今回の様な機会に多くの方にその地上の日々を偲んでもらえて正太郎君に良かったねと伝えたい気持ちです。皆さま、ありがとうございました。
2012/9/1(土) 午後 5:19 [ NICUサポートプロジェクト ]