がんばれ!!小さき生命(いのち)たちよ

新生児医療・NICUで頑張る早産・低体重、様々な疾患の赤ちゃんとご家族を応援します。

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がんばる青森NICUチーム

神奈川県立こども医療センターの新生児科の豊島です。
当院は青森県立中央病院から4名の若手新生児科医を交代交代できて頂き、一緒に神奈川県の県内で収容しきれていない赤ちゃんの診療を一緒に救ってもらってきました。
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1年9ヶ月きてくれていた池田先生(写真左)は青森のNICUのやり方などを

むしろ神奈川に伝え、神奈川の診療の質を改善やスタッフの教育に力を貸して

くれました。


池田先生と交代で、
このブログで伝えてきたように
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に続き、3月は松尾先生がきてくれていました。

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研修途中で地震がきて短期研修を切り上げて青森に戻るか?と問いかけたのですが、中途半端に戻る方が申し訳ないので最後まで研修すると返事をした松尾
先生です。3月は心臓病のお子さん達の入院が毎日1〜2名の入院があったのですがその診療をほぼ全員に関わってくれた松尾先生でした。

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繰り返す余震や停電の備えで病棟に集い待機することが多かった3月ですが、
若手なら落ち着いて、疲れをみせず最後まで研修を終えてくれました。他の3名と同様に完全に神奈川こどもNICUチームに馴染んで仲間と感じられた松尾先生でした。1日1日を大切に研修していた松尾先生と思います。(雰囲気が池田先生と凄く似ているのが話題でした。)


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最後の晩12時の松尾先生です。新潟からきてくれている斎藤先生
と患者さんのことを話し合っているところです。この日は本当は
いけたら送別会を小さくてもできないか?とも思ったのですが、
この患者さんの診療が続いていたのと、<心臓病のレクチャー>を
最後に聞きたいと希望したので、<送別会>より<送別マンツーマン
授業>を22時から0時近くまでした私でした。一緒に働けるのは
最後の晩なので、伝えられることを伝えたいと想い、松尾先生の
熱意につきあいました。


<ゆとり教育>ではなく、<詰め込み教育>
ですが、双方に同じ目的と熱意があればいいのかなと思いました。

その後、1時過ぎにささやかなながら、池田先生とも出かけた
深夜営業のラーメン屋にいって送別会としました。横浜は徐々に
地震前に戻りつつあります。

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青森の現状や帰ってからの豊富などを聞かせて貰いました。
若いメンバーの青森県立中央病院のNICUは5,10年後には
日本の中心のNICUになっていくのではないか?という希望を
感じました。震災の影響を受けたNICUの1つですが、若い
先生方の前向きな姿勢には、希望を持って頑張ろうと思わせて
くれるパワーを感じました。

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翌日も朝一から一緒に働き、そして夕方で病棟を去りました。
松尾くんは飛行機で青森に帰還して、震災の中で赤ちゃん
達を守っている青森NICUチームに合流の予定です。
横浜から青森NICUチームのご活躍を見守らせて頂きます。



人手不足の中、自分が大変になろうとも、
彼ら4名を順番に送り込んでくれた網塚先生からは
<お礼のメール>を頂きました。震災の影響は大きくない、
今は平常に近い状況の機能を果たせているとのことで
青森のNICUに関しては安心はしました。働いている皆様の
体調については少し心配していますが。。。

網塚先生からは
「うちの若手が次々にお世話になって青森と神奈川こども化計画
は着々と進行中です。優秀な若手が沢山育ってくれたので全く心配
していません。神奈川のご指導が間に合った格好ですね。」
と大変ありがたい言葉でした。

網塚先生とは4年前に大阪で食事を一緒にさせて頂いたときには
目の前の患者さんの事だけやっていては、救えない赤ちゃん達
いるかもしれないということを語りかけてくれ、気づかせてくださった
私にとっては尊敬する先輩の1名です。状況は違えど相互理解しながら、
青森・神奈川で連携して、報道協力などもしてきました。
青森と神奈川で一緒にでた最初の朝日新聞の特集です。
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(●取り上げて下さったブログ:

この記事がでた、2年がたって、青森も神奈川もお互いに<よりよい状況になってきいたかもしれない矢先>の日本に直撃した震災ですが、この記事で私と網塚先生の報道された言葉、、、
●「子どもを大切にしない国に未来はあるのかと思う。だから前を向いて頑張りたい」

 ●「NICUにあるのは子ども達の声なき声。それを聞こうとする世の中になってほしい」

今のこの震災後の日本だからこそ、より意味をもつのかもいしれないと思えています。そして、2年前と異なるのは、網塚先生と私の共通の<大切な後輩達>が増えてきて、彼らが私達の願いを一緒に実現してくれるような夢も感じています。

各々の目の前の患者さんに出来る状況の中でベストを尽くすという気持ちを通して私達は離れていてもつながっていると思います。

網塚・池田・佐藤・寺田・松尾先生、まだ、予断を許さない状況な気もしますが、これからもお互い、各々の場所で、それぞれの役目を果たしながら、前を向いてがんばっていきましょう。

(神奈川県立こども医療センター 新生児科 豊島勝昭)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

頑張ろう!東北救児基金http://blogs.yahoo.co.jp/nicu_sp25/8524991.html
(#:銀行振り込み方法を追加掲載しています。)

●村田修一選手のメッセージは東日本震災へのメッセージは

(本の収益はNICU医療に寄付予定)


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泣いたらしいから、心臓に穴はないけど、風邪で、CPになって、OPされて、弁膜症らしいです。切迫性膀胱で、利尿剤まで、飲めないです。将来、酸素吸う生活覚悟です。足が、無事だといいです。1958年で、1550gだから。神経症にもなってます。助かったのなら
助からなくても、命は宝じゃないですか。生まれて来れると言うのは、偶然じゃないよね。NICUできて、豊になったはずが、福祉は、貧しいと思います。低体重児の学会のメール・アドレスに、書くかなあと思っていたけど、先になったですね。子どもたちは、あかるいとこで、がんばっているんですよ。この、まぶしいとこ、どこって。声は、しているよ。たぶん。

2011/3/27(日) 午前 6:08 ペイラックのジョフレ 返信する

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ペイラックのジョフレさん、コメントありがとうございます。気づきをくださました。今後とも、宜しく御願い致します。

2011/3/27(日) 午前 11:19 [ nicu_sp_blog ] 返信する

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あかちゃんが、小さいだけで。目は見えてなくても、新生児とは、いうものの。子どもが、小さいのですよね。未熟児網膜症にも、ならなかったけど。吸う力も無いと、声は、管でしないかもしれませんが。
ボディーランゲージは、していますよ。母性発現の危機介入など、観念が無かったんですよ。1号機ですから。アジア風邪なら、皆免疫無いのに。産着着せたいけど・・・。って・・・。出会う人のために、
小さく生まれているかもしれないよ。学年違うの。衝撃だろうし・・・。保育器育ちのことは、タッチ・ケアと言う言葉が無かったんです。読んで驚かせたら、許して下さいね。自立の意思決定で、
後輩たちも、がんばるよ。きっと。お体、ご自愛くださいね。

2011/3/27(日) 午後 3:00 ペイラックのジョフレ 返信する

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手術は、足で、整形外科。聖ヨゼフ整肢園で、深瀬・池田。理学は、
金原。1966.だと思います。不育症じゃなくて、早期破水で、
9か月で生まれました。最後というか、ぐんと、大きくなるのだと、
1か月で・・・。助産士は、長野よし子さん。心臓は、左足に、浮腫
があります。脈は、両方あり。えーとぉ・・・。産科のDr氏名は、耐火金庫の中です。臍帯もあります。まだ、病気あるけど、心臓で、今度です。

2011/3/27(日) 午後 11:35 ペイラックのジョフレ 返信する

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